第5話 沈黙のアバターと、数年ぶりの『ありがとう』
俺は改めて、心配そうにこちらを見ている社長に向き直った。
「アバターが映らない、というのは…具体的にどういう状況なんですか?」
「うむ、昨日いつものように黒木くんが配信ソフトを立ち上げたら、アバターを映すアプリが上手く動かなくてね」
社長の説明に拠れば、普段黒木の配信で使用している2Dモデルデータが表示できなくなっているらしい。隣で聞いていた黒木が、悔しそうに俯きながら補足する。
「…それで私、PCがダメならスマホだけでも何とかならないかなって…。公園で、こっそりテストしてたんです…。でも、やっぱり全然ダメで…」
(ああ、あの時の独り言はそういうことだったのか…)
なるほどと、俺は一人合点した。公園で見た彼女の奇行は、この絶望的なトラブルが原因だったらしい。一人で何とかしようと必死にもがいていたのか。
社長はそんな彼女に申し訳なさを感じているのか、困り果てたように続けた。
「情けないことに私もPC周りは素人に毛が生えた程度でね。一応アプリのメーカーに問い合わせても見たんだが、未だ正式な回答がない。次回の定期配信の予定も、もう明日に迫っている。このままでは…」
「…分かりました」
これ以上二人のつらそうな顔が見ていられなくなった俺はそう呟くと、ガムテープで補強された椅子に腰を下ろした。
(…感傷に浸るのは後だ。頼られた以上、今はエンジニアとしてやるべきことをやらないと…)
まずは目の前にある、かなり年季の入ったデスクトップPCから調べていく。
ファンの異音からして、内部には相当な埃が溜まっているだろう。物理的な故障も疑うべきだが、社長は「昨日から急に」と言っていた。となれば中身の確認も重要だ。
(一番有り得そうな事案としてはPCのスペック不足だが…)
俺は手早くタスクマネージャーとシステム情報を呼び出し、画面に表示されたスペックの羅列を一瞥する。
(…CPUは3年前のハイエンド。GPUも今では型落ちだが、当時は最上位だったモデルか…)
意外な発見だった。外見のボロさとは裏腹にこのPC、組まれた当時は相当な金額がかかったはずだ。社長の並々ならぬ気合いが感じられる。
(…メモリも十分。つまり、これだけの単純スペックがあれば、2Dのアバターを動かす程度なら全く問題ない。むしろオーバースペックなくらいだ)
PC本体のスペック不足という可能性は消えた。
ならば、次なる原因はソフトウェア側だ。
(だとすれば、次に疑うべきは…配信関係のアプリによる競合不良か)
「…黒木さん」
「は、はい!」
俺が不意に声をかけると、彼女は緊張した面持ちで背筋を伸ばした。
「普段、配信を始める時…どのソフトをどういう順番で起動してますか?」
「え、えぇと…まず、このネコちゃんマークの『V-Motion Tracker』を立ち上げて、次にこのカメラマークの『O-Live Broadcaster』を…」
彼女のたどたどしい説明を聞きながら、俺はデスクトップに散乱するアイコンと、彼女の言葉を頭の中で繋ぎ合わせていく。
(…なるほど。配信ソフトは『O-Live Broadcaster』か。これは俺もよく動画作成で使っているフリーソフトだ。だが、こっちの『V-Motion Tracker』? 動きのトラッキングに使うソフトらしいが、聞いたことがないな…)
どうやら、この未知のソフトがアバターとやらを動かすための肝らしい。俺はまず、見慣れたOLBのログファイルから確認を始めた。エラーログを丹念に追っていくと、一つの奇妙な記述にたどり着く。
(…OLB側は、VMTからのデータ受信に備えているのに肝心のデータが送られてきていない…? ということは問題はOLB側じゃない。このVMTとかいうソフトか、あるいはその間を繋ぐ何かか…)
手探りの状態で、俺は初めて見るVMTの設定画面を開く。その複雑怪奇なパラメータの羅列に一瞬だけ面食らうが、長年のエンジニアとしての経験が構造を冷静に分析させていた。
(…待てよ、社長はたしか「昨日から」アバターを映すアプリが動かないって言ってたよな…?)
設定変更のログを見ると、数日前にいくつかの連携アプリがインストールされていることに気付いた。となると考えられるのは……。
俺はなるべく優しめの声で黒木に話しかける。
「えぇと…黒木さん、一昨日か昨日くらいに何か新しいソフトを入れましたか? 普段使わないような、例えばアバターにエフェクトをかけたりする…」
「あっ! はい! 配信中に桜の花びらを舞わせたら可愛いかなって…!」
テンション高めに説明してくれる黒木だったが、ハッと我に返るとみるみる表情が沈んでいく。
「はうぅ…もしかしなくても私のせい、ですか…?」
「い、いや! まだこれが原因と判明した訳じゃないので…」
どうにかフォローしようとする俺だが、試しにエフェクトを管理しているプラグイン名でエラーログ内を検索すると、それらしき箇所を見つけてしまった。
(…ビンゴ、か)
ログ内容を意訳すると『描画処理の初期化処理中に桜吹雪プラグインがエラー落ち。結果、本体モデルデータのロードに失敗』。…要するに、こういうことだ。
「どうやら、その桜吹雪プラグインがアバターを描画する処理に無理やり割り込んだせいで、本体のモデルデータを読み込む機能がクラッシュしてるみたいですね」
「く、くらっしゅ…!?」
ビクリ、と黒木が肩を跳ねさせて驚く。もしかしなくても頭の中ではパソコンが爆発したイメージが描かれているのだろう。
「ま、まあ、簡単に言えば、桜吹雪が『俺が主役だ!』ってステージに割り込んできたせいで、本来の主役である黒木さんのアバターが…その、ステージの外に弾き出されちゃった、みたいな感じです」
俺の下手くそな例えに彼女は「な、なるほど…?」と、分かったような分からないような顔をしている。己の言語化能力の低さに悲しくなるが、それはそうと原因さえ分かれば、対策は容易い。
「ですので…このプラグインはもう使えません。アンインストールしますね」
「あ…はい…」
シュンとうなだれる彼女を横目に、俺は問題のプラグインをPCから完全に削除する。きっと黒木の中では華やかな演出で視聴者を楽しませる予定だったのだろう。少し可哀想ではあるが、こればかりは仕方ない。
「…はい。これで、たぶん動くはずです」
俺が設定を保存し、配信ソフトを再起動させた、その瞬間。
今までうんともすんとも言わなかったモニターに、生き生きと動く黒猫モチーフの少女が完璧な姿で表示された。
「あ…!」
黒木が驚いて息を呑むと、画面の中の少女の胸も小さく上下した。
まるで魔法を見ているかのように、黒木と社長は、その光景に言葉を失っていた。
――それは、俺も同じだった。
モニターの中で、艶やかな黒髪とぴょこぴょこと動く猫耳を持つ少女が驚いたように大きな瞳をぱちくりさせている。
現実の黒木が「あっ」と小さく口を開けば、画面の中の少女も全く同じように口を開く。彼女が感動のあまり身じろぎすると、滑らかな黒髪がふわりと揺れ、衣装のフリルが繊細に動いた。
(…これが、Vtuber…?)
呼吸を忘れて画面に見入る。そこに映っているのは、ただの「動く絵」じゃない。
人間の表情や動きをリアルタイムで読み取り、2Dのキャラクターに寸分の狂いもなく反映させる、恐ろしく高度なトラッキング技術。
そして、その技術に応えるだけの膨大なパーツ分けと精密なモデリングが施された、超高クオリティのアバターデータ。
(…すごいな。こんな技術が、もうここまで一般化していたのか…)
大学を卒業してからずっと、ブラック企業でひたすらシステムと向き合うだけの俺には、世の中の流行りになんて目を向ける余裕もなかった。俺が失われた6年間を捧げている間に、世界はとんでもない進化を遂げていたらしい。
俺はただ、その未知の技術と、それを完璧に乗りこなす『作品』の持つ力に、しばし圧倒されていた。
ハッと我に返ると、目の前にはキラキラした目でこちらを見つめる現実の黒木と、感動した顔の社長。
半年ぶりにまともに他人と対面しているこの異常な状況に、俺のコミュ障センサーがけたたましく警報を鳴らし始めた。
(やばい、なんかすごい感謝の視線を向けられてる…! 気まずい…! 早く帰りたい…!)
俺が居心地の悪さから視線を泳がせていると、黒木が目にうっすらと涙を浮かべつつ、満面の笑みで俺に向かって深々と、本当に深々と頭を下げた。
「…ありがとうございますっ! 本当にありがとうございますっ…!」
弾むような、心の底からの喜びが伝わってくる声。
俺が「いえ…」と返そうとするよりも早く彼女は顔を上げ、さらに言葉を続けた。その瞳には俺だけではなく、画面の向こうに居るであろうファンの顔まで映っている。
「――これでやっと、待っててくれるファンのみんなとの約束を守れます…!」
泣き出しそうなのを堪えている、震える声で絞り出されたプロとしての言葉。
有名配信者に成果をタダ乗りされ、誰からも評価されなかった俺の乾いた心に、その言葉は数年ぶりに染み渡る『本当の報酬』のように感じられた。
「素晴らしい仕事ぶりだよ、須藤くん…!」
社長も心から感動した様子で、俺の手を両手で固く握りしめた。
「君はまさにこの事務所の救世主だ! …そうだ、何かお礼をしなくては。食事でもどうだ? いや、しかし今日の所持金ではあまり良い店には…」
社長が本気で財布の中身を心配し始めたのを見て、俺は慌てて首を横に振った。
「い、いえ! そんな、お礼なんて…! 別に、大したことはしてないので…!」
そうだ、俺は別に専門家でもなければアドバイザーでもない。ただ言われるがままにPCを見て、たまたまトラブルが解決出来ただけだ。他の人に頼んでいれば黒木が断念したプラグインだって上手く動かせたかもしれない。
それでも、半年ぶりに浴びる純粋な感謝の言葉は、俺のコミュ障な心を飽和させるには十分すぎる威力だった。
「…俺はただ、その…」
チラリと黒木の方を見た。出会ったばかりの彼女の前でこういう事を言うのは、カッコつけるだけでダサいのかもしれない。最低限の挨拶だけしてこの場を去るのが大人の対応だろう。
それでも心の内から湧き上がってくる高揚感に、俺はつい不慣れな言葉を吐いてしまった。
「…困ってる人を助けたかっただけ、です…」
言った途端、周りの空気がさらに変になるのを感じ取った俺はますます居心地が悪くなり、そそくさと立ち上がった。
「…じゃあ、俺はこれで」
「あっ! ま、待ってください、須藤さんっ!」
俺が逃げ出そうとするのを、黒木が慌てて事務所のドアの前に立ちはだかり、制止する。その姿はつい先程までの明るい配信者のような態度はなく、どこか必死さを感じさせる雰囲気があった。
(…な、なんだ…? 俺の言葉がキモすぎて警察呼ばれる流れか…?)
やけにどもった声。落ち着きなく彷徨う視線。なぜか、さっきまでとは別人のように、やけに挙動不審に見えた。
「あ、あのっ! その…! 今日のお礼、まだ何も言えてなくて…!」
「いえ、別にいいんで…」
「よくないですっ! …それに、その…PCのことも、まだ分からないことがあったら、どうしよう、とか…!」
しどろもどろになりながら、必死に俺を引き留めるための口実を探しているのが、同じ陰キャ属性の同士として分かる。健気なその姿に、俺は少しだけ絆されそうになる。
「…大丈夫ですよ。何かあったら、また連絡でも…」
言いながらしまったと、内心で舌打ちする。
「連絡」などと言ってしまったら次にどうやって連絡を取るのか、という話になるに決まっている。墓穴もいいところだ。
案の定、俺の言葉に、彼女は「れ、連絡…」と呟いたまま、どうしていいか分からずに固まってしまった。俺も俺で、自分から連絡先交換したいなどとは言えず、お互い気まずい沈黙が流れる。
そんな俺たち二人を見かねてか、やれやれといった表情で口を挟んだのは青海社長だった。
「ははは、黒木くん、良かったじゃないか。…それなら、お言葉に甘えて連絡先を交換させてもらったらどうだ?」
「えっ…」
「なに、単なる業務連絡用だ。『あくまでビジネスとして』、そうだね、須藤くん?」
社長の言葉が助け舟と感じた俺は慌てて頷いた。
「あ、はい。そ、そうですね。何か不具合が起きた時の、緊急連絡用、ということであれば…」
「…! は、はい! 緊急連絡用ならぜひ、お願いします!」
「ビジネス」という大義名分を得た俺と彼女は安心したように顔を上げ、慌てて自分のスマホを取り出した。
――結局、俺は彼女と連絡先を交換し、「何かあったら、また相談に乗る」という曖昧な約束だけを交わして、事務所を後にした。
帰り道。
俺は、半年ぶりに感じた「誰かの役に立つ喜び」と、胸の奥に残る温かい何かを噛み締めながら、夜の街をゆっくりと歩いていた。
スマホの通知欄には彼女から早速届いた『今日は本当にありがとうございました!【猫が頭を下げているスタンプ】』というメッセージが表示されている。
(…さて、どうしたものか)
あの貧乏事務所と人が良すぎる社長と少しだけ変わった、そしてどこか健気で変な女の子。
もう関わるべきではない。そう頭では分かっている。
だが俺の心は、久しぶりに灯った小さな火の熱を確かに覚えていた。
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