眼鏡が、たくさん入っているようです
辰姫も一緒に話をしたいから後で伺うよ、と葉月が言うので、それだったら、と吉花は彼らを朝食に誘った。
ふっくらつやつやと上手に炊けた白米を見せたかったし、いずれにしろ辰姫は吉花の部屋で朝ごはんを食べるからだ。おかゆになってしまった朝ごはん以来、辰姫は毎朝、おかず片手に寝ぼけた顔で、吉花の部屋にやってくるようになっていた。
それを聞いた葉月は、片手で額を覆って唸る。
「ごめん、気づいてなかった。毎朝、部屋に上がり込んでごちそうになってたなんて。吉花さん仕事もあるのに、迷惑かけたね」
そう言って頭を下げる葉月に、吉花は慌てて首を振る。
「いいえ、むしろ来てもらって、嬉しいんです。ひとりで食べるごはんは味気なくて。ここにはテレビもないから気を紛らわすものも無いし、ひとりきりで黙って食べていると、なんだか気持ちが落ち込んでしまって」
そう言っているうちに、ずずずと鈍い音を立てて長屋の扉が開く。思わず目を向けた三人が見つめる中、ぬうっと現れたのはフードを被った頭。のろのろと進み出てきた小柄な人影は、今まさに話題になっていた辰姫その人だった。
目深に被ったフードに加えて、俯いているために彼女の表情はまったく伺えない。けれども、寝ぼけた顔をしているに違いないことが、その足取りから想像できた。
ほとんど寝たままの辰姫がふらふらと歩いて井戸端まで移動する間に、葉月、水内と吉花の三人は話をつける。男二人はもう一度木戸をくぐり、通りに向かう。二人を見送った吉花は、まだ目の開かない辰姫に声をかけるため振り向いた。
「あ、お辰さん。もういっぱいおかわり、食べます?」
「ん、ありがと」
「いやあ、てきとうに買ったおかずだけど、当たりだったね。ごはんもふっくら美味しいから、箸が進む進む。ところで水内さんは、食事のときは普通の眼鏡なんですね」
「江戸時代の眼鏡は顔に張り付いていますから、食事など顔の筋肉を動かす動作を行う際には少々、不便なのです。そこを改善してしまうと江戸時代の雰囲気を壊してしまいますから、食事のときには僕の推し眼鏡を交代で使用することにしています」
などと会話も弾みつつ、吉花の部屋で四人が集まって朝食を食べる。ちなみに食卓に並んだのは、初めて成功した吉花の自信作、かまど炊き白米。細切りにした大根と薄揚げの味噌汁。そこに葉月と水内が買ってきた魚の干物と納豆、それから漬け物だ。
いつもより豪華な食卓に、辰姫は一瞬で眠気を飛ばして目を輝かせた。他の面々も旺盛な食欲を見せ、たくさんあった白米もすっかり無くなった。
米を炊くときに少量だと焦がしやすいからと言って、炊きすぎたかなと心配していた吉花はきれいに空になった鍋にほっとする。
そうして全員の腹が満たされると、食後のお茶をふうふうやりながら、本題の話が始まった。
「それでまあ、お願いというのが、のっぺらぼう探しを手伝ってもらいたいんだ」
突然、葉月の口から出されたお願いに、吉花は心の内で首をかしげる。妖怪の知識もない自分に務まるものだろうか、と思いながらも頷いた。
「わたしにできることであれば、お引き受けします」
にっこり笑って引き受けた吉花に、葉月もにっこり笑う。けれど、なぜだかその目は笑っておらず、怖い笑顔になっていた。
「吉花さん、俺この間言ったよね。危機感を持って、って。きみは今、いきなりお願いされた妙な話を詳細も聞かずに引き受けたね。せめて、具体的に自分が何をするのか、くらい聞くべきじゃないかな?」
「いえ、あの、葉月さんのお願いですし、わたしにできることがあるなら、お手伝いしたいなあ、と思いまして」
しどろもどろと吉花が言葉を紡ぐほどに、葉月の口が釣り上がる。
「それにしても、いつ、どこで、何をするのか、危なくはないのか、確認はすべきじゃないかな?」
にっこり笑顔で凄む葉月に、吉花があわあわと言葉に詰まっていると、湯気で曇った眼鏡を優しく拭きながら水内が口を挟む。きれいに拭いた眼鏡は優しく布に包まれて懐に仕舞われた。かと思えば、懐から引き抜かれた水内の手には、また別の布に包まれた眼鏡が恭しく乗せられている。
「警戒心のない彼女を心配するのは結構ですが、引き受けてもらえなければ、困るのは僕たちでしょう。小言はそれくらいにして、話を進めるべきではありませんか」
すちゃ、と新しく出した眼鏡をかけて言う水内が見た目通りに格好良く見えたのは、彼に良く似合うノンフレームの眼鏡をかけたためだけではないはずだ、と吉花は思う。
諌められた葉月は、苦い顔をしながらひとつ咳払いをした。
「ええと、それで、のっぺらぼう探しを手伝ってもらいたいという話なんだけど。このところ、水内さんや黄場と手分けして色々な人に目撃談を聞いて、夜にはそこへ行ってみたんだ。だけど、一度も出会えていない」
困ったように頭をかく葉月のあとを継いで、水内が口を開く。
「聞き取り調査の結果、素面の男性がのっぺらぼうに遭遇したという話はありませんでした。かといって、我々が泥酔しているわけにもいきません。黄場さんを夜中の現場にひとりで向かわせるのも、良作とは思えません。そこで、もうひとり女性の協力者を募り、黄場さんと連れ立って夜道を歩いてもらうことで、鼻も目もなく眼鏡をかけられない哀れな妖怪をおびき出そうという計画を立てました」
涼しげな顔で言いながら、水内は机に並べた眼鏡を黄場にかけて遊んでいる。彼の懐にはいったいいくつの眼鏡が仕込まれているのか、気になる吉花だが、いまは聞ける雰囲気ではない。
「もちろん、危ないことのないように俺たちが隠れてついていくし、吉花さんはのっぺらぼうが出た時点で逃げてくれていいから。お願い、できないかな……?」
申し訳なさそうに言う葉月に、吉花は今度は怒られないよね……? と恐る恐る引き受けると返事をするのだった。