犯人は、狐みたいです
「狐、ですか」
狐のしわざと言われても、吉花にはぴんとこない。昔話などではよく、不思議なことがあると狐のしわざなどと書かれているのを読んだことがあるけれど、あれは物語の中の話だ。そもそも吉花は野生の狐を見たことがないので、抽象的に描かれた狐の姿しか想像ができない。
そんな吉花とは違って、飛脚の男や番所の職員たちは納得した様子で頷いている。
「狐のしわざなら、月代を剃っているのも納得だ。人を化かすような狐は、きっと年寄りだろうから、本物の侍を知っているだろうからな」
「いや、しかし狐のせいで済むなら、それが一番。観光地で傷害沙汰なんて大問題ですからね」
安心したように言う番所の職員たちは、肩の力が抜けたのだろう。朗らかに笑い合っている。
その姿を見て吉花はそんなものなのか、と受け止めた。まったく話について行けない細川は、ひとりで目を白黒させている。
「なんだ、俺は驚かされ損か。でもまあ、狐なら仕方ねえな。朝めしは適当にまた買えばいいしよ」
飛脚の男は、すっかり落ち着いたようだった。慌てて大騒ぎした自分を恥じるように、苦笑いを浮かべて番所の職員に騒いだことを謝っている。
怪我がなくてなによりだ、と返事をした番所の職員に見送られ、飛脚の男は帰って行った。
「しかし、狐のせいだとするとどうしたもんでしょうねえ。この間もこの近くの通りで、狐に化かされたとかいう人がいたじゃないですか」
戻ってきた番所の職員が、ため息まじりに言う。困り顔で頷いたのは、もうひとりの職員だ。
「ああ。歩いても歩いても家に帰りつかなかったとか言ってた人だな。道ばたにいたのっぺらぼうに助けられて、この番所まで来たんだよな。それも、鼻眼鏡をかけたのっぺらぼうに」
のっぺらぼう。思わぬところで知っている者の話題が出て吉花は嬉しくなった。
「あの、のっぺらぼうさんはお元気でしたか?」
吉花は少しどきどきしながら職員の会話に口を挟む。のっぺらぼうが悪い妖怪だと誤解されて、酷い目にあわされていないか心配だったのだ。
不安げに聞く吉花に職員は、知り合いなの? と不思議そうにしながら答えてくれる。
「喋りはしないけど、元気そうでしたよ。いやあ、しかし、のっぺらぼうが挨拶回りに来たあとで良かったですよ。のっぺらぼうって、あの顔でしょう。知らずに出会ってたら、思わず悲鳴をあげちゃいますよ」
聞くと、数日前にのっぺらぼうは葉月たちと一緒に挨拶に来たらしい。今後、近隣の路地で観光客向けの妖怪見学をする予定だと話す葉月たちから、のっぺらぼうが無害な妖怪だと聞いていたという。
先日の狐騒動でのっぺらぼうは無害どころか良い妖怪だとわかったから、のっぺらぼうによる妖怪ツアーの開始はもう間も無くだろう、と番所の職員が教えてくれた。
「しかし、狐騒動がまだ増えるとなれば、なんとかしなきゃなあ。あののっぺらぼうを連れてきた人たちに相談するかね」
職員のぼやきに返事をしたのは、ちりーん、という鈴の音。
大きな体のわりに、今の今まで存在感を消していた僧侶は、再び全員の視線を集めて言う。
「それならば、心配ご無用。某、妖怪騒動に対処すべくこちらの町に来た者であるから、先達て挨拶に伺った者たちとは目的を同じくする身。万事、お任せいただきたい」
どうにも小難しい言い回しをしているが、この僧侶も葉月たちの仲間らしい。それを聞いた番所の職員は、ほっとした顔でよろしくお願いします、と頭を下げていた。
そして、吉花と細川はなんとなく僧侶と連れ立って番所の外に出た。
これまでよりも一層おどおどしている細川と、堂々とした佇まいのまま黙っている僧侶に挟まれた吉花は、はたと気づいて口を開く。
「あの、葉月さんたちの仲間ということは、お坊さんは田谷さんが大家をしている長屋にお住まいですか?」
唐突な吉花の質問に、動じることもなく僧侶は頷いた。
「うむ、いかにも」
「だったら、私のご近所さんですね! 私、田谷さんの長屋でお世話になっている、春野吉花と言います。よろしくお願いします」
僧侶の返事に手を打って喜んだ吉花は、名前を告げてぺこりと頭を下げる。
それを受けて、僧侶は被っていた笠を脱いだ。
「これは、ご丁寧に。某は、大黒屋 預流と申す。苗字は屋号と混同されやすいゆえ、ヨルと呼んで頂いて結構」
そう告げるヨルの笠の下、現れた頭はサイドを刈り上げたごく短いショートヘア。つるつるの頭が現れるものだとばかり思っていた吉花は、ついまじまじと見てしまう。
その視線に気がついたヨルは黒い髪を撫で上げた。
「某、本物の僧侶ではないゆえ、剃髪はしておらん。この町の外では、ただの仏具屋よ」
言いながら厳つい顔を崩して笑うヨルは、確かに客商売をしていてもおかしくないような、朗らかな雰囲気になる。
そこには先ほどまでの僧侶然とした静かで落ち着いた様子は見当たらなくて、吉花と細川は揃ってぽかんとしてしまうのだった。