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第35話 隠者の戦略と、ハイエナの奪冠

 鳴り響くファンファーレ。画面を埋め尽くすほどの紙吹雪。

 業界最大手シャイニー・プロダクションが主催する『V王』本戦の幕が、ついに上がった。


 豪華絢爛なスタジオセットに、人気キャスターによる熱のこもった実況。そして、モニターの片隅に表示された同時接続者数は、開始わずか数分で軽く10万人を突破していた。


『さあ始まりました、Vtuber界最大のお祭り! V-Tuber王者決定戦っ! 今年も数多の猛者がこの戦場に集っていますねー!』


 事務所のヘッドセットから聞こえてくる公式配信の音声に、早くも緊張で鼓動が早くなる。大会専用のDiscordサーバーにはスタッフからの丁寧な説明文が表示され、諸々の注意事項やお願いが記載されている。


「うわぁすごい…。本当にお祭りだね…」


 事務所の向かいの席から、黒木が興奮と畏怖の入り混じった声を漏らす。彼女の瞳は、モニターに映る憧れの舞台に釘付けになっていた。


「…………」


 その隣で、今日の主戦力であり司令塔でもある宵星らくなは、無言で息を潜めていた。普段とは違う可愛らしいうさみみの付いたフードを目深に被ったその姿は、彼女なりの晴れ舞台に対する意気込みなのかもしれない。


 そんな中、俺も自分の気持ちを落ち着かせるべく、本大会のルールを再確認する。


 『V王』本戦は、計3ラウンドのマッチで構成される。各ラウンドの順位に応じて与えられる「順位ポイント」と、敵を倒した数で加算される「キルポイント」の合計で総合優勝が決まる、実力と戦略の双方を問われる過酷なルールだ。


 そして、何より重要なのが全ての参加者に義務付けられた「5分間の配信遅延」設定。これはゴースティングと呼ばれる不正行為を防ぐための措置だが、同時に俺たちプレイヤーをリアルタイムの歓声やコメントから完全に隔離する。

 この戦場では視聴者の温かい応援も、辛辣な野次も、数分間届かない。頼れるのは、ヘッドセットから聞こえる二人の仲間の声と、自らの判断力のみ。


 圧倒的なアウェイ感に加えて、ファンから切り離された完全な孤立状態。俺はごくりと喉を鳴らし、マウスを握る手に力を込めた。


「…大丈夫です」


 チーム全体に語りかけながらも、その実自分が一番欲しい言葉を口に出す。


「やることは…いつも通りです。俺たちは、俺たちに出来る戦い方をするだけです」


 やがて画面が切り替わり、運命の第1試合の降下フェーズが始まる。そこに早くも落とし穴があった。


「な、なんか…みんな飛ぶの早くない!?」

「…えぇ、きっと二日目のスクリム時点でランドマークの割り振りは決まってたみたい、ですね…」


 俺の冷静な分析が、逆に黒木の焦りを煽る。スクリム二日目に参加しなかった俺たちだけが、この暗黙の了解から取り残されているのだ。情報戦での遅れはすなわち、負けに直結しかねない不利(ハンディ)


「…らくなさん、落下地点の候補は…?」

「……」


 らくなは、何も答えない。ただ、彼女のキャラクターの視点だけが、めまぐるしく左右に動き、眼下の地形と散っていく敵の軌跡を捉え続けている。早くしないと、めぼしい降下ポイントは全て他のチームに奪われてしまう。


「ら、らくなちゃん…! そろそろ決めないと…!」


 黒木の声が悲鳴に近くなる。このままでは、残ったわずかな選択肢の中から選ぶか、最悪の場合、他のチームの降下地点へ被せることになる。それは色々な意味でリスクが高すぎる判断だ。


(……いや、違う)


 だが、彼女の挙動を見て俺は気づいた。らくなの視点は単に空いている場所を探しているのではなかった。落下していく各チームの軌道から、彼らの行動ルートを予測し、最も安全な初期エリアを探しているのだ。


(…よかった、俺の判断は間違ってなかったみたいだ)


 彼女の理由ある悩みを読み取った途端、俺の中に確信が生まれた。この試合できっと、彼女をIGLにした判断が正解だったと証明できる、と。


「…らくなさん、焦らなくていいです。俺は…あなたの判断を信じます」


 黒木も、即座に続ける。


「そうだよ! らくなちゃんが選んだ場所が、私たちにとっての正解だから!」


 二人の言葉に後押しされ、らくなのカーソルが動いた。主要な降下地点を押さえられた彼女が選んだのは、名もない小さな集落だった。


 そこで初めて、らくなはか細い声で自分の判断の根拠を呟いた。


「……あそこなら…、虚天月も…Black-Rize(ブラクラ)も…、来ない…から……」

「…まさか、他チームの軌道を全部覚えてたんですか?」

「……全部じゃ、ない…、必要な分だけ……」


 さらりととんでもない事を言い放つらくな。

 司令塔の非凡な才能に戦慄しながら、俺達はピンを立てた場所へと降り立っていく。


「……余計な戦闘は、避ける…。物資も、最低限だけ漁って…あたしに、ついてきて」


 らくなの指示は終始徹底していた。


 彼女の天才的な索敵能力と危険察知能力は、まるで未来予知のようにピタリと当たる。遠くで銃声が鳴り響く中、息を殺しつつ安全圏へと突き進む。俺たちは一度も本格的な戦闘を経験することなく、着実に順位だけを上げていった。


 やがて、部隊数が残り半分を切った頃。

 らくなから、初めての攻撃指示が出た。


「……あそこ、そろそろ戦闘が終わりそう…。今なら、行ける…」


 彼女がピンで指し示したのは、微かに銃声が響いた建物内。彼女の嗅覚が、絶好の漁夫の利(タイミング)を嗅ぎつけたようだ。


「行きましょう!」

「任せて!」


 俺と黒木は、司令塔の指示に即座に応える。

 奇襲は完璧に決まった。敵は反撃する間もなく壊滅し、俺たちは最小限のリスクでキルポイント3と、潤沢な物資を手に入れることに成功した。


(完璧だ…。ここまでらくなの描いたシナリオ通りに、全てが進んでいる…。このまま最後まで噛み合い続ければ…いけるぞ!)


 自然と俺の口元に笑みが湧き上がってくる。

 いや、まだだ。まだ勝利を思い描くのは、早過ぎる。


 らくなのIGLとしての非凡な才能が、この大舞台で初めて輝いたという嬉しさに、つい余計な雑念が入り込んでしまった。


 ――が、それも束の間。


「えっ…!? あ、あと…三部隊…??」


 黒木の驚愕に満ちた声が、ヘッドセットに響く。

 画面右上に表示されていた部隊数が、一気に数を減らしていた。


 絶対王者『虚天月』と、昨年の準優勝チーム『Black-Rize』。

 二つの強豪がまるで互いの力を誇示するように、他のチームを蹂躙し尽くしたのだ。


 残る獲物は、俺たちだけ。


「…敵っ! 近い!」


 らくなの悲鳴に似た絶叫が、思考よりも早く鼓膜を揺らした。

 顔を上げた瞬間、俺たちの頭上から三つの影が、寸分の狂いもなく同時に降り注ぐ。


 ――Black-Rize!

 息を吸う間もなかった。

 着地と同時に投げ込まれたグレネードが、俺たちの退路を塞ぐ。完璧に統率された、狩りの動き。


「くっ…! 抜かれた…!」


 黒木の叫び。アーマーの破砕音とほぼ同時に、彼女の身体が地に伏す。

 俺も必死に応戦するが、三方向から浴びせられる銃弾の嵐には、なすすべもなかった。


「ごめん、らくなちゃん…!」

「…すみません、俺も…」


 謝罪の言葉と共に、俺の画面も無情に灰色へと染まる。


 六十秒も掛からないうちに、チームは崩壊した。

 ただ一人、らくなだけが神がかり的な動きで猛攻を掻い潜り、岩陰へと逃げ込むのがやっとだった。


 なおも絶望的な状況。

 観戦モードに切り替わった俺と黒木の画面には、HPも残り僅かになった、孤独な後輩の姿が映し出されている。


 俺達二人の謝罪に対し、彼女は冷静に一言だけを呟く。


「…………大丈夫」


 それは慰めではない。

 仲間を失い、一人残された司令塔の、静かなる決意の言葉だった。


 らくなの不屈の言葉が、新たな混沌の引き金となる。


(…虚天月!?)


 俺と黒木の死亡ログを見て、絶好の機会と捉えたのだろう。

 それまで潜んでいた虚天月がついにその牙を剥く。


 戦場は、Starlight-VERSEの存在など置き去りにして、優勝候補同士の壮絶な潰し合いへと発展していった。


(…なんてレベルの高い攻防だ…)


 奇襲すら想定通りとも言わんばかりのBlack-Rizeの対応力。逆に虚天月からしてみれば、一線交えた後にも関わらず、相手がリカバリー無しで応戦してきた事に驚いているだろう。


(…俺と黒木が瞬殺されたことで、むしろ場が有利に動いているのか…?)


 らくなは息を殺し、ただその光景を見つめていた。


 やがて、激しい戦闘の末に両チームは消耗し、Black-Rizeのリーダーと、虚天月の王者・天輝テンマの一騎打ちとなる。

 誰もが両者の攻防に目を奪われていた、まさにその刹那。


「……出る」


 ぽつりと、配信に乗るかも分からないほどの声で呟くと、それまで完璧に気配を消していたらくなのキャラクターが、二人の影から飛び出した。


 虚を突かれ、混乱する二人の猛者。

 その隙を、彼女が見逃すはずもなかった。冷静かつ無慈悲なエイムが、寸分の狂いもなく二人の頭を撃ち抜く。


 やがて画面には、燦然と輝く「CHAMPION」の文字。

 数秒の静寂。そして――。


「やったああああああ!!!」

「らくなさん、ナイスです!」


 事務所のボイスチャットが、歓喜で爆発した。

 勝利の余韻に浸りながら、俺は自らのモニターに映る、配信遅延のかかったチャット欄へと視線を落とした。そこには、数分前に起きた劇的な勝利に対する、爆発的な反応が渦巻いていた。


【っしゃああああああ!!!】

【ちゃんぽんおめ!!!】

【ハイエナ乙www】

【助けてくれSudo!配信荒れてます!!】

【キルポも同接も少なすぎ】

【Starlight-VERSEって何?弱小事務所?】

【テンマくん倒すとかマジ最悪】

【いつも荒れてるからへーきへーき】

【運が良かっただけ。実力じゃない】

【いや、あの状況で勝つ判断力は神だろ】


 非難と賞賛。チャット欄は真っ二つに割れ、大荒れとなっていた。

 その混沌とした反応を苦笑いで眺めつつ、俺は試合中ミュートにしていた公式配信のタブをクリックし、音量を上げる。


 ヘッドセットから聞こえてくる公式配信の音声は、興奮と困惑に満ちていた。


『信じられません! 第一試合を制したのはなんと、ノーマークだったStarlight-VERSE! しかも、最後はたった一人で優勝候補二角をまとめて喰らうという、衝撃的な結末ですっ!』


 信じられないという風に叫ぶ実況に、冷静な解説者の声が重なる。


『…Black-Rizeも虚天月も、互いに警戒しすぎていましたね。勿論ログ上ではもう一人生存しているのは分かっていたと思いますが、まさかそれがここまで凶暴な獣だったとは…』

『この宵星らくな選手の最後の動き、なんと表現すればいいんでしょうか!』


 解説者は言いづらそうに少しだけ間を置いてから、答える。


『動き自体はその…言葉は悪いですけど、ハイエナですね。ただし、生半可なプレイヤーではあそこまで上手く刺さらないでしょう。言うなれば、奈落から現れた捕食者(プレデター)の奪冠です』


 その異名が、良くも悪くも『宵星らくな』という新たな星の誕生を、数十万の視聴者の脳裏に、強烈に刻み付けたのだった。

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