ごはん、上手に炊けました
のっぺらぼうについて話をし、葉月と黄場が調査をすると言って別れてから数日。
仕事の休みをもらった吉花は、すっかり身についた習慣に身を任せて早起きした。以前であればテレビをつけて、寝起きの気だるさに任せてぼんやりとニュースや天気予報を眺めていただろう。しかし、ここにはテレビなど無いため、さっさと身支度を整えて自分の目で天気を確認する。
軒先きに見える空は、白くけぶりながらも薄っすらと水色に色づき始めている。陽が昇れば気持ちよく晴れるだろう、と洗濯を済ませ、洗濯物を干し終えて見上げた吉花の視線の先。いつの間に染まったのか、優しい青空が広がっていた。それがあまりにきれいで広々としていたものだから、吉花は口元を綻ばせる。
そうだ、布団も陽にあてよう。今夜はほこほこの布団で寝られるぞ、と嬉しく思いながら吉花が部屋へ戻ろうとしたとき、長屋の木戸をくぐって葉月が姿を見せた。
「おはようございます! 葉月さん、聞いてください。今日はごはんがじょうずに炊けたんです、よ……?」
あいさつをして、嬉しい気持ちのまま勢いよく続けた吉花は、葉月の後ろに続いた人影に気づいて声をしぼませる。
黄場ではない。人影は、葉月より背が高い。ならば田谷かと思うも、木戸を通って現れたその人の背筋はぴしりと伸びているから、田谷でもない。さて、では誰だろう、と考える間もなく、葉月がにこりと笑う。
「おはよう、吉花さん。ちょうど良かった。こちら、俺や黄場と同じくこの町の問題を解決するために集められたひとり、水内さん」
紹介されて、吉花は水内に会釈する。
青い絣の着物に濃紺の袴を履いて立つその人は、身長体重いずれも成人男性の平均ぐらいだろう葉月より背が高く、体は細い。それでもひょろりと頼りない印象を与えないのは、きれいに伸びた背筋のおかげだろう。きりりと上がった眉につり気味の目、すっと通った鼻筋の顔は整っているが、一見、冷たげに見える。田谷とはまた違う、涼しげな美男子である。
そんな水内を見て吉花が抱いた印象は、眼鏡の人、だ。
美男子だ。水内の顔は間違いなくかっこいいのだけれど、その顔に添えられている眼鏡の主張があまりにも強い。
大きな二つのレンズは太いフレームが目立っており、お洒落さなど感じさせない不恰好なまん丸い形。そのレンズを繋ぐのは、ひたいのあたりで三角形を作るパーツ。このパーツがちょうど眉間のところで山型になるため、真面目な顔をした水内が困り眉をしているように見えて、どうにもおかしい。さらに、眼鏡のつるにあたる部分がひもになっていて、若干、頬に食い込みながら耳にかけられているのが、多大な違和感を感じさせた。
眼鏡だけを見ても変なのに、それをかけている水内が澄ました顔をしているものだから、吉花は戸惑いを隠せない。
何とあいさつしたものか、言葉を選びかねている吉花に構わず、水内が口を開く。
「貴女が春名さんですか。僕は、水内葵と申します。聞きましたよ。貴女、得体の知れない妖怪の顔をまじまじと覗き込んだそうですね。もしや、視力に問題があるのではありませんか。眼鏡が必要なのではありませんか?」
そこまで言って一度、言葉を切ると、水内はすっと鼻に手を伸ばし、眼鏡を上げるような仕草をした。実際にはそこに眼鏡の山はなく、彼の指は空を切る。けれど、彼はきりりとした顔を崩さない。
「今ならば、文献を元に江戸時代の眼鏡を再現したこの眼鏡を差し上げましょう。いや、お礼は結構。これは僕が独特に再現した物なのですがね、この町に住む方々に、ぜひ江戸時代の眼鏡を広めたいと思っておりまして。貴女のような若い女性がこの眼鏡をかけて歩いていれば、多くの人の目にとまるでしょう。まあつまりは、宣伝係になっていただきたいわけです」
言いながら、水内は懐から布袋を取り出し、その中に入っていた眼鏡を両手で優しく持ち、吉花に差し出した。
「貴女は裸眼ですか? こちらは度の入っていないガラスレンズの江戸眼鏡ですから、どうぞそのままかけてご覧なさい」
差し出された眼鏡は、水内のかけている物と同じ物に見えた。吉花は迷う。受け取りたくない。受け取ったならば、かけねばならないだろう。しかし、かけたくない。イケメンがかけてさえ格好良くは感じない物を着こなせる気がしない。むしろ、この眼鏡が似合ってしまったら、ショックだ。
差し出された眼鏡に目を落とした数秒のうちに、吉花はそんなことを考えた。そうして手を出しかねているうちに、葉月が二人の間に割って入る。
「眼鏡はちょっと置いといて、妖怪の話をするんでしょう、水内さん」
葉月の言葉で、差し出されていた眼鏡は引っ込められた。水内は名残惜しげにしながらも丁寧に眼鏡を袋に入れて、懐にしまう。ほっと安心してそれを見送りながら、吉花はこてりと首をかしげた。
「妖怪さんには、先日ののっぺらぼうさん以来、会ってませんけど……?」
「うん、そののっぺらぼうのことで、ちょっと吉花さんに相談というか、お願いをあってね」
申し訳なさそうに眉を下げながら言う葉月に、吉花はますます首をかしげるのだった。