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2.5_05_王女の休日〔後編〕

〈Charlotte's perspective〉


  店を出て少し歩くと、路地の一角から食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきた。


 「……ん? いい匂いがするな」


 ルークが鼻を動かす。


 そこには串焼きを売る屋台があり、脂の焼ける音とタレの焦げる匂いが充満していた。


 「お兄さんたち、どうだい? 焼きたての香草焼きだよ! 王都で一番美味いって評判だ!」


 陽気な店主が、煙の向こうから声をかけてくる。肉を串に刺して直火で焼くという、野性味あふれる料理。


 当然、王城の食事では絶対に出てこない食べ物だ。


 「……食べてみたい、かも」


 私が恐る恐る言うと、ルークはニカっと笑った。


 「はは、シャーロットならそう言うと思ったよ。よし、二本もらえるか?」


 「あいよ! 毎度あり!」


 彼は慣れた手つきで銅貨を支払い、熱々の串焼きを受け取る。一本を私に手渡してくれた。


 「はい、タレが垂れるから気をつけて。服につくとエマに怒られるぞ」


 体験談のように語る彼に笑みがこぼれる。


 「ふふ、そうね。……いただきます」


 道端で立ったまま食事をするなんて。お母様やお姉さまが見たら卒倒するかもしれない。


 でも、今はただの女の子だから。


 私は大きく口を開けて串焼きを一口かじった。


 ジュワッと広がる肉汁と、香草の香り。甘辛い濃いめのタレが舌を刺激する。


 「……んっ! おいしい!」


 「だろ? 買い食いと言えばこれだよな」


 ルークも豪快にかじりつき、満足そうに咀嚼する。その口元に少しタレがついているのを見て私は思わずハンカチを取り出し、彼の口元を拭ってあげた。


 「あ……」


 やってしまってから、あまりに自然すぎる行動に気づいて固まる。


 「お、悪い。子供みたいだな、俺」


 ルークは少し照れくさそうに笑ったけれど、嫌がる素振りは見せなかった。 その距離感が、なんだか夫婦か恋人のようで私の顔はまた熱くなった。


 二人で並んで、道端で買い食いをする。たったそれだけのことが、舞踏会で踊るよりも、どんな高級なディナーを食べるよりもずっと楽しくて、幸せだった。


 串焼きを食べ終え、私たちは再び歩き出す。


 空が少しずつ茜色に染まり始めていた。


 「……ねえ、ルーク」


 「ん?」


 「私……今日のこと、一生忘れないと思う」


 私は彼を見上げて、心からの言葉を紡いだ。


 「大袈裟だな。……まあ、またいつでも来ればいいさ。俺で良ければ付き合うから」


 彼は何気なく言ったけれど。その「また」という言葉が、私には何よりの約束に聞こえた。


 (ああ、ダメだわ……)


 横顔を見つめながら、私は確信する。


 この時間が終わってほしくない。この人の隣にずっといたい。


 栗色の髪が風になびく。私の瞳に映るのは賑やかな街並みと、大好きな人の笑顔だけ。


 私は今、生まれて初めて王女という鎧を脱ぎ捨てて、1人の女の子として恋をしている。


 「もう少し、歩きましょうか」


 「ああ」


 私たちは夕暮れの街へ、再び歩き出した。


 この時間が永遠に続くことを願いながら。



――――――――――



 楽しい時間は、砂時計の砂のようにあっという間に過ぎ去っていく。


 もうすでに、空は茜色から群青色へのグラデーションに染まり始めていた。


 「……そろそろ、夕暮れだな」


 「ええ……そうね」


 ルークの言葉に、私は少しだけ寂しさを込めて頷く。王城の門限まではまだ少しあるけれど、終わりに近づいているのを感じてしまう。


 「最後に少し景色のいい場所に行こうか。王都を一望できる時計塔の広場があるんだ」


 「ええ、行きたいわ!」


 私たちは広場へ向かうために、大通りを横切ろうとした。


 その時だった。


 「きゃっ!?」


 波のように押し寄せる人混みに、私はバランスを崩した。ルークの腕に手を添えてはいたけれど、大柄な男性とぶつかり弾き飛ばされそうになる。


 (はぐれる……!)


 伸ばした手が空を切る――そう思った瞬間。


 ガシッ!


 強くて、温かい力が、私の手を強引に引き寄せた。


 「――っと、危ない!」


 よろめいた私の体は、ルークの広い胸に受け止められていた。

 

 鼻先をかすめる彼の服の匂い。そして、私の右手をしっかりと包み込んでいる彼の手の感触。


 「大丈夫か? シャーロット」


 「え、ええ……ありがとう」


 至近距離で覗き込んでくる心配そうな瞳に、心臓が爆発しそうになる。彼はホッとしたように息を吐くと、私の手を離す……のではなく、さらに指を絡めるようにして握り直した。


 「この時間帯は混むからな。……はぐれないように、こうしていよう」


 「え……」


 彼がしたのは、いわゆる「恋人繋ぎ」だった。手を引くのではなく、指と指を絡ませ互いの体温を分け合うような、親密な繋ぎ方。


 「い、いいの……?」


 「もちろん。君を迷子にして泣かせたら、エマに殺されちゃうからな」


 彼は悪戯っぽく笑って歩き出す。


 冗談めかしているけれど、その手は優しく、けれど絶対に離さないという意思を感じるほど力強かった。


 (ああ……夢みたい)


 掌から伝わる彼の鼓動が、私の鼓動と重なっていく気がした。私は彼の手をギュッと握り返し、その隣を歩いた。


  いつのまにか時計塔の広場にたどり着く。少し高いここからは、眼下に家々の明かりが灯り始めた王都のパノラマが広がっている。


 私たちはベンチに腰を下ろす。離れてしまった手を寂しく思いながら、並んでその景色を眺めた。


 「……綺麗」


 「ああ。ここからの景色、気に入ってるんだ」


 ルークが目を細める。


 夕風が、彼の銀髪と私の栗色の髪を優しく揺らしていく。


 「ねえ、ルーク」


 「ん?」


 私は彼の方を向き、今日一番伝えたかった言葉を口にした。


 「ありがとう。今日は、本当に楽しかった」


 「そりゃ良かった。俺も楽しかったよ」


 「ううん、それだけじゃないの」


 私は繋がれた手に視線を落とす。


 「私ね、今日は王女じゃなくて……ただの『シャーロット』になれた気がするの。誰かの顔色を窺うことも、国のことを考えることもなく、ただ笑って、食べて、歩いて……」


 顔を上げ、彼の瞳を真っ直ぐに見つめる。


 「こんなに自由で、幸せな気持ちになれたのは、貴方が隣にいてくれたからよ。……ありがとう」


 それは、私が今できる精一杯の愛の告白に近い言葉だった。


 ルークは少し驚いたように目を見開き、それから……困ったように、でもとても優しく微笑んだ。


 「……俺はただ、友人の笑顔が見たかっただけだ」


 「友人……?」


 「ああ。最近の君は、王女として立派すぎたからな。たまにはこうやって年相応の顔で笑ってほしかったんだ」


 彼は空いた方の手で、私の頭をポンポンと撫でた。その仕草はやっぱり「妹」や「守るべき対象」に向けるものかもしれない。


 けれど。


 「……でも、今日のシャーロットは」


 ルークの手が止まる。


 彼の視線が、私を透かしてどこか遠くを見るように彷徨った。


 その瞳に、今まで見たことのない「熱」が揺らめいた気がした。


 「……少し、大人びて見えて……ドキッとしたよ。……なんであんな手のつなぎ方したんだか」


 「え……?」


 後半が聞こえないほど、ボソリと呟かれた言葉。


 彼はすぐに「なんてな、柄にもないことを言った」と照れ隠しのように笑って視線を逸らしてしまったけれど。


 私は前半を聞き逃さなかった。今、彼は私を「一人の女性」として見てくれた。ほんの一瞬、保護者の仮面が揺らいだのだ。


 (届いた……)


 胸の奥が熱くなる。まだ恋人には遠いかもしれない。でも、私は確実に進んでいる。


 「……ふふっ」


 嬉しさが込み上げてきて、自然と笑みがこぼれた。


 「絶対認めさせる」


 「え? 」


 「さあ、何のことかしら」


 きょとんとする彼に、私は悪戯っぽく微笑んで見せる。


 一番星が輝き出す空の下。


 私の心は幸せに満ちていた。

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