ただの少女
期末試験が終わって、結果がでた。
まあまあだった。
一真君は、ほぼ満点らしい。
出来る噂は本当のようだ。
正直に凄いと思う。
一緒にいたからわかるけど、彼はちゃんと努力しているから。本当にすごい。
そういう所は尊敬する。
今日は終業式。
早速帰ろうとしたら、一真君が先生に呼び止められてしまったので、待つ事になった。
先に帰ろうと思ったが、待ってて欲しいと言われて断れなかった。
中庭の木陰で待つ事にする。
正直お腹がすいたから早く帰りたい。
でも、帰っても一真君を待って昼食なら意味がないしね。
とりあえず、ぼーっとしていたら、男子生徒に声をかけられて、吃驚した。顔を上げると、眼鏡の背の高そうな男が側まで近づいてきて、しゃがんだ。
見かけない顔だから先輩かな。
「こんな所で何をしているの?」
話しかけられる事が珍しくて、少し戸惑う。
「人を待っているんですけど。」
素直に状況を説明する。別に好きで帰らないわけじゃないし。
「そっか、こんな昼時に暑いとこにいるのも珍しいと思って。陰だってあまり無いし。暑く無いの?」
確かに、太陽が高いから陰が少ない。
「ああ、暑いですね。」
そのとき、お腹がぐーって鳴った。
「ははっ。お腹すいているんだ。よかったら飴どうぞ。待ち人が来る間の足しになればいいけど。」
かなり恥ずかしいが、お腹がすいているのは確かだから、手のひらの好意に甘える事にする。
「ありがとうございます。」
「いいえ。あまり暑いとこにいると熱中症になるから気をつけてね。じゃあ。」
そう言い、手を振って行ってしまった。
手の上の飴をみつめる。
いい人だった。飴玉じゃ足しにならないけど、無いよりはましだ。
感謝して頂く事にしよう。
包みを開けて中身を口に放り込んだ。
甘い。イチゴ味かな。
そう思った時には意識が薄れていた。
僕は焦っている。
約束の場所に一花が居なかった。
おかしい。
彼女の性格からして、決して約束を破る人ではないはず。
「満雄。一花が居ない。」
そう独り言の様につぶやけば、満雄がどこからか現れる。
「意識を飛ばす。」
「了解した。」
その言葉を確認して、僕は意識を体から抜いた。
一花と別れてからの時間を考えると、まだ彼女はこの近くに居るはず。
近くから徐々に範囲を広げて探す。
山に住む生きものの目を通して、辺りを窺う。
近くに居ない。見つからない。
まさか。そんなはずが無い。
さらに範囲を広げる。
山の麓まで。
捉えた。
微かに、一花だと認識する。
捉えたものの目に意識をしぼる。
鳥の目だ。
さらに、意識をしぼって鳥の体を意識ごと乗っ取る。
今度ははっきりと一花を捉える事ができる。
黒塗りの車に乗せられた一花の姿を、はっきりと確認できた。
とりあえず、見つけられた事に安堵する。
見失わない様に車を追いながら、一花の様子を窺う。
おかしい。
一花の様子が変だ。
眠らされている?
意識が無く、しなだれた様子に不安になる。いつもの彼女の気が薄くなっている。
まさか…
その先は怖くて考えたくない。
底知れない怒りで視界が赤くなる。
(一真様。いけません。感情に飲まれては一花様を追えなくなりますよ。)
意識に直接伝わる満雄の言葉で、我にかえる。
確かに、感情を溢れさせたままだと、鳥を殺してしまうだろう。
落ちつけ。
自分に言い聞かせる。
彼女は大丈夫だ。
悪い気は感じない。
大丈夫。落ちつけ。
僕が助ける。
車は麓を出ようとしている。
まずい。山の敷地外になるとノイズで追えなくなる。
そう考えた矢先に視界が霞んで耳鳴りが仕始めた。結界の外に出たらしい。
だめだ…
一真の体は、満雄に大事そうに抱えられた状態で横たわっていた。
その目が、すうっと開かれて、鋭く満雄を見つめる。
「一花が結界からでた。黒塗りの車に連れ攫われた。」
淡々と語る一真の声色は低い。
「父を呼び戻せ。猶予は1時間だ。その間に戻らなければ、私が山を降りる。」
淡々と語る言葉は、唯一絶対の言葉。
「御意。」
「私のことはいい。すぐに体も動く。行け。」
満雄はゆっくりと一真の上体を木に寄りかからせると、一礼して姿を消した。
体が痺れてきた。感覚が戻って来た証拠だ。意識を手放した後はいつもこうなる。
無理に、意識と体を分離させているから仕方がないが今はもどかしい。
イライラしているのが自分でもわかる。こんな事は初めてで、自分の感情をコントロールする事が難しい。が、今は動けない分考える事がたくさんある。
なぜ、一花が攫われたのか。
思い当たる事が無い訳じゃないが、キリがないだろう。そういう家だ。
ただ、自分に腹が立つ。なぜ、彼女を一人にしてしまったのか。
いや、ここは安全だったはずだ。
しかし、彼女は攫われた。
この学校に手引きした者がいるということだ。許さない。
この学校でと言う事なら、谷奥家に関することでは無いのかもしれない。
つまりは、一真自身に関することか。
そう考えて思い当たることがある。
この数ヶ月の一真の行動が納得出来ない者。
戻ってきた感覚を確かめ立ち上がると、父に会う為に家に向かった。
瞼が重い。頭も少し痛い様な感じがする。
ゆっくり目を開けると、霞む視界と意識の中で、見た事がない天上の模様が見えた。どこかな。目で辺りをうかがう。どうもホテルの様だ。起き上がろうとして、起き上がることができない。金縛りかな。久しぶりだなと思う。中学生のときは疲れが原因で夜中に金縛りになる事がたまにあった。
鈍い思考でこれ以上考える事ができない。わからないが、まだ眠いようだ。夢かもしれない。というか、夢だな。そう思って目を閉じた。
一花は、静かに眠りに落ちた。
帰宅すると、父の部屋に向かった。
まだ一時間たってないが、満雄を行かせたのだから、父はもう居るだろう。
「一真です。」
襖に向かって声をかける。
「入りなさい。」
返事を聞いて、入室すると父の対面に座った。
「話は聞いた。既に、迎えに向かわせてある。お前が山を降りる必要は無い。」
「そうですか。しかし、計画者には私から話をしてもかまいませんか?」
その表情は、父に、いや、当主に向けたものではなかった。己に仕える者に対する様なまなざし。誰も逆らう事は出来ない。
「かまわない。ただ、穏便に。」
穏便に。つまり、父も誰の仕業か気づいている。という事。
「穏便に?できれば。」
一真の表情が歪む。
「やりすぎると、一花君に嫌われるよ。」
恵一は優しく、諭す様に話す。
「なるほど。では、穏便にことは進めましょう。」
「頼む。」
「では、父上失礼します。」
出て行く息子を見ながら、恵一は嘆息した。彼は自分の息子であって、息子ではない。
愛する亡き妻と自分との血は受け継いでいるが、それは器だけの話だ。しかし、彼女の面影のある息子を恵一は愛している。
だから、一花を大事にする一真を微笑ましく思っているが、こんな時に見せる表情はやはり人ではないと感じられて、息子に畏怖を感じる自分が悲しかった。
一真は安堵した。父が言うからには、一花の身は安全に確保される。本音を言えば自分で迎えに行きたかったが、山を降りるわけにいかないのは十分わかっている。
ただ、本気を示す為に父に下山をほのめかした。つまりは、脅した訳だが後悔はない。
一真は満雄を呼ぶと、発端者の家へと向かった。すでにまりが取り押さえているだろう者の所へ。
一花は再び、目を覚ました。
辺りを目で確認する。夢ではなかったらしく、先ほど見た天上の模様が目に入った。体を動かしてみると、今度はちゃんと動いた。上体を起こし、周りを見渡す。そこそこ良いホテルらしく大きめのベットに寝かされている様だ。
しかし、状況がつかめない。なぜここで寝ているのか。
歩いて、窓に向かうと街並が見渡せた。
どうも、町中のホテルのようだ。出口に向かうとドアは開かなかった。外から鍵をかけられているみたいだ。
つまり監禁されている?
なぜ?
とりあえず、ベットに戻って座った。
どうしようかな。どうにかして、逃げるべきか。でも、縛られているわけでもないしな。とにかく、誰か来ないことには、状況がつかめない。
そう思って、またベットに横になると。扉からカチャッとロック解除の音がして、静かに開けられた。
体を起こしてベットに座り直し、入って来た人を窺うと、スーツ姿の知らない若い男が入って来た。
「お目覚めですか?」
そう聞かれたが、見ればわかるだろうと思い返事はしない。
「気分はどうですか?」
どう返事をしたものか、敵か味方か。状況がつかめないので、当たり障りなく答えたほうがいいかな。
「悪くないですよ。」
「それは良かった、しかし、驚きですね。この状況でここまで平静でいられるなんて。おつむがたりないのか、それとも大物なのか。判断に迷うところですよ。」
男は屈託なく笑った。馬鹿にしてんのか。
「つまり、私は誘拐されたと。誘拐犯はあなたですか?」
「正確には違います。」
「というと?」
「私は依頼を受けてあなたをここに閉じ込めているだけですよ。」
「なるほど。理由は?」
「知りません。私はお金を払ってもらえればそれで良いので。」
「私をどうする気ですか?」
「間もなく、依頼主が来る予定なので直接確認してみてはいかがですか?」
「では、そうします。」
「まったく。驚きです。あなたは本当に十五歳のただの少女ですか?」
「歳は十五歳ですが。何か驚くことがありますか?」
「怖く無いのかと。」
「ああ。あなたに、私を害する意思を感じないからだと思いますよ。」
「なるほど、ただの少女ではないようですね。」
「ただの少女か、そうでないかと聞かれれば普通だと思いますが。」
「いいえ。普通でも無い様です。」
男は窓の外を見ると、
「ああ、あなたの助けのほうが先に到着した様です。残念ですが依頼主に直接聞く事は出来そうにありませんね。」
「私を助けに誰か来たのですか?」
「ええ。谷奥家の陰達ですね。それにしても行動が早い。あなたはよっぽど大切にされている様ですよ。」
「誰に?」
「話はここまでです。私も行かなければ捕まってしまいます。そうだ、私とお話した事は秘密にして下さいね。そのかわり、一度だけあなたが困った時に無償で助けてあげますから。必要な時はここに連絡してください。では、」
そういって、男は来た時と同じ様に静かに扉から出て行った。
渡された名刺のような紙を見ると、「獏」と書かれた下に、携帯らしい連絡先が載っているシンプルなものだった。
足音が近づいて来たので、名刺をポケットにしまうと、面倒くさい事になりそうなので寝る事にした。獏が「谷奥家の陰達」と言った言葉が気になった。陰なんて聞いた事が無い。つまり、知らない方が良い気がする。ここは、寝たふりで通して、何も見ないことにしよう。
案の定、数人部屋に入ってきたが、ただ者じゃない気配のする者が混じっている様だ。安否を確認されたが、答えられない。目をつぶっている事に、少し申し訳ないと思うが寝たふりを続ける。少し不安はあるが、会話の中に恵一様と当主の名が出て来たので大丈夫そうだと安堵する。
周りの不審者や不審物を確認して安全が確認できたのか、空気がやわらいだ。誰かにそっと体を抱きかかえられて、車の中に乗せられると静かに車は動きだした。皆の雰囲気が私に対してやさしいものだと感じる。
まだ、体は本調子ではなかったらしく。また、眠りへと落ちていった。