7話
ルナとの生活は、思ったより早く日常になった。
朝起きると、ルナが腕にしがみついている。引き剥がす。顔を洗う。階下で飯を食う。ルナはスープが好きだ。パンは千切って渡す。
ギルドに行く。依頼を受ける。ルナと一緒に魔物を狩る。月の魔法のおかげで、以前より効率は上がった。報酬もそこそこ入る。
夕方、宿に戻る。ルナは最近、宿の厨房を借りて料理を覚え始めた。女将に教わっているらしい。出来はまだ微妙だが、食えないことはない。
夜、ベッドで隣り合って寝る。ルナはいつの間にか俺の腕を枕にしている。
穏やかだった。
穏やかすぎて、少し怖いくらいに。
変化は、ギルドのカウンターで起きた。
「ユーリさん、ちょっと相談があるんですけど」
マーレが書類を捲りながら言った。
「銀級の依頼で、大型の魔物の討伐が入ってます。角鬼牛——ご存知ですよね?」
「知ってる。角が三本ある牛型の魔物だ。でかい」
「ええ。街道沿いに出没して商人の馬車を襲っています。単独討伐は難しい案件で——」
マーレがちらりと俺を見た。
「他の銀級傭兵と組んでもらえないか、という話が出ています」
「誰と」
「ガルドさんです。ご存知ですか?」
知っている。大柄な男で、両手斧を使う。腕は確かだ。何度か顔を合わせたことはあるが、組んだことはない。
「あいつか」
「はい。ガルドさんも乗り気で——」
「ユーリ」
背後から声がかかった。ルナだ。
いつものように俺の後ろに立っている。だが、声のトーンが違った。
「ユーリ、他の人と組むんですか?」
「まだ決めてない。話を聞いてるだけだ」
「ボクがいるのに?」
静かな声だった。だが、その静かさの質が違う。
マーレが困ったように笑った。
「ルナちゃん、角鬼牛は大きな魔物だから、人数がいた方が安全なの。ユーリさん一人だと——」
「ボクがいます」
ルナがマーレの言葉を遮った。声がさらに低くなる。
「ボクがユーリを守ります。他の人は要りません」
カウンターの空気が変わった。ギルドにいた他の傭兵が何人かこちらを見た。
「ルナ」
「嫌です」
振り向いた。
ルナの紫の瞳が揺れていた。怒りではない。恐怖だ。
「他の人と組むなんて嫌です。ユーリはボクだけのものなのに——」
「落ち着け」
「落ち着けません!」
声が大きくなった。ルナの体が震えている。小さな拳が握り締められている。
ギルド中が静まった。
俺はルナの肩に手を置いた。
「外に出るぞ」
ルナを連れてギルドの外に出た。マーレに「後で戻る」と目で伝えた。
裏通りの路地。人通りが少ない。
ルナが壁にもたれて俯いていた。銀髪が顔を隠している。肩がまだ震えている。
「……ごめんなさい」
小さな声だった。
「大声出して、ごめんなさい」
「謝らなくていい。理由を聞かせろ」
ルナが顔を上げた。目が赤い。泣いてはいないが、泣く寸前だ。
「他の人と組んだら——ユーリが、ボクを要らなくなるかもしれない」
「なぜそうなる」
「だって——他の人の方がボクより役に立つかもしれない。戦い方を知ってる人間の方が、精霊なんかより——」
「精霊なんかって、お前——」
「要らなくなったら、捨てるでしょう?」
ルナの声が裂けた。
「前の人もそうだった。最初は優しかった。一緒にいてくれた。でも——ボクが要らなくなったら、封印して、捨てた」
ルナの目から涙が溢れた。堰を切ったように。
「三百年。真っ暗で、何も聞こえなくて、何も見えなくて——ずっと独りだった」
ルナが俺の上着を掴んだ。両手で。
「もう嫌なの。もう独りは嫌。ユーリ、お願い——」
しゃくり上げている。小さな体が震えている。
「置いていかないで」
俺は——何をすればいいか、分からなかった。
分からなかったが、体は動いた。
ルナを抱きしめていた。
小さい。軽い。俺の腕の中にすっぽり収まってしまう。
ルナが息を呑んだ。
「——え」
「うるせえ、黙れ」
「ユーリ——」
「お前を捨てたりしねえよ」
自分でも驚くほど、はっきり言葉が出た。
「契約があるからとか、そういう話じゃない。俺が、しない。お前を捨てたりしない」
ルナの体が硬直した。それから、ゆっくり溶けるように力が抜けた。
俺の胸に顔を埋めて、泣いた。声を殺して。肩を揺らして。
小さな手が、俺の背中にしがみついた。爪が食い込むくらい強く。
放してほしいとは思わなかった。
しばらくそうしていた。
ルナの泣き声が止まった。
顔を上げた。泣き腫らした紫の瞳が、至近距離で俺を見ていた。
「……本当?」
「ああ」
「絶対?」
「絶対なんて言葉は嫌いだが——まあ、絶対だ」
ルナが笑った。涙でぐしゃぐしゃの顔で。
「ユーリ」
「何だ」
「大好き」
真っ直ぐ言われた。
心臓が痛いくらい跳ねた。
相手は男だ。精霊だ。見た目は子供だ。
なのに——「大好き」と言われて、胸の奥が熱くなっている自分がいた。
「……飯食いに行くぞ」
それしか返せなかった。
ルナは笑ったまま、俺の腕にしがみついた。いつもより強く。いつもより近く。
こいつの中で何かが確定したのを、肌で感じた。
それが何なのかは——まだ、考えたくなかった。




