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2.5_06_従者は嫉妬する、そして新たな嵐の予感

〈Ema's perspective〉


 夜の帳が下りた情報局本部。私は休憩室でルーク様の帰りを待っていた。


 壁に掛けられた時計の針は夜の八時を回ったところだ。王城の門限や移動時間を考えれば、そろそろお戻りになる頃だろう。


 「……上手くいったでしょうか」


 私は淹れたての紅茶をテーブルに置き、小さく呟く。


 今日のデートプランは完璧だったはずだ。変装の準備も、巡るコースも、すべて私たち女性陣で計画した。あとは、お二人次第だ。


 私は自分の胸に手を当てる。


 昨日の午後、シャーロット様と結託してデートを計画した時の高揚感は今はもうない。代わりに、鉛を飲み込んだような重苦しい何かが胃の腑に居座っている。


 (応援するって、決めたじゃないですか)


 自分に言い聞かせる。私はルーク様の従者。彼の幸せを一番に願う存在。


 もしルーク様がシャーロット様を選び、幸せになれるのなら、私は笑顔で祝福すべきだ。それが従者のあるべき姿なのだから。


 ガチャリ、と扉が開く音がした。


 私は反射的に表情筋を引き締め、いつもの笑顔を作る。


 「ただいま。……待たせたな」


 ルーク様が入ってくる。その顔を見て私は一瞬、呼吸を忘れた。


 いつもの騎士や副長官としての鋭く張り詰めた顔ではない。かといって、普段私に見せるような家族としての無防備な顔とも少し違う。


 それは、私が今まで見たことのない顔だった。


 「お帰りなさいませ、ルーク様。……楽しめましたか?」


 私が尋ねると、ルーク様はふわりと笑ってソファに腰を下ろした。上着を脱ぐ動作一つにも、余韻が滲んでいる。


 「ああ。……驚いたよ。シャーロットのやつ、あんな顔で笑うんだな」


 ルーク様は天井を見上げ、今日の出来事を反芻するように語りだした。屋台の串焼きを頬張る無邪気な姿、はしゃいで歩く姿、そして夕暮れ時の広場での会話。


 「ずっと、あの子を守るべき子供だと思っていた。俺が導いてやらなきゃいけない、手のかかる妹分のような友人だって」


 彼は少し照れくさそうに頬をかき、視線を宙に彷徨わせる。


 「でも、今日隣を歩いてみて……ふと思ったんだ。あいつも、もう一人の立派な女性なんだなって」


 その言葉の響きに、私の心臓が嫌な音を立てた。


 聞きたくない。でも聞かなければならない。


 「……黄昏時の空を見上げた顔が、妙に大人びて見えてさ。……正直、少しドキッとしたよ」


 「……」


 その言葉を聞いた瞬間。私の胸の奥で、必死に積み上げてきた「理屈」の壁が音を立てて崩れ落ちた。


 『ドキッとした』。あのルーク様が。私以外の女性に対してそんな感情を抱いた。


 良かったですね、と言わなければならない。作戦は大成功です、と笑ってハイタッチしなければならない。


 だって、私は二人を応援すると決めたのだから。


 なのに。


 「……そうですか」


 私の口から出たのは、自分でも驚くほど低く、冷たい声だった。


 紅茶を注ぐ手が震えて、カチャリとカップが音を立てる。


 「ん? どうしたエマ」


 ルーク様が不思議そうに私を見る。


 必死に笑顔を貼り付けようとしたが、頬が引きつって上手く笑えない私は顔を背けた。


 「い、いえ! ……流石はシャーロット様ですね。ルーク様の分厚い壁に風穴を開けるなんて、大したものです」


 「壁ってなんだよ」


 「壁は壁ですよ」


 軽口を叩きながら、私は必死に胸の痛みを抑え込む。


 (……嫌だ)


 心の奥底から、ドロリとした本音が漏れ出す。


 ルーク様が私以外の女性を見て顔を赤らめるのが、こんなにも苦しいなんて。


 ルーク様の隣で笑うのが、私じゃない誰かなんて。


 応援なんて、余裕ぶっていただけだ。


 私はただ、「どうせルーク様は誰にもなびかない」という安全地帯から、見守るふりをしていただけなのだ。その前提が崩れた今、私はただの嫉妬に狂う見苦しい女でしかない。


 (ルーク様の隣は……私じゃ、だめなんですか?)


 喉元まで出かかった言葉を、私は唇を噛み締めて飲み込んだ。


 血の味がしたその時。


 コンコン。


 休憩室の扉が開かれた。入ってきたのは手に数枚の資料を持ったイヴ様だった。


 いつも冷静な彼女だが、その足取りはわずかに速い。

 

 「ルー君。緊急性の高い報告」


 「イヴ? どうした、ナハトヴォルフか?」


 ルーク様の表情が、瞬時に「副長官」の冷徹なものへと切り替わる。


 その変化に、私は不謹慎にも少しだけホッとしてしまった。甘い空気が霧散したことに、安堵してしまったのだ。


 イヴ様は資料をテーブルに広げた。


 「違う。……分析部で聖王国方面の情報を統合した結果、緊急性が高いと考えられる結論が出た」


 「聖王国? 」


 「そう。ここ数日、聖王国の国境付近で不自然な『人探し』の依頼が急増している。表向きは逃げ出した奴隷の捜索だけど、報酬額が桁違いよ」


 イヴ様は地図上の聖王国とイグニスの国境線を指差した。


 「さらに、聖都の諜報員からの報告によれば、枢機卿たちが極秘裏に私兵を動かしている。……そのほかの情報も分析した結果、ある一つの可能性が浮上した」


 イヴ様は一拍置いて、告げた。


「聖王国から『極めて身分の高い要人』が脱走し、イグニスへ向かっている」

 

 「……亡命か?」


 「ほぼ確実に。そして、その要人の特徴データ――目撃された『桃色の髪』と『小柄な体躯』――が、ある人物と一致するわ」


 「まさか……」


 ルーク様の目が鋭く細められる。


 「聖女、ソフィアか」


 「ッ……!」

 

 その言葉に、室内の空気が凍りつく。


 聖女。大陸でも指折りの重要人物であり、神の力と言われる治癒能力と絶大な影響力を持つ少女。


 彼女が命がけで逃げてきている。


 「……なぜ王城に正規の連絡が来ない?」


 「それが問題。彼女からは公式な亡命要請がなかった。……つまり、なにかしら正規の亡命ルートに問題があるか、突発的な逃亡だった可能性がある」


 ルーク様が腕を組み、脳内で高速で思考を巡らせているのが分かる。


「分析部で出発時期と移動速度を計算してみた。……彼女たちが王都圏内、つまり情報局の保護下に入れるエリアに到達するまで、およそ二週間から三週間」


 「流石に今の組織力ではすぐに捜索保護は不可能か……」


 ルーク様は静かに息を吐く。

 

 その碧い瞳には、数分前までの甘い色は微塵もない。冷徹な指揮官の光が宿っていた。


 「猶予があるのは幸いだ。だが楽観はできない。聖女が王都近郊に到着する頃には、行き先に勘付いた追っ手も、確実に王都に入り込んでいるだろう」


 「同感」


 「……情報局総員に第三級警戒態勢へ移行を命じる。俺は陛下へご報告と情報局が動く許可を得てくる」


 「了解」


 ルーク様が部屋を出ていく。

 

 甘い休日は終わりを告げた。


 新たな嵐の予感が、足音を立てて近づいてくる。


 私は胸の痛みを隠すように、強く拳を握りしめた。


 今はまだ、従者でいい。


 けれど――この胸に灯った残り火は、もう二度と消えることはないだろう。

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