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美少女だと思ったら男の娘精霊で、しかも激重だった  作者: 名無しのルビコニアン


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1話

 蹴り飛ばされたような衝撃で目が覚めた。


 違った。ベッドから落ちたのだ。


 背中に硬い床板の感触。天井の木目が視界の端でぼやけている。薄い窓から朝の光が刺して、瞼の裏が白い。


 起き上がる気にならない。


 しばらくそのまま転がっていた。階下から宿の女将の怒鳴り声と、食器のぶつかる音が聞こえる。朝飯の時間だ。


 ようやく床から剥がれるように体を起こした。肩が軋む。昨日の依頼で崖を登ったのが効いている。


 鏡を見る気はない。顔を洗って、くたびれた上着を羽織る。剣帯を腰に巻き、使い込んだ長剣を差す。手入れだけは怠らない。


 部屋を出て階段を降りると、食堂は既に半分ほど埋まっていた。旅商人、日雇いの荷運び、酔い潰れたまま寝ている男。辺境の宿場はいつもこんなものだ。


 隅の席に座る。女将が黙ってパンと干し肉の皿を置いていった。スープは付かない。朝飯の安い方を選んでいるからだ。


 パンを千切る。固い。三日は経っている。


 噛みながら窓の外を見る。レグナの街は朝から騒がしい。荷車が石畳を鳴らし、露店の親父が値札を掛け替えている。向かいの鍛冶屋からは既に槌の音が響いていた。


 辺境の街にしては栄えている方だ。理由は単純で、魔物が多い。魔物が多ければ傭兵が集まり、傭兵が集まれば商売になる。街の景気と魔物の脅威は、ここでは比例している。


 なかなか世知辛い話だと思う。


 パンを食い終えて席を立つ。宿代は月払いだから、いちいち勘定はない。女将に軽く顎を引いて、通りに出た。


 朝の空気が肺に冷たい。吐いた息が白く残る。春はまだ遠い。


 傭兵ギルド「鉄牙の盟」のレグナ支部は、大通りを三本ほど入った先にある。石造りの二階建てで、入口の上に牙を模した鉄の看板がぶら下がっている。何度見ても悪趣味だと思う。


 扉を押す。中は既に人がいた。


 朝一番に依頼を取りに来る連中は大きく二種類に分かれる。やる気のある奴と、金に困っている奴だ。俺は後者寄りだが、やる気がないわけでもない。面倒くさいだけだ。


「おはようございます、ユーリさん」


 カウンターの向こうから声がかかった。受付嬢のマーレだ。栗色の髪を後ろで一つに結んだ、二十代半ばの女。愛想がいい。ギルド職員としては有能な方だろう。俺には関係ないが。


「……おう」


「今日もお早いですね。昨日の岩蜥蜴の報告書、確認しました。問題ありませんでしたよ」


「そうか」


 銀貨がカウンターに三枚置かれた。昨日の依頼の報酬。岩蜥蜴二匹の討伐で銀貨三枚。生きていくには十分、贅沢するには足りない。傭兵の日常というのはそんなものだ。


 銀貨を掴んで腰の袋に放り込む。


「で、今日の依頼は何がある」


 マーレが壁に掛かった依頼板を指差す。


「街道沿いの角牙猪が二件、薬草採取の護衛が一件、あとは——」


 少し声を落とした。


「——黒樹の森の調査依頼が一件」


 黒樹の森。レグナの北に広がる原生林。魔物が棲みつき、まともな傭兵は奥まで入りたがらない。


「ランクは?」


「銀級推奨です。ただし、報酬は金貨五枚」


 金貨五枚。


 パンを齧って暮らしている人間には、目眩がするような額だった。


 マーレが慎重な顔をしている。


「依頼主は辺境伯の代官で、森の奥にある古い遺跡の調査だそうです。何があるかは分かりません。危険度は未知数、というのが正直なところで」


「遺跡」


「ええ。地図に記載のない建造物が見つかったと。辺境伯の偵察隊が報告を上げてきたんです」


 森の奥の遺跡。未知の危険。金貨五枚。


 考えるまでもない。


「受ける」


 マーレが一瞬だけ眉を寄せた。


「……一人で、ですか?」


「いつも一人だろ」


「それは、そうですけど……黒樹の森の奥地ですよ? せめて誰かと組んだ方が——」


「誰かって誰だよ」


 マーレが口を閉じた。俺が誰とも組まないことは、この支部の人間なら誰でも知っている。


 六年間、ずっとソロだ。理由を聞く奴は最初の頃はいたが、答えなかったら聞かなくなった。


「……分かりました。依頼書を用意しますね」


 マーレが棚から書類を引っ張り出す。その横で、俺は無意識に左手首を触っていた。


 古い火傷の痕。指先に硬い肌の感触がある。


 ——六年。


 そのまま手を離して、カウンターに肘をついた。


「日帰りは無理だな。野営の準備がいる」


「そうですね。最低でも二日、余裕を見て三日分の装備をお勧めします」


「了解」


 依頼書を受け取り、内容に目を通す。調査対象は「黒樹の森北東部、推定深度三キロ地点の建造物」。地図の端っこに赤い丸が描かれている。


 ざっくりした依頼だ。行って、見て、帰ってこい。分かりやすくはある。帰ってこられるかは別として。


 ギルドを出て、通りを歩く。装備の確認をしながら買い出しに向かう。


 干し肉、水袋、火起こし道具、替えの弦。薬草を三束。魔物避けの香は——やめておく。あれは効いたためしがない。


 市場の隅で荷物をまとめていると、後ろから声をかけられた。


「よう、ユーリ。また一人で出かけるのか」


 振り向くと、銅級の傭兵が二人。顔は知っている。名前は——まあ、いい。


「ああ」


「黒樹の森だって? 正気かよ。あそこは銀級でもパーティで行くところだぞ」


「知ってる」


「だったら——」


「金貨五枚だ」


 二人が黙った。金の話は傭兵を黙らせるのに便利だ。


「……まあ、死ぬなよ」


「ああ」


 それだけの会話で十分だった。


 買い出しを終え、宿に戻って荷物を詰める。背嚢は重い方がいい。重い荷物を背負って歩くのは慣れている。軽い荷物で帰ってくるのも。


 昼前に出発する。


 レグナの北門を抜けると、石畳が途切れて土の道になる。しばらく歩くと街道沿いの畑が途切れ、左手に森の縁が見え始めた。


 黒樹の森。


 遠目に見ると、ただの暗い森だ。木が密集して日光を遮っているから、昼間でも薄暗く見える。


 だが、中に入ると空気が変わる。


 街道から逸れ、森の入口に立った。苔と湿った土の匂いが鼻に張りつく。木々の隙間から差す光は細く、足元は枯葉で覆われている。


 剣の柄を確認する。


 一歩踏み出した。


 枯葉を踏む音だけが耳に残る。自分の呼吸と、遠くで鳥が鳴くのをやめた沈黙。


 森は静かだった。静かすぎるくらいに。


 地図を確認しながら進む。目標は北東、深度三キロ。まっすぐ歩けば二時間もかからないが、森の中ではまっすぐ歩けない。倒木を越え、茂みを避け、獣道を辿る。


 一時間ほど歩いたところで、最初の気配があった。


 足を止めた。


 前方、木の影。何かが動いた。


 剣を抜く。音を立てないように。


 灰色の毛皮。四本の脚。低い唸り声。


 灰狼だ。辺境では珍しくない中位の魔物。普通の狼より一回り大きく、牙に弱い毒がある。


 一匹なら問題ない。


 問題は、一匹ではなかったことだ。


 茂みの左右からさらに二つの影が滲み出た。三匹。囲まれている。


 面倒くせえ。


 先に動いた方が勝つ。正面の一匹が飛びかかってくる前に、踏み込んだ。


 剣が弧を描く。灰狼の首を一閃で断つ。返す刃で左から飛んできた二匹目を切り払う。手応えが軽い——浅かった。


 三匹目が背後から来る。


 振り向きざまに蹴りを入れた。灰狼の鼻面に踵が当たり、一瞬ひるむ。その隙に剣を突き立てた。


 三匹目が崩れ落ちる。二匹目がまだ生きていた。片足を引きずりながら逃げようとしている。


 追わない。逃げるなら放っておく。殺すのが仕事の時もあるが、今日の依頼は調査だ。


 剣の血を拭い、鞘に収める。


 左手の甲に灰狼の爪が掠めた跡が赤く滲んでいた。毒は浅い。薬草を塗れば問題ない。


 荷物から薬草を取り出し、傷口に押し当てた。染みる。


 ……さっさと終わらせて帰りたい。


 再び歩き出す。森は深くなる一方だ。


 木の幹が太くなり、枝が絡み合って空を塞ぐ。足元は苔と根に覆われ、歩きにくい。空気が重い。湿度が高く、汗が乾かない。


 二時間目を過ぎた頃、地図に赤丸で示された場所に近づいた。


 木々の合間に、それが見えた。


 石造りの建物。いや——神殿だ。


 崩れかけた柱が傾き、屋根はほとんど残っていない。蔦が壁面を這い、苔が石材を覆っている。入口は半ば瓦礫で塞がれているが、人ひとりが通れる隙間がある。


 古い。どれくらい古いかは分からないが、百年や二百年の話ではなさそうだ。


 辺境伯の偵察隊がこれを見つけたのか。確かに地図にはない。


 周囲を見回す。魔物の気配はない。むしろ、この神殿の周囲だけ不自然に静かだった。虫の声も鳥の声もない。


 嫌な感じがする。


 だが、仕事だ。


 背嚢を下ろし、松明を灯した。炎が揺れる。


 瓦礫の隙間から中を覗き込む。暗い。松明の光が奥まで届かない。


 左手首の火傷痕を触った。無意識の癖だ。


 ——行くか。


 体を滑り込ませた。

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