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初恋は叶わない

捕虜王子と空想絵本


人間は罪を犯さなくても殺されることがある。

この世に善人と悪人の二種類しかいないなら、善人側の人間だったであろう両親。

そんな両親を殺したのは、父のたった一人の幼馴染で親友だった。


「ノア。お前に新たな任務を与える」

「……はい」

この男の名前はグレイヴ=ヴォルター。この国の国家元首だ。

父さんの幼馴染で……。俺の父さんと母さんを殺した男だ。

「お前にはある人物の護衛兼監視を頼む。その人物は捕虜として捕らえている隣国の王子。リュカ=ルミナリアだ」

……隣国の王子を捕虜として捕らえたという噂は本当だったのか。

この侵略戦争、ますます酷くなるんだろうな。早く終われば良いのに。


「年も近いし毎日会って話し相手になってやってくれ。……和睦を結ぶ可能性も0ではないからな」

「……0ではないですか」

「ああ。まだ起きていないことには0%も100%も存在しない。

可能性が僅かにでもある以上、他国の王子をあまり無碍に扱う訳にもいかないからな」

この男の言う僅かな可能性とは0.000001%にも満たないのだろう。

和睦を結ぶ気なんてはなからないくせに。

この男はルミナリア人を心底嫌悪しているから。

だからルミナリア人の母をもつ俺のことも、本当は今すぐ殺したいんだろう。


この戦争、ルミナリア王国に勝ち目はない。

負ければ王族は全員処刑されるだろう。

どうせ処刑するなら話相手なんかつけて、無駄な希望を与える方が酷な事だろう。


「……返答は?」

「……かしこまりました。その役目謹んでお受け致します」

俺に拒否権なんてない。意見すら許される立場じゃない。

「では早速会いに行ってこい。場所は分かるな?」

「……はい」

その場所は両親が殺された後、3か月以上俺が入れられた牢のことだろう。

もう二度と行きたくない場所なのに。

この人はどこまでも俺を傷つけないと気が済まないんだろうな。


牢屋に行くとルミナリア人特有の美しい金髪が目を引いた。

俺は父親似だから茶髪だが、母親も美しい金髪だった。


「本日より、リュカ様の護衛に就任致しました。ノアと申します。よろしくお願いします」

「……ノア?」

振り返ったリュカ王子と目が合う。

その顔を見て、なんとなく懐かしい感じがした。

まぁ、気のせいだろう。

俺はルミナリア王国の王子の顔なんて知らないし。

「やあ、久しぶりだね。ノア」

リュカ王子が言った。

「……私達に面識は無いはずですが」

「酷いじゃないか。僕は君のこと片時も忘れたことはないというのに」

「……仰ってる意味が……」


なんだこの王子?からかっているのか?

油断させて脱獄しようとしてる?

仮にこの牢から出られても、この国からは逃げられないのに。

そんな事もわからないくらいバカなのか?

……まさか国内に内通者がいるんじゃ。


「ノア。考え事かい?」

「あ、いえ。失礼しました。記憶を辿っていたのですが、やはりリュカ様との面識は無いと思われます」

「えー。悲しいな。僕の初めてを奪ったくせに」

「は?一体なんの話を?」

「リアと名乗れば思い出してくれるかな」

その名前は俺の初恋の少女の名前だった。

「……嘘だ」

「嘘じゃないよ。久しぶりだね。ノア」


信じたくなかったが、確かにリアはこいつみたいに美しい金髪だったし、言われてみれば顔に面影がある気も……。




最悪だ。

初恋は叶わないとはよく言うけれど、初恋相手が実は同性で。今は牢屋の中にいるなんてあんまりじゃないか。

叶わないなら叶わないなりに綺麗な思い出として残させてくれ。


「……なんで女の格好なんて?」

「身分上、常に命を狙われているからね。特に君の国からは」

表情から感情が読めない。

まずい。完全にあっちのペースだ。

捕虜に優位に立たれる訳にはいかない。


「……かつての友人であったとしても、貴方が捕虜であることは変わりません。言動には重々お気をつけください」

「ええー。つれないな。久しぶりの再会だというのに」

「……本日はご挨拶のみで失礼させていただきます」

「そうか。分かったよ。また君が来るのを楽しみに待っているね」

「……失礼します」


大統領に頼んで俺を監視役から外してもらおう。

俺は大統領室に戻り、扉をノックした。

「……入れ」

「失礼します」

「王子には会ってきたか」

「……はい。大統領閣下にお願いがあって参りました。

私をリュカ王子の監視役から外してください」

「……何故だ」

「幼い頃、ルミナリア王国に里帰りした際に出来たかつての友人でした」

「……それがどうした」

「え?」

「かつての友人なら、リュカ王子も少しは安心出来るだろう」

「……俺がリュカ王子を逃す可能性を考えないのですか?」

「……好きにすればいい」

「は?」

「仮に牢から出られようと、この国からは逃げられないことをお前だって分かっているだろう。それでも逃げるというなら好きにしろ。

もちろん発見次第、然るべき対処はするがな」

……ああ。この人は俺とリュカ王子を同時に処刑する口実が欲しいのか。

これ以上なにを言っても無駄だな……。

「……分かりました。引き続き護衛に当たらせていただきます」

「ああ。頼んだ」

「失礼します」


重厚な扉を閉じると先程までいた大統領室がまるで別世界のように感じられた。

当たり前だがそんなのは気のせいで数日後にはまたあの部屋に行かなければならないだろう。

あー。嫌だ。

あの部屋に入るだけで寿命が数年縮む気がする。

あの人だって俺が嫌いなくせに、なんで度々呼びつけるんだ。

嫌がらせのつもりなんだろうか。


だとすればこれ程、効果的な嫌がらせもないだろう。

両親を殺した男に頭を垂れ、どんな命令であろうと受け入れなくてはいけないのだから。

これ以上屈辱的なことがこの世にあるだろうか。


リュカの監視も続けないといけなくなった。

こうなったら本当にリュカを逃してやろうか。


『仮に牢から出られようとこの国からは逃げられないことをお前だって分かっているだろう。それでも逃げるというなら好きにしろ。

もちろん発見次第、然るべき対処はするがな』

つい先程言われたことを思い出す。

然るべき対処なんて抽象的な言い方をしていたがようは処刑するということだろう。

逃げた街中で発見次第、射殺されるかもしれない。

そんなリスクを背負って助け出したい程、俺の初恋は甘美じゃない。

いや。それ以前にリュカの顔を見るまでほとんど忘れていたくらいだ。

すでに終わった初恋なんてほとんどの人がそうだろう。

むしろほとんど忘れているような初恋ほど、綺麗な初恋だったと言えるんじゃないだろうか。

初恋がずっと心の中にいる人は、恋みたいな綺麗な感情じゃなくなったドロドロとしたものに醜くも囚われているとしか思えない。

……大統領のように。

あの人はいつまで父に囚われているんだろう。


大統領が父に恋愛感情を抱いているのは、幼い頃からなんとなく気づいていた。

誰に対しても冷たい人なのに父を見る目は暖かかったし、誰にも笑いかけることのない大統領が唯一、笑いかけるのが父だった。

この国では同性愛は禁忌とされている。

だからこそ大統領は父に気持ちを伝えなかったんだろう。

潔癖主義の大統領が同性愛なんて禁忌を犯すのはどんな気持ちなんだろう。

きっと自分で自分が許せないだろう。

正直ざまぁみろと思う。

あんな男一生苦しめばいいんだ。

そう心から思っているのに、俺の幼少期からの記憶が邪魔をする。

大統領は時に両親以上に俺を気にかけてくれていた。

父に向けることの出来ない愛情を父によく似た俺に向けることで紛らわせていたのは分かっていた。

俺は父の代用品に過ぎなかったんだろう。

その証拠に父がいなくなってからは、愛情のあの字も俺には向いていない。

父がいなくなったことで父の代わりは何処にもいなかったことに気付いたんだろう。

なんとも皮肉な話だ。父を殺したのは他でもない大統領なのに。


父と大統領は物心ついた頃からの幼馴染だったそうだ。

父はよく大統領の素晴らしさを語っていた。

子どもの頃から勉強も運動も出来てすごくモテていただの。大人になってからもあらゆる場面で助けてくれただの。

耳にタコが出来るほど聞かされていた。

それだけ色々聞かされると憧れを抱くのは最早自然現象で、俺はグレイヴさんのようになりたいとずっと思っていた。

グレイヴさんが両親を殺すまでは。



ルミナリア王国では同性愛だけでなく、様々なものが許容されているらしい。

思い返してみるとリアの屈託のない笑顔はそういう自由な国で生まれ育ったからこそのものだったのではないだろうか。

先程のリュカ王子も敵国の捕虜とは思えない笑顔を浮かべていた。

あんな笑顔、俺は一生出来ないだろうな。

死んだ両親のことを思うと特に笑いたいとも思わない。

最近は生きていたいのかすら、よく分からなくなってきた。

グレイヴさんに殺されかけた時はあんなに生きたいと思ったのに。


リュカはきっと死ぬ。

そんな所見たくない。

でも見たくないからと逃げるのは、ものすごくリュカに失礼なんじゃないだろうか。

リュカは生きたくても生きられないのに。

リュカがどんな結末を迎えるのか、俺には見届ける義務がある。


翌日俺はリュカのいる牢の目の前にいた。

入るのになんだか勇気がいる。

「すー……はー」

ゆっくりと大きく深呼吸をした。

……会いたくない。会えば会うほど俺の中の何かが少しずつ変わってしまう気がする。

ほんの僅かな変化でも積み重なると、いずれ取り返しのつかない行動を起こしそうでそれがとても怖かった。


……いや。ぐだくだ考えても仕方ない。

俺にリュカと会わない選択肢はないんだ。

どうせ会うしかないなら無駄なことは考えるな。


俺が牢の扉を開けると、昨日と同じようにリュカは扉と反対方向を見ていた。

窓がある訳でもないコンクリの壁をどうしてじっと見つめているんだろう。

ルミナリア王家の人間は魔女の末裔だと言い伝えられているそうだが、本当に魔法でも使えるのだろうか。

いや。馬鹿馬鹿しい。魔法なんてあるはずがない。

そんな物があるのは御伽噺の中だけだ。

本当に魔法なんて使えるなら、捕虜になんてなってないだろ。


俺が牢の鍵を閉めると、ゆっくりとリュカは振り向いた。

「やあ。よく来たね」

近い内に処刑される敵国の捕虜にすぎないというのに、リュカの微笑みは王族の威厳に満ち溢れていた。

思わず跪きたくなる程に。


「……任務ですので」

「つれないなぁ。せめて敬語はやめてくれよ。呼び方も王子なんて堅苦しくて嫌だ。呼び捨てでいいし。

なんなら昔みたいにリアって呼ぶかい?」

こいつ喧嘩売ってるのか?

命を狙われているから女装していたのはまだ理解できる。

だからってリアと呼ぶかなんて無神経すぎるだろ。

俺は昔、告白までしたのに。

リュカは覚えてないのか?

だから悪びれもせず、そんなことが言えるんだろうか。

……いや。むしろ忘れられている方がいいだろ。


俺が好きになったのは女の子のリアだ。

男のそれも捕虜の王子なんかじゃない。

覚えられていて、いじられでもしたら恥ずかしすぎる。


「……一介の平民が王子様にそのように接することは出来かねます」

「えー。いいじゃない。どうせ二人きりなんだし」

「出来かねます」

「むー。ケチ!」

怒った顔をしているがどうにも作り物に見える。

俺がリュカに接する態度を変えるとは最初から思っていなかったんじゃないだろうか。


「ねぇ。覚えてる?あの夏のこと」

「……どの夏のことでしょうか?」

答えなんて決まっている。

俺とリアが過ごした夏はたった一夏なんだから。

それなのにあえて聞いた。

……なんでそんな無駄なことをしてしまったんだろう。


「決まってるでしょ。僕と君がルミナリアで過ごした夏のことだよ」

「……何分昔のことですのでほとんど忘れてしまいました」

「……そっか。残念だな。僕はとても鮮明に覚えているよ。

あの夏が僕の人生で一番楽しかったからね」

まだ成人もしてないというのに人生で一番なんて。

近いうちに処刑される未来を受け入れているリュカを目の当たりにして何ともいえない気持ちになった。


じゃあなんだ。

『処刑なんて嫌だ!!死にたくない!!助けて!!ノア!!』

とでも言って欲しいのか?

そんなこと言われたって何もしてあげられないのに。

俺が助けようとすれば、かえってリュカの寿命を縮めることになるだけだろう。

そんなことになれば俺はきっと壊れてしまう。


腹が立った。

リュカにじゃない。

なにもできないしする覚悟もない俺が、死を覚悟したリュカを見て、感情を動かして良いはずがない。

何様のつもりだ。本当に嫌になる。


「水の透き通った川で泳いで、マリーゴールドの咲いた花畑で追いかけっこして、歴史ある教会でかくれんぼしたよね」

「……やめてくれ」

「ノア?」

「もう戻れない過去なんて思い出したって何の意味もないだろ……」

この牢屋でどれだけ思い出話に花を咲かせようと、リュカと俺は捕虜と監視役で。

何も知らなかった子どもの頃には戻れない。


父さんと母さんも死んだままだし。

グレイヴさんだって両親の仇のままだ。


「……そうだね。過去には戻れない。でも大切な思い出を思い出すことにはきっと意味があるよ」

「そんなの!!」

綺麗事だ!!

と叫ぼうとしたがリュカに両手を握られ、少しだけ冷静になりなんとか飲み込んだ。

「……申し訳ありません。柄にもなく取り乱してしまいました」

「柄にもなくねぇ。昔はよく今みたいに取り乱してたけどね」

「な!?」

「あ、また取り乱した〜」

「俺はいつだって冷静です!!」

「えー本当かなー?」

「本当です!!」

「あはははは。相変わらず面白いなぁ。ノアは」

先程までのどこか貼り付けたような笑顔とは違う。どう見たって心からの笑顔だった。


「ノアのそういうところ大好きだなぁ」

リュカはなんの気なしに言ったであろう言葉に指が微かに震えた。


「……ノアはさ絵本って好き?」

突然なんの話だ。子ども扱いしてからかうつもりか?

「バカにしてます?」

「してないよ!僕は好きだから聞いたんだ」

「……子どもの頃は好きでしたけど、今読もうとは思わないです」

「そっか。良いものだよ。大人になってから絵本を読むのも」

「……どんな絵本を読むんですか?」

「そうだなぁ。色々な絵本を読んだけど一番読んだのはルミナリアの森かなぁ」

「その絵本は俺も昔読んでました」

「僕たちが昔遊んだ森が舞台だから、読む度にノアを思い出していたよ。……もう一度読みたいなぁ」

再会してから初めて見せた切ない顔に何かせずにはいられなくなった。

「俺が明日持ってきます!」

「え、いや。そういうつもりで言ったんじゃ……」

「今日はこれで失礼しますね。また明日」

「あ、ちょっと待って!」

リュカが俺を止めようとしていたが、きっと俺に遠慮しているからだろう。

俺は足を止めずにその場を後にした。

人のことをなんの遠慮もなく揶揄ったりするくせに。肝心な所で遠慮してしまうのは変わらないんだな。


グレイヴ大統領に会いに行こう。

あの人でもさすがに絵本を読みたいくらいの願いは叶えてくれるはずだ。

「無理だ」

「……え」

理解出来なかった。

近い将来処刑されるであろう王子様に絵本の一冊読ませることも許可できないって言うのか?

そんなの。

「じょ、冗談ですよね。絵本の一冊くらいさすがに」

「冗談ではない」

「な、なんでですか!?リュカはただルミナリア王国の王子に生まれただけでなにも悪いことしてないじゃないですか!!それなのに思い出の絵本の一冊読ませてあげないなんて!!」

「少し落ち着け。ノア。

俺だって絵本の一冊くらい用意できるものなら用意する」

「……どういう意味ですか?」

「ルミナリア王国の本は全て絶版になったのをお前だって知っているだろ。絵本だって例外じゃない」

「あ……」

そうだった。なんで忘れていたんだ。

再会してから初めて見せた切ない顔を見て、居ても立っても居られなくなって。

叶えられない約束を軽々しく……。

最低だ。

叶えられない約束ならしないで欲しいと何度も思ってきた人生だったのに。

よりにもよっていつ殺されるかも分からないリュカにするなんて。


「……確か昔読んでいなかったか」

「え……。は、はい。読んでました」

「処分したのか」

言われてみれば確かに。捨てた記憶はない。

父さんと母さんは物をなかなか捨てられないタイプの人間だったし、まだあるかもしれない。

「ありがとうございます!早速探してきますね!」

大統領がひどく驚いた顔をした。

「どうかしましたか?」

「その。大丈夫なのか?」

「なにがですか?」

「……いや。いい。お前が平気なら。絵本は見られないように気をつけろ。

万が一見られたら俺の命令とでも言っておけ。なんとかする」

「はい!ありがとうございます!グレイヴさん!失礼します!」

「……ああ。気をつけて」

俺は足速に大統領室を後にした。



「……久しぶりだな」

生まれてからずっと住んでいた家だった。

最後に足を踏み入れたのは、両親がグレイヴ大統領に殺された日だ。

不思議だな。もう一生来れないだろうと思っていたのに少しも恐怖を感じない。

俺は普通に扉を開けた。それが日常かのように。


「……ただいま」

誰に言うでもなく呟いた。

もし父と母の霊がいるなら、『おかえり』と返してくれているのだろうか。

霊自体信じていないし。仮に霊という存在が実在したとしても早く成仏して幸せに暮らしていて欲しい。


少し歩くと両親が殺されたリビングが広がっていた。

家具が荒らされている訳でもない。

逆に恐怖を感じるほどいつも通りの部屋だった。


……ああ。全部夢だったのかな。

思考が現実逃避しそうになった次の瞬間、目に映ったのは両親の血痕だった。


夢なはずない。

そんなこと本当は分かっていたけど、現実が物凄い速度で襲いかかってきて吐き気がした。

早く二階へ上がろう。

絵本を取りに来ただけなんだから。


二階の自室に入るとやっと息ができた。

大袈裟に深呼吸を一回してから絵本を探した。

何年も見た記憶がないということは、きっと物置の奥の方に入っているんだろう。

物置の中に入っている物を目についた順に取り出していく。

どの品を見ても家族の姿を思い出して自然と涙が出そうになった。

いや。泣いてる暇なんてない。

何回も家に来たら怪しまれるかもしれないし、今日中に見つけないと。

ほぼ全ての物を出し終わり、捨ててしまったのではないかと焦りだした時、物置の一番奥にあった絵本を見つけた。

リュカの願いを叶えられてよかった。


表紙は多少汚れてはいるが、経年劣化の範囲だろう。

むしろ味があって少しカッコよく思えた。

早速絵本の中の状態を確認してみよう。

そう思って手をかけたが。

「……いや。やっぱりリュカと一緒に開こう」

今俺が開いてしまっても別にいいんだろうけど、ただの絵本なのに頑張って探したせいかちょっとした宝箱のように思えて、俺が一人で開けてしまうのはもったいなく感じた。

どうせ明日一緒に読むんだろうし、明日の楽しみにとっておこう。


……ああ。明日が楽しみなんて随分久しぶりに思ったな。



翌日、バレないようにリュックの底に絵本を入れてその上にお菓子の入った缶で隠した。

軽く目視されることはあっても、全部出させられたりはしないはずだ。

最悪大統領の命令ですと言えば誰だって引き下がるだろう。

それだけこの国は大統領に権力が集中している。


「おはよう。ノア」

「おはよう。リュカ」

「絵本のことだけどさ気に病まないで……」

リュカがなにか言っていたが少しでも早く見せたくて、俺はリュックからお菓子の入った缶を取り出し机の上に置いた。

「わぁ!お菓子だ!ありがとう!絵本より嬉しいよ!」

「はあ!?なんだよそれ。せっかく人が苦労して持ってきたのに!」

絵本をリュカに見せるとリュカはまるで初めて宝石を見た子どもみたいに目を輝かせた。


なんだよ。喜んでるじゃん。

じゃあなんであんなこと言ったんだよ。

リュカの無神経な発言に俺は腹が立って仕方なかった。

意地悪してやろう。

「お菓子の方が嬉しいならこの絵本は読まなくていいですね。どうぞ好きなだけお菓子をお食べください」

「ち、違うよ!そういう意味で言ったんじゃなくて!絵本が読みたいって言った後でこの国にはない絵本だって気づいて、無理なお願いしちゃって申し訳ないなって思ってたから!

お菓子は絵本が見つからなかった代わりに持ってきてくれたのかなって」

「……じゃあ読みたいんですね?」

「読みたい!めちゃくちゃ読みたいです!」

「はぁ。しょうがないですね」

「やった!ありがとう!」

この笑顔でありがとうと言われるとなんでもしてあげたくなりそうだ。

昔からそうだった。

まるで魔法にかけられたみたいに。

本当に魔女の末裔だったりして。


そんなことある筈ないと思いながらも、度々思ってしまう。

もしかしたら魔法を使って逃げて欲しいと無意識のうちに願っているのかもしれない。


「じゃあ早速絵本を読み……」

「お菓子食べよっか!」

「はぁ!?ついさっきの発言もう忘れたんですか!?」

「そうじゃないけどお腹空いちゃって」

「お腹空いたってまだ朝……」

そうだ。捕虜なんだから満腹になれるほど食事が出るわけない。

今は戦時中で農民も徴兵されたり、軍に優先的に食糧を送っている関係で食糧難だ。

捕虜の食事は質素にせざるを得ないだろう。

このお菓子だって昔貰った備蓄用のお菓子だから、正直味はそこまでだろう。

とてもお菓子なんて食べる気にならなくてずっとおいておいたけど。


「……分かりました。先に食べましょう」

「やった!じゃあ早速いただきまーす!」

お菓子の入った缶に伸びたリュカの手を掴んで止めた。

「毒味するのでまだ駄目です」

「えー!ノアが持ってきたんだからいいんじゃん!」

「駄目です」

いくら長期保存がきくお菓子で期限もまだ切れていないとはいえ味をみておかないと心配だ。

それにリュカのことをちゃんと王族扱いする人間が一人は必要な気がする。

たとえそれをリュカが望んでいなくても。


「むー。ケチ!

毒味なんて言ってノアが食べたいだけなんじゃないの」

「なっ!?違う!リュカと一緒にするな!

俺はお前みたいに食い意地はってない!」

「えー。本当にー?」

「本当だよ。全く」

缶を開けてクッキーを食べると予想以上に美味しかった。

「……あれ。美味しい」

「美味しくないと思ってたもの持ってきたの?」

悪戯っ子のような顔でリュカが聞いてきた。

「いや。そういう訳じゃ。でも前食べた時はこんなに美味しくなかった」

それに両親が殺されてからは何を食べても味気なかった。

いつもと何が違うんだろう。

違いなんて隣にリュカがいることくらい……。

……いや。久しぶりに甘いものを食べたから美味しく感じたんだろ。

それ以外に理由なんてない。

あっちゃいけない。


「僕にもちょうだい!」

「ああ。食べていいよ」

俺は缶に残っているクッキーを指差した。

「なに言ってるの?」

「そっちこそなんだよ」

「毒味してくれたんでしょ」

「まあ、一応」

「じゃあそれくれないと」

「それ?」

「だからそれ!」

そう言ってリュカは俺が先程齧ったクッキーを指差した。

「……はあ!?何言ってんだよ!!」

「だってそのクッキーに毒が入ってないことは分かったけど、他のクッキーに入ってないとは限らないでしょ」

ニヤニヤしながらリュカが言った。

憎たらしいやつだ。

「ああもう分かったよ!食べればいいだろ!食べれば!」

「いただきまーす!」

クッキーを差し出すとそのままリュカが齧り付いた。

手で受け取ってから食べればいいのに。

王子がこんなに品のない行動ばかりしていいのだろうか。

「美味しいね!」

「ならよかったよ」


美味しそうにクッキーを頬張るリュカを見て、ペットがいたらこんな感じかなと思った。

……いやいや。一国の王子に対して不敬すぎるだろ。


「あー!美味しかった!」

「まだあるぞ。食べるか?」

「ううん。お腹いっぱい」

「遠慮するなよ」

「ううん。遠慮じゃなくて。

……胃が小さくなっちゃったみたい」

照れ笑いを浮かべるリュカになんとも言えない気持ちになる。


「ろくに食事をしてない状態でいきなり固形物を食べるのは胃に良くなかったか。

もっと消化の良い物を持ってくれば良かったな」

「大丈夫!身体が強いことだけが僕の取り柄だからね!」

「だけじゃないだろ……」

「ん?なにか言った」

「……いや。なんでもないよ」


「じゃあ、そろそろ絵本読むか」

「うん。そうだね。じゃあ。手繋ごうか」

「な、なんのために?」

「絵本読むときは手を繋ぐものでしょ。乳母がよく繋いでくれたよ」

「いや。それは子ども相手だからだろ」

「いいから。いいから」

「あ、こら」

強引に手を繋いでくるリュカの力の強さに驚いた。手も俺より大きかったのか。

なんか!なんか!

「……悔しい」

「ん?なにか言った」

「……なんでもない」

「大丈夫だよ。ノアもまだ大きくなるって」

「聞こえてたじゃないか!」

「あははは!」

リュカは一頻り笑った後、急に真剣な表情をして。

「じゃあ開くよ。覚悟はいい?」

「絵本読むくらいで大袈裟なやつだな」

「……ねぇ。ノア。魔法ってあると思う」

「は?急になに言って。そんなのあるはず……」

ない。と言おうとしたのに、リュカの真剣な瞳が俺の言葉を奪った。

「いや!だってそんなのただのお伽話で!ルミナリア王国を占領するための建前……」

もしリュカが本当に魔法を使えたら?

リュカの処刑理由に嘘がなかったとしたら?

「魔法なんてあるはず……」

視界の隅でリュカの手が絵本に触れるのが見えた。

「やめろ!!リュカ!!その絵本を開くな!!」

リュカにはずっと普通の少年のままでいて欲しい。

「…… ごめんね。ノア」

俺の静止も空しく、リュカは絵本の最初のページを開いた。

次の瞬間、絵本が白く光り俺とリュカを包み込んだ。


「……ここは?」

目を開くと見覚えのある花畑で倒れていた。

子どもの頃、リュカとよく遊びに来た花畑だ。

「おはよう。ノア」

リュカは切なげな笑顔を浮かべ俺を見つめていた。


「な、なんで……」

「ノア……」

そ、そうか!夢だな!そういえば昨日あんまり眠れなかったんだ!」

「ノア……」

「そういえば夢だと自覚した夢はなんでも思い通りになるらしいぞ!リュカはどんな夢が見たい?」

「ノア……。これは夢じゃ……」

「夢だよ!!夢じゃないといけないんだ!!リュカは普通の人間で!!そうじゃないと……」

「ノア。ごめんね……」

「なんでこんな大事な秘密、俺なんかに打ち明けるんだよ……。

俺が誰かに話したらどうするつもりだ!?即処刑になってもおかしくないぞ!!」

「……ノアは誰にも言えないでしょ?」

「……俺にはお前の……リュカ王子の言動を国に、全て報告する義務があります」

「……いいよ」

「……俺にはどうせ出来ないと思っているなら!!」

「いいよ。それがノアの仕事だもんね」

リュカは微笑みながら言った。

まるで全てを包み込む女神のように。


「……死ぬのが怖くないんですか?」

「そんな人間はきっといないよ。

怖くないふりが上手な人間はいるだろうけど」

「じゃあ、なんで!!」

「それが僕の仕事だからだよ」

「え……」

「命は平等じゃない。

民が1000人死んでも戦争は止められないだろう。でも僕一人が死ねばきっとこの戦争は終わる」

「それは……」

否定出来なかった。

リュカの言う事が間違いではないと思ったのもあるが、俺は彼のいう1000人死んでも戦争を止められない民側の人間だというのが大きかった。

リュカと同じ立場にどう足掻いてもなれない人間が、彼の覚悟にどうこう意見する資格なんてないだろう。

「僕が今まで食べてきた食事も。着てきた服も。教養も。遊んできたおもちゃだって全部。国民の血税だ。

国を治める一族が良い暮らしを享受するのは、国の存亡が危ぶまれたときに命をとして国を守る為だ」

「……そうかもしれないけど」

リュカはまだ子どもじゃないか。

分かってる。国を背負う者に年齢なんて関係ないだけど……。

なんでそれが他でもないリュカなんだ。

リュカ以外なら誰だっていいのに。

下を向いて黙りこくった俺を、リュカは何も言わずに見つめていた。

どれだけの時間が経っただろうか。


「……これは空想です」

「だから現実だってば」

「空想の中の出来事まで報告する義務はありませんから」

「……悪い男だね。ノアは」


そうだ。俺は悪い人間だ。

愛国心なんて両親のどちらの母国にも持ち合わせていないし、両親を殺したグレイヴさんの事も思い出が邪魔して、憎みきれない自分がいる。


今だってリュカの運命から、ただ目を逸らしているだけだ。

俺はきっとリュカが死ぬその日まで、目を逸らし続けるだろう。

そして死んだら、もっと出来ることはなかったのかと一生涯悔やむのだろう。

俺なんかに出来ることなんて何一つなかったと本当は分かっていながら、自分の無力さに向き合う勇気すらない。

最低最悪の臆病者だ。


「おいで。ノア」

そう言って微笑むリュカは、幸福へと導く天使にも堕落へと誘う悪魔にも見えた。

天使と悪魔に大きな違いはないのかもしれないなんてくだらないことを考えながら、俺の手を引くリュカの、力と呼称するのも憚れるような優しい引力に俺はなんの抵抗もせずについていった。

なんの躊躇いもなく誰かについていくのは、一体いつぶりだろう。

このまま何も考えず、一生リュカについていけたらどれだけ幸せだろう。

そんな事出来るはずもないのに。

仮に出来たとしても、俺の人生だと言えるのだろうか。

でも今は。今だけはなにも考えたくない。

どうせ現実に戻ったら、考えるつもりがなくても自然と考えてしまうんだ。

ここにいる間くらいは許してほしい。


リュカに連れられて歩いていくと、あの夏に住んでいた今は亡き祖父母の家があった。

「懐かしいね。僕もよく遊びに来た」

「……ああ。そうだな」

ほんの一瞬、あの夏にタイムスリップしたのかと思った。

そんなことある筈ないのに。

仮にタイムスリップ出来たとしても、子どもの頃に戻ってなにが変えられるだろう。

夢でも見たんだと笑われて、ろくに取り合ってもらえないだろう。

皮肉にも子どもの話をちゃんと真剣に聞いてくれそうなのは、グレイヴさんくらいのものだ。

悲劇の元凶に話して何になる。余計に事態を悪化させるだけだろ。


リュカはまるで自分の家のように遠慮なく歩き、椅子に座った。

「おいでよ。ノア」

「……おいでも何も、俺の祖父母の家ですけど?」

「そこはほら。僕この国の王子だし」

「人が王子扱いしたら文句言うくせに、都合の良い時だけ」

「えへへ。ごめんね」

悪びれない謝罪に一瞬腹が立ったが、リュカはこのくらい我儘なのが丁度良いかもしれない。

「……まったく」

とはいえ何も気にしてない態度を取る気には、なんだかならなかった。

「……本当はこれっぽっちも怒ってないくせに」

「……なんか言ったか?」

「なんでもないですよーだ」

……やっぱりちょっとムカつくかも。



それから数分間、俺たちの間に会話はなかった。

先程のやり取りで、空気が悪くなったとかではない。

なんの会話もないのに少しも気まずさのない、心地良い沈黙だった。

子どもの頃、あまり会話をしないのに幸せそうな祖父母のことが不思議だったけど、こんな感覚だったのかなと思った。


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