2_07_折られた牙
時間は少し遡る。エレナがことを起こす、わずか数分前。
VIPルームで警備に当たっていたナハトヴォルフの現場指揮官――牙の懐で、魔力共鳴石が震えた。
――短く2回、長く1回の発光。
『救援要請』。
ファングは眉を顰める。
(馬鹿な。あそこには新人とはいえそれなりに使える奴を配置しているはずだ。ドワーフの警備隊と衝突でもしたか?)
いずれにせよ、動力炉は作戦の要だ。万が一にも失うわけにはいかない。このVIPルームは防音防壁の完全密室。鍵さえかければ、短時間は要塞となる。
彼は瞬時に決断を下した。
「……失礼致します」
特使たちにこの場を離れることを伝え、部屋を出て鍵をかけた。
一般客のエリアまで来たファングは、素早く周囲に視線を走らせる。
廊下の突き当たりで談笑していた商人風の男と、カートを押して通りかかった給仕、帝国の貴族風の男。彼らと視線を交わし、ハンドサインを送る。
彼らもまた、客に紛れたナハトヴォルフの構成員だ。
緊急事態のハンドサインに一般客を装っていた部下たちが集まってくる。
「貨物班から救援要請、俺は他の奴らを集めるからお前ら3人は先行しろ。……嫌な予感がする。戦闘準備を怠るな」
「「はっ」」
彼らは疾風のような速さで貨物室へと向かう。
――――――――――
整備用通路を撤退していたウィンストンとサイラスは、通路の角で足を止めていた。
「……来ますね」
サイラスが低い声で囁く。
「ええ。思ったよりも反応が早いですが、この分だと恐らく少人数の先行でしょう」
ウィンストンもまた、呼吸を整えながら懐のナイフに手を添える。
前方から複数の気配が高速で近づいてくる。足音を極限まで消しているが、特務部の二人からは隠せていない。
「数は3。……かなりの手練れです」
「問題ありません。音を立てずに排除します」
二人が構えた直後、通路の闇から黒い影が飛び出した。一般客の服を着ているが、その動きは洗練されている。ナハトヴォルフの増援だ。
「――ッ!貴様ら!」
先頭の男が即座に反応し、懐から短剣を抜く。
躊躇なく急所を狙う、無駄のない刺突。身体強化によって加速されたその一撃は、並の騎士なら反応すらできずに喉を貫かれていただろう。
だが、相手が悪かった。
「遅い」
サイラスが一歩踏み込む。突き出された刃を紙一重で躱すと同時に、男の懐へと滑り込む。
「ぐっ!?」
サイラスの掌底が、男の胸を正確に打ち抜いた。骨が砕ける音すらかき消すような、鋭い一撃。男は心臓を内側から破壊され、崩れ落ちる。
「クソ!」
後ろにいた二人が、左右の壁を蹴って3次元的な動きで襲いかかる。一人はサイラスの背後へ、もう一人はウィンストンへ。見事な連携だ。
ウィンストンへと迫る男の短剣が、老紳士の心臓を捉える――はずだった。
「おやおや、殺気立っていますね」
ウィンストンはまるでダンスのステップのように体を半回転させ、刃を躱す。通り過ぎざま、男の関節に指を滑り込ませた。
ボキッ。
「がっ……!?」
一瞬で肩を外された男がバランスを崩す。ウィンストンはその勢いを利用し、男の首を捻った。
一方、サイラスの背後を取ったもう一人の敵。
無防備な背中に刃を突き立てようとしたが、サイラスは振り返りもせずに裏拳を叩き込んだ。
「甘い」
敵の気配を完全に把握していたサイラスの一撃は、カウンターとなって敵のこめかみを捉える。
ふらついた男に止めをさし、周囲を警戒する。
「……ふぅ。片付きましたね」
サイラスが倒れた男たちを見下ろして息を吐く。ナハトヴォルフも確かに精鋭だった。だが元騎士、元暗殺者としての経験と、特務部で鍛え上げられた技術を持つ彼らの敵ではなかった。
「ええ。ですが……」
「……来ますね。それもぞろぞろと」
サイラスが首肯する。
前方から、複数の気配が雪崩のように押し寄せてくる。足音を殺してはいるが、隠しきれない殺気が通路を埋め尽くしていた。
「……どうやら、列車内の残存戦力をすべて投入してきたようです」
ウィンストンは短く切りそろえられた白い顎髭を触りながら、身体強化を始める。
その全身から、老齢とは思えぬ濃密な魔力が立ち昇る。
「幾人か強者がいらっしゃるようですよ」
「はい」
サイラスも身体強化すると同時、通路の奥から黒い影の群れが雪崩れ込んできた。
「敵だ! 殺せ!!」
先頭を走るファングの号令と共に、6名の工作員が一斉に襲いかかる。狭い通路を埋め尽くす殺意。彼らもまた全身に魔力を巡らせ、人間離れした速度で距離を詰めてくる。
だが、サイラスは動じない。
「――ッ」
短い呼気と共に、サイラスは壁際に這っていた太いパイプ――動力炉の冷却に使われる魔力触媒の循環管を、強化した剛腕で引きちぎった。
プシューッ!!
轟音と共に、白濁した冷却霧が通路に噴き出し、視界を奪う。
「なっ、目くらましか!?」
怯んだ先頭集団。その一瞬の隙に、霧の中からサイラスが飛び出した。
「――」
引きちぎった鉄パイプを豪快に振り回し、先頭の二人を薙ぎ払う。 鈍い音が響き、首の骨を砕かれた二人が即死して吹き飛んだ。
「散開しろ!」
ファングが叫び、残りの部下が左右の壁や天井を蹴って、立体的な波状攻撃を仕掛ける。死角からの斬撃、毒を塗った暗器の投擲。
しかし、その死の嵐の中に老紳士は影のように滑り込んだ。
ウィンストンの姿がブレる。
最高密度の身体強化による超高速移動。
彼は飛びかかってきた敵の刃を素手で――魔力で硬化させた指先で弾き、すれ違いざまに喉元へナイフを滑らせた。
ドサッ。
鮮血が舞う中、男が崩れ落ちる。
ウィンストンは止まらない。次の敵の懐へ入り込み、心臓へ掌底を打ち込む。魔力を浸透させる「浸透勁」のような一撃が、心臓を破裂させた。
「ば、馬鹿な……!」
ファングは戦慄した。
自分の部下たちは、帝国でも選りすぐりの精鋭だ。それが、たった二人の男に、手も足も出ずに蹂躙されている。
(こいつらは何だ!?騎士か?いや、この洗練された暴力は……同業者か!?)
部下たちが全滅するのは時間の問題だ。ここで足止めを食らえば、自分も殺される。
「ファング!ここは我々が!早く貨物室へ!」
最後の部下が、サイラスの足に組み付いて時間を稼ごうとする。
「ぐっ……おのれぇッ!!」
ファングは部下を見捨て、霧に紛れて包囲網を抜け出した。
背後で、最後の部下がサイラスによって首をへし折られる音が聞こえる。
彼は息を切らせ、這うようにして貨物室へと飛び込んだ。
「はぁ、はぁ……!」
重厚な扉を閉め、震える手でロックを掛ける。これで少しは時間が稼げるはずだ。
だが、振り返った彼が見たのは、絶望的な光景だった。
「あ……ああ……」
部屋の中央に鎮座する2つの動力炉。その魔力光は消え失せ、完全に沈黙している。制御盤は破壊され、魔力回路はドロドロに焼き切れていた。
そして床には、配置していた警備兵たちが転がっている。全員すでに事切れていた。
「終わった……」
部下は全滅。兵器は破壊された。あの化け物のような二人が、この扉を破って入ってくるのも時間の問題だ。
彼の組織では任務の失敗、それは処刑を意味する。
彼の心にどす黒い狂気が満ちていく。
「誰だ……誰がこんなことを……イグニスの騎士か? いや、奴らにこんな真似ができるはずがない……」
だが、敵の正体などもうどうでもよかった。
「……許さん。ただでは……終わらせんぞ」
ファングの瞳から理性の光が消えた。
「証拠も、貴様らも……この列車ごと消し去ってやる」
彼は狂ったように笑いながら、貨物室の奥にある緊急メンテナンスハッチを蹴り開けた。列車の屋根への梯子に手をかける。
「列車を暴走させてやる!全員道連れだ!」
強風吹き荒れる屋根の上へ、ファングは身を躍らせた。




