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第40話 解かれた呪縛と、未来へのリスタート

 店員に通された店内は外観の隠れ家的な雰囲気とは裏腹に、和風モダンのような空間が広がっていた。俺は緊張と不安で強張っているらくなと寄り添うようにしながら、高級店の通路をおっかなびっくり歩んでいく。


「部屋は二つ取ってある。Sudoサンと――そっちの狂犬ちゃんはこっちだ」


 先導していたテンマが振り返ると、ぶっきらぼうに親指で手前の個室を指した。その時、ふと違和感を覚えて周りを見渡す。


「……あれ?」


 そこに黒木の姿はない。確か店の入口付近で虚天月の誰か――ここに居ないのであればアイリスの中の人だろうが――と、何やら深刻そうな顔で話していたことを思い出す。


「……あの、うちの事務所の仲間がまだ……」

「心配しなくて平気だよー。あの二人は、積もる話があるんだってさ」


 ルナが平然と答えながら、俺の横を通り過ぎていく。

 自分と兄の荷物を空席にドサリと置くと、彼女は手荒れた様子でメニュー表を開いて迷わず一番高いページを指差す。


「ねぇねぇお兄ちゃん、たまにはスペシャルコース頼んでもいいよね?」

「……チッ、贅沢な舌しやがって。まあいい、今日は祝勝会だ。そっちも遠慮せず好きなもん頼んでいいからな」


 気遣いを感じるテンマの声を聞きつつも、俺はつい扉の向こう側へ視線を向けてしまう。


(…積もる話、ということは二人は過去に何かあったのか?)


 先程一瞬だけ見えた黒木の横顔には、懐かしさと同時に強張った感じもあった。さながら面と向かって話すのを怖がっているような…そんな相手と二人っきりにしても大丈夫なのだろうか。もし中でトラブルでも起きたら――。


「おいおい、そんな怖い顔すんなって」


 俺の顔に浮かんでいた隠しきれない不安を読み取ったのか、テンマの口から呆れたような声が出る。


「…す、すみません。一応、マネージャーでもあるので…余計な心配を……」

「過保護だな。…ま、気持ちは分からんでもないが」


 テンマはニッと口角を少しだけ上げると、こちらを安心させるような強い口調で言い放す。


「心配しなくて大丈夫だ。絶対に、悪いようにはならねぇから」

「え……?」

「アイリスのヤツ、口数も少なくて目付きも怖いが、誰よりも仲間思いだ。同じ『虚天月』の仲間として、リーダーとして保証する。アイツに悪巧みなんて天地がひっくり返ったって出来ねぇよ」


 サングラスを胸ポケットに仕舞いながら、テンマは妹が広げたメニュー表に目を落としていく。それは仲間を信頼しているが故の不干渉だった。ともすれば自分よりも年下の相手なのに、不思議と大人びて見える。


(…そっか、心配するだけが仲間じゃないよな)


 俺だって黒木を信頼している。そう思うと胸の内に溜まっていた実態の無い不安感が薄れていく気がした。

 気を取り直して何か注文しようと隣を見ると、らくなが向かいに座るテンマの顔を穴が開くほど凝視していたことに気付く。


「……じーーーっ」

「……ん? なんだ、俺の顔に何かついてるか?」


 その熱視線に、さすがのテンマも不可思議そうな声を出す。するとらくなは純粋な瞳で、禁断の質問を投げかけた。


「……ほんとに、兄妹……?」

「…ぶっ!?」


 俺は思わず、飲みかけのお茶を吹き出した。仮にそれが嘘だったとしても、本人を眼の前にして改めて聞き直すのはデリカシーに欠けていると言わざるを得ない。いや、俺が言えた義理でもないが。


「あ? そりゃそうだろ。顔とか似てねえか?」

「……似てない。……雰囲気も、恋人みたい……」

「いやいや、正真正銘、血の繋がった兄妹だっての。なぁルナ?」

「うん。残念ながらねー」


 本人が断言し、妹も嫌そうな顔で肯定する。なのにそれでも食い下がろうとするファンが一名。らくなの『てんるな』に対する気持ちは、いつの間にやら重々しく膨らんでいたらしい。


「……そっか」


 何故か残念そうに溜息を吐き出すらくな。

 しかし次の瞬間、彼女の瞳が怪しく光った。


「……じゃあ、禁断の、恋……?」

「ぶふっ!?」


 今度はテンマの方が飲んでいたお茶を盛大に吹き出した。


「……実の兄妹なのに……あんなに、ラブラブ……」

「ち、違うっ! あれは配信上の演出でだな……!」


 身振り手振りを交えて否定するテンマだが、それでもらくなの暴走は止まらない。彼女は真剣そのものの眼差しで、さらに身を乗り出して聞き出そうとする。


「……隠さなくて、いい……。……どこまで、進んだの……? ……ちゅー、とか…した……?」

「するわけあるかぁぁぁぁッ!!」


 個室に響き渡るテンマの絶叫。

 顔を真っ赤にして否定する兄の姿を、妹のルナは冷笑気味に鼻で笑った。


「らくなちゃん、夢見すぎ。現実はこんなもんよ? お兄ちゃん、家だとパンツ一丁でスルメかじってるただのおっさんだしー」

「おいルナ、営業妨害だぞ。王子様のイメージを守れ」

「あーうるさい。早く肉焼いてよ、お腹空いたんだからー」


 ルナに顎で使われ、渋々トングを握るテンマ。

 尊い兄妹愛…というよりも、どこか所帯じみた光景を見て、らくなはガーンとショックを受けた顔をした。


「……これが、てんるな……現実は、非情……」

「あはは、ごめんね夢壊しちゃってー、ほらお肉食べなー」

「……じゅるり……」


 (てい)よく餌付けされているらくなと、漫才のような兄妹喧嘩を繰り広げるトップVtuberたち。

 俺はその光景に苦笑しながら、場の空気が完全に緩んだのを感じた。


(…そうだな。折角の機会だし、俺も楽しまないと)


「さて、と。ここからは無礼講だ。とことん語り合おうぜ、あの大会の事をな」

「…えぇ、望むところです」


 麦茶の入ったグラスをカチリと鳴らし、熱い宴が始まった。


 ◇


 一方、もう一つの個室にて。


 隣の部屋から時折漏れる歓談の声がまるで別世界の出来事のように、こちらの部屋は洗練された静寂に包まれていた。無煙ロースターのわずかな吸気音だけが、止まらぬ時の流れを示している。


 向かいの席に座る女性――ヴォイドレッド・アイリスこと、かつての『白金サキ』は、慣れた手つきでトングを手に取ると、上タン塩を網に乗せ始めた。


 その無駄のない所作。焼き加減を見極める真剣な眼差し。

 それは、記憶の中にある彼女そのものだった。


「食べなさいよ。焦げるわよ」

「あ、は、はい……いただきます」


 促されるまま、小皿に取り分けられた肉を口に運ぶ。とんでもなく美味しいはずなのに、喉を通る感覚がない。


 沈黙が痛い。何を話せばいいのか分からない。

 そんな私の心中を見透かしたように、サキちゃんがぽつりと口を開いた。


「悪かったわね。強引に連れ込んで」

「う、ううん! 全然! 私の方こそ、また会えるなんて思ってなかったから……」

「そうね。私もよ」


 彼女は自嘲気味に笑うと、静かに切り出した。


「……聞きたいこと、山ほどあるでしょ? 私がなんで、あの時何も言わずに消えたのか、とか」


 ドキリ、と心臓が跳ねる。

 それは、私がずっと胸の奥に仕舞い込んでいた棘のような疑問。


「……限界だったのよ。あの場所が」


 ポツリ、と吐き出すようにサキちゃんが語り始める。

 かつてのStarlight-VERSE、その当時の有り様を。


 私たちが所属していた一期生は、4人組のユニットだった。

 絶対的センターの『姫宮ユメ』。実力派の『白金サキ』。歌姫の『蒼井ルリ』。そして、一番地味で目立たない私――『黒木カナタ』。


 所属時期は同期でも、そこには暗黙の上下関係があった。けれど私はそれを不公平だとは思わなかったし、むしろ半分憧れを抱いて接していた。いつかは他の三人に追いついて、キラキラのステージに並び立つんだって。でも……。


「――覚えてるわよね、姫宮ユメの事」

「……っ」


 その名前をサキちゃんの口から聞いた途端、思わず肩が震えた。あらゆる意味で常に中心に居た人、注目という意味でも、渦中という意味でも。


「……ユメの暴走は、異常だった。自分が一番じゃなきゃ気が済まない。少しでも目立つメンバーがいれば徹底的に潰しにかかる。……ルリが心を病んで辞めたのも、あの子のせいよ」


 脳裏に、ピンク色のウサギのアバターが浮かぶ。

 天真爛漫な笑顔の裏にあった、底なしの承認欲求と支配欲。


 けれど私はまだ良かった。だって、目立たなかったから。

 争いはいつも私以外の三人の中で起こっていた。


「だから、逃げたの。自分の身を守るために、あんたたちを泥船に残して……」


 サキちゃんの声が震える。


「当時のあんたは一番後輩で、一番立場が弱かった。私には、あんたまで連れて逃げる余裕も、守る力もなかった。……ごめんね。一人にして」


 深く、頭を下げる彼女。

 その肩は、ずっと抱えてきた罪悪感で小さく見えた。


(…それは、違うよ)


 言わなければいけない。

 伝えなければいけない。


 私は、席を立って彼女の隣に移動した。

 そして、昔よくやってもらったように、その背中を優しくさする。


「……ううん。謝らないで、サキちゃん」

「でも……」

「サキちゃんが元気でいてくれて、よかった。だって、こんなに素敵な場所で、また会えたんだもん」


 私は、精一杯の笑顔で伝える。


「それにね、私……ちっとも不幸じゃないよ? だって今は、頼れるマネージャーと、可愛い後輩がいるんだから!」


 ナオシさんの真剣な顔。らくなちゃんのはにかんだ笑顔。

 それが今の私の、大切な宝物だから。


「けど一つだけ訂正して欲しいな。私たちの事務所はいつだって泥船なんかじゃないよ。…ボロボロではあるけど、それでも今はとっても賑やかで、温かい船になったんだよ!」


 私の言葉に、サキちゃんは顔を上げ、涙ぐんだ目で私を見た。


「……そう、そうよね。ごめんなさい」


 ぎゅっと互いの手を握り合う。変わったのは多分、私だけじゃない。昔の凛としていたサキちゃんも好きだけど、今の『アイリス』としての彼女も大好きだから。


「いい顔になったわね、カナタ」


 溢れそうな涙を指で拭いつつ、サキちゃんは微笑む。


「あの頃のあどけない顔も好きだったけど……今の顔の方が、ずっと素敵よ」

「えへへ……それほどでも!」

「ふふっ、調子に乗らないの」


 そっと差し出されたグラスに、私のグラスも自然と重なる。

 カランと氷が揺れる音が鳴り、それに合わせてわだかまりも氷解していく。


「……よかった。あんたが一人ぼっちじゃなくて、本当によかった」

「私も同じ気持ちだよ。もうVtuber辞めちゃったのかと思ってたから…」

「そう簡単に諦められる訳ないじゃない。まだまだこの業界には知らないことが沢山あるんだから」


 サキちゃんがグラスを置き、どこか楽しげに呟いた、その時だった。


 ガララッ――。

 隣の個室の襖が勢いよく開く。


「なぁSudoサン、アンタのその理論…今度ウチの配信でも語ってくれよ」

「い、いや…いきなりシャイニーさんとの直接コラボは恐れ多いと言いますか…、ってらくなさん? だ、大丈夫ですか!?」

「……うぅ……お肉、美味しい……、苦しい……」

「あははー! らくなちゃんお腹ぽっこり出てるよー」


 底抜けに明るい笑い声が響く。


 テンマくんと肩を組みながら出てきたナオシさんと、ルナちゃんに支えられている満腹のらくなちゃん。


 その光景を見た瞬間、私の中にあった僅かな不安の残り滓さえも、すっと霧散して消えた。


「…あんたの言ってた通り、賑やかで素敵な船ね」


 サキちゃんもその光景を見て、ふっと息を吐いた。


「杞憂だったみたい。今のあんたには、『居場所』があるんだし」

「それは…アイリスちゃんだって同じでしょ?」


 私は少し意地悪く笑いながら、四人の方を指差す。

 配信上では見せない人間味のある兄妹が、わざわざ私たちを二人だけの部屋にしてくれたのには、きっと深い信頼の絆があるんだよと。


「…まぁ、退屈はしないわね。たまにわざとらしすぎてイラっとはするけれど」

「にゃはは! アイリスちゃんも混ざっちゃえばいいのにー」

「……絶対嫌よ」


 ぷいっとそっぽを向くサキちゃん…ではなく、アイリスちゃんの横顔には見覚えのない照れが浮かんでいた。


 ◇


 宴が終わった帰り道。

 吹き抜ける夜風が俺の火照った頬に心地よい刺激を与えてくれる。


「…ふぅ、ちょっと食べすぎましたね、らくなさん」

「……ナオさんの焼き方が上手いのが、悪い……」

「俺のせいですか!?」


 膨らんだ腹に手を当てながら、ふと反対側に居る仲間を見た。

 あの後、別室から出てきた彼女は何だか妙に安らかな顔をしていて、その感傷(エモーショナル)を邪魔しないようにと、敢えて声を掛けなかった。


「……」


 黒木は、無言で夜空を見上げている。

 俺もそれに倣って空を見上げた。


 都会の空には星は見えないけれど、彼女の目には確かに輝く星が見えている気がした。


「……ナオシさん」

「…っ、はい?」


 不意に話しかけられ、つい驚いたような声が出てしまう。

 だけど黒木は気にする様子もなく、にんまりと口端を曲げて笑った。


「これから、もっともっと忙しくなりますよ? 覚悟してくださいね!」

「うおっと!?」

 

 パン、と乾いた音が背中で鳴る。

 まるで喝を入れる時のような平手の衝撃が走るが、いつものような強さはなく、どこか優しさすら感じられた。


「…えぇ、どこまでお供しますよ」

「それはマネージャーとして、ですか?」


 ずいっと横から覗き込むように、黒木が上半身を傾かせてくる。薄暗がりに居るせいか、表情はやや見えない。


「え? えぇ…まぁ、そうですけど…」

「ふーん、へぇー、そうですかー…」


 何か言いたげな言葉を残し、黒木は軽やかな足取りで一歩前を行く。

 その背中を追いかけようとした時、今度は反対側の袖をくいっと引かれた。


「……あたしは、ナオさんがいい」


 見下ろすと、らくなが真剣な瞳で俺を見上げている。


「……マネージャーじゃなくて……ナオさんが、いい」

「……あ、ありがとうございます」


 直球すぎる言葉にどうしていいか分からず、俺は頬を掻く。すると先を歩いていたはずの黒木がくるりとターンして、空いている方の腕を強引に引き寄せた。


「…なっ!? く、黒木さん!?」

「もー! 二人してイチャイチャしやがってー! このー! Starlight-VERSEは恋愛禁止ですよー!」

「……そんなの、契約書には…書いてなかったし……」


 黒木の抗議を、らくなはぼそりと小さな声で論破する。

 両側から女の子に挟まれ、俺の理性は沸騰しそうだ。


(…な、なんだこれは…。夢か? それとも死亡フラグか? 絶対この後とんでもない揺り戻しが来て俺の人生が無茶苦茶になるに決まってるっ!!)


 長く非モテ生活を続けてきた男の悲痛な叫びに天が応えたのか、ビルの隙間からキラリと輝く星が見えた。それは正に、宵の空に輝く星。後は真面目で一生懸命な黒猫でも通ればいいが、現実はそこまでご都合主義じゃない。


(…いや、いいんだ。それくらいが俺の人生にはちょうどいい)


 思えば再生数92の動画から始まった、人生の再起動(リブート)

 まだまだ再起の途中だけど、少しは達成感も感じられるくらいには頑張れた。


「…黒木さん、らくなさん」

「ひゃあっ!? ちょ、ちょっとー!?」

「……ナオさん…、意外と…大胆……っ」


 俺は腕に力を込め、二人と共に一歩を踏み出す。

 未来のアイドルVtuberを支える力はまだ、俺には足りない。それでも前に進むしかない、否、進んでみたいんだ。


「一緒にStarlight-VERSEを…、最強のVtuber事務所にしましょう!」

「お、おー! いつになく熱血だねっ!!」

「……最強…、いい響き…」


 らしくない俺の決意表明は、吹き抜ける夜風に乗って消えていく。

 弱小事務所『Starlight-VERSE』の、新たなステージに向かって。


(『Vを知らないアラサー男、崖っぷちV事務所に拉致られる。』第一シーズン・了)

これにて第一シーズンが完結となります!

ここまで読んで頂き、ありがとうございました!


しばらく休息を取ってから、また第二シーズンを書き始めますので、引き続き応援よろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
めちゃくちゃ面白かったです 登場人物みんな魅力的でもっと活躍やいちゃいちゃが見たいので続き楽しみです
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