のっぺらぼう問題、解決しました
辰姫の援護射撃を受けて、その場は吉花の優勢に傾いた。この機を逃してなるものか、味方を増やさねば、と吉花はとにかく口を開く。
「水内さんはのっぺらぼうに鼻眼鏡、どう思いますか?」
問われた水内は突然の質問にも驚いた様子を見せず、取り出した鼻眼鏡を眺めながらふむ、と頷いた。
「興味深いですね。眼鏡はすべての者に受け入れられるべき存在。誰しも、世界にひとつは似合う眼鏡があるべきです。それは妖怪であろうと、例外ではありません」
言葉を切った水内は、身をかがめてのっぺらぼうの顔をまじまじと見つめる。
「輪郭は、理想的な卵型。眉毛もないので、フレームの形はどんなものでも似合うでしょうね。ならば時代に合わせた円形のものが良いでしょう。鼻は自由に付け替えられるようにするとして、鼻に突起のないその顔では、眼鏡がずり落ちてしまう……耳は、ある。ふむ、ならばそうですね、つるを紐に替えて……」
鼻眼鏡を手にぶつぶつと言いだした水内は、のっぺらぼうを退治することはもう頭にないに違いない。鼻眼鏡改良計画を練りながら、蛍光フレーム眼鏡から一般的な細フレームの眼鏡にかけかえる。いつの間にやらどこからか取り出した小ぶりな紙束に、筆ペンで何かを書き付けている水内は、真剣そのものだった。
ちなみに、水内が書き物をするために利用している光源は、のっぺらぼうの持つ提灯である。妖怪の持つ明かりを頼りに筆を動かすその様は、なんとも言えない妙な光景だが、当人たちは至って真面目だ。
これで水内は、大丈夫だろう。少なくとも、のっぺらぼう専用の鼻眼鏡が完成するまでは、妖怪退治のことを考える気は起こらないはずだ。
辰姫はそもそも妖怪好きのようだから、心配しなくても大丈夫だろう。今も、水内の手元を覗き込んだり彼の眼鏡コレクションをのっぺらぼうに当ててみては、似合う、いまいちなどと品定めしている。
そんなことをされているのっぺらぼうは、おどおどとしてはいるが、抵抗はしていない。されるがままになっているおとなしい妖怪の姿を見て、吉花はやはり退治する必要はない、と確信した。
そうして、吉花は改めて葉月に向き合う。
「葉月さん、あの……」
言いかけた吉花を葉月は片手を上げて止めた。
向かい合った彼は諦めたように笑い、上げた手で頭をかく。
「もういいよ、わかった。わかりました」
ため息をついた彼は、肩を落とす。
「見ていたら、どうにも辰姫の言うとおりに害はなさそうだし。水内さんも眼鏡を作るのに乗り気みたいだし。眼鏡をかけてもらって町の人が驚かなくなれば、俺たちの用事は済むんだから」
そう言って力無く笑った葉月は、のっぺらぼうを見て腕組みし、うーんと唸った。
「しかしそうなると結局、のっぺらぼうは人を驚かせられなくなってしまうよね。こっそり町のすみに居るだけだと、やっぱり消えちゃうのかなあ」
「あの、それだったら、こんな案はだめですか……。?」
難しい顔をする葉月に、吉花はひとつ案を出す。
「うーん、悪くないようにも思うけど、そのままではちょっと採用は厳しいなあ」
渋る葉月に吉花は言葉を重ね、辰姫が援護をしたり話しを脱線させたりしながら、話し合いは盛り上がっていく。
話に加わらずひとり静かに鼻眼鏡に情熱を注いでいた水内が顔をあげたときには、提灯の中のろうそくが燃え尽きかけていた。
ひととおり鼻眼鏡のイメージを作り上げた水内に促されて、頼りない明かりを持った一同は長屋へと移動する。のっぺらぼうも交えて行われた話し合いは、朝日が昇るまで盛り上がったのだった。
それからしばらくして、江戸の町にひとつのツアーが誕生した。
その名も「お江戸、妖怪見物」。
ツアーが行われるのは決まって夕暮れ時。参加者は、提灯を持った男に連れられて薄暗い小道を歩いていく。進むに連れ、通りはだんだんとひと気が無くなっていく。歩くほどにあたりもどんどん暗くなっていき、そこいらの暗がりから本当に何か出そうな雰囲気を醸し出している。ひとつ、暗がりに気がつけばあちらこちらの暗がりが怖くなってくる。暗い夜道を照らすのは案内役の持つ提灯と、ときおり店の中から漏れているわずかな明かりだけ。どうにも心細くなった参加者が静々と進む案内役の男に声をかけると、男はかけていた眼鏡をそっとはずす。どうしたのだろう? 不思議に思う参加者に向けて、ゆっくりと振りかえった男の顔は……! というツアーだ。
雨天中止、月が明るすぎる日も中止。開催時刻は夕暮れ時。「妖怪見物、案内し〼」と書いたのぼりを持つ男を見つけられた人だけが参加できるという、ちょっと変わったツアーは、外国人に大人気となった。
参加できればラッキー、というこのツアーを目的に町を訪れて宿泊していく客も増え、寂しかった町の夕暮れが賑わいを取り戻していく。
ざわざわと人で賑わう町の片隅、ふと生じた暗がりに、頬っ被りをした男が立っている。俯いた男の顔は影になっているけれど、眼鏡をかけていることは見てとれた。耳にかけた眼鏡の紐を直した男は、どこからか取り出したのぼりを立てて、今日も客が来るのを待っている。