お手伝い、引き受けました
折良く、本日は晴天。雨の気配はないということで、さっそく今夜、吉花と辰姫は通りを連れ立って歩くことにした。
遭遇しやすいように、先日、のっぺらぼうと会ったときのように湯屋で時間を潰そうかという案もあった。それに対して水内は、近場の茶屋で眼鏡談義をしつつ待ちましょう、と言った。しかし、いつ上がるともわからない女性の長風呂を待つのは遠慮したい、と葉月が言うものだから、却下された。残念そうな水内に、葉月がやけに必死に言い聞かせていたから、眼鏡の話に付き合いたく無かったのかな、と吉花はこっそり思う。
そんなわけで、日中は各自が自由に過ごし、町が墨色に沈むころ、再び四人が集まった。
「怪しい人影が出たら、くれぐれも近寄らない。声もかけない。速やかに、俺たちがいる方に駈けもどる。いいね? わかってるよね?」
真剣な顔をした葉月が提灯に照らされながら、念を押す。朝食後、一旦解散をする前にも何度も聞かされた言葉であり、再会してからも幾度となく繰り返されている。
あまりにも重ねて言われるものだから、吉花は聞き飽きてしまいそうだった。
「わかってます。そんなに何度も言わなくても、子どもじゃないんですから。大丈夫ですよ」
少し拗ねたように吉花が言うけれど、葉月は真面目な表情を崩さない。いっしょに耳にタコを作るはずの黄場は、水内の眼鏡コレクションに興味津々で話を聞いていないことが明らかだ。
その鼻メガネはなんのために持ち歩いているのか、吉花だって聞いてみたいのに、目の前の葉月がそれを許さない。
さらに重ねて注意点を述べようと口を開いた葉月を止めたのは、水内だった。正確には、水内の眼鏡だった。
何気ない顔で吉花と葉月の間に割って入った水内の顔には、蛍光を発して薄ぼんやりと光る眼鏡のフレームが乗っていた。葉月の持つ提灯の明かりしかない暗闇の中、作り物めいた緑色の光を浴びた水内の顔は、いやに目立っている。
「そろそろ気が済みましたか。あまり遅くなるのは歓迎しませんから、二人に出発してもらいましょう」
着物と袴をきっちりと着込み生真面目な顔をして真っ当なことを言っているのに、顔にはうかれたパーティ客のような光る眼鏡をかけている。水内のその異様さに飲まれて、葉月は黙ってこくこくと頷いた。
そうして場の雰囲気が微妙になっている隙に、葉月の提灯の火をもらった辰姫が、揺れる炎に八重歯をちらつかせながら拳を突き上げた。
「出発しんこー!」
赤々と燃える提灯を片手に、意気揚々と歩く辰姫。その隣を恐々歩く吉花。
吉花がちらりと振り向いて見ると、昼間は人や物でごった返す通りは、月明かりに照らされて薄灰色になっていた。ひと気もない、活気のかけらも残らない通りの少し離れた店の軒下に、葉月たちのものらしき人影が見える。
提灯の火は消してあるのかその姿ははっきりしないが、闇の中に浮かび上がる眼鏡型の蛍光でどちらが水内か、はっきりとわかった。
じゃりり、ざり。
舗装されていない地面を草履がなでるたび、静かな夜に足音が響く。
なんとなく落ち着かなくて吉花はあたりを見回すけれど、通りの後にも先にも人影はない。ただ、斜め前を歩く辰姫のフードの先が彼女の持つ提灯の明かりに照らされて、楽しげにゆらゆらと影を作るばかりだ。
「……誰も、いませんね」
ぽつりと呟いた吉花の言葉を受け、辰姫が八重歯を見せて嬉しげに笑う。
「ネコノコ1匹いない、いい夜。妖怪日和!」
楽しみで仕方ないという風にはずんで歩く辰姫の様子に、吉花はつられてくすりと笑う。よーかい、よーかい、と歌うように繰り返す辰姫を見て妙な緊張がほぐれた吉花は、くすくす笑いながら辰姫の手元を指差した。
「ほんとう、静かないい夜ですけど、あんまりはしゃぐと提灯に火が」
燃え移っちゃいますよ、と続ける前に、ぼっ、と音がして、辰姫の持つ提灯が燃え上がる。
火は瞬く間に紙の提灯を焼き尽くし、後には燃え残った竹の骨組みと、火の消えたろうそくだけが黒くすすけて転がるばかり。
「……あちゃ」
「……あらー」
月明かりの下、顔を見合わせた辰姫と吉花だったが、みるみるうちに互いの顔が暗く陰って見えなくなった。見上げれば、あたりを照らしてくれていた月が雲に飲まれている。
どうしたものか相談しようと、後ろにいるだろう葉月たちに声をかけるべく振り向きかけた吉花の視界の端で、不意にぼうっと明かりが灯る。
突然現れた明かりは、吉花たちが進む先にある道端で揺れていた。
このシチュエーションに覚えのある吉花は、明かりを持つその人をよくよく眺めてみた。
暗い通りに黒々とした影を伸ばすその人影は、頬っ被りをしている。そして、その体つきと着物から、男性だろうことが伺えた。極め付けに、火を灯した提灯を持つ人は、こちらに背を向けて立っている。
怪しい。俯きぎみなせいで顔が見えないあたり、かなり怪しい。辰姫と吉花が揃って声もかけずに見つめているというのに、突然現れた提灯を持ったその人は、黙って背を向け立ち尽くすばかり。怪しくないわけがない。
これはいきなり作戦成功なんじゃないかしら、と吉花は嬉しくなった。