第16話 巧と親父
学校へと戻った巧は、みんなに俺の事を、土下座王だとか謝罪の達人とかいって茶化していた。
けれど、その表情から察するに、すこぶるご機嫌のようだし、まあ悪気は無いみたいだから、許してやる事にした。
機嫌が悪い巧と一緒に作業をするよりはマシだからな。
しかし、中に例の修正の依頼を頼みにいくのはやはり俺で、案の定散々嫌味を言われ、悪口を聞かされ、気がつくとすでに放課後だった。
結局、俺が今日したのは、謝って、おだてて、お願いをして、嫌味を言われて、それだけだった。
はぁ、一体俺は何をしているのだろう。溜息しか出ない。
帰りはまた巧と一緒だった。帰る方向は同じだが、巧は自転車通学なので本来は一緒になる事はないのだが、今日はなぜか、徒歩の俺に付き合って自転車を押して歩いていた。
途中の商店街の肉屋で巧は、ちょっと待ってろ、と言うとコロッケを買ってきて、俺に手渡した。
「食べてみ、ここのコロッケ美味しいんだ、知ってた?」
「金は?」
「いいよ、おごるよ」
そう言うと、少し照れくさそうにコロッケを頬張っていた。こいつにも、感謝、という、当たり前の気持ちがあるんだな、と思い少し安堵した。ウチのクソババアよりは、少しマシかもしれない。
巧の家にもほど近い公園のそばを歩いていた時、一台の真っ白なメルセデスのクーペが俺たちに横付けすると、窓がスッと開き、グラサンにテラテラと光る紫の派手なスーツ、髪をムースでカッチリと撫で付けた、見るからにガラの悪い男が突然声を掛けてきた。
ヤ、ヤクザだっ! 何で!? 俺は身構えた。
「巧、久しぶりだな。何だ、その格好は? まだ、お前、機械さわってるのか?」
「と、父ちゃんっ? また車と女、変えたのかよ!」
「おいおい、言いがかりはよせよ、コイツはカレン、前にも会ったろう?」
「知るかよっ!」
と、父ちゃん? こいつの父親って、死んでるんだろ? じゃあ誰だ、このおっさん?
巧は、そのガラの悪いおっさんから顔を背けると、サッサとその場を離れようとする。
「まあ、待てって。話があるんだ。お前、スカ工行ったらしいじゃないか。いい加減に機械なんかイジルのやめて、女らしくしろって何度も言ってるだろ」
「アタシの勝手だろっ、テメーにとやかく言われたくねーよ!」
すると、おっさんは俺を見つけると、グラサンを外しニヤッと笑った。よく見るとおっさんの目元、巧に似ている気がする。
「なんだお前、彼氏がいるんじゃねえか。心配かけやがって」
「違うっ! ソイツはただのクラスメイトだ、彼氏じゃねーし」
「まあ、そう照れるなよ」
俺は巧に小声で、この人誰?、と聞くと、渋々、親父、と答えた。
「え、だってお前、親父さん、死んだって言ってたじゃないか」
「死んだんだよ、アタシの知ってる父ちゃんは。コイツは父ちゃんの顔はしてるけど、父ちゃんじゃない、知らないヤツさ」
親父さんは苦笑いして、俺の肩をポンポンと叩く。
「お前なあ、相変わらずだな、親を死んだ事にしやがって。なあ、ボウズ、酷い娘だと思わねーか?」
「行くぞ、忍! そんなヤツに関わるな!」
「いいか巧、金型屋なんてやったって、いい事なんて何もないぞ? 汚いねーナリして貧乏して休みは無い上、夜中も仕事、挙げ句には体壊してよー。そこまでしてやる事じゃない。時代は変わったんだよ、いい加減自分の馬鹿さ加減に気が付けって」
「馬鹿はテメーだっ! お前が気が付けよ! いつまで株やらFXやらに現を抜かしてるんだ! 全部スッちまえばいいんだっ! そうすりゃ目が醒めるだろうよっ!」
「残念だが、そうもいかねえんだな、これが。先日も、円の急落で3億儲けたよ。今はバイナリーオプションとか、コモンディティとか、株やFXじゃないモンでもカネ稼がしてもらってて、懐が暖かくてウハウハさ!」
確かに時計もギラギラの高そうなものを付けてるし、車はメルセデス、儲かっているというのは嘘ではなさそうだ。
「でさ、俺、思ったんだけど、お前がいつまでもツマラねえ事に拘っているのって、巧、なんて名前が悪いんじゃないか? だから、今日からお前、改名しろよ? キャサリン、どうだ、いい名前だろ? そして、また一緒に住もうぜ? ママのカレンもお前と暮らしたがってるぜ? なあ、カレン?」
「ソウヨ、キャサリン、イッショニクラス、カゾクイッショ、イイネ。ママモ、カンゲイスルヨ?」
「マニラにマンションも買った事だし、学校なんて辞めちまえよ、なあキャサリン?」
「アホかっ! 誰がママだっコラッ! 誰がキャサリンだっつーの! 死ねよ、テメー! 学校辞めねえし、お前らとも暮らさねーよ、バーカ!」
巧はそう言うと、自転車も置いて走り去ってしまった。
「あいつ、つまんねえ意地ばっかり張りやがって。おい、ボウズ!」
「は、はい」
「これで、あいつに綺麗な服買ってやって、美味いモンでも食わせてやってくれや」
親父さんは俺にポンと財布を渡すと、巧の走り去った方を見つめながら、独り言のように言った。
「お前もスカ工なのか? だったら辞めちゃえよ、大して稼げねえ事一生懸命やったってツマラねーよ。俺もよ、死んだ前の女房にも上の娘にも迷惑かけたし、ホント、ロクな事無かったワケさ。キャサリンはガキだったからそういうトコ、見えなかったんだ。俺もイキがって、かっこイイ所しか見せなかったしな。だからよ、お前、あいつの目覚まさせてやってくれよ。もし、お前が望むなら、俺の投資術、教えてやってもイイぜ?」
俺は放って帰った自転車を巧の家まで届けにいった。財布には50万も入っていたので、くすねるわけにもいかないし。
巧はシャッターを開けたまま、電気も点けず暗い工場の中に突っ立っていた。
「親父さんイイ人じゃないか? ポンと50万もくれたぞ? 服でも買えってさ。それと、俺に投資術、教えてくれるって言うんだ! 俺も親父さんみたいにトレーダーになるかな、カッコいいもんな! なあ、キャサリン?」
ガゴッ!
「ウゲッ!」
突然巧が顔面をグーで殴ってきて、俺は後ろへひっくり返った。強烈な正拳突きだった。
「ヒェ、ヒェメー、何ヒェやがる・・」
俺はおとといの傷がまだ痛むところを殴られ、激しい痛みに悶えながら、鼻血がダラダラ流れてくるのを必死に抑えた。そんな俺の胸倉を鬼のような形相で掴む巧は、まさにリアルヤンキーだった。
「テメー、キャサリンってもう一度言ってみろ! ぶっ殺すぞっ!」
「シュ、シュイまシェン、もう、いいまシェン」
「アタシにとって、父ちゃんは神様みたいなモンだったんだ。いつも機械の前で油に汚れながら、アタシたちのために一生懸命だった。手足のように機械を扱う姿は、本当にカッコよくて、アタシもいつかは父ちゃんのようになりたいって思っていた。それは母ちゃんが死んでも変わらなかったんだ。アイツが変わっちまったのは、FXで大儲けした時からだった。何カ月もたたないうちに数億円の金を手に入れた時、アタシの父ちゃんは、死んだんだ。だから、そんな金、いらねーよ! 汗水流さず手に入れたウス汚ねー金なんて、いらねー!」
「シャア、俺がモリャうよ・・」
巧はキッと睨み付けると、俺から乱暴に財布を奪い取った。何だよ、いるんじゃないか。
「後でアタシから返す!」
その後、巧は俺のキズを治療しようとはしてくれたが、あまりに乱暴なので拒否し、結局は自分でやった。晩飯食っていけ、と誘ってくれたが、また1200円払うのもイヤだったし、口の中も切っていたので、正直飯を食う気にはなれなかった。
帰り際、巧は心持ち、しおらしい様子だった。
「カッなって、悪かったよ。殴ったりしてゴメン。今日は、ありがとう・・・」
しかし、翌日登校した俺に、突然怒りのヤンキー色に染まった巧が、奇声を上げながら殴りかかってきた。俺はすんでの所でパンチをかわし、何とか逃げおおせたが、一体何が起こったのか、わけがわからなかった。
「違うよ、忍は関係ないよ。今朝、ヤクザみたいなおっさん、いや違った。とても裕福そうな国王陛下が学校に見えられて、お前に渡してくれって置いていったんだよ、キャサリン」
怒りで顔を真っ赤にした巧に、中はニヤニヤとした笑いを浮べながら、巧の机の上のモノを指さした。
そこには、キャサリンへ、と書かれたメッセージカードと、綺麗な包装紙に包まれたプレゼントのようなものがあった。
それは、巧の本性を知っている俺には、とても似合うとは思えない可愛らしいカチューシャで、メッセージカードの裏には、こう書かれていた。
◇◇◇◇◇◇
キャサリンへ
俺の素敵な王女様
コレが似合うような、可愛い女の子になってくれ。
最愛のパパより
◇◇◇◇◇◇
「それで、今日のご予定はいかがされますか? キャサリン王女様?」
中は、こんな笑顔が出来るんだ! という程の満面の笑みを浮かべると、巧にわざとらしい大袈裟な仕草で頭を下げた。
親父に会ったのが、よりによって中とは、巧もついてない。
巧は真っ赤になったまま体を震わせていて、俺はその怒りが自分に向くことがないように祈るしかなかった。




