谷の話
新生活から一ヶ月が過ぎた。なかなか満喫中だと思う。学校生活も。友達は一真君以外まだいないが、思ったよりもここでの生活とは相性がいいらしい。
一真君に案内してもらってから、森には何度か寄り道しているが森の空気が心地よく、とても落ち着く。何がある訳ではないけれど、いるだけで心の澱が消えて身体も軽くなる様な気がするのだ。あと、時間がある時には庭師の松村さんの手伝いもしている。花や木、それにハーブも育てているので教えてもらいながら手伝わせてもらっている。今まで、自然と関わる事がなかったが、身近で接してみて楽しさに気づいた。
将来は自然に携る道もいいかもしれない。そう考えると、顔がにやけた。
夢中になって草をむしっていたら松村さんに声をかけられた。
「一花様、そこの草むしりはもういいですから。温室に行ってスペアミントを収穫してカヨさんに持って行って貰えますか?」
「スペアミントですね。わかりました。」
「作業はもう終了ですので、そのまま戻って結構ですよ。」
わかりました。と返事をして、温室に向かう。松村家は、谷奥家に代々仕えている庭師らしく、谷村さんで十二代目らしい。本人はがっちりとした体格で、武術とかやっていそうに大きく、熊の様なのに笑うと人の良さがにじみでてステキな人だ。今年五十一歳で息子が3人いて、今でも奥さんとラブラブらしい。
今日は土曜日なので、朝から松村さんの手伝いをさせてもらっていたが、お昼になるので午前の作業は終わりみたいだ。午後は一真君と課題をする約束をしている。
お昼ご飯を食べて、離れの座敷で課題を進めていると、カヨさんがスペアミントのサイダーを持って来てくれた。ここに来てからのお気に入りで、課題をしている時などカヨさんが持って来てくれる。
カヨさんにお礼を言うと。
「気に入って頂けて嬉しいです。それに、一真様もお好きですので。」
と、にこやかに答えてくれた。
「そうでしたか。一真君と味覚が一緒でラッキーだった。」
「はは、そうだね。僕もオムライスと肉じゃがは好きだよ。」
「ああ…」
なるほど、カヨさんにリクエストを聞かれた時に笑われた意味がわかった。
「一花様にお礼を言いたいのは私ですわ。一花様が来られてから屋敷の中が明るくなりまして、皆喜んでいるのですよ。」
「確かに、屋敷の空気が軽くなったね。」
カヨさんと一真君は納得した様に顔を見合わせたが、言われた本人としては、意味が分からない。明るくなったと言うのは騒がしくなったと言うことだろうか。しかし、空気が軽くなるとはどういう意味だろうか?
「一花ちゃんは気にしなくていいよ。」
これまた、にこやかに微笑まれた。
「はあ。」
カヨさんがふふっと笑って屋敷に戻って行った。
しかし、ここの人たちはたまに不思議な事を言う。それに、私にまで「様」と敬称を付けてくれる。最初は付ける必要は無いと断ったが頑に断られた。あの軽薄そうな満央さんにまでだ。さらに、呼び捨てで良いと言われたが、そこはこちらも頑に断った。普段でも呼び捨てで人を呼んだ事が無いのに、年長者を呼び捨てにするなんて絶対に出来ない。絶対だ。
それにしても、意外だったのは一真君だ。もう少し婚約者候補に嫌悪感とか示すかと思いきや、そんな事も無い。というか、婚約者候補という事を忘れてしまいそうなほど話題に出る事が無いし、そんな素振りもない。
まあ、だからこそ気兼ねせずにのんびり居候させてもらえているのだけど。
ちらりと、一真君を見ると、突然何か閃いた様に顔を上げた。
「そうだ。明日、父さん達が帰ってくるよ。そこで、他の候補者との顔合わせをするんだって。」
「えっ。御当主様が帰ってくるの?」
「そう。」
「候補って一真君の婚約者候補?」
「そう。」
「そう。」
さっきまで婚約者候補の話は関係ないみたいに思っていたのに、そう言う訳にはいかないらしい。それにしても、淡々としいてるな。
「ねえ。一真君はどう思っているの?」
「どうって何が?」
「婚約候補制度について。嫌?」
「嫌じゃないよ。そう言うものだと思っているし、ここから出られない以上出会いなんてないしね。それに、僕には子孫を残す責任がある。それこそが僕の存在意義だと思っているからね。」
驚いた。それって、なんだか切ないのではないだろうか。子孫を残す事が自分の存在している意味だと何の戸惑いもなく言っているなんて。それに、聞き流しそうになったけど、ここから出られないってどういうことだろうか?
「一真君はここから出た事ないの?」
「そうだよ。次代の当主候補はこの地から離れられないんだ。離れられるのは子を生して次の当主候補者が確定するまでだね。」
「どうして。出られないの?」
一真君は少し考える素振りをした。
「君も婚約候補者だから話してもいいかな。あのね。」
「待って。」
慌てて一真君の顔面ギリギリに手のひらを当てて、言葉を制した。なんだか面倒くさい匂いがする。
「私が聞いてもいい事なの?もしかして秘密な事なら…」
「いいと思うよ。だって、君と結婚するかもしれないし。後で聞くより前もって聞いておいた方がいいだろう?」
待て待て待て。結婚しないからね。
「いやいや。聞いていいなら、聞きたいけれど、聞いたら何か面倒な事に巻き込まれたりしない?」
「たぶん平気だと思うよ。」
「本当に?」
「たぶんね。」
「たぶんか。やっぱりいいや聞かない。」
「えー。聞こうよ。そこは、気になるでしょ。」
「気になるけど。面倒くさそうだから聞かない。」
「なんか、ムカつくかも。」
この人は、綺麗な顔をして外見に似合わない言葉を使う時がある。
「むかつくって。」
「つまりさ、君はここに留まる気がまったく無くて、ここから出る事が叶わない僕を置いて出ていくってことだろ。」
「置いて行くって。」
「せっかく仲良くなったのにな。」
ちょっと悲しそうな顔しないでよ。わたしが虐めているみたいじゃないか。
「そりゃ良くしてもらえて嬉しいよ。ここは居心地がいいし。でも、一真君が結婚するのに私が居たら邪魔でしょ。まあ、高校卒業まではお世話になると思うけど、それも状況次第で変わるかもね。」
婚約者候補という立場で無くなった者を何時までも置いておくとは思えない。
「一花ちゃんは自分が選ばれるって思わないの?」
「思わないよ。だって…」
良くわかってないけど、こんなぽっと出て来た女が突然選ばれるものだろうか。聞く所によると、候補者の方々は優れた方が多いというし。一真君と友情は築けても、恋愛は無理だと思う。それよりも、貴美華さんの様に本当に一真君を慕っている子の方が合っているし、当主の補佐にも向いていると思う。
「ふうん」
なんだか、冷たい視線を感じる。この人はたまに全てを見透かした様な瞳をすることがある。真っ黒な瞳の色が濃くなって、あまりの深い色に飲み込まれそうになる。
感情豊かに、言葉を交わしたかと思うと、とても冷静に言葉を向けてくることがある。何かを抱えているのは明らかで、苦しそうに見えるけど、なにもしてあげられない。
これ以上突っ込む事はできないから。
その日は課題以外の話はもうしなかった。
そして次の日、顔合わせが行なわれた。
八畳ほどの奥座敷に一真君、貴美華さんと、婚約者候補らしい女性が二人。一人は眼鏡をかけていて聡明そうな顔立ち、髪は黒くショートヘア。もう一人は、綺麗な顔立ちでメイクもばっちり、髪も緩く巻いていてあか抜けた印象のある派手目な女性と、私の五名が向かい合う様に座って当主を待っている。
何だか言葉を発してはいけない様な張りつめた雰囲気があって息が詰まる。早く来ないかなと心の中で願っていると、襖が静かに引かれた。
開けられた襖から男性が二人入って来た。一人は綺麗な顔立ちの男性。凛々しくて、さすが一真君の父親で谷奥家の当主。といった雰囲気がある。彼が谷奥恵一さんに間違いないだろう。だとすると、もう一人の五十代のナイスミドルがカヨさんの旦那さんの遠野銀次さんだろう。どちらも、パリッとしたスーツをきて出来る男の雰囲気がある。
当主が上座に着き、銀次さんが斜め後ろに控えて座ったあと、当主はゆっくりと私達を見渡した。
「今日は突然呼び出して申し訳ないね。初めての者も居ると思う。わたしが当主の谷奥恵一だ。後ろに控えているのが秘書の銀次だ。今後、君たちとの連絡は彼か、息子の世話係の川瀬満央が行なう。」
声も渋くて素敵だ。一真君が透明感のある美だとすると。当主様は男性らしい重厚的な存在感がある。奥様を無くされてから、ずっと独身らしいし、さぞモテるだろうな。
「皆、息子の事は知っているね。一花さんは皆と面識がないね。」
突然話を振られて驚いた。挨拶しろと言うことだろうか。
「はい。佐久間一花と申します。宜しくお願い致します。」
何を言ったらいいやら。とにかく無難に挨拶をする。
顔を上げると、当主様は一つ頷いて、貴美華さんの方へ手を伸ばした。
「こちらが、谷奥貴美華。一真とは従妹になる。そして、こちらは谷前チエさん。その隣が谷中聡子さん。」
当主は右側を指し、次に左側を指して説明してくれた。わたし以外は皆、顔見知りと言う事だろう。それによると眼鏡のショートの子が谷中聡子さんで、メイクばっちり美人が谷前チエさんというようだ。
「後は、若い者たちで親交を深めなさい。わたしは失礼するが、皆ゆっくりしていきなさいね。」
当主様と銀次さんは退室していったが、若い者でって。まるでお見合いみたいな言葉がちょっと面白い。あながち間違いではないけど。
「貴美華は一花ちゃんとは既に面識があるからいいよね。チエさんと聡子さんは初めましてだね。」
「そうね。紹介してもらったけど私は谷前チエ。麓の町に住んでるわ。年は十八歳。因みに、私は当主の妻になる気はないわ。ああ、一真が嫌いな訳じゃないのよ。私、田舎暮らしが嫌なの。ここってなーんにも無いんだもの。退屈で死んじゃうわ。」
「チエさんはずっと言ってるよね。」
「そうよ。それなのに父様は全然理解してくれないのよ。馬鹿よね。谷前には年頃の子がまだいっぱい居るのにね。」
「まあ僕は、そんなにコロコロ候補者に変わられても困るから助かるけどね。」
「わたしは谷中聡子。十六歳ね。」
チエさんと一真君の会話に唖然としていると、空かさず聡子さんが話しだした。
「聡子さんは僕らの先輩だよ。薬学部の2年生だよ。」
「そうなの。因みに、わたしは当主の妻になってもいいよ。」
面白そうだしね。って聞こえましたけど。なんだか聡子さんも軽いな。
「私は当主の妻ではなく。か、か、一真様の妻になりたいのですわ。」
今まで黙っていた、貴美華さんが顔を真っ赤にしてうつ向きながら言った。
かわいい。こんなに愛されて一真君も幸せだよね。ここに来るまで貴美華さんが婚約者候補の一人だと知らなかったが、貴美華さんの様な子が候補者の一人でよかった。
「私、応援します。」
「「え。」」
四人が同時に私を見た。
「貴美華さんを応援します。」
「何ですの。」
信じられないという顔で貴美華さんに見つめられた。そうか信じられないかもね。だけど。
「やっぱり、結婚って愛情が必要だと思うんですよ。正直、私当主の妻に興味ないんです。もちろん、一真君は嫌いじゃないですよ。だけど、恋愛感情はないですしね。それなら、一真君自身を好きな貴美華さんが一番適してるのではないかと思うんです。もちろん、一真君に他に好きな方がいれば別ですが。」
「一花さん。」
貴美華さんに強く手を握られた。信じてくれたらしい。
「あなたって良い方ね。」
目に涙を溜めて見つめられた。美少女なだけに迫力あるね。ぐっと来ちゃうよ。
「いやいやいや。」
そんなに言われると照れちゃうよね。
「振られちゃったわね一真。」
チエさんが一真君に向かって言葉をかけた。振ったつもりは無いんだけど。
「まったく。男としての自信をなくしてしまいそうです。」
あれ、一真君を傷つけちゃったかな。
「まあまあ。私は結婚してもいいって言ってるんだからさ。」
聡子さんにもフォローされてる。
「あなたは、ただの好奇心でしょう。」
ああ、一真君はいつでも冷静らしい。
「さすが一真君。良くわかってるね。」
聡子さんも一真君とのやり取りを楽しんでるようだ。いつもの事なのかもしれない。
だけどさ、一真君てさ、やっぱりめちゃくちゃモテるんだよね。だって入学してひと月なのに友達が一人も出来ないのは一真君のせいだと思うんだ。二人だけの学部だから、必然的に二人で居る事は多くなる。すると、一真君に気のある女子や、一真君とお近づきになりたいらしい男子にも敬遠されてるし。
吃驚するぐらいの美少年はスタイル良くて頭が良くて、どうも性格もいいらしい。それを独り占めしている悪女がいるらしい。って私のことらしいが。なぜ、友達も居ないのに、そんな事を知ってるかと言うと下駄箱に手紙が入っていたのだ。「このブス」とか「一真さまの隣はふさわしく無い」とか「あんたが一真様の近くにいると一真様に悪影響だ」とか。まあそんな内容だった。本当に面倒くさい。近づかなくていいなら、近くに居ないっつうの。勝手なことばっかり妄想して、そんなに近くに居たいなら自分から近づけば良いのに、なんでわざわざ遠回りして私の所に来るのだろう。
良く無い。とは思いつつ、溜まった憤りが心を占めてしまう。いかんいかん。
その後は、とりあえずの現状維持ということで、解散になった。
その日の夕方、一真君にお願いして、御当主様に居候のお礼を直接言うことが出来て安堵した。
数日後、学校で聡子さんに会った。彼女は学校にある植物園で野草を採取していた。たまに見る白衣姿の学生を不思議に思っていたが薬学部の学生だったらしい。
「こんにちは。聡子さん。」
「あれ、一花ちゃん。こんにちは。」
「野草の採取ですか?」
「そうなの。課題の一貫なんだけどね。」
「へー。面白そうですね。」
「まあね。そういえば、一花ちゃんに聞きたい事があったんだよね。」
「何でしょう。」
「うん。あのね。一花ちゃんはあんまり本家の事情とか詳しくなさそうだから、どこまで知ってるのかなって思って。」
「あーなるほど。たぶん。知ってる事の方が遥かに少ないと思いますよ。」
「知りたい?」
「そうですね。それが、ここでの当たり前の知識で、ここを出て行くのに支障がない情報でしたら知りたいですね。」
「なるほど。期待通り面白い子だね。」
「はあ。」
「じゃあさあ。候補者がなぜ4人なのか知ってる?」
「いいえ。」
聡子さんは、周りを伺って人がいない事を確認すると木陰へと、誘導した。
「これは皆が知っていることなんだけどね。この地域は『谷』が付いた名字が多いでしょう。」
声を潜めるように話だした。
「確かに。うちのクラスにも何名かいますね。」
「それはね。私達が居る、この山にね谷があるらしいの。らしいと言うのは、本家の一部の人しか見る事が許されてないからなんだけど。その谷に近いほど本家の血筋に近くなるの。つまり、谷奥家が一番谷に近く、次に分家の谷中家、そして同じく分家の谷前家。佐久間家は分家筋だけど、なぜ谷ではないのかは私もわからない。それでね、本家は谷を守る一族なの。」
「谷を守る一族。」
「そう。信じられる?」
「まあ。そういう物だと思えば。」
「柔軟で助かる。」
そういって、聡子さんは笑った。
「私達、谷の一族はね。皆、子守唄代わりに神の話を聞かされるの。」
「かみ。神様ですか?」
「そう。」
「神話ってことですか。」
「まあそうね。」
「それで。」
「これは口頭で伝えられるの。ねえ。これから用事ある?」
「いえ。もう帰るだけですけど。」
「そう。ならいいよね。すぐ終わるから。ちょっと座って話そっか。」
そう言って聡子さんは楽しそうに笑って、静かに話だした。
「まだ神々が天上と地上とを行ったり来たりしていた時代、一の神が神降りの山で人間の娘に出会った。
まだ、神と人とが言葉を交わせる時代、娘は神とは知らず恋に落ちた。
神はそれは美しい顔立ちの少年だった。雪の様に白い肌、黒々として吸い込まれそうな瞳、絹糸のように艶のある黒髪、可憐な椿色の唇、誰もが心を奪われるような姿をしていた。
神と娘は、初めての出会いより何度も交流をもった。何年か経ち娘が女性になる頃、神も青年へと姿を変えた。
神は娘と会う内に情が移り娘と交わってしまった。
そして、娘は子を生した。
神と人との間にできた子は禁忌とされたいた。
その為、天上の神々は怒り天より罰を落とした。罰は山に亀裂を生み谷を造った。
そして、そこに一の神を封じた。
娘は嘆いたが、神と娘との間に出来た子は神々の罰を免れ生きる事ができた。
しかし、子は谷のそばを離れることができなかった。神の気を受けなければ生きて行けなかった。
娘と子は谷に寄添う様に谷に住み着いた。
その後、その子は人と繋がり子を生した。
子孫は繁栄し、谷の一族は永く栄えた。」
聡子さんが話終えた後、さあっと風が吹いた。
語りの上手さに聞き入ってしまった。
実際には、子どもが理解しやすい様にもっとくだけた言い回しをするらしい。
それにしても聡子さんが重々しい雰囲気を出すので、話の世界に飲み込まれてしまった。
一の神の容姿の件で、一真君を思い浮かべた。それで、聡子さんが何を言いたいかわかった様な気がした。しかし、どう捉えていいのかわからない。