第34話 生まれ変わったインゲームリーダーと、歪んだ兄妹
「…らくなさん、改めて尋ねますが…IGLを任せるにあたって一番の不安材料はなんですか?」
単刀直入な俺の問いかけに対し、らくなはやや控えめな視線を向けつつもはっきりと自分の思いを述べる。
「…皆に…合わせるのが…、一番…苦手…です」
「それはプレイスタイルが、ですか?」
「……それもある、けど…指示とか、どうやって…言ったら…伝わるかが…、いつも…分からなくて…」
ぎゅっとフードを握る手が強くなるのが伝わる。
彼女は常に行動で示してきた。だが、司令塔となれば言葉で示さなければならない。孤高のソロプレイヤーだった彼女がチームの柱になるには、もう一つ乗り越えるべき壁がある。
「なるほど…。つまり、頭の中にある戦術を、どう言語化して味方に伝えるか…という訓練が必要、ということですね」
「……うん……」
課題は明確になった。
ならば後はそれを解決するための訓練を考えてあげればいい。
「…分かりました。では、こういうのはどうでしょう。俺がソロでランクマッチに潜ります。らくなさんはそのプレイを見ながら、俺に指示を出してください。あなたが思ったことを…俺が完璧に実行してみせます」
敢えて大袈裟に、けれど責任を持って言い放つ。
思考を言語化し、他者を動かす。
その成功体験こそが、今の彼女に最も必要なのだから。
「…できる、かな…」
「…大丈夫です。らくなさんの言葉なら、俺は信じますから」
俺の言葉に、らくなはこくりと頷いた。横で話を聞いていた黒木もソファに陣取り、後方腕組み体勢に入る。
こうして、師弟の立場が逆転した奇妙な訓練が始まった。
◇
俺はPCの前に座り、ソロでランクマッチのキューを入れる。背後には俺のプレイ画面を食い入るように見つめるらくなと、遠目から面白そうに見守る黒木。
「では、始めます。まずは…」
「……すーさん、フラグメントに、降りて…」
「えっ…、初動から激戦区、ですか?」
思わず聞き返してしまったが、らくなは無言のまま。
そうだ、いちいち相手の指示を聞き返すなんて愚行、本番では絶対にしてはいけない。
だが数分もしないうちに、俺は彼女に指示された降下地点で三方向から別部隊に囲まれ、絶体絶命の状況に陥っていた。
「まずい、囲まれました…! らくなさん、どうすれば…!」
「…落ち着いて、すーさん…。まず、正面のコンテナまで、スライディング…」
必死で指示に従っていた俺の肩に、やや重みが乗った。
ちらりと視線を向けると、いつの間にか俺の椅子に寄り掛かるような格好で、らくなが画面を指さしている。
(ちょ…っ、ち、近いって…っ!?)
彼女は完全にゲームの世界に没入し、自分の体重が俺の肩に乗りかかっていることに気づいていない。ただ自分の思考を俺に届けようと必死だった。
「…グレネード、一個、左に投げて…」
「左ですか? 右の方が敵に近いような…」
「…いいから、投げて…!」
俺は言われるがままにグレネードを投げる。すると敵は爆発地点から逃れようと一斉に右へと顔を出したが、そこへ味方のウルトが突き刺さり、逃げ道を塞ぐ爆炎の壁を作り上げた。
「…今、右、撃って…!」
俺は咄嗟に右へとエイムを合わせ、顔を出した敵を撃ち抜く。野良パーティとのボイチャ無し連携も精度が高まり、ぐんぐんと順位を伸ばしていく。
(す、すごい…! まるで、未来が見えてるみたいだ…)
座学だけで養ってきた凡庸な知識ではない、活きた戦場の智慧。
その実力をありありと見せつけられながら、俺が心のなかで感嘆の声を漏らした、その時だった。
「…すーさん、油断、しないで…。まだ、終わってない…」
やけに近くで、らくなの声がした。ハッと我に返ると、すぐ隣にあったはずの彼女の顔が、俺の肩口にまで迫っていた。
「――っ!?」
「…後ろから、足音、聞こえる…。さっきの部隊の、残りが来てる…。そこの、高台を…登って…、上から、迎撃、する…」
囁くような、しかし絶対的な確信に満ちた声が、耳元からダイレクトに俺の鼓膜を揺らす。心臓が爆発しそうなのを必死に堪えつつ、俺は彼女のシナリオ通りにキャラクターを動かした。
やがて、最終局面。高台を登りきると、眼下には最終リングの収縮に追われ、二つの部隊が遮蔽物のない場所で激しく撃ち合っている地獄絵図が広がっていた。俺たちが陣取ったこの高台の上だけが、唯一の安全地帯だった。
最後の打ち合いを容易く制した後、燦然と輝くチャンピオンの文字がモニターに表示される。
「…完璧でした、らくなさん…。あなたの言う通りにすれば、勝てる…」
俺が安堵の息と共に隣にいる小さな司令塔を称えると、彼女はゆっくりとこちらを見上げた。
いつもは感情の読めないその瞳が、勝利の興奮と達成感で、キラキラと輝いている。
「…………うん」
ふわりと、花の咲くように微笑んだ後、まるで今まで張り詰めていた糸が切れたかのように、こてんと俺の肩に頭を預けてきた。
「――っ!?」
肩にかかる、確かな重み。首筋に触れる、彼女の髪の柔らかな感触。そして、甘いシャンプーの匂いが、俺の思考回路を完全に焼き切る。
(…まずい、これは非常にまずい。何がまずいって、ここは職場で、相手は未成年で…じゃなくて、もし今この俺の顔を見られたら幻滅どころじゃ済まされない…)
石のように固まる俺の耳元で、さらに追撃の言葉が囁かれる。
「……すーさんと、一緒だから…勝てた…」
ダメだ。これは、本当にダメだ。
なんでそんな甘えるような声なんだ。俺はただのラジコンで、女の子の扱いも何一つ上手くないのに、そうやっておだてられたら木に登っちまうだろ!
俺の心臓と脳みそが限界を告げる悲鳴を上げようとした、まさにその瞬間だった。
「――ちょっと待ったぁぁぁぁ!!」
突然、背後から雷のような声が響き渡った。
振り返ると、そこには拳を握りしめ、肩をわなわなと震わせる黒木の姿。
「さっきから黙って見てましたけど、いくら訓練だからって、さすがに距離、近すぎじゃないですか!?」
堪忍袋の緒が切れた彼女は、ずかずかと二人の間に割って入ると、俺ではなく何故からくなに向かって詰め寄った。
「らくなちゃん! なんでそんなにナオシさんの耳元に口近づけてるの!? 私、見ててハラハラしちゃったよ!」
先輩からの突然の剣幕に、らくなはびくりと肩を震わせる。しかし、彼女は悪びれる様子もなく、こてんと小首を傾げた。
「…え? だって、あたしの声、小さいから…。すーさんに、ちゃんと聞こえるように…」
それはIGLとしても正論で、彼女自身の悩みでもある。
ぐっと言葉に詰まる黒木。
だが、彼女はめげずにもう一つの決定的な疑問を追求する。
「そ、それは百歩譲って分かったとしても! じゃあ、なんで身体までナオシさんにくっつけてたの!? あれは絶対必要なかったでしょ!」
黒木の渾身のツッコミ。
完全に蚊帳の外へと追いやられた俺は、らくなの答えを固唾を飲んで見守る。
一体どういう答えを出すのか。これも必要なスキンシップだと言うのか。
しかし、当の本人から出た答えは…答えではなかった。
「…………えへへ」
「えへへじゃないがーーーっ!!」
ふにゃり、と目を三日月にしてはにかむらくな。
それを見た黒木は絶叫で事務所を揺らす。
「……くっ…ズルいって…、それは…、反則でしょ…可愛すぎて、…あぁもう負け…負けでいいっす…、サレンダーします…」
らくなの殺人的な笑顔に打ちのめされた黒木はぶつぶつと意味不明な言葉を呟くと、がくりと膝から崩れ落ち、ソファに突っ伏してしまった。
「あ、あの…、黒木先輩…?」
「あーあ…いいなぁ、若いって…若さってなんだよぉ…」
「…自分アラサーなんですけど、どっちも若いですって…」
もごもごとクッション越しに漏れ聞こえる黒木の怨念に、俺は一先ず視線を逸らした。可哀想だけど暫く放っておこう。
やがて事務所に静寂が戻る。
俺は疲労困憊になりながらも、今日の訓練の成果を確信してらくなに向き直る。
「らくなさん。『V王』本番、IGLをお願いします」
その言葉に、らくなは一瞬驚いたように目を見開いた後――ソファで白くなっている先輩を一瞥し、そして俺を見てから静かに頷いた。
「……ん、任せて……」
◇
一方その頃。
都心にそびえ立つタワーマンションの一室にて。
その部屋のリビングで、今日のスクリムを終えた兄と妹が、静かに言葉を交わしていた。ここは彼らの自宅であり、プロの配信者として活動するための、最新鋭の設備を備えた要塞でもある。
テーブルの上に無造作に置かれた一枚の郵便物。その宛名には『青嶋』と印字されていた。
「――お兄ちゃん、ポテチ取って」
「自分で取れ」
配信中の完璧な王子様『天輝テンマ』の姿はそこにはない。ぶっきらぼうにそう返したのは、ごく普通の兄だった。
妹の『月凍ルナ』は不満げに頬を膨らませながらも、テーブルの上のポテトチップスに手を伸ばす。
「…ケチ」
「そういえば、Starlight-VERSEは今日のスクリム、来ていなかったな。さすがに心が折れたか?」
兄は、妹の悪態を意にも介さず、タブレットのデータを見ながら何気なく呟いた。
その言葉に、ポテトチップスを口に運んでいた妹の手がぴたりと止まる。
「…どうだか。お兄ちゃん、忘れたの? 私、昨日あの子に落とされたんだけど」
配信中のクールな姿からは想像もつかない、少しだけむっとした表情。その純粋な悔しさが滲む一言に、兄の指がデータ上で止まった。
「ああ、そうだったな」
彼は楽しそうに口の端を上げる。その表情は、計算され尽くした『天輝テンマ』の笑顔ではなく、未知の強敵を分析する、冷徹なゲーマーのものだった。
「まさか、あの絶望的な状況からお前を道連れにするとは…。宵星らくな、やはり面白い」
「……別に。まぐれでしょ」
妹はそっぽを向きながら、ポリポリとポテチを齧る。だが、その耳がほんの少しだけ赤いのは、兄にはお見通しだった。
「まぐれ、か。それならそれでいい」
彼はタブレットの電源を落とすと、ソファに深く身体を預け、天井を仰いだ。
「――だが本番では、そのまぐれすら起こさせない。それだけのことだ」
絶対王者としての、静かだが揺るぎない宣言。
その言葉に、妹は少しだけ意地悪そうに口の端を緩めた。
「そういえばお兄ちゃん、今日の配信のチャット欄すごかったね。『てんるな結婚しろ』って。…そろそろ、しちゃう?」
「……馬鹿なことを言うな」
妹のからかいを、兄は一刀両断する。だが、その表情はいつになく真剣だった。
「いいか。俺たちの『てんるな』は、ファンが作り上げてくれた幻想であり、最高のエンターテイメントだ。安易な『結婚』という言葉で、その物語を終わらせてはいけない。俺たちがすべきなのは、恋愛以上恋人未満という決して答えの出ない尊い関係性を、ファンに見せ続けることだ。分かるか?」
「あーまた始まった…。お兄ちゃんって王子様キャラなのに根はプロデューサー気質だよね…」
妹のうんざりしたような指摘に、兄は不満も漏らさず頷く。
「Vtuberというのはセルフプロデュースが基本だ。我々は演者であると同時に、自分というコンテンツを最も深く理解し、その価値を最大化させるクリエイターでなければならない」
「ふーん、じゃあさ、私達の同人誌とかどう思うわけ? エゴサしてると結構出てくるじゃん。中にはほら、かなーり際どいヤツもあったりするし」
妹が悪戯っぽく笑いながら、兄のプロ意識を試すような質問を投げかける。
すると兄は珍しく答えに詰まったように考え込んでから、静かに口を開いた。
「…面白いとは思う。ファンの熱量も感じるしな。ただ――」
彼はそこで一度言葉を切り、ジト目で妹を見返した。
「折角その創作の世界に入り込んでるのに、突然『ノイズ』が見えて気まずくなる時がある」
「…ねぇ、それってルナの顔が私に見えるっていいたいの?」
妹のやや引いたような突っ込みに、兄は呆れた声で反撃した。
「馬鹿言え。どこをどう見たらお前の顔がルナになるんだ。自意識過剰か?」
「なっ!? お兄ちゃんだって全っ然テンマじゃないじゃんっ! 家でジャージ着てポテチ食べてる人がキラキラ王子様なわけないでしょ!」
「ぐっ…!? なら前回の有料ボイス収録の時に『ついで』で録らせたメッセージ、あれは一体なんだったんだ?」
「そ、それを言うならお兄ちゃんだってルナのメン限配信サブ垢で見てるでしょ!? 私、知ってるんだからねっ!」
兄妹間の不毛な言い争いは、やがて互いの精神力が尽きたところで終わった。
「…はぁ疲れた。とりあえず『V王』の事だけ考えよう、お兄ちゃん」
「…あぁ、そうだな」
照れ隠しのようにぶっきらぼうに返すと、兄は再びタブレットに視線を落とした。
その画面には、『V王』本番の参加チーム一覧が表示されている。数多の強豪が並ぶ中、彼の指先は一つの名前の上で、ぴたりと止まった。
――『Starlight-VERSE』。
絶対王者はその未知数の挑戦者が、自分たちの完璧な『物語』にどんな波乱を加えてくれるのかを、心から楽しみにしているようだった。
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