4話
宿の女将は、予想通り面倒な顔をした。
「部屋に子供を入れるなら追加料金だよ」
「いくらだ」
「銀貨二枚。月額で」
「……分かった」
ルナが俺の後ろに隠れている。女将の鋭い目が怖いらしい。大柄で声の大きい女だ。気持ちは分からなくもない。
部屋に戻ると、ルナが中を見回した。
狭い。ベッドが一つ、テーブルが一つ、椅子が一脚。窓は小さい。壁に剣と上着をかけるフックがあるだけ。独り暮らしの傭兵の部屋は、こんなものだ。
「ユーリ、ここに住んでるんですか?」
「そうだ」
「……物が少ないですね」
「必要ないからな」
ルナが部屋の隅を見ている。ベッドの下、テーブルの上、窓枠。何もない場所を一つずつ確認するように。
「ベッドはお前が使え。俺は床で寝る」
「えっ、嫌です。一緒に寝ましょう」
「狭い」
「ボク、小さいから大丈夫です」
大丈夫じゃない。だが、距離制限のことを考えると床で寝ても結局近い。
「……勝手にしろ」
ルナが嬉しそうにベッドに飛び乗った。バウンドした弾みで銀髪がふわっと広がる。
初日はそれだけで終わった。
疲れていた。ルナに俺の替えの上着を掛けてやって、ベッドの端に横になった。小さな体がすぐ隣にある。体温がある。
独りで寝るのに慣れすぎていた。誰かの体温が隣にあるのは——何年ぶりだ。
考えるのをやめて目を閉じた。
翌朝。
目を覚ますと、ルナが腕にしがみついていた。
しかも顔を俺の肩口に埋めている。寝息が首筋にかかる。
動けない。
物理的に動けないわけではない。動いたらルナが起きる。起きたら何か言わなきゃならない。それが面倒だ。
……いや、起こさないと飯に行けない。
「ルナ」
「んー……」
「起きろ」
「……もうちょっと」
「飯だ」
「ユーリ、あったかい……」
寝ぼけている。腕を引き剥がそうとしたが、想像以上にしっかり掴まれていた。精霊の握力を舐めていた。
結局、五分ほど待った。ルナが目を擦りながら起き上がる。
「おはようございます、ユーリ」
「ああ」
にこにこしている。朝から元気な奴だ。
階下の食堂で朝飯を食べた。ルナは俺の隣にぴったり座って、パンとスープを器用に食べた。昨日の干し肉より気に入ったらしい。
「これ美味しいです」
「普通だろ」
「三百年ぶりの温かいご飯です。美味しいに決まってます」
それは確かに、そうだ。
食堂の客が何人かルナを見ていた。珍しいのだろう。銀髪で耳が尖った子供は辺境でもそういない。
俺のぶかぶかの上着を着たルナは、端から見れば捨て子を拾ってきた傭兵に見えるかもしれない。
実態は、それより面倒な関係だが。
午前中にギルドへ行った。
依頼の報告と、ルナのことを説明しなければならない。後者が気が重い。
ギルドの扉を開ける。ルナが俺の上着の裾を掴んでいる。
「おかえりなさい、ユーリさん。無事で何より——あら?」
マーレが俺の後ろのルナに気づいた。
「この子は……」
「依頼の報告だ。森の奥で古い神殿を見つけた。で、こいつが中にいた」
「中に?」
マーレがカウンターから身を乗り出してルナを見た。ルナは俺の背中に半分隠れたまま、ちらりとマーレを見ている。
「可愛い子ですね……。迷子ですか?」
「違う。精霊だ」
「精霊?」
マーレの目が丸くなった。
左手の甲を見せた。蒼い紋章が刻まれている。
「古代契約ってやつらしい。勝手に発動した。解除できないそうだ」
マーレがしばらく固まっていた。
「……えーっと。つまり、ユーリさんが精霊と契約を結んだ、ということですか」
「結ばれた、が正しいな。俺の意志じゃない」
「それは……大変でしたね」
マーレが複雑そうな顔をしている。ルナを見て、俺を見て、また紋章を見た。
「報告書に記載しておきます。精霊との契約は珍しいですけど、ギルドとしては問題ありません。依頼は完了扱いにしますね」
「報酬は」
「金貨五枚、お支払いします。遺跡の発見と精霊の情報は、辺境伯の代官にも報告する必要がありますけど」
「頼む」
金貨五枚がカウンターに並んだ。久々に見る金の輝き。
ルナが金貨をじっと見ている。
「ユーリ、これ全部ユーリのですか?」
「そうだ」
「すごい」
「すぐ消えるけどな。お前の服を買わなきゃいけない」
マーレがくすりと笑った。
「ユーリさんがお買い物なんて、珍しいですね。服のお店なら、南通りのセレナさんのところがいいですよ。子供服も扱ってます」
「ありがとう」
「それと——この子のこと、もう少し詳しくお聞きしてもいいですか? 精霊の記録は、ギルドの文献担当が興味を持つかもしれません」
マーレが微笑みながらルナに話しかけた。
「お名前は?」
ルナが俺の背中から少しだけ顔を出した。
「……ルナです」
「ルナちゃんね。可愛い名前。ユーリさんとはうまくやれてる?」
「はい」
短い返事だった。笑顔だが、目が笑っていない。
俺は気づいた。ルナの手が、俺の上着の裾を握る力が強くなっている。
マーレは気づかなかった。
「何かあったらいつでも相談してね。ユーリさんは不器用だから、困ったことがあったら——」
「大丈夫です」
ルナがマーレの言葉を遮った。
「ユーリのことは、ボクが一番分かってますから」
声のトーンが、微かに下がった。
一瞬だけ。一瞬だけ、ルナの紫の瞳が冷たく光った——ように見えた。
マーレは笑顔のまま「そうね、頼もしいわ」と応じた。変化に気づいた様子はない。
ギルドを出た。
通りを歩きながら、ルナが俺の腕にしがみつき直した。
「ユーリ」
「何だ」
「あの人、ユーリと仲がいいんですか?」
「マーレか? ギルドの受付嬢だ。仕事上の付き合いだよ」
「……そうですか」
ルナが微笑んだ。いつもの笑顔だ。
だが——さっきの瞳の色が、頭の隅に残った。
南通りの服屋に向かう。ルナは俺の腕にしがみついたまま、通りの景色を楽しんでいるように見えた。
見えたが、時折ちらりとギルドの方向を振り返っていたのを、俺は視界の端で捉えていた。
気のせいだと思った。
思うことにした。




