第39話 突然の夜会と、冷然なるリユニオン
怒涛の『V王』から三日が過ぎた、Starlight-VERSE事務所にて。
祭りの熱狂は冷めるどころか、有志による切り抜き動画やSNSでの拡散によって、日増しにその勢いを高めていた。
「しゃ、社長っ! また企業さんからの案件問い合わせが来てますっ!?」
「な、なにー!? さっきもプロテインの会社から来たばかりだぞ! 今度はどこだっ!?」
「えっと…、ゲーミングデバイス関連のメーカーさんです! 最新モデルの提供と、レビュー動画の依頼だって!」
あれほど閑散としていた事務所の空気は何処へやら。
嬉しい悲鳴を通り越して、もはやパニックに近いレベルの喧騒で溢れかえっている。
「……うぅ、通知が、止まらない……怖…」
一方で、大手ネットニュースサイトに『無名の新人Vtuber・宵星らくな、大会最多キルの快挙!』という見出しを書かれたらくなは、水色のフードを深々と被りながら、机の上で震えていた。
「…Twitter開くと、知らない人が、いっぱい褒めてくる…やだ…」
「にゃはは! 贅沢な悩みだねっ! 有名税ってやつだよ、らくなちゃん!」
黒木はまるで自分のことのように、らくなの躍進を褒め称えていた。
『V王』参加後、俺達のチャンネル登録者数や同時接続数、過去動画の再生数は軒並み右肩上がりとなっている。ついこの間までは、黒木カナタのチャンネル登録一万人の記念に事務所総出で熱い気持ちをぶつけ合っていたのに、ここ連日千人以上の増加が続いているせいで、もはや二万人達成が目の前に迫っている状況だ。
いや、それよりも破竹の勢いがあるのは、やはりらくなだ。デビューから一ヶ月も経たない内にもう一万人の壁を超え、先輩の黒木に迫ろうとしている。あるいは遠くない将来、彼女を追い抜いて事務所の顔になるかもしれない。
(…それが原因で、事務所内不和が起こらなければいいが…)
だが、当の黒木本人はそんな俺の懸念などどこ吹く風といった様子で、らくなの頭を笑顔で撫で続けている。嫉妬や焦りなんて感情は見受けられない。少なくとも、外から見える分には。
(…杞憂民、って言うんだっけか、こういうの。俺が信じてやらないとダメだろ)
余計な感傷に浸るのはそこまでにして、俺はマネージャーとしての業務に戻ることにした。メールボックスには未読のメールが数十件溜まっている。中身はコラボの打診、取材の依頼、そして怪しい商材の売り込みだらけだ。
「……ん?」
玉石混交のメールを仕分けていく最中、ふと一通のタイトルと差出人に目を奪われた。
差出人:天輝 テンマ
件名:先日のお礼と、食事会のお誘いについて
「……はぁ??」
思わず俺の口から間抜けな声が漏れる。
その異変を察知してか、お祭り騒ぎをしていた黒木が猫のように飛び込んできた。
「どうしたんです、ナオシさん? さてはまた変なスパムメールでも踏んじゃいましたー? ダメですよー、開封前に一度迷惑フィルターに掛けないとたちの悪いウイルスとかが――」
「い、いえ…変というか、なんというか…」
俺は説明するよりも先に、そのメールを開封して全員が見えるようメインモニターに映し出す。
【Starlight-VERSE チーム一同様
突然のご連絡、失礼いたします。シャイニー・プロダクション、チーム『虚天月』の天輝テンマです。先日の『V王』では素晴らしい戦いをありがとうございました。
つきましては、大会の打ち上げも兼ねて、一度お食事などいかがでしょうか?
こちらはシャイニーからの招待ではなく、僕個人の、一人のゲーマーとしてのささやかなお誘いです。もしよろしければ、事務所の枠を超えて語り合えれば幸いです。
もちろん、こちらのチームメイト(ルナとアイリス)も連れていきます。
都内の個室焼き肉を予約しておきますので、都合の良い日時を教えて下さい】
文面を読み終え、数秒間の沈黙があった後。
事務所に今日一番の絶叫が響き渡った。
「「「ええええっっ!?」」」
「あ、天輝テンマさん!? いや、テンマ様っ!? あのVtuber界を代表する王子様から、直々のラブコールですよっ!? し、しかも…てんるなのルナちゃんと、冷酷美人なアイリスさんまで同席なんて、すごくないですかコレっ!!?」
「……ナオさん、ナンパされた…?」
「違いますよ! …いや、ある意味そうなのか…?」
周囲の空気が色めき立つ中、俺の脳内に一つの疑念が浮かんだ。
(…待て、落ち着け。美味すぎる話には裏があるのが世の常だ)
腕組みをして考えてみる。相手は業界最大手の、しかもトップタレント。対してこちらはつい先日までは吹けば飛ぶような弱小事務所。そんな雲の上の存在がわざわざ個人的に接触してきて、一体何の得がある?
真っ先に思い浮かぶのは、顔バレのリスクだ。
オフラインで会うということはつまり、お互いの「中の人」を晒すということ。仮にこれが罠で、待ち合わせ場所にパパラッチのような悪意ある人間が潜んでいたら…。
(…いや、流石に考えすぎか)
俺はすぐに首を振って否定した。リスクとリターンが釣り合ってない。向こうだって同じ「素顔」という機密情報を抱えているのだから、天下のトップVtuber様がそんな危険を冒してまで俺達ごときを罠に嵌めるメリットがないだろう。
「それで、どうします? お誘いは魅力的ですけど、実際行くとなると少し怖いというか…正直不安もありますよね」
俺が考え込んでいるのを見て、黒木がやんわりと不参加寄りの意見を口にする。だが、それが彼女の本心でないことは容易に推察出来た。
(…あれだけ早口で相手方の事情を語るくらいだから、きっと黒木もこの食事会に参加したいはずだ)
ずっと一人で活動してきた彼女にとって、同業のVtuberとの交流は喉から手が出るほど欲しい機会だろう。ただ、俺が普段から慎重な行動を取るようにと口出ししているせいで、自分の気持ちを押し殺しているのだ。
そんな彼女の配慮に、俺が応えないでどうする。
「……いえ、行きましょう。俺は参加するべきだと思います」
「えっ!? で、でもナオシさん、顔バレとか、もしものリスクが……」
「勿論それも考えました。そのリスク・リターンを考慮したうえでの結論です」
俺は黒木の目を見て、できる限り柔らかい笑顔を浮かべてみせた。
「それに何より――俺も彼と話してみたいんです。黒木さんと同じように」
「…ナオシさん」
彼女の表情から不安の色が消え、パッと花が咲くような笑顔が戻る。
「はい! ナオシさんがそう言うなら、百人力です! 行きましょう!」
元気よく頷く黒木。
さて、問題はもう一人だ。
俺はミノムシのようにパーカーに包まっている少女に視線を向けた。
「…らくなさんは、どうしますか? …無理強いはしません、けれど…もし参加してくれるなら俺も嬉しいです」
「…………」
らくなは少しの間、沈黙していた。
やがてモゾモゾとパーカーをズラして顔を出すと、消え入りそうな声で言った。
「……行く」
「えっ? らくなちゃんも来てくれるのっ!?」
心底から嬉しそうに叫ぶ黒木に頷いたらくなは、不器用ながらも口端を歪めて小さく笑顔を作る。
「……せっかく、チームで呼んで、くれたのに……あたしだけ行かないのは、相手に……失礼、だから……」
その言葉に、俺は目を見張った。
出会った時から人見知りで、不登校の引きこもりだった彼女が、今や社会的な体面を気にして勇気を振り絞ろうとしている。
それは間違いなく、彼女自身の成長の証だった。
「……二人が行くなら……多分、平気……だから、行きたい」
「らくなちゃん……っ! えらい! えらいよぉ……!」
感極まった黒木が抱きつこうとする。
が、何故からくなはそれをスルリと避けると、俺の袖口をぎゅっと掴んだ。
「……でも、ひとつだけ、条件…付ける…」
「条件?」
「……席は、絶対……ナオさんの隣がいい」
ピシリ、と見えないはずの空間の亀裂が走った気がした。
隣を見ると、上目遣いでおねだりするように見上げるらくなの姿。その破壊力は凄まじく、仮にカードゲームであれば即禁止になるレベルだ。
「…ぁ、えっと……そこは、まぁ…相手方の事情も、あるし…ね…?」
突然のアプローチに俺が言葉を詰まらせていると、横から「むぅー!」という不満げな声が上がった。
「ちょっとらくなちゃん!? そこは私の特等席……じゃなかった、私もナオシさんの隣がいいんですけどー!?」
「……早いもの勝ち」
「ぐぬぬ……! 生意気な後輩めぇ……!」
バチバチと火花を散らす二人からこっそり逃げ出そうとする俺の肩を、ポンと社長が叩いた。
「はは、賑やかな事は良いことだ」
「…社長、お願いですから代わりに説得してくださいよ」
「おいおい、若者の青春をジジイが台無しにしろってか?」
片目だけを細めてシニカルに笑う社長。その手に複数の書類が挟まっているのを見ると、俺達とは違うベクトルで多忙な日々を極めているようだ。案件が増えるということは総じて社長の負担も、胃薬も増える。
「こっちの事は気にせず行って来い。ただし、粗相だけは勘弁してくれよ? 私の頭ならいくらでも下げてやれるが、信用ってのは一度下がるとなかなか上がらないモンでね」
「…えぇ、心得ておきます」
こうして俺たちは、社長の温かな親心に背中を押されながら、未知なる招待メールに参加の意思を伝えるのだった。
◇
数日後。都内某所にて。
そこは大通りから一本入った、閑静な路地裏。
地図アプリが示す場所には、看板すら出ていない重厚な黒塗りの扉があるだけだった。
「…ここ、本当にお店ですか? なんか、秘密結社のアジトみたいなんですけど…」
「……いい匂い、する……」
「…座標的にも合ってるはずですが…」
そもそもこんな高級店なんて来たことがないから分からない、と正直に言いたくなる気持ちを押さえつつ、俺が周囲を見渡していた時だった。
じゃりじゃり、と小気味よい足音を立てながら、門前の和風な小石の詰まった道を、二人の男女が歩いてくるのが見えた。
「……あ」
思わず声が漏れる。
待ち合わせ時刻は午後七時、店の明かりに照らされてようやく二人の身長差が分かった。
男の方はかなり背が高く、ひょろりとしている。その眼には逆に悪目立ちするんじゃないかと思えるくらい派手なサングラスが掛けられており、スタイルも顔立ちもモデルのように整っているように思えた。
「――よう、待ってたぜ」
その口から発せられた声は、先の『V王』で聞いた王者の声と同じ…ようだが、かなり低く、どこかぶっきらぼうな印象すら感じる喋り方だった。
(こ、この人が…天輝テンマ…、の中の人…なのか?)
以前の敵情視察で視聴していたアーカイブのような王子様っぽさは無く、どちらかというと古の武人のような雰囲気がある。
「…え、えぇと…天輝、テンマ…さん、ですよね?」
「フルネームで呼ばないでくれ。聞かれると色々面倒だからな」
そう言って彼はゆっくりとサングラスを外すと、切れ長の鋭い瞳が現れた。
「Sudoサン、だっけ? 確かアンタが唯一チームで男だった人だよな?」
「…そ、そうです! Sudoと申します、それでこちらの二人が…」
俺は黒木とらくなを紹介しようと隣を見たが、そこには誰も居ない。直後、背中からシャツを力強く掴まれる感触が、二つ分あった。
「…………っ」
「…………………っ」
振り向かずとも、背後から伝わる強烈な陰のオーラ。まぁ分からなくもない。男の俺でも気圧されるくらいの迫力が、生身のテンマから感じるのだ。黒木はともかく、らくなに耐えろという方が酷だろう。
さてどうするべきか、と思案していた時、その強烈な音が周囲に響き渡った。
――バシィィンッッ!!
「いってぇぇっ!!?」
「だーかーらー、顔怖いから初対面ではサングラス外さないでっていつも言ってんじゃん。バカなの、お兄ちゃん?」
見ればテンマの背中には、横に居た小柄な少女の手のひらがクリーンヒットしていた。あまりの勢いにつんのめりそうになっているテンマを、その少女はまるで気にもとめない。
あの完全無欠の王子様たる天輝テンマに唯一対等に意見できる存在、それが彼女月凍ルナだという事は、俺含め他の全員が理解していただろう。だが、問題なのは――その呼び方だ。
「おっ……」
「おおおお……??」
「……お兄、ちゃん……??」
隠れていた黒木とらくなもつい前に出ざるを得ないほどの衝撃が、三人の脳を同時に揺らした。
「えっ、えっ!? お兄ちゃんって…、てんるなのお二人は、V界の中でも最高位のビジネスカップルだったはずじゃ…!?!」
「…うそ…、てんるな…尊いって…思ってたのに…、まさか…近親――」
「…らくなさん、それ以上は本気で訴訟されますから止めてください」
本人の前でとんでもなく失礼な事を吐く二人だが、かくいう俺も動揺を隠せない。さすがに本物の恋人同士とは思っていなかったが、それでも仲の良い同僚程度に思っていた。それがまさか実の兄妹だったとは。
「あー、分かってると思うが、他言無用だ。事務所の人間にもほとんど秘密にしている事項だからな」
「バレたらガチ恋勢に刺されちゃうからねー、えへへー」
二人はお揃いのサングラスを指で持ち上げながら、ニヤリと意地悪っぽく笑って見せる。打ち合わせもなしにタイミングがバッチリなのは、さすが同じ血の通った兄妹の為せる技といったところだろうか。
そんなコミカルな光景を見て、凝り固まっていた黒木の緊張も少しだけ解けたようだった。
「ふ、ふふっ……なんか、普通に仲良し兄妹さんですね」
ルナのお陰で場の空気が弛緩し、和やかなムードで店に入ろうとした時だった。
「――相変わらずね。あんたのその、内弁慶なところ」
それまで一度も発しなかった声が、黒木の背後から掛けられる。
凛とした、それでいてどこか冷ややかな声質。
「え……?」
ビクリと、肩を震わせながら黒木が振り返る。
そこには長く美しい黒髪を流した、背の高い女性が立っていた。
恐らく彼女は虚天月の一人、ヴォイドレッド・アイリス。クールな性格とFPSの腕前から、頼れるお姉さんキャラとしてファンも多いVtuberだ。
だが、黒木の口から紡がれた名前は――『ソレ』では無かった。
「……サキ、ちゃん……?」
震える唇で黒木がその名を呟くと、アイリスであるはずの彼女は小さく自嘲するかのように笑って、応えた。
「久しぶりね……カナタ」
よければブックマークと☆評価を頂けると大変嬉しいです!
執筆の励みになります!




