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第38話 祭りの後と、あんこまみれのサプライズコール

 ――その後の記憶は正直なところ、あまり覚えていない。


 脳裏に焼き付いているのは、ただひたすら『楽しかった』という子ども染みた感想と、ヘッドセットから聞こえる仲間たちの和気あいあいとした声。それらを彩る物騒な銃声のリズムくらいだ。


 らくなの指示と行動は一貫してシンプルで、安置移動のセオリーも無視して邪魔な敵をゴリラのようなエイムで蹴散らしていく。まるで狂戦士(バーサーカー)の行進だ。

 これまで練習してきた戦術なんて何処吹く風。タガの外れたIGLを守れと雑兵気分で必死に戦う。楽しかった。ひたすらに、楽しかった。


 気が付けば、最終局面。

 極限まで収縮した円の中、地獄と化したその場所で、俺達はこの大会の絶対王者『虚天月』と真っ向から激突した。


 小細工無し。遮蔽物無し。

 純粋なエイムとキャラコンだけの、魂の殴り合い。


「黒木先輩! ここは俺達がこじ開けましょう…!」

「おっけーっ! 信じてるからねっ、らくなちゃんっ!」


 俺と黒木が射線を切り、肉壁となって援護する。

 残存した敵二人の体力をらくなが刈り取り、現れたのは一番厄介なラスボス――天輝テンマ。


「ぐっ……!」

「きゃあああっ!」


 露払いにもなれず、俺と黒木は一瞬で蜂の巣にされる。

 だが、これでお互い最高戦力同士の一騎打ちとなった。


「…らくなさんっ!!」

「いっけえぇぇっ!! らくなちゃんっ!!!」


 息もつかせぬ怒涛の撃ち合い。

 やがて、キルログに刻まれたのは『虚天月』の名だった。


「やっ……」


 俺の歓喜の叫びは、無情な銃弾の貫く音によってかき消された。


 傷ついたらくなの頭を穿ったのは、潜んでいた『Black-Rize』。

 まさに第一ラウンドで俺達が奪った漁夫の利を、鮮やかに決めていったようだ。


 画面に映し出された順位は、2位。

 チャンピオンは逃したが、俺達の胸に残ったのは悔しさだけではなかった。


「あーーーっ、惜しいっ! でも楽しかったーー!!」

「えぇ…楽しかったですね」

「…あたしも…、悔しいけど…嬉しい……へへ…」


 三人が口々に充実感に満ちた感想を吐き出す。

 負けたのに勝ったような気分だ。こんなに清々しい『ゲームオーバー』は人生で初めてだったかもしれない。


(…っと、そうだ。浮かれる前にやるべきことをやっておかないと)


 俺は高揚する気持ちを抑えつつ、チームの伝達役として最後の仕事をアナウンスする。


「…えぇと、皆さん。この後の結果発表はシャイニー・プロダクションさんの公式放送で行われますので、俺達の配信は一旦ここで終了となります」

「あっ、そうだった…! 集中しすぎて忘れてたよー、Sudoさんナイスぅ!」

「……このままこっそり付けてたら…、同接独り占め…」

「…そんな事をしたら二度と呼ばれなくなりますよ、らくなさん…」


 珍しく冗談を言うらくなに釘を刺しながら、俺は配信終了ボタンを押下した。


 ヘッドセットを外し、配信用デスクに置く。

 その瞬間、張り詰めていた緊張の糸が切れ、事務所の空気が一気に緩んだ。


「ふぃ~~~…お、終わったぁ~~~!!」


 黒木が机に突っ伏し、疲れに塗れた溜息を吐き出す。

 らくなもフードの耳を垂れさせ、液体のように身体を脱力させている。


「…お疲れ様です、皆さん」


 俺も例外に漏れず椅子に背を預け、天井を仰ぎながら荒い息を吐く。


 やりきった。全てを出し尽くした。

 順位なんてどうでもいい。ここ数日間、ずっと肩にのしかかっていた重荷が下りただけでも十分な気分だ。


 ふと、視線を横にずらすと社長の席に置いてある菓子箱に目が止まった。

 本人は今日も資金繰りで外を飛び回っているらしいが、そんな彼のお土産を今こそ皆で食すべきだろう。


「…とりあえず、糖分補給をしましょうか」

「お、いいですねー! 珈琲は私が淹れてきますよー!」

「…あ、あたしも…お皿…出す…」


 俺は青海社長が買ってきてくれた『こしあん饅頭(まんじゅう)』の箱を開け、らくなが運んでくれた皿に人数分取り分けた。すぐに黒木の淹れた香ばしい豆の香りもやってくる。


「いっただきまーす!」

「…むぐ…、これ、初めて食べましたけど美味しいですね…」

「……ん、甘さもちょうど良くて…好き…」


 配信外の事務所でもぐもぐと饅頭を頬張りながら、俺はメインモニターに映し出された公式放送を一リスナーとして眺めていた。


『それでは集計結果が出たようなので、総合順位を発表します!』

『まずは第20位から第4位までのチームが、こちらっ!』


 凝った演出とともに画面にはずらりと参加チームの名前とポイントが羅列されていく。


「あっ!? すごいですよっ!! ナオシさんっ!!」


 下から順に見ていった俺よりも早く声を上げたのは、黒木だった。彼女の声に導かれるように、俺の視線が順位表の左上へと吸い込まれる。


 【第4位:チーム・Starlight(スターライト)-VERSE(バース)


「4位ですよ!? 初参加で飛び入りだったのに…わっ、ちょっと泣けてきた…」

「……もう少しで…表彰台、だったのに…、やっぱり、私が…」

「…らくなさん、今はまだ反省会には早いですよ」


 うるうると瞳を潤ませる黒木と、第2ラウンドを思い出して落ち込むらくな。そんな二人を遠目から見つめながら、俺は自分の気持ちを噛み砕いてみる。


(終わってみれば第4位、大健闘だ。しかも結果以上に爪痕も大きく残せた…そんな大会だったな)


 思えば開会式のときから、あの『虚天月』に名指しで注目されていたのも、出来すぎなくらいだ。スクリムでは配信コメントが荒れることもあったが、それも祭りの風物詩だと思えば、自然と許容できた。少なくとも俺は…だが。

 口の中にあんこの甘みが広がるのを堪能しながら、俺達は呑気に公式配信を眺めていた。


 やがて順当に上位3チームが発表されていき、準優勝は『Black-Rize』、そして優勝は『虚天月』と決まると、チャット欄の熱は最高潮に高まっていた。


「うわー、やっぱり優勝は虚天月かー。滅茶苦茶強かったもんね」

「…でもそんなチームに俺達は何度か撃ち勝ってますからね。…最初のはちょっと卑怯な勝ち方でしたけど…」

「……卑怯じゃない…油断してた相手が、悪いだけ…」


 むっとフードの下から、らくなの三角形に尖った口が見えた。こういう自然なやり取りが交わせるようになったことも、本大会での練習や試合を通して得られた財産な気がして、俺は嬉しくなる。


「あれー? ナオシさん、何ニヤニヤしてるんですかー?」

「…えっ!? い、いや別に…そんなつもりは…」


 モニターの向こうからにょきっと顔を出した黒木が、俺の方に意地悪な笑みを浮かべてくる。


「……そんなんじゃありませんよ。ただ、皆でこうして笑えているのが、悪くないなって思っただけです」

「ふーん? 素直じゃないですねぇ、マネージャーさんはー」


 そう言って、黒木が最後の饅頭を口に放り込んだ直後だった。


『――さて! ここでもう一つ、特別賞の発表です!』


 公式配信の実況者が、急に声を張り上げた。

 画面の向こうのスタジオが慌ただしく動く気配がする。


『今回、最も大会を盛り上げたチームへ贈られる特別賞、その名も「MIPチーム賞」をご用意しています!』

『おぉっとー!? 急に台本にないサプライズですねぇ!』


「へぇー、すごいねー」

「……賞品、なんだろう。お肉かな……」


 黒木もらくなも、他人事のように呟いている。かくいう俺も、あの二チームのどちらかが受賞するのだろうと、休憩がてら珈琲を啜っていた。


『記録よりも記憶に残った! 今大会、最も視聴者の心を揺さぶったチームに贈られます! 受賞チームは……こちら!!』


 ドォォォン、と派手な効果音とともに画面一杯に表示されたのは、見慣れた黒猫少女と、ゴシック調のワンピースを着た星瞳の少女と、地味なオタク男のアバター。


『Starlight-VERSEの皆さんです! おめでとうございまーす!!』

「…………ぶふっ!?!?」


 危うく眼の前のモニターとキーボードが、珈琲まみれになるところだった。

 俺は咳き込みながらも周りを見渡すと、同じように黒木もらくなも饅頭を喉に詰まらせながら、悶絶していた。


「…げほっげほ…え、私たち? 嘘でしょ?」

「……饅頭、こわい……」

「…で、ですが、仮に本当だとしたらきっとこの後――」


 俺が言いかけた、直後だった。


 ――ピロン♪


 ヘッドセットのスピーカーから微かに漏れた、Discordの着信音。

 公式配信からの強制呼び出しだ。


「…い、急いで通話の準備をしましょうっ!」

「えっ!? わ、私…口の中、あんこだらけなんですけどー!?」

「……あ、たしは…絶対…無理…、…人多すぎて…死んじゃう…」


 パニックになる事務所内。

 だが、有無を言わさず通話が接続されると、数十万人が見守る公式放送に俺達の声が乗った。


『もしもしー? 聞こえてますかー? Starlight-VERSEの皆さん!』

「んぐっ……! あ、は、はいっ! き、聞こえてます! Starlight-VERSEの黒木カナタですっ!」


 黒木が必死にお茶で流し込み、裏返った声で応答する。

 マイクを引き寄せ慌てて声を張り上げる姿は、アイドルVtuberのそれではない。


『おめでとうございます! 会場もコメント欄も、あなたたちの活躍に釘付けでしたよ! 特に大会を通して高パフォーマンスを発揮していた宵星らくな選手! 今の率直なお気持ちをお願いします!』


 やがて実況者の矛先が、一番向けてはいけない相手――らくなに向く。


「……っ!?」


 突如、らくなの顔が強張り、弱々しい小動物の姿へと変貌を遂げていく。

 無理もない。配信モードの彼女は無敵でも、今はただの人見知りの少女に戻っているのだ。

 おまけにこんな大舞台でいきなり話を振られて、まともな返答ができるはずがない。


(ま、まずい…俺か黒木先輩が助け舟を出さないと…っ)


 だが、マイクの主導権が向こう側にある以上、質問者以外が口を挟むのは失礼だ。たった一言、ありふれた答えだけでいい。


 そんな俺の願いも虚しく、配信枠には沈黙が流れる。

 放送事故寸前の…いや、既に事故っている空気だ。


『あー、もしもし? らくな選手ー? 聞こえてますかー?』


 MCが不思議そうに問いかけるが、追い詰められたらくなの口はパクパクと金魚のように動くだけで言葉にならない。


 それでも彼女は震える唇を必死に動かし、消え入りそうな声で音の欠片のようなモノだけを絞り出す。


「……ぁ…ぅ、……た、……の……し……」


 まるで吐息のような、掠れた声。

 マイクを通した向こう側には、きっと恐らく届いていない。


 だが――同じ部屋にいる仲間には、その声ははっきりと届いていた。


「『楽しかった』!」


 よく通る声が、静寂を切り裂いた。


「らくなちゃん、『楽しかった』って言ってます! 私たちも、最高に楽しかったです!!」


 底抜けに明るい声。

 それを聞いた実況者も一気に沸き立つ。


『おおっ! 楽しかった、頂きました! いやぁ、あの暴れっぷりを見れば納得ですね!』

『最高に楽しませてもらいましたよ! Starlight-VERSEの皆さん、本当におめでとうございました!』


 熱い称賛が寄せられる中、ようやく通話が切れる。

 嵐のような時間が過ぎ去り、事務所に再び静寂が戻ってきた。


「……し、死ぬかと思ったぁー……」

「…センパイ…、…命の、恩人…」


 だらりと机に垂れ下がる黒木と、その背中に顔をぐりぐりと埋めるらくな。

 仲の良い姉妹のような戯れを見ていると、俺もどっと疲れが出た。


 最終順位は、4位。表彰台には届かなかったが、世界は確かに俺たちを見つけた。その証拠に、モニターの隅に映る登録者の数字は大会終了後もぐんぐんと伸び続けている。


「……皆さん、お疲れ様でした」


 俺が声をかけると、二人が同時にこちらを向いた。

 その顔は疲労困憊だったけれど、あふれる充足感に満ちていた。


「お疲れ様ですっ、ナオシさん!」

「……おつかれさま、ナオさん」


 こうして、俺たちの熱くて長い『V王』は、最高の形で幕を閉じたのだった――。

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