2_09_1v1をする主人公
敵が構える。手には一振りの短剣。魔剣でも何でもない、ただの鋼だ。
「その魔力のあふれ方……崩魔薬か」
俺は冷ややかに告げる。
体内の魔力回路を強制的に焼き切り、一時的に限界を超えた身体能力を引き出す禁忌の薬物。効果が切れれば全身の回路が崩壊し、確実に死に至る。
主に帝国などの裏闘技場でみられる危険薬物だ。実際に使っている人間を見るのは初めてだが。
「騎士のくせによく知ってるじゃないかァ!」
「……狂信者め」
「黙れェェッ!!」
ドォン!
敵が屋根を蹴った。鉄板のひしゃげる音が響き、彼は獣のような速度で突っ込んでくる。
速い。薬物の効果で身体能力が倍加している。
(元の身体能力が高いだけに、薬を使うと化け物だな)
そのうえ厄介な場所だ。侯爵にばれることを承知で全力を出しても、列車の屋根が戦闘に耐えられない。
状況的に力を出し惜しみしている場合ではないが、どちらにせよ全力を出せないという最悪の状況だ。
だが俺は冷静に彼を見据える。振り下ろされる短剣の軌道、筋肉の収縮、魔力の流れ、全てがスローモーションで手に取るようにわかる。
これは競技の経験があると分かりやすい例えだが、一種のゾーンに入っている状態だ。
ゾーンとは簡単に言うと、時間や自我を忘れ活動に完全に没頭し、最高のパフォーマンスを発揮できる極限の集中状態のこと。
幼少期から馬鹿みたいに鍛錬を続けてきた俺は、ある時からそのゾーンに意識的に入ることが出来るようになった。
ヒュッ。
鼻先を掠める刃を、首をわずかに傾けて躱す。続く横薙ぎの一撃も、バックステップで紙一重に見切る。
騎士学院に入るまでは、転生者らしく家に迷惑をかけない程度に異世界冒険していた。様々な強者や魔物と戦ったがやはりゾーンに入れるか入れないかが一つの壁だったように思う。
「逃げるなァッ!」
ファングが咆える。
流石はナハトヴォルフというような、短剣での重い連撃。
俺は回避に徹しながら反撃の機を窺う。足を止めて打ち合えば、衝撃で屋根が凹み下に被害が出るかもしれないからだ。
大振りの一撃を躱し、空いた脇腹に掌底を叩き込もうとした、その時――
「ニヤリ」
敵の唇が歪んだ。
彼の短剣が、俺ではなく――足元を這うパイプに向かって振り下ろされた。
「――!?」
あれは液化魔力の循環パイプだ。魔石を溶解させて効率的にエネルギーを伝達するための、いわば列車の『血管』。中には数千度の熱量を持つ高密度魔力が流れている。
「ここを裂けばどうなるか、分かるなぁッ!?」
「貴様ッ……!」
列車全体が吹き飛ぶわけではないが、損壊されたパイプ付近にいる人は重症だろう。
俺は回避を封じられた。
振り下ろされた刃を、魔力で強化した手甲で受け止める。
敵はバランスを崩したが、俺もパイプを守るために無理な体勢で受け止めたせいで少しダメージを受ける。
「っ……」
「どうしたどうした! 避けないのか!?」
敵の猛攻が続く。
執拗にパイプを狙い続ける。
俺はそのすべての攻撃をパイプから逸らすことを強要されていた。
かと思えば、フェイントで俺への攻撃も織り交ぜてくる。
薬物で強化された腕力は凄まじく、受け止めるたびに足場が揺らぎ、俺の足が装甲を削って後退する。
頬をかすめた刃圧が、皮膚を浅く切り裂いた。
(これは少し面倒だな……)
状況はあまり良くない。
足場は激しく揺れ、風圧で戦闘体勢を維持するだけでも魔力を使う。ラザフォード侯爵がいる以上、魔力を解放して全力を出すことも出来ない。
その上で、当たれば被害が出る攻撃を完璧に捌き続けなければならない。
このままでは、ジリ貧だ。
「はははっ! そのザマだ! 所詮は温室育ちの騎士か!」
敵が嘲笑う。全身から噴き出す魔力はさらに膨れ上がり、皮膚が黒ずみ始めている。薬の副作用が限界に近いのだ。
「この一撃で、パイプごと貴様の腕を断ち切ってやる!」
敵が大きく振りかぶる。
魔力を身体の負荷なんて考えずに、全力で右腕に集めた捨て身の最大出力。弾くのも難しく、受け止めれば俺の腕ごとパイプが切断されるだろう。
俺は深く息を吸い込んだ。
(……仕方ない、あれをやるか)
本当なら使いたくない。失敗すれば俺の腕が吹き飛ぶし、成功しても負荷はかなりのものだ。だがこの状況を打破するには多少のリスクは必要だろう。
俺は全身に巡らせていた身体強化を解き、左腕に溜めていく。
「ッ――」
俺の左腕の筋肉と血管が、内側からの圧力で悲鳴を上げる。
許容量を超えた魔力の充填。
制御できるのはほんの一瞬。タイミングを誤れば、敵を殴る前に俺の腕が自壊する。
「死ねェェェッ!!」
ファングの刃が振り下ろされる、その刹那。
ドンッ!!
俺は足裏に爆発的な魔力を込め、踏み込んだ。
風よりも速く。瞬きよりも速く。刃が落ちるよりも早く、俺の身体は彼の懐へと潜り込んでいた。
「なッ!?」
驚愕に目を見開く男。
俺は左の掌を、がら空きになった彼の胸板に静かに添える。
ゼロ距離。
「終わりだ」
掌に集約した魔力を、一気に解放する。
打撃ではない。純粋な魔力の衝撃波。
――掌底・魔力砲。
ドォォォォンッ!!
籠もった衝撃音が響き、敵の背中の服が弾け飛んだ。
衝撃は彼の体内を突き抜け、肋骨を砕き、内臓を揺らす。
「ガハッ……!?」
敵の身体が宙に浮く。
足場を失った彼を、時速80キロの暴風が容赦なく捉えた。
「ア、アアアアアアッ……!!」
絶叫は一瞬で遠ざかった。
彼は木の葉のように後方へと吹き飛ばされ、漆黒の闇夜へと消えていった。
屋根の上に、静寂が戻る。
聞こえるのは風の音と、異常な回転数を刻むエンジンの駆動音だけだ。
「……はぁ、はぁ」
俺は膝をつき、乱れた呼吸を整える。魔力を集中させた反動で、左腕が痺れて感覚がない。
だが、まだ終わっていない。
敵は排除したが、列車の暴走は止まっていないのだ。むしろ、さらに加速している気がする。
俺は立ち上がり、破壊されたメンテナンスハッチから機関室を覗き込んだ。
「……うわぁ」
思わず声が出る。
そこは、地獄のような光景だった。
破壊された制御盤からは火花が散り、切断されたパイプからは蒸気が噴き出している。そして何より、中央にある魔導エンジンが、制御を失った高密度の魔力をスパークさせ、青白い雷光のような光を撒き散らしていた。
物理的なブレーキは破壊され、魔力制御も効かない。このままでは、次の急カーブで確実に脱線する。
「……マジかよ」
あいつ想像以上に最悪な状況にしていったな。
「ん?」
目を凝らすと、壁の方にドワーフが倒れ込んでいるのが見えた。
「ガリウスっぽいな。ま、どっちにしろ入るしかないか」
深呼吸を一つ。
俺は光渦巻く機関室へと、その身を躍らせた。




