猫も犬も寒いのは嫌
私は猫。たまという、ありきたりな名前を、ふざけた人間につけられた。誰がお前たちを主人などと認めるものか。
隣りに座る犬は、人間に名前を呼ばれると尻尾を振って喜んでいるが。
「冷えるね」
犬ごときが私に話しかけるだと?
「黙れ。私は忙しい」
「丸まっているだけじゃん」
何だと? この素晴らしく効率的に無駄なく体温を逃がさぬ座り方と、居心地の良さを探す地道な作業を馬鹿にするな。
私は人間に与えられたクッションで満足出来るお前ほど、単純な生き物ではないのだ。とてもデリケートなのだ。
「ん?」
視界にちらりと白いものが過ぎる。
「雪ではないか」
「あ、本当だ」
鈍い奴め。
いそいそとクッションに座り直して、くるりと丸くなる犬。
「窓閉まってるのに、寒いね」
「人間も役にたたないな」
でかい図体でいじける犬に、私は視線だけくれてやる。動きたくない。
ちらちら降り続いていく雪は、薄く地面を白く染める。しばらく外出は控えるしかないな。
何だか騒がしい足音がして、扉が開かれた。いい加減私専用の扉をつけろ!
「寒いな~雪だぞ! ついに雪が振って来たぞ!」
騒がしい! このクズが!
「威嚇しないでくれよ……」
落ち込むな。雄のくせに!
この家の人間が、クッションの犬に近付いてわしわし撫でる。
「止めろ! 俺は雄だぞ! 何故、お前のようなむさい奴と遊ぶか! 嫌だ!」
「何をクンクン言ってるんだ? 避けなくても良いのに……そっか、寂しかったのか? ごめんよ」
駄目だな。犬と人間の話が、全く噛み合っていない。
私はそっと離れ、開きっぱなしの扉から逃げる。
「助けて!」
私は何も聞いてない。知らない。絶対に何も聞こえなかった。
俺は犬。太郎って呼ばれてる。
ついさっき、猫に見捨てられた。薄情な奴だ。
むさ苦しい雄は、人間曰わく父と言う立場で、自称飼い主。夜遅くにこっそり現れる怪しい奴。ご主人だと言い張るが、ほとんど家に居ないし、何もしないから認めてない。少しおだてれば、何でも食い物をくれるチョロい奴だ。
触ってくる度に後ずさりしているのに、諦めない。しつこい。
「楽しいか太郎!」
「つまらん!」
「そうか嬉しいか!」
この勘違い野郎!
ぬ? この匂いは!?
「お父さんだけズルい!」
俺の真のご主人の愛娘ちゃん! ヤバいぞ! 私は愛娘ちゃんを無碍には扱えん! 何故なら、俺は紳士だからだ! 雌には優しくせねばならん!
「遊ぼーよ! お外行こうよ!」
痛い! 耳引っ張らないで!
あと、雪は冷たいし、外は寒いから外には出たくないです。
「うーん、そうだな。犬はやっぱり雪が好きだよな」
「小学校で皆と歌ったの」
誰だ! 誰がそんな無責任で根拠の無い事を愛娘ちゃんに教えたのだ!
犬だって寒いのと、冷たいのは嫌なんだよ!
お前か偽主人!
「おわっ! 喜び過ぎだって。あや、上着を着なさい」
偽主人、愛娘ちゃんを守る姿勢は評価しよう。しかし、それは阻止する!
偽主人の取り出した布を奪うべく、偽主人に飛びかかって勝利した。弱い奴め。ずっとうずくまっていろ!
痛い! なんか頭に当たっ……こ、これは我がご主人愛用の紙束!
「太郎、服くわえて引っ張ったら駄目でしょう。あと、娘の近くで暴れるな」
「申し訳ありません」
服を渡すと、ご主人は俺を撫でて下さった。なんという甘美なるご褒美。優しく頭を撫でるお手は柔らかく、暖かい。
あなたこそご主人。時に厳しく、しかしいつも優しく暖かい。そのお声は子守歌のように穏やか。優しく包む包容は、絶妙なる気遣いで安らぎをもたらす。御自ら下さる食事はとても美味しい。指示も的確な、理想のご主人です!
「分かれば良いわ。あや、どうした?」
「太郎とお外で遊びたいけど、なんか嫌みたい」
流石はご主人の愛娘ちゃん。ちゃんと分かってくれたのか!
「あらあら、太郎嫌なの?」
「申し訳ありません」
「クンクン言ってるし、寒いのかもね」
流石はご主人。完璧で御座います!
「太郎暖かいよ?」
体温と体感温度は関係ありませんよ愛娘ちゃん。あと、耳痛いです。
「ほら見てみ」
ご主人、前足は掴まないで頂きたく……ってそんな方向には回らないので、離して下さい。痛いです。
「肉球プニプニ」
愛娘ちゃん、あまり突っつかないで。そこデリケートなの。大事なの。
あ、離して下さった。
「肉球はね、私達の掌や足裏よ。剥き出しで雪に触れたら冷たいから、嫌なのよ。素足で雪の上を歩いたら冷たいし、寒いでしょう?」
「靴履けば良い!」
「家に犬用は有りません。さあ、寒いからリビングに行きましょう。太郎ハウス。クッションとブランケット入れてあるから暖かいわよ」
ありがとうございますご主人!
お優しいご主人の命令に従い、私は自分の小屋に戻る。
猫だ。リビングの食い物を取りに来たが扉に手間取ってしまった。早く私専用の扉をつけろ人間!
あとはテーブルに乗って……ふっ、私には低すぎたな。
「たま!」
「ひゃん!」
「テーブルに乗らない。それはチョコレートだから駄目。体に悪いわ」
人間の癖に生意気な!
「威嚇しない。ほれほれ」
「ぬ、なんか気持ち良いぞ」
ぬう……人間の癖にやりおる。
撫でられながら移動させられた先には、良い感じのダンボールが用意されていた。分かっているではないか。
この大きさ。この質感。申し分ない。
ぬ? 何故、私はいつの間にか丸め込まれているのだ? 由々しき事態だ。
「それ寄越せ」
「かわいい!」
違う小娘! 気安く触るでない!
「たま、かまぼこ食うか?」
「何を偉そうに! 獲物も満足に仕留められぬ雄の癖に! 早く寄越せ!」
「そんなに鳴くなよ。ほれ」
最初から素直に寄越せば良いのだ。
なんだと? 食い物が奪われた?
「甘やかさない! たまは太り過ぎなんだから!」
太っ! 私は太ってない! 絶対に太ってない!
「母さんは厳しいな」
「当たり前でしょう」
恨めしい。この上なく恨めしい。
私はひたすら食卓を見上げる。いつやってくるか分からないチャンスを待ち構え、端から見ればリラックスしている体を装いながら、ひたすら耐える。
ぬう、この箱の中は暖かい。布に体を埋めればぬくぬくする。広さも丁度良い。気持ち良いではないか。眠い。眠いぞ。だが食い物が……駄目だ。耐えられぬ!
人間には朝と昼と夜が有るらしい。今は夜なので皆寝てしまった。ついさっきまでは、年越しとやらではしゃいでいたのに、突然寝てしまった。謎だ。
俺は爛々と輝く瞳で辺りを見渡している猫を見る。
「何しているんだ?」
「黙れ駄犬」
酷い。
猫がそわそわしながら扉を見ている。何だか嫌な予感がする。確かそっちは、新年とやらの為の食い物が置いてある部屋だ。ちょっと前に食おうとしたらご主人に怒られたから、間違いないと思う。鏡餅とか言うらしい。
あ、扉に向かって跳んだ。だが取っ手に捕まったまま動かない。
「何だと!? いつもみたいに回らない! 鍵とやらか!?」
ああ、ご主人が猫対策に鍵とやらを至る所に付けまくっていた事を思い出した。数日前にリビングでチョコレート、とやらを食おうとしたから、危ないと言っていた。
馬鹿め。ご主人を甘く見たな?
ガチャガチャやっている猫を横目に、チラチラと降り続いている雪を見る。どこまで積もるのだろう?
諦めた猫がとぼとぼとクッションに向かって歩く。
「何を見ている」
「見てないよ。何にも見てないよ」
痛い。顔を殴られた。
猫の手はどうしてこんなに伸びるんだ。反則ではないか?
正直、俺も猫も夜だから寝るなんて習慣は無いので、ひたすら暇だ。寝るなんて何時でも何処でも出来るではないか。
苛立たしげに毛繕いをする猫。こんな時は突然何かして来るかもしれないので、油断が出来ない。
「ああ! 腹立たしい!」
あんまり甲高く鳴くなよ。ご主人が起きてしまうじゃないか。
「この!」
「ちょっと! やめて!」
「黙れ駄犬!」
何故踏まれなければならないのか!
あと、爪をしまえ。額が痛い。
「暇なのだ。付き合え」
「断る」
痛い。耳噛むな。
バシンバシンと横面を叩かれる。振り落としたいのに、猫はやたらと器用だ。
一通り一方的な殴り合いをしてようやく気が済んだ猫が、俺の上で丸まった。このまま寝るつもりだろう。
どうせ何もやる事無いので、俺も寝る事にする。猫が乗っている部分があったかくて気持ち良い。
「おお! 鏡餅みたいだ!」
最悪だ。駄犬の上で寝ていた所を、この不躾な雄に見られた。
「たま、おはよう」
眠そうな小娘が私に抱きつく。こやつ寝ぼけておる。
「あけましておめでとう。たま、太郎、お年玉あげるわ」
この小娘の母が何かを差し出してくる。貢ぎ物か? マタタビではないか!
マタタビの良い香りに誘われ、ジャンプした私は無事獲物を確保した。流石は私。獲物は逃さない。
「ご主人、ありがとうございます!」
犬の奴め。ボール如きで尻尾を降りやがって。マタタビの方が格上だ。私の方が格上なのだ。
「たま、酔っぱらってら」
ふん! この至高なる香りと味が分からぬアホめ。あいにく私は忙しいのでな。引っ掻くのはまたの機会にしてやる。
「ねえ、それ旨いの?」
「やらんぞ駄犬」
犬が狙ってくるので、獲物をくわえて戸棚の上に非難する。アホ面で見上げる犬が面白い。
それにしても、たまらん! 最後のひと筋まで余す事なく味わってやる!
ご主人から新しいおもちゃを貰ったのでしばらく遊んでいると、とろけた顔でふらふら歩く猫が現れた。
何だろう。青臭い。
「満足だ」
幸せそうだから、何も言わないでおこうと決めた。絡まれたら面倒だ。
そうしてのんびりしていると、愛娘ちゃんが何かを持って歩いて来た。
「はい、雪だるまあげる!」
雪だるまとやらを置いて、また出て行ってしまった。これは何だろう? 頭と体が有るけど、動かないし、喋らない。
鼻先をつけると冷たかった。多分外にあった雪だろう。
猫も不思議そうに眺める。猫が確認するように話し掛けてきた。
「生き物ではないな?」
「違うよね。だって冷たいし」
「ふむ。何故こんな形なのだ? どことなくあの雄に似ている」
「なんかバランス悪いね」
「何故縦に長いんだ?」
「変なの」
チラチラ確認していると、なにやら形が崩れてきた。
「大丈夫なのかな? これ」
「し、知らん」
猫も警戒しながら後ずさる。
頭らしき上の丸いやつが、徐々にズレてきている。
気味悪いので全力で後ろに下がる。猫も戸棚の上に非難した。
そして、少し小さくなっている。
「あ!」
どっちが叫んだか分からない。多分俺も猫も叫んだ。
上の丸い頭みたいなやつが、落ちた。
「ななな、何で!?」
「お、落ちたぞ? 駄犬! 頭が落っこちたぞ!」
「ど、どうしよう? 死んじゃった?」
「いや、生きてなかった……と思う。いや分からん! 私には分からん!」
「怒られる! ご主人に怒られる!」
「駄犬、何とかしろ。また小さくなっていくぞ」
「なんか悲しくなってきた」
「私もだ」
訳分からない悲しみに、俺と猫は固まって動けない。そうして固まっているうちにどんどん小さくなってしまう。
俺もいつかこうなるのだろうか、と思っていると、猫もそう思ったのか小さくなって震えている。
そんな時、ご主人がひょっこり顔を出したので、俺と猫はご主人を凝視した。
「あら、溶けちゃったね」
何だかあっさりしているご主人に戦慄する。ご主人はとても強いお方だ。
「この人間できる!」
猫も驚いている。
ご主人はさっさとあの物体の亡骸、水溜まりを拭き取ってしまった。まるで最初から存在しなかったみたいに。
固まっている俺達を置き去りに、ご主人は上機嫌で立ち去って行った。
何だか落ち着かないので、犬を蹴飛ばしてリビングとやらまで来たのだが、人間達は何やら楽しそうにはしゃいでいる。
犬が部屋の隅っこに陣取ったので、その上に乗っかったが、今は犬も文句も言わずにじっと人間達を見ている。
とりあえず、生き物が居る。あの訳分からない物体ではない。五月蝿いけど、ちょっと落ち着いた。
人間達は、餅とやらと戦っている。白いのであの物体かと身構えたが、熱いらしいので違うと分かった。少しホッとする。よくよく観察すれば、匂いも全く違うではないか。我ながら、動揺し過ぎである。情けない。
犬の頭に顎を乗せ、犬の背中にだらんと伸びる。案外心地良い。
「なんか、賑やかなのは良いね」
「何をいきなり」
「静か過ぎてもさ、不安じゃん。ほら、さっき凄く動揺して固まってたよねお互い。あの物体が動きも鳴きもしないから」
犬の鼻先を叩く。お前と同じにするな。別に驚いてなんかない。むしろ気にもしていない。してないんだ!
「なんだよう。今更否定しなくても」
もう一発叩く。
「鼻ばかり酷い。しかも上から一方的に」
五月蝿い。私の方が格上なのだ。お前が意見する権利は無い。それに鼻まで手を伸ばさないと、目に当たりそうで危ないだろうが。この繊細な心遣いと確かな腕に感謝しろ。
ぐずぐずしている駄犬の上で、私はようやく解された神経と共に、だらんと手足を伸ばした。
こいつの頭は何だか落ち着く。昼寝には最高だと思っている。
私も人間の生活に染まっているかもしれないが、まあ、悪くない。食うに困らないし暖かいから。
考えるのは面倒だ。このまま寝てしまおう。
猫が俺の上で寝てしまった。
意外と悪くない。こんな感じで生きるのは暖かくて気持ち良い。
ご主人達も楽しそうだし、これで良いのだろう。
何だか心地良くなってきた。
ワイワイと笑い合う声を聞きながら、うとうとし始める。
これからも、こんな感じで生きるのだろうか? 悪くないな。少し鼻が痛いんだけど。知ってるんだ。鼻を狙うのは、目に当たると危ないからって、猫がわざとやっているの。
うん、悪くない。
ご主人達の明るい声に安らぎを感じながら、睡魔に身を委ねる事にした。