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第7話 不器用な二人と、再始動のアンサー

 翌日の午後。

 俺は再びあのボロい雑居ビルの前に立っていた。

 古びたインターフォンに手を伸ばすが、その指は押す直前で何度も空を切る。


(…はぁ、なんて言えばいいんだろ…)


 俺が悩んでいるのは、事務所に入るための口実ではない。

 昨日のPCトラブル解決後、黒木から届いたLINEメッセージ。あれから一晩気の利いた返信を考え続けたが、結局送信ボタンを押す勇気が出なかった。


(既読スルーしてしまった形だが今さら返信するのも変だし…いや、でも返さない方が失礼か…? ああ、もう分からん…!)


 思考の袋小路に陥る情けなさに嫌気が差した俺は覚悟を決め、指先に力を込めたその瞬間だった。


 ガヂャリ。

 相変わらず開きづらそうなドア音を響かせ、昨日ぶりとなる彼女――黒木と、ばったり鉢合わせになる。その手には事務所で出たゴミらしき、空になったペットボトルが数本入ったゴミ袋が握られていた。


「あっ…」

「す、須藤さん!?」


 彼女は俺の姿を見るなり険しい表情になる。やはり怒っているのか。ならば叱られる前に謝ろうと口を開きかけたが、それよりも黒木の行動の方が早かった。


「あ、あのっ! 昨日は、本当にすみませんでしたっ!」

「え…?」


 ゴミ袋を提げたまま、こちらにむけて深々と頭を下げる彼女。途端に俺の頭がパニックになる。


「な、何が…?」

「メッセージの返信がなかったので…きっと、私が馴れ馴れしくしすぎて怒らせてしまったんだと…! 本当にごめんなさい…!」

「うえぇっ!!?」


 涙目で必死に謝る彼女の姿に、俺は素っ頓狂な声を上げた。持ち前のコミュ障が原因で、彼女にとんでもなく余計な心配をさせてしまっていたらしい。なんてカス野郎なんだ、俺は。


「い、いや、違う! 違うんだ、黒木さん! 俺の方が…なんて返信したらいいか分からなくて、その…!」

「えっ…?」

「とにかく、怒ってないから…むしろ、俺の方こそ、返信できなくて…ご、ごめん…」

「あわわっ、わ、私の方こそとんだ迷惑(スパム)メールを…っ!」


 お互いに、しどろもどろになりながら謝罪を交わし合う。その奇妙な光景を事務所の奥から見ていた人物がいた。


「おお、須藤くんじゃないか! そんなところで立ち話もなんだし、中へ入りなよ」

「あ、はい…」


 青海社長の陽気な声に促されるまま、俺は事務所の中に通された。黒木はぺこりと頭を下げるとゴミ捨て場らしき方面へ向かっていく。


(…嫌われたわけじゃなかったのか、良かった…)


 遠ざかっていく小さな背中に安堵の溜息を吐いてから、俺は早くも定位置になりかけているガムテープで補強された椅子に座った。


「悪いね、こんなものしか無いんだけど」

「いえ…お気遣いなく」


 出されたインスタントの麦茶に一口だけ口をつける。


「それにしても須藤くんって変わっているね。今日もそんな堅苦しい格好をしてきて、大変じゃないかい?」

「あっ…その、これは…」


 社長の指摘通り、俺は今日もリクルートスーツを着て来ている。私服のセンスが壊滅的という理由もあるのだが、これには別の意味がある。


 俺は意を決して椅子から立ち上がると、社長に向けて姿勢を正した。


「…社長。単刀直入にお願いします」

「ん? なんだい、改まって」

「どうかこの俺を、この事務所で雇ってはもらえないでしょうか」


 面接用に習得した45度のお辞儀とともに発した俺の言葉に、社長が息を呑むのが分かった。俺は顔を上げずに続ける。


「…もちろん、すぐには無理だと分かっています。ですから、まずは正式な採用試験を受けさせてください。俺がこの事務所の戦力になれるかどうか、あなたのその目で厳しく判断していただきたいんです」


 俺が求めているのは、同情やその場のノリでの採用ではない。自分の技術と分析能力がこの事務所にとって本当に価値があるのか。それを正当に評価してもらいたかった。


 しばしの沈黙の後、聞こえてきたのは社長の軽快な笑い声だった。


「――はっはっはっは! 採用試験だと!? 君は本当に面白いことを言うなぁ!」


 予想外の反応に顔を上げると、そこには腹を押さえて笑う社長の姿がある。


(な、何が面白いんだ…? 俺は至って真面目なんだが…)


 俺が困惑している様がさらに可笑しいのか、社長は笑いながらぽんと俺の肩を力強く叩いた。


「須藤くん。採用試験ならもうとっくに終わっているよ」

「え…?」

「昨日のあの絶望的なPCトラブルを文句一つ言わずに解決してくれた、君の『技術力』。そして私たちのために再びこの場所へ自らの意志で足を運んでくれた、君の『誠実さ』」


 社長は、俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。


「私が見たいものは、もう全て見せてもらった。――よって、採用試験の結果は文句なしの『合格』だ!」


 そのあまりにも温かい言葉に、俺は何も言い返すことができなかった。

 ブラック企業で失い、有名配信者に踏みにじられた俺の「価値」。

 それを、目の前のこの人はいとも容易く拾い上げてくれた。


「…ですが、俺は…」

「それだけじゃない」


 俺が何かを言いかけるのを、社長は優しい声で遮った。


「何よりうちの大事な(タレント)が『この人しかいない』と、目を輝かせて連れてきた人材なんだ。それを社長である私が信じないわけないだろう?」

「そーですよっ!!」

「――うわっ!!!?」


 突然、背後から黒木の元気な声が飛び込んできて、俺は仰け反りそうになる。振り返るとそこに居た彼女の瞳は、先ほどまで不安げに揺れていたものとは違っていた。

 キラキラと輝く自信に満ち溢れ、どこか挑戦的ですらある強い光。それは俺が昨日画面越しに見たVtuber『黒木カナタ』の瞳、そのものだった。


「黒木…さん…?」

「そーですよっ! 社長の言う通り、須藤さんは私が見つけたんですからっ! 須藤さんの実力は私が一番分かってます!」


 彼女は、まるで配信中のように身振り手振りを交えながら快活に笑う。

 さっきまでゴミ袋を片手におどおどと俺に謝っていた人物と、本当に同一人物なのだろうか。


「だから採用試験なんていりません! 私が社長に保証します! ねっ、社長!」

「ははは、その通りだ。黒木君がそこまで言うのならもう何も言うことはないな」


 社長は、どこからか一枚の書類を取り出すと「これが我々の出せる精一杯の誠意だ」と、俺の前に差し出した。


 そこに書かれていたのは、『業務委託契約書』という文字。つらつらと書かれた契約内容の中の「役職」という欄に、俺の視線は吸い寄せられた。


「プロダクション…マネージャー…?」


 俺がその文字列に若干引いていると、社長が俺の心を見透かしたようにニヤリと笑った。


「ははは、まあ大げさに書いちゃいるがね。要はそこにいる黒木くんの配信サポートが君の主な仕事だよ。機材のことから企画の相談まで、何でも屋みたいなものだと思ってくれていい」


 社長が信頼した眼差しで視線を送ると、黒木は自信満々の表情で胸を張りながら親指をぐっと向ける。


「平たくいえば君は今日から『黒木カナタ』のマネージャーというわけだ。ただし、業務内容に対して十分な報酬を払えるかといえば、正直厳しい。事務所がこんな状態でなければ私も――」

「……いいえ」


 珍しく、俺は他人の言葉を遮った。

 無言でペンを取り、契約書のサイン欄に自分の名前を書き込んでいく。

 カリカリ、とペン先が紙を擦る音だけが静かな事務所に響いた。


 二人が無言で俺の署名(シグネチャ)を見つめる中、俺はポツリと呟く。


「十分ですよ。だって俺には…ここが一番合ってますから」


 須藤 ナオシ。

 半年間、社会のどこにも存在しなかった俺の名前。

 そのインクが乾いた瞬間、俺の中で何かが明確に切り替わる音がした。


「――未熟者ですが、よろしくお願いします」

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