第37話 困難なリバーサルと、誰が為の配信
「あ……ごめんねみんな! ちょっとだけ作戦タイム取るよー! すぐ戻るから待っててー!」
俺のミュートに合わせるように、黒木が努めて明るい声で離席のアナウンスをしてくれる。そのまま彼女は手元の配信ツールを操作して、待機画面へと切り替えた。さすが事務所のエース、配慮の鬼だ。
カチリ、と。
乾いたクリック音が、終わりの合図のように響く。
ヘッドセットを外した途端、それまで彼女が纏っていたアイドルVtuberの仮面が剥がれ落ちる。ブゥンと事務所のPCから鳴るファンの音だけが、静寂の空間に時の流れを刻んでいた。
第2ラウンド、順位最下位。キルポイント、1。
突然の悪意に足元を掬われたとはいえ、数字だけを見れば完敗だ。
「……ごめん、なさい……」
絞り出すような、らくなの声。
「……あたしが、迷ったから……。変な動きだって、分かってたのに……。どうすればいいか、すぐに言えなかった……あたしの、せい…」
IGLとしての責任感に押しつぶされるように、彼女は自分を責め続けている。
かくいう俺もまた、どう声をかけるべきか迷っていた。
次の安地移動のルートを提案するべきか、それとも初動死を防ぐためのリスク管理を説くべきか。
頭の中でグルグルと戦術論を組み立てては、形にならず捨てていく。どれも今の彼女には届かない気がした。
(……違う。そうじゃない)
ふと、俺は気付く。
俺たちは今、まるで「失敗できない仕事」を任されたサラリーマンのような顔をしていないか、と。
ポイント効率だの、順位だの、リスクヘッジだの。そんなことばかり考えて、一番大切なことを忘れていないか。
(……何のために、この場所にいるのか……)
それを伝えるのが、自分の仕事だろう。
まるで悪い夢から覚めたように顔を上げた俺は、意を決してマウスを握り締めると、Discordの画面共有ボタンをクリックした。
「……二人とも、顔を上げて画面を見てください」
「……え?」
「……ナオ、さん……?」
俺が映し出したのは、配信管理画面。
そこには、猛烈な勢いで流れるチャット欄が表示されていた。
【涙目敗走ざまぁwww】
【天罰が下ったんだよ】
【やっぱわら帝最高だわ!】
【らくなちゃん、大丈夫かな……】
【黒木も泣いてんじゃね?】
【やっぱ寄せ集めチームじゃ無理だったんだよ】
【もう大会出るのやめろ】
心無い言葉の濁流。
それを見た途端、黒木とらくなは反射的に目を逸らそうとした。
「み、見たくないですっ! こんなの見たって、気が滅入るだけで何もっ……!」
「……怖い……」
強い拒絶反応を示す二人。当然だ。
今の精神状態でこんなものを見せられるのは拷問に近い。
だが、俺はそれでも敢えて説得するように言った。
「逃げないでください。……そして、よく見てください」
俺はマウスを操作し、高速で流れるコメントの流れを一時停止させた。
そして、濁流の中に埋もれていたいくつかのコメントを指し示す。
【らくなちゃん、ドンマイ!次があるよ!】
【さっきの1キル、エイム凄かった!】
【カナちゃん、最後まで諦めないで!】
【Starlight-VERSE、負けるな!】
【Sudo、俺は応援してるぞ!】
それは、悪意の雑音にかき消されそうになりながらも、確かにそこにあった光だった。
「……あ……」
らくなの瞳が、大きく見開かれる。
「…俺たちは、何のためにここにいるんですか? 大会で好成績を残すためですか? 上手いプレイを魅せてアンチを黙らせるためですか?」
俺は二人の顔を見て、問いかける。
「…違いますよね。一番の目的は……『応援してくれる人たちに、楽しんでもらうこと』じゃなかったんですか?」
そうだ。俺たちはプロゲーマーじゃない。
エンターテイナーで、Vtuberだ。
画面の向こうで勝手に期待して、勝手に失望して、石を投げてくる有象無象の事なんてどうでもいい。
本当に大切なのは、こんな状況でも声を枯らして応援してくれている、この数少ない味方たちなんじゃないのか。
「……今の俺たちは、この人たちに辛そうな姿を見せてしまっています。それこそが、一番の敗北だと…俺は思うんです」
俺の言葉に、黒木の方からハッと息を呑む気配がした。
パシンッ!
彼女は自分の頬を両手で強く叩くと、潤んだ瞳でモニターを見つめた。
「……そうだよね。私たちが暗い顔してたら、応援してくれるみんなまで暗くなっちゃう……」
そして、隣りにいるらくなに向き直ると、震えるその小さな手をぎゅっと握りしめる。
「らくなちゃん。難しいこと考えるの、もうやめよっか」
「……え……?」
「順位とか、ポイントとか、セオリーとか! そんなのどうでもいいよ! 私たちが一番『楽しい』って思えることしよっ!」
尊敬する先輩の、太陽のような温かい笑顔。
それが、らくなの凍りついた心を溶かしていく。
「……楽しい、こと……」
「うん! らくなちゃんは、どうしてるときが一番楽しい?」
問われたらくなは少しだけ考えてから、ポツリと呟いた。
「……敵を、いっぱい、倒してるとき」
「ぶっ! あははは! やっぱりそうだよねぇ!」
物騒すぎる答えに、黒木が吹き出す。俺もつられて苦笑する。
でも、それでいい。それが『宵星らくな』というVtuberの本質なのだから。
「……ずっと、考えてた……。どうすれば生き残れるか、どうすればみんなの…役に立てるか…。でも、それが……重荷、だったの……」
らくなは、自分自身に言い聞かせるように呟く。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳からは、もう怯えの色は消えていた。
「……ナオさん。あたし、もう計算しない」
「ええ、しなくていいです」
「……ただ、目の前の敵を倒す。それが一番、楽しいから。……それを見てくれる人がいるなら、それだけでいい」
彼女の中で、何かが吹っ切れた音がした。
勝つための義務感ではなく、純粋な「楽しさ」への回帰。
ちょうどその時、モニターから運営のアナウンスが流れた。
『――最終第3ラウンド開始に先立ちまして、特別ルールの変更をお知らせします。最終ラウンドは、キルポイント2倍とします』
通常なら、戦略を根底から覆す劇薬のようなルール。
だが、今の俺たちにとっては、ただの「朗報」でしかなかった。
「……ふふっ」
らくなが、小さく笑った。
それは首輪の外れた猛獣が如き、無邪気で凶悪な笑み。
「にゃはは、運営さんも粋なことするねー!」
黒木も自分のモニターへと向き直り、高らかに声を上げた。
ファンを誤魔化すためではなく、理想のカナタへ切り替えるための儀式として。
「……えぇ、本当に」
そして俺も自然と口角が上がるのを自覚した。
こんなに楽しい気分で配信できるのは久しぶりかもしれない。
この後の結果がどうであれ、責任を彼女一人に押し付けるつもりはない。
だからIGLとしてではなく、頼れる後輩として彼女の名を呼ぶ。
「……それで、次はどうしますか? …らくなさん」
「……オーダーは、ひとつだけ…」
それでも彼女は委ねられたIGLとして最後の指示を、楽しそうに告げた。
「……難しいことは、考えない。……銃声の鳴る方へ、遊びに行こう」
◇
運命の最終第3ラウンド。
降下船のハッチが開く。
逆転の可能性を賭けて多くのチームが色めき立つ中、俺たちのIGLは迷うことなくマップの一点を指し示した。
それは、第1ラウンド、第2ラウンドと同じ場所――『名もなき集落』。
「……ここ」
「前と同じ場所、ですか?」
「……うん。だって、ここが一番……落ち着くから」
決定理由に、高度な読み合いや裏の裏をかく計算なんてない。
ただ「自分たちが一番やりやすい場所から始める」という、シンプルな動機だけ。
「…了解です。行きましょう」
「おっけー! ホームグラウンドだね!」
三つの影が、因縁の地へと降り立つ。
周囲に敵影はない。あの芸人チームも、他の強豪もいない。
戦場の中を、俺たちはまるで練習配信の時のように、明るく報告しながら物資を漁る。
「あ、ネメシスあったよー!」
「……アタッチメントは揃った。……今回のあたし、ツイてる…へへ」
「…俺は相変わらず、センチネルに愛されてるみたいですね…」
ボイスチャットに流れるのは緊迫感とは無縁の、さながら放課後の部室で語らうような緩い空気。
だが、不思議と指先は軽く、心は熱く滾っていた。
「……準備、オッケー」
最低限の装備を整えたらくなが、遠くで響く銃声の方角を見据える。
「……行こう」
安地への移動ではない。
彼女が選んだのは、最も激しい戦場への乱入。
俺たちは走り出した。
勝者になるためでも、復讐者になるためでもなく。
ただ、俺たち自身と画面の向こうで応援してくれているファンに向けて、最高に楽しい配信を作るために。
Starlight-VERSEの、最後の祭りが始まる。
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