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お店に、来てくれました

 道案内をした三日後、さっそく細川が祖母を伴って小料理屋にやってきた。


「先日はうちの孫がお世話になって。ありがとうねえ」


 にこにこと吉花にお礼を言う細川の老婦人は、いつになく元気そうだ。ひとり暮らしの上にこのところ出歩けなかったことで塞いでいた気持ちが、孫と暮らし始めたことで上向きになってきたのだろう。

 今まさにひとり暮らしの寂しさをしみじみと味わっている吉花は、老婦人の心境に自身を重ねて、本当に良かった、と思う。葉月たちに会えないだけでも寂しいのに、そのうえ自由に出歩くことができなかったなら、ひとりきりでいる時間じゅうずっと就職活動中の自分を振り返って落ち込み、逃げ出すようにこの町に移り住んだ自分に嫌気がさし、ひとりで勝手に自分自身に絶望していただろう。

 それを思えば、アルバイトとはいえこの小料理屋で働けていることは、とても幸せなことだと思う。店主はアルバイトを大切にしてくれて無茶は言わないし、客も不慣れな吉花を優しく見守ってくれるような人が多い。それどころか、この江戸での生活のアドバイスをくれる人もたくさんいる。他人との距離が近いことを嫌う人もいるのかもしれないが、ひとり暮らしを寂しく思う吉花には、お節介を焼いてくれる人の存在はありがたいし、それになによりこの店のまかないはおいしい。

 細川の老婦人に気がついた店主が厨房から出て、二人で親しげに話すのを見ながら吉花はにこにこと笑う。そんな吉花に、店の入り口から顔をのぞかせた細川が遠慮がちに話しかけてきた。


「あの、先日は本当に、ありがとうございました」


 ぺこり、と頭を下げる細川に、吉花は手にしていたお盆を下ろしていえいえと首を振る。


「私も同じ方向に向かってましたし、本当に気にしないでください。それより、お店の中へどうぞ。おばあちゃんたちのお話は長くなりますから、空いてる席に座って待っててください」


 吉花が勧めると、細川はへこへこと頭を下げながら店の敷居をまたいで入ってくる。折良く、昼の混雑が途切れたところで店内に他の客はいない。久しぶりに会えた店主と細川の老婦人の話の邪魔をするのも悪いからと、細川には店の入り口付近の席を勧める。壁に面したその席なら、おどおどした細川も少しは落ち着けるのではないかという意図もある。

 勧められるまま席についた細川は左半身を壁に寄せて座り、どこかほっとしているように見えた。

 そんな細川にお茶でもどうですか、と言おうとして、ふと吉花は気がついた。


「細川さん、困りました。私、細川のおばあちゃんのことも細川さんって呼んでるんです。このままではお二人の呼び分けができないです」


 そう言う吉花に、細川は慌てた様子で視線をうろうろさせた。


「え、ええと、どうしましょう。細川の孫っていうのは、変ですよね。ええと、僕のことは細川って呼び捨てにしてもらっても、かまいませんし」


 おどおどとしながら言う細川に、吉花は困り顔で落ち着いてください、と声をかけた。


「あの、差し支えなければ下のお名前で呼ばせてもらえたらな、と思ったんですけど……」


 控えめに申し出る吉花に、細川は驚いた顔をする。


「下の名前……それがありました。ええと、ぼくは、細川ほそかわ幸路こうじと言います」


 ぺこりと頭を下げる細川、改め幸路に、吉花も頭を下げる。


「私は春名吉花です。名前で呼んでもらったほうが町の雰囲気に合うので、良ければ吉花と呼んでくださいね、幸路さん」


「あ、はあ。はい、わかりました」


 吉花の申し出に細川が素直に頷いたところで、会話が途切れて沈黙が落ちる。細川の老婦人と店主はまだ話しが盛り上がっているようで、こちらに来る様子もない。細川は落ち着かない様子で視線をうろつかせている。

 料理の注文は祖母と揃ってからのほうがいいだろうから、ひとまずお茶でも出そうか、と吉花が思ったそのとき。


「あ、あの、吉花さん! ちょっと、聞いてほしい話があるんですけど……!」


 意外なことに細川から会話を切り出してきた。緊張した様子ではあるが、それ以上に話しを聞いてほしそうなその姿に、吉花は頷いた。お茶を淹れるのは後でもいいだろう。

 細川が話しやすいように、と吉花は少し離れた席に腰を下ろす。ちらりと視線を向けると口を開けたり閉じたりしている細川が見えたので、そのまま静かに待った。少ししてようやく話がまとまったのだろう、俯き加減のまま細川が口を開く。


「ええと、吉花さんは、この間のお坊さんと親しいんです、よね?」


 視線を合わせるのが苦手なのか、細川は吉花の顔と机の上とを交互に見ながら聞いてきた。話とは、ヨルに用事だったらしい。けれど吉花は親しいかと聞かれると答えに困るため、首を傾げながら応える。


「ヨルさんでしたら、ご近所さんなのです。ただ、私も先日、幸路さんとお会いした日にはじめて会ったので、親しいかと言われると、うーん……」


「あ、そう、なんですか……」


 唸り声を上げて言葉を濁す吉花に、細川が残念そうな様子を見せる。明らかに落胆した顔をする細川に、吉花は申し訳なくなる。


「あの、お力になれるかはわかりませんが、お話だけでも聞かせて頂けませんか? お困りなら、ヨルさんに伝えてみますし」


 先日以来、ヨルには会っていないけれど、住んでいる部屋は大家の田谷に聞けばわかるだろう。細川の用事を紙に書いて伝えることくらい、できるはずだ。

 そう思って吉花が促すと、細川はしばらく迷うそぶりを見せた後にそっと口を開いた。


「あの、ぼくの家に、狐がいるかも、しれないんです」


「……え?」


 遠慮がちに告げられた言葉に、吉花はついつい首を傾げてしまうのだった。

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