2_08_牙と対峙する主人公
夜風が吹き抜ける列車の屋根を、1つの影が進んでいた。
ナハトヴォルフの牙だ。
ファングは速足で先頭の機関車を目指していた。
通常運行時の速度は馬車より少し速い程度だ。屋根の上を移動することは、鍛えられた彼にとって造作もない。
だが、彼の心中は嵐のように荒れ狂っていた。
「許さん……許さんぞ……!」
彼の目には、もはや任務の遂行など映っていない。あるのは、自分たちをコケにした正体不明の敵への復讐心と、全てを道連れにする破滅願望だけだ。
先頭車両の真上、機関室へのメンテナンスハッチにたどり着く。手に持っていた短剣で無理やりこじ開けた。
ガキンッ!
ハッチが開き、彼はそこから機関室へと飛び降りた。
「な、なんだお前は!?」
突然の侵入者に、ドワーフの機関士が驚愕の声を上げる。身長は人間の子供ほどだが、横幅は倍ほどもある樽のような体躯。立派な髭を蓄えたその男は、スパナを構えて威嚇した。
だが、ファングは迷わず機関士の太い首を掴み上げ、壁に押し付けた。
「ぐっ……!?」
「教えろ。この列車の魔導エンジンを……限界まで暴走させる方法を」
「なっ、貴様正気か!? そんなことをすれば脱線どころか、魔力爆発で……」
「言えッ!!」
短剣の切っ先が皮膚に食い込み、血が滲む。
狂気で染まった瞳に射すくめられ、機関士は震える手で制御盤の奥にあるレバーと数本のパイプを指さした。
「あ、あれだ……リミッターの魔力制御管と、緊急停止弁を……」
「そうか」
ファングは機関士を床に投げ捨てると制御盤に向かった。短剣を振るい太いパイプを無造作に切断する。さらに、リミッターの刻印が施された魔石を柄で叩き割った。
エンジンの駆動音が安定した重低音から、苦しげな唸り声へと変わっていく。
「はははっ!」
ドクン、と車体が大きく揺れた。速度計の針がゆっくりと、だが確実に上がり始める。
「よし……これでもう止まらん」
ファングは気絶した機関士を蹴り飛ばし、機関室の出入り口である鋼鉄の扉へ向かう。
内側のロック機構を短剣で滅多刺しにして破壊し、さらに取っ手を根元からへし折った。
これで中からも、外からも開かない。
彼は再び天井のハッチから屋根へと戻った。
このハッチから侵入しようとする者がいれば迎撃し、列車の最期を見届けるために。
――――――――――
シャーロットの部屋の前で警護に当たっていた俺は、不意に眉をひそめた。
(……なんだ、この魔力の膨張は?)
『魔力視』を発動し、視線を前方へ向ける。
先頭車両の方角から、どす黒く荒れ狂う魔力の奔流が噴き出し始めているのが見えた。明らかに異常だ。
さらに、足裏に伝わる振動が変わった。ガタン、ゴトンという規則正しいリズムが崩れ、微かにテンポが速くなっている。
先頭車両で戦闘がおこる作戦内容ではなかったと思うが。想定外の事態か。
「……ルーク」
低い声と共に、隣の部屋で休憩していたラザフォード侯爵が歩み寄ってきた。その顔は険しい。
「気づいたか?」
「はい。……エンジンの駆動音が変わりました。それに、微かですが揺れと加速を感じます」
「うむ。ただの増速ではないな。何かが起きている」
そう話しているうちにも徐々揺れと加速は増していく。
侯爵の目が鋭く光る。彼は俺を見据え、短く命じた。
「よしルーク。お前は車両へ向かって状況を確認してこい」
「よろしいのですか? 私は殿下の専属ですが」
「それが最善だ」
確かにラザフォード侯爵は団長として護衛対象の周辺を離れられず、ほかの団員が来る間に事態が悪化する可能性を考えると俺しかいないか。
「はっ! 直ちに行って参ります」
俺は踵を返し、先頭車両へ向かって走り出した。通路を走るにつれ、揺れは徐々に大きくなっていく。最初はコップの水が揺れる程度だったのが、今では棚の飾りがカタカタと音を立て始めている。
先頭車両への連結部までたどり着くと、そこはすでに騒然としていた。数名のドワーフ鉄道警備隊が、機関室の扉をドンドンと叩き、怒鳴り声を上げている。
「おい! 開けろ! 速度が出過ぎだぞ!」
「くそっ、ダメだ! ロックが噛み込んでやがる! 破壊されたか!?」
「退いてくれ!」
俺は人混みをかき分け、扉の前に立つ。取っ手を掴んでみるが、びくともしない。内側から完全に破壊され、封鎖されている。
「壊せないのか!?」
ドワーフの叫びに一瞬の思考の後答える。
「無理だ。この扉はミスリル合金製だ。無理やりこじ開けると列車が脱線しかねない!」
俺が本気を出せば破壊は可能だ。だが、そんなことをすれば連結部が歪み、最悪の場合、機関車ごとお客を乗せた客車が脱線転覆する。
ここからの侵入は不可能だ。
(……どうするか――)
俺は視線を横の窓に向けた。外は月明かりのなか、景色が飛ぶような速さで流れている。通常運行時よりも明らかに速い。
「おい人間! 何をする気だ!」
ドワーフの制止を無視し、俺は窓を全開にした。
ゴォォォッという風切り音が響き、強烈な風が吹き込んでくる。
「状況確認に行ってくる!」
言い捨てて、俺は窓枠に足をかけ、車外へと身を乗り出した。
「動きを阻害しない礼装用の軽鎧でよかった」
全身を叩きつける風圧。通常なら心地よい夜風程度のはずが、今は暴風となって俺を振り落とそうとする。
俺は足裏と指先に魔力を集中させ、吸着させるようにして外壁に張り付く。
ガタガタと悲鳴を上げる車体をよじ登り、屋根の縁に手をかける。身体強化で腕力を底上げし、一気に身体を引き上げた。
屋根の上に立つと、さらに過酷になった。
ゴォォォォッ!!
耳をつんざくような風切り音と、足元から伝わる激しい振動。通常運行時の倍近い速度――時速にしておよそ80キロメートルぐらいだろうか。
前世の感覚で言えばそこまで驚異的な数字ではない。だが生身で、しかも不安定な鉄の上で体感するそれは、暴風雨の中に放り出されたような感覚だ。
前方から吹き付ける風には、排熱ダクトから噴き出す熱気と、鼻を突く焦げ臭い匂いが混じっていた。
そんな中、先頭の機関車の上に一人の男が立っていた。ナハトヴォルフの男だ。
まさか作戦の失敗を悟って列車を暴走させたのか?まともな判断とは思えないな。
彼はハッチの上に陣取り、短剣を逆手に持って待ち構えていた。
俺が屋根へ上がったことに気づき、彼がゆっくりとこちらを向く。
「……来たか。イグニスの騎士」
「随分な挨拶だな。こんなことをして、ただで済むと思っているのか?」
「済む? ははっ、終わらせるんだよ! 何もかもな!」
瞳から理性が消えている男が構える。
その全身からは、薬物か何かで無理やり増幅したような、禍々しい魔力が立ち昇っていた。
「止められるものなら止めてみろ! 道連れにしてやる!」
俺は重心を低くし、素手で構えを取る。
揺れる屋根、吹き荒れる風。加速し続ける最悪のフィールドでの、最後の戦いが始まる。




