第33話 見えた課題と、奇妙なトレーニング
初日のスクリムから一夜明けた事務所にて。
俺と黒木、そしてらくなの三人は一様に重い顔をしていた。
「……ごめん。最後の場面、完全に私のミスだ」
「…いえ、敵の接近に気付けなかったIGLのせいです」
「……ううん、あたしが全員…倒せてれば…よかった…の…」
誰もが自分の非を認め合う、暗い反省会。
まるで前職で経験した進まない会議のようだ。あの現場では若く経験の浅いリーダーの前で部下たちが各々のミスや遅れを嘆いていたが、結果として根本的な問題解決には至らず、リーダーの管理能力不足が露呈しただけだった。
――その未熟なリーダーというのは他でもない、俺自身だ。
(…だが今は違う。俺はもうリーダーじゃない)
そうだ。俺の役割は皆を率いることじゃない。
この優しすぎるチームがあの時のように、善意の空回りで立ち止まってしまわないよう、影からサポートすること。
「ん…でも気分を切り替えないと。今日だってスクリムの二日目があるし…!」
「…次は、もっと…頑張る…」
二人は目の前のスケジュールに意識を向けることで、無理やり前を向こうとしている。その健気さが、かつての部下たちと重なって俺の胸を締め付けた。
このままではいけない。
根本的な問題を解決しない限り、きっと同じ結果を繰り返すだけだ。
意を決して立ち上がった俺は、二人に向かって静かに宣言した。
「――今日のスクリムは、不参加にします」
「えぇっ!? なんでっ!?」
黒木が素っ頓狂な声をあげ、らくなも驚いたように顔を上げる。
「昨日あれだけ悔しい思いをしたんだから、絶対リベンジしないと! このまま終わるだなんて私…絶対に嫌だよ!」
「先輩の気持ちも分かります。ですが、今のまま戦っても…結果は変わりません」
瞳を大きく開き、さながら威嚇する猫のように鋭い黒木の視線を受け止めつつ、俺は淡々と説明を続けた。
「今、俺達が抱えている問題は二つあります。一つは、黒木先輩のコメント耐性、普段ならスルー出来てしまう内容も、他事務所のイベント中となるとつい気にしてしまう…俺の勝手な分析ですが、どうですか?」
「むぐぐ…コメントは差し控えさせて頂きます…」
急に歯切れの悪い政治家のような答弁ではぐらかすが、その赤らんだ頬が図星であることを雄弁に物語っている。
「それともう一つはIGLの移譲未了。本番までにらくなさんにはチームの司令塔として立ってもらわなければなりません。俺の付け焼き刃の指揮では大会当日のイレギュラーな展開に対応出来ないですから」
俺の言葉にらくなはこくりと、力強く頷く。
言葉数は少なくとも、やるべきことは分かっているようだ。
改めて、俺は黒木に向き直る。
「リベンジの舞台はスクリムではなく、『V王』本番です。そのためにも、今日はお二人の弱点を克服する時間に当てたいと…思ってます」
「んむ、分かったよ。ナオシさんがそこまで言うなら私も頑張るからっ!」
ぐっと強く拳を握りしめて気合を入れた黒木。
だが、すぐに首を横に傾げて問いかけてくる。
「それはそうと、私の弱点…メンタルを強くするって、具体的に何をするんです?」
「あ、はい。それはですね…」
俺は自信を持って頭の中で組み上げた訓練計画を説明しようとした。
が、いざそれを口に出そうとした瞬間、言葉が喉の奥でつっかえる。
(…『先輩に向かって、俺がネットに書いてあるような誹謗中傷を言い続けます』…なんて、言えるか…! 仲間を、自分の口で傷つけるなんて…!)
我ながらあまりの非道徳さに血の気が引く。
じぃっと続きの説明を待っている年下の先輩に見つめられ、思わず俺の口から出てきたのは、支離滅裂な言葉の羅列だった。
「え、えぇっと…その…ですね。いわば、一種の…暴露療法、とでも言いましょうか…。あえて、こう…過酷な言語空間に身を置くことで…耐性を、獲得すると、いいますか…」
「…………?」
黒木の頭上に、巨大なクエスチョンマークが浮かんでいるのが見える。その隣で何となく話を聞いていたらくなも、同じ表情をしていた。
まずい。完全に不審者だ。
「は、はっきり言ってくださいよー! なんなんですか、暴露療法って! 言語空間って! 私そんな賢くないんですからー!」
じりじりと詰め寄ってくる黒木に、俺は観念して叫んだ。
「お、俺が…先輩の集中力を削ぐような、悪口とかを…隣で言いますから、そ、それに耐える訓練です!」
俺の魂の叫びに、黒木はきょとんと目を丸くした後――何かを察したように、にひひと意地悪く笑った。
「へぇー? つまり、私がゲームしてる横でナオシさんが耳元で悪口を言ってくるってことですか? …ふーん、面白そうじゃないですか。やってやりましょう!」
「……え?」
予想外の反応に俺は些か不安を覚える。
まさかとは思うが、俺のように見知った人間からの罵倒はまるで効かないとか、そういう算段なのか。それはそうと耳元で囁くなんて一言も言っていないが。
「ほらほらー、もうゲームの準備は出来てますから! ナオシさんも早く椅子を持ってきて言葉責めの準備をしてくださいっ!」
やけにノリノリで訓練に備える黒木に、俺はタジタジだった。
「…そ、そんな意味で提案した訳ではなくて…」
「……ナオさん、言葉責めって……何……?」
ふと隣を見ると純粋な瞳でこちらを覗き込んでくるらくなの顔がある。
そんな目で見ないでくれ。とてもじゃないが説明なんて出来ない。
「あ、らくなちゃんはまだ知らなくていいよっ! 大人の階段を登るのって大変なんだからねー!」
「…おとなの、…階段…??」
「…黒木先輩、適当なコト言わないでください…」
そんなカオスな状況の中、黒木のメンタル訓練が始まった。
「せっかくなのでもし私が心を乱されずに5キル以上できたら、ご褒美としてナオシさんがコンビニスイーツ奢ってくださいね!」
「わ、分かりました…」
俺は恐る恐る自分の椅子を黒木の真横にぴったりとつける。
ゲーム画面に集中しようとする彼女の横顔が、やけに近い。シャンプーの甘い香りがふわりと鼻をかすめて、思考が停止しそうになる。
(ち、違う! 俺は今からこの人に悪口を言うんだ…! 集中しろ、須藤ナオシ…!)
颯爽と戦場へと降りていく彼女のキャラクターを見ながら、俺はおずおずとネットで拾ってきたテンプレ悪口を囁いた。
「えーっと…『カナタの笑い方、なんか、胡散臭い』…」
「はいはい、もっと言っちゃってくださいよー! 全然聞こえませーん!」
鼻息混じりに敵を撃ち抜いていく黒木に、俺はもう少しだけ声を張る。
「『今日の企画、手抜きじゃね?』…『ていうか、男とコラボすんな』…うっ…」
「にゃはは! 全然効きませんねー! その程度ですか、ナオシさん!」
平然とキル数を稼いでいく彼女とは裏腹に、むしろ俺自身のHPの方が罪悪感でゴリゴリ削られていく。
(…全然効いてない。これくらいの罵詈雑言なら聞き慣れてるのか…それはそれで可哀想だが、このまま何事も無く終わるのも俺のプライドが…)
考えれば考えるだけ、黒木という存在が分からなくなる。
何も思いつかなくなった俺はついにパニックに陥り、思ったままの感想を口に出してしまう。
「…あ、あの…今日の髪型も、その…すごく、似合ってます…」
瞬間、黒木の肩がびくりと跳ね、コントローラーを持つ手が止まった。
キャラクターはあらぬ方向を向き、虚空に向かって弾丸を乱射し始める。
「ぶふぉっ!?」
数秒後、彼女は顔を真っ赤にしてこちらを振り返った。
「な、なな、何言ってんですか!? 悪口って言ったのにそういうコト言うなんて…ズルいですよっ、ナオシさんのばかーっ!」
「す、すみません…! つい本音が出てしまって…!」
「本音って言うなー!」
そんなとても訓練とは言い難いドタバタ騒動劇の一部始終を、らくなはスマホのカメラで無言で撮影していた。
◇
コンビニスイーツを賭けた勝負は、言うまでもなく俺の惨敗に終わった。
事務所のテーブルには、俺が買ってきたシュークリームとミニパフェが並ぶ。
「いやー、ナオシさんの言葉責め、意外と効果ありましたねー!」
「そ、そうですか…?」
「うん! これで本番にどんなコメントが来ても、ナオシさんの『似合ってます』よりはマシだって思えそう!」
「…あ、はは……」
シュークリームを頬張りながら、黒木はなぜか吹っ切れた表情で笑っていた。
俺は計画の失敗と財布へのダメージに項垂れるしかなかったが、結果的に彼女の心が軽くなったのなら、まあ良しとしよう。
「…結果オーライ、ということにしておきましょう…」
俺がそう結論づけると、黒木は「ごちそうさまでした!」と元気よく手を合わせた。
「さて、私の問題は解決したし…次はらくなちゃんの番、だね?」
その言葉に、プリンを食べていたらくなの動きがぴたりと止まる。
そうだった。このチームにはもう一つの大きな課題があるのだ。
こうして息つく暇もなく、『V王』本番に向けた奇妙な特訓は第二ラウンドへと突入する。
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