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美少女だと思ったら男の娘精霊で、しかも激重だった  作者: 名無しのルビコニアン


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2/12

2話

 暗い。


 松明の炎が壁を舐めるように揺れる。石の隙間から吹き込む風のせいだ。冷たい空気が首筋を撫でて、産毛が逆立った。


 錆と苔と、もうひとつ——甘い、花のような匂い。こんな場所にそぐわない香りだった。


 神殿の内部は思ったより広かった。天井は高く、崩れた柱の残骸が通路を塞いでいる。壁面には何かの彫刻が施されていたらしいが、苔と蔦に覆われてほとんど判別できない。


 足元を確認しながら進む。床石が割れている箇所が多い。踏み抜いたら下に何があるか分からない。


 奥へ向かうにつれて、空気が変わった。


 重い。肺に纏わりつくような圧がある。魔物の巣にいる時の感覚とも違う。もっと古い、もっと根の深い何かが、この場所に染みついている。


 松明の炎が小さくなった。風のせいじゃない。空気が淀んでいるのか、それとも——。


 足を止めた。


 通路の先に、広い空間が開けている。


 円形の広間だった。直径は十歩ほど。天井の一部が崩れていて、そこから細い光が差し込んでいる。


 光の柱が、広間の中央を照らしていた。


 そこに——いた。


 祭壇のようなものの上に、人が横たわっている。


 銀色の髪。長い。腰まで流れて、祭壇の端から垂れている。白い肌は磁器のように滑らかで、閉じた瞼の上に長い睫毛が影を落としていた。


 小さい。子供だ。


 少女——に見えた。


 薄い衣を纏っている。古い時代の装束に見えるが、不思議なことに劣化していない。まるで昨日縫われたみたいだ。


 息をしていない。


 死体か、と思った。だが死体にしては——綺麗すぎる。腐敗もない。虫も寄っていない。石の祭壇の上で、眠っているようにしか見えなかった。


 松明を掲げて近づく。


 足元に何かが刻まれていた。床の石に、複雑な紋様が走っている。円を描き、文字のようなものが並んでいる。


 読めない。だが見たことはある。


 契約紋だ。


 魔法師が精霊と契約を結ぶ時に使う紋様。ただし、こんな複雑なものは図鑑でも見たことがない。


 嫌な予感がした。


 後退りしようとした、その瞬間——足元の紋様が光った。


 淡い青白い光が、円形の床を走る。紋様の一筆一筆が発光し、広間全体が蒼い光に包まれた。


 何だ。


 動けない。足が床に縫い付けられたように動かない。


 松明が手から落ちた。だが暗くならなかった。紋様の光が松明の代わりに広間を照らしている。


 祭壇の上の少女が——動いた。


 指が震える。次に、唇が微かに開いた。


 呼吸が戻った。胸が小さく上下し始める。


 瞼が開いた。


 紫水晶の瞳。


 暗い神殿の中で、その瞳だけが異質に輝いていた。焦点が合うまで数秒かかった。天井を見て、光を見て、それから——俺を見た。


 目が合った。


 少女が微笑んだ。


 細い指が伸びてきた。俺の方へ。


「——やっと」


 声が聞こえた。掠れていて、小さい。だが確かに言葉だった。


「やっと、来てくれた」


 足元の紋様がさらに強く輝いた。光が渦を巻き、祭壇と俺を繋ぐように床を走る。


 左手が熱い。


 見下ろした。左手の甲に、紋様と同じ蒼い光が浮かび上がっている。火傷痕の上に刻み込まれるように、円形の紋章が皮膚に焼きついていく。


 痛い。熱い。声が出なかった。


「契約——」


 少女が起き上がった。祭壇の上に座り、こちらを見ている。涙が頬を伝っていた。


「ボクの——新しいご主人様」


 光が弾けた。


 意識が遠のく。膝から力が抜けた。


 最後に見えたのは、銀色の髪の少女がこちらに手を伸ばしている姿だった。


 泣きながら、笑っていた。




 目を開けた時、最初に感じたのは柔らかい感触だった。


 頭の下に何かがある。石の床ではない。温かくて、柔らかい。


 膝だ。


 誰かの膝の上に頭を載せている。


 跳ね起きた。


「あっ」


 小さな声が上がった。


 振り向く。


 銀髪の少女が、祭壇の前の床に座っていた。さっきまで俺の頭を膝に載せていたらしい。俺が急に起きたせいで、少し驚いた顔をしている。


 紫の瞳が俺を見上げていた。潤んでいる。


「……起きた。よかった」


 安堵したような声。小さな手が胸の前で握られている。


 俺は数秒、状況を整理しようとした。整理できなかった。


「——誰だ、お前」


「ルナです」


 即答だった。


「ルナ。ボクの名前です。ご主人様の——ファミリアです」


「ファミリア」


「精霊の従者、です。ご主人様が契約を結んでくれたから、ボクはもう——」


 ルナが立ち上がった。小さい。俺の胸くらいまでしか背がない。


 にこっ、と笑った。


「ボクはご主人様のものです」


 何を言っている。


 左手を見た。甲に蒼い紋章が刻まれている。触れると微かに温かい。消える気配はなかった。


「……待て。俺は契約なんか結んだ覚えは——」


「古代契約は、踏み込んだ者と自動的に結ばれるんです」


 ルナが小首を傾げた。長い銀髪がさらりと揺れる。


「この神殿に入れる人が来るのを、ずっと待っていました。ずっと、ずっと」


 ルナの目が潤んだ。


「三百年くらい——かな。途中から数えるのをやめちゃったから、正確には分かりませんけど」


 三百年。


 頭が痛くなってきた。


「……勝手に契約が成立するって、解除はできないのか」


 ルナの表情が変わった。


 一瞬だけ。笑顔が消えて、何かもっと深い感情が紫の瞳に浮かんだ。恐怖に似たもの。


 すぐに笑顔に戻った。早すぎて、見間違いかとも思ったが——見間違いではなかった。


「古代契約は解除できません」


 声は穏やかだった。だがさっきより、ほんの少しだけ硬い。


「ご主人様とボクは、もう離れられないんです。物理的にも。あまり遠くに行くと、体が動かなくなります」


「……マジか」


「マジです」


 真面目な顔で頷いている。


 俺は額を押さえた。


 金貨五枚の依頼を受けたはずが、三百年物の精霊を拾ってきてしまった。


 面倒くせえ、なんて言葉じゃ足りない。


「とりあえず——」


 立ち上がる。体は動く。特に異常はない。左手の紋章以外は。


「ここを出る。話はそれからだ」


 ルナが嬉しそうに頷いた。


「はい、ご主人様」


 ぱたぱたと駆け寄ってきて、俺の上着の裾を掴んだ。


 小さな手だった。力は弱いのに、妙にしっかり握っている。


 振り払う気にはならなかった。


 なぜかは分からない。


 廃神殿を出ると、森は夕暮れの色に染まっていた。木々の隙間から橙色の光が差し込んでいる。


 ルナが俺の隣に立った。外の光を浴びて、銀色の髪が夕陽を反射して柔らかく光っている。


 まじまじと見てしまった。


 整った顔立ちだ。肌は白く、目は大きく、睫毛が長い。耳がわずかに尖っている。華奢な体つきで、古い装束が風に揺れている。


 少女にしか見えない。


 だが——何か引っかかった。


「ルナ」


「はい、ご主人様」


「お前、男か? 女か?」


 ルナが目を瞬かせた。


 それから、少し恥ずかしそうに微笑んだ。


「男の子、ですけど」


 数秒、沈黙した。


「……は?」


「男の子です。精霊に性別はあまり関係ないんですけど、ボクは男の形を取っています」


 俺の目は節穴か。


 もう一度、ルナを見た。銀髪。紫の瞳。華奢な体。長い睫毛。どこからどう見ても——


「男」


「はい」


「……男か」


「はい。何か問題ありますか?」


 にこにこしている。問題しかないだろう。


 いや——問題があるかと言われると、別にないのだが。見た目の話であって、中身は変わらない。


 だが脳の処理が追いつかない。


「……まあいい」


 それしか言えなかった。


 ルナがくすくす笑った。


「ユーリ様、面白い顔してます」


「うるせえ」


 裾を掴む手の力が、少し強くなった気がした。


 森を出るまでに、日が暮れるだろう。野営の準備をしなければならない。


 金貨五枚の調査依頼は、予想外の収穫を連れてくることになった。


 収穫と呼んでいいのか、厄介事と呼ぶべきなのかは、まだ分からない。


 分かっていることは一つだけだ。


 裾を掴む小さな手を、振り払う気になれなかったということ。

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