黒い一真
一真が訪れた場所は本家よりも下にある分家の谷奥家だった。ここに来るのは、久しぶりだ。
門を通ると、屋敷の者が迎えに来た。まりから事情を聞いているのだろう。すんなりと、伯父の元へと案内された。
一真と満雄が和室に入るなり、伯父は手を突き頭を下げた。それを見ながら一真はゆっくりと対面の座に着く。
「この度、娘がしでかした事は親である私の責任にある。本当に申し訳ない。いかような罰でも受けよう。」
この伯父の潔さはとても好ましい。しかし、今回用事があるのは、娘の貴美華だ。彼が、娘を目の中に入れても痛く無いほどに可愛がっている事は知っている。娘を甘やかして育てた責任は当然伯父にあるだろう。それに、きっと伯父は娘を怒れないだろう。つまり、伯父を罰しても同じ事が今後も起こる可能性がある。
それでは、駄目だ。それに一花は貴美華を気に入っている。ならば、味方につけてしまえばいい。
「伯父さん。私は、今回の事であなたを罰するつもりはありません。ただ、貴美華には責任をとってもらいます。」
「娘にだけは…」
縋る様な目で言うが、鋭く見つめる。
「伯父さん。邪魔すると、貴美華と一緒に暮らせなくなりますよ。」
僕の本気に気づいてくれたのか、溜息をつくと素直に頷いた。
「わかった。」
伯父は、扉に控えている使用人に声をかける。
「貴美華を連れてきなさい。」
数分後、貴美華とまりが部屋に入って来た。まりには、貴美華が姿を消さない様に監視させていた。
貴美華は伯父の横に座ると手をつき頭を下げた。が、何も言わない。謝る気はないようだ。
その態度に米神がピクリと動くが、平静を心がける。
「伯父さん。席を外して貰えますか。」
「わかった。」
伯父は心配そうに娘を見たが、諦めた様に溜息を一つつくと部屋を出て行った。
貴美華、満雄、まりの四人になる。貴美華と二人だけでも良いが、理性が保てず貴美華を追いつめる危険性があるので、満雄とまりを残した。
貴美華を見ると、小刻みに震えているのがわかる。しかし、哀れみも同情心も起きない。
「貴美華、今回のことで、言う事はないかい。」
つとめて、冷静に優しく聞く。
「私は、一真様の妻になりたいのです。」
頭を下げたまま貴美華は泣き声でつぶやいた。
「だけど、一真様は佐久間一花をお選びになった。それが、許せないのです。」
内々ではあるが、僕の本心は一花以外の候補者に伝えてある。
「なるほど、しかし、僕が君に許しを請う必要がある?」
「いいえ。いいえ。ただ、納得ができないのです。あの女のどこが良いのですか。なぜ、私ではいけないのですか。」
震える声で言う言葉は本心からのようだ、その言葉の端々に、にじみ出ている。私の方がふさわしい。私の方が優れている。悔しい。そんな思いが。正直、むしずがはしる。
「傲慢だね。なぜ、貴美華ではないかだって。それは、君に興味を持てないからだ。そして、一花に興味を持ったからだよ。」
今、自分がどんな顔をしているか自分でもわからない。ただ、どす黒い何かは出ているだろう。目の前の少女は、下を向いたままで気づいてはいないが。
「一真様は神の話の神様だと、ずっと信じてきました。だから、誰にも興味を示さないのだと、なのに、あの女には興味があるとおっしゃる。どこに…違いがあるのですか。」
自分とどう違うのかと聞くその姿が許せない。いくらまだ幼くとも。
「本当に君は愚かだね。僕が神だとして、どうなるのかな。神とは気まぐれなものだよ。興味のないものが何をしようと気にもならない。神が良心的だと思ったかい。慈悲深いとでも?自分の理想を私に押し付ける。それこそが嫌悪だね。」
怒りで声音がどんどん低くなっている自覚はあるが、止められない。理想を押し付けているのは、この少女だけではない。自分の周りの人間も同様だ。
「私を見て答えられもしない人間に、私は隣にいて欲しいとは思わないよ。」
ぞんざいに顔を上げてみろと言えば、貴美華は震えながら顔を上げた。
しかし、上げるべきではなかったと。静かに傍観していた満雄とまりは同情した。
凍る様な微笑みがそこにはあった。誰をも飲み込むその笑顔が怒っていると。気づいてしまった。
知らず震えだす体を貴美華は止められなかった。
自分がどれだけ愚かだったか今、理解した。目の前にいるのは、人では無い。神だ神だと言っていたが、自分は何も理解していなかった。畏れ多い。その言葉が貴美華を縛る。そう私は、侮っていたのだ。神を。何て愚かだったのだろうか。貴美華はどうしようもなく自分を恥じた。たった、十四年、生きただけの少女にそう思わせるだけの凄さが今の彼にはあった。
「正直、一花を攫い、あの女呼ばわりした、君に怒りを感じるよ。だけど、君はもう理解してくれただろう。」
「はい。私が、どれだけ愚か。今理解しました。」
「うん。ならもういいよ。だけど、償ってもらわないとね。」
一真は、黒いままにっこりと笑った。
「はい。どんな罰でも。」
「一花は君の事を気に入っているんだ。だから、君にはこのまま候補者でいてもらうよ。ただ、今後は彼女を手に入れられる様に協力してもらいたいんだ。」
「一真様が望まれるままに。」
「そう。うれしいな。あと、一花には今回君が関わっている事を知らせないから、言っては駄目だよ。」
「かしこまりました。」
「うん。いい子だ。じゃ、僕は失礼するよ。そろそろ彼女が戻る頃だからね。後は、まりにまかせるよ。」
「御意。」
まりは静かに答えた。
父との面談から一時間後、一花が戻ってきた。彼女は眠っているらしく、父の陰達のリーダーにあたる、榊という男に抱きかかえられていた。気に入らない。
「満雄」
つぶやくと、すかさず満雄が榊から一花をそっと受け取って僕の前に運んだ。本当は自分で抱きかかえたいが、今の自分にその力はない。
顔を覗くと、何事も無い様に眠っている。一つ頷くと、満雄は一花を抱きかかえたまま部屋に寝かせに行った。
それを見送り、跪いて待つ榊へと向き直る。
「ご苦労だったね。」
男は一つ頭を下げたが、何も答えない。もともと無口な男だが、陰にはそう言うふうに躾けてある。
「報告があるなら話せ。」
「はっ。一花様は、睡眠薬を服用させられた様ですが、外傷などはありません。我々が、部屋に到着した時には既に誰の姿もなく、一花様はベットに寝かされた状態で眠っておいででした。」
「なるほど、行動の早さから考えて、実行はたぶん『獏奇』だろうな」
獏奇は裏社会に幅を利かせる何でも屋だ。殺人から、今回の誘拐のようなものまで、金さえ払えば何でもすると言われている。仕事は確実で、存在を表す様な事は決してしない。抜かりの無さから考えても間違いないだろう。
「おそらく。」
「なら、これ以上調べても意味がない。」
獏奇ならば、しっぽをつかませる様なことはしない。調べるだけ無駄だ。しかし、貴美華から獏奇の話は聞かなかった。たぶん、彼女は獏奇の存在も知らないだろう。なのに、なぜ獏奇が実行犯として現れたのか、満雄に調べさせる必要がありそうだ。
そこまで、考えて榊に視線を戻す。
「今日はご苦労だったな。急な招集で、皆にも迷惑をかけた。しかし、彼女はかけがえの無い存在だ。わかるな。」
暗に彼女が自分の妻になるのだた告げる。
「はっ。」
「お前は彼女をどう思う。」
彼女はどう見られているのか気になった。
「一点、気になることがございます。」
「なんだ。」
「一花様は、我々が到着した時には目を覚まされている様でした。ですが、私の声には答えず、目を閉じたまま車の中で本当に眠ってしまわれました。」
「なるほど、起きていたのに寝た振りをしていたと。」
「はい。」
「それは、お前達を見たく無かったのだろうよ。」
「見たく無かった?」
「ああ、陰の存在など知らずにいたいのだろう。」
「なぜでしょうか?」
「この地に捕われたく無いからか、私に捕われたくないからだろうな。」
「当主の妻になりたく無いと。」
「当主の妻に…。そういうことだろうか。手強いよ。」
榊は当主の妻といった。一真の妻では無く。この男のやさしさはこういう所にある。
「しかし、なぜお前達が来ると知ったのか気になるな。獏奇に何か聞いたのかもしれない。今後、一花に危険が及ばない様にお前達も気をかけてくれ。」
「御意。」
「では、私は行く。父にも礼を伝えてくれ。」
「はっ。」
一花の部屋に入ると満雄が静かに佇んでいた。
声を潜めて、尋ねる。
「どうした?」
「いえ。」
「ここは、私が替わる。お前は下がれ。それと、満雄もまりも良くやってくれた。ゆっくり休め。」
満雄は頷くと、消えた。
一花に近づくと、側の椅子に座った。
額に手をあてる。すると、一花の目がゆっくりと開いた。
「一真君?」
不思議そうに見つめてくる瞳も表情も愛おしい。
「そうだよ。」
「ここは…」
「一花ちゃんの部屋だよ。」
「そう。わたし。」
「もう安全だよ。怖い思いをしたかい?」
「ううん。ほとんど眠っていたから。」
「そうか。体調は?」
「眠いだけ。少し頭が重かったけど、今は平気みたい。体のしびれもないし。」
「しびれ?」
「金縛りみたいに、少し動かなかったけど、目を覚ました時には戻ってたから大丈夫。」
もしかしたら、変な薬をのまされたのか。明日しっかりと検査する必要がありそうだ。
「そう。誰かを見たりしたかな?」
「…見てないかな。」
少し、淀んだ所を見ると、嘘だろう。
「そう。」
「ねえ。今回のことって。」
「ごめんね。谷奥家に反発している人が僕と間違えて一花ちゃんを誘拐してしまったんだ。本当なら僕が誘拐されるべきだったのに。一花ちゃんを危険な目に遭わせてしまって。本当にごめん。」
「そっか。そういう事だったんだね。なら、よかった。一真君が誘拐されなくて良かったし、私は無事に戻ってこれたし。不幸中の幸いだったね。」
「君を危険にあわせた僕を許してくれるかな。それとも、もう一緒にいたくない?」
「えっ?だって、これは一真君のせいじゃないし、一真君も被害者でしょ。だから、許すも許さないもないと思う。」
「じゃあ。これからも、一緒にいてくれるんだね。」
「うん。」
「よかった。もし、一花ちゃんにいたく無いって言われたらどうしようかと、凄く不安だったんだ。」
「不安。」
「うん。」
「そうか。そうだね。またいつ誘拐されるかわからないもんね。二人でいたら、一人より安全だしね。うん。だから、いつも一緒にいたのか。なるほど。」
「あの、一花ちゃん。一緒に居たのは…」
「もう大丈夫だよ。私これでも空手の黒帯だし、少しは守ってあげられると思うよ。」
「えつ。黒帯?」
「うん。これからはもっと、一緒にいようね。」
「うん。」
自分でも現金だと思うが、意味は違っても一緒にいようなんて言われたら、たまらなく嬉しい。
これこそが、不幸中の幸いかもしれない。