閑話 黒木カナタと、いう女
「~~~……♪」
夕暮れに染まりつつある駅前通りを浮足立って歩く、私。
充足感と達成感でこの世の全てが輝いて見える…なんていうと大袈裟かもしれないけれども。
(いいじゃないの、こんな時くらい! だって今日の私はと~っても頑張ったんだもんっ!)
胸の内に居る『大人しい私』に見本を見せるかのように、夜の帷に抗う太陽みたいな笑顔でにっと笑った。
私は――そう、『黒木カナタ』。
まだまだ知らない人も多いけれど、実は一万人もの登録者を抱える未来の大人気アイドルVtuberなんですっ!
今日の社長案件の収録だって、大成功だった。
初めて会う有名な配信者さんたちとも、ちゃ~んと仲良くなれたし!
手応えは、十分すぎるほどある。この動画が公開されればきっと、今以上にたくさんの人が『黒木カナタ』を、そして『Starlight-VERSE』を知ってくれるはず。
(そのためにはもっと努力して、上に行かなきゃ。歌もダンスもいっぱい練習する。らくなちゃんやナオシさんのためにも、私がもっともっと輝かないとね!)
そんな希望に満ちた未来予想図を心に思い描きながら、何気なく隣の店に視線を向けた瞬間。
ふと、ショーウィンドウのガラスに映る、ひどく疲れ切った素の顔と目が合ってしまった。
――え、だれ、この人?
そこにいたのは、『黒木カナタ』じゃない。
何ら覇気のない、どこにでもいる普通の…いや、普通以下の女の子だった。
(……あ……)
途端、私に掛かっていた魔法が解ける。
その顔が前に見たらくなちゃんのあの寂しそうな表情と、不意に重なる。
『学校、行ってない、から…』
かつてあの子が言っていた言葉が、ブーメランみたいに回り回って、今度は私の胸へと突き刺さる。
(――私も、同じ…なんだよね……)
足が、止まった。
さっきまでの高揚感は、全部消えた。
急に、家に帰るのが、怖くなった。
らくなちゃんのこと、笑えない。
だって私も、ほとんど大学に行っていないんだから。
このままじゃ、中退は確実だろうな。
そんな未来が、はっきり見えちゃってる。
でも、こんなどうしようもない私なのに。
両親は何も言わず、私の夢を後押してくれた。
お金のことなんて気にしなくていいって。
自分の人生なんだから好きにやりなさいって。
優しくて、温かい記憶。
それが余計に、今の私の胸の奥を締め付ける。
(…結局、私は…二人の優しさに甘えてるだけ。夢を追うなんて…格好のいい事言ってるけど、ホントはただ…見たくない現実から、逃げてるだけ…)
ふらふらと、足が向かうまま、行く宛もなく街を彷徨う、私。
まるでハロウィン・イベントに出てくるゾンビみたいだなって。
(…ダメだ、まるで笑えないや。表情筋までゾンビになっちゃったのかな)
やがて、目に止まったのは駅から外れた場所にある、コンビニエンスストア。
何か甘いものでも買って、このどうしようもない気持ちを、誤魔化そう。
そう思って、自動ドアを潜ろうとした、まさにその瞬間。
店の前で、缶コーヒーを飲んでいる男の人と目が合った。
須藤ナオシ…さんだった。
(――最悪)
見間違い、であって欲しかった。
いやいやそんな鬱屈した考えなんてしてる場合じゃない。
今すぐ、『黒木カナタ』の仮面を被らなきゃ。
笑顔の作り方が思い出せない。けど、それでも、笑わなきゃ。
「あ、お疲れ様でーす! ナオシさんも、お仕事帰りですかー?」
なんとか絞り出した声に、ナオシさんは少しだけ驚いた顔をした後、穏やかに頷いた。
「ええ、まあ…。それより、黒木さんこそ、お疲れ様でした。今日の案件、首尾は如何でしたか?」
――ああ、そうだ。
この人は、私のマネージャーなんだった。
まず、今日の仕事の話をしなきゃ。
そんな当然の事すら頭から抜けているなんて。
「はいっ! もう、バッチリでしたよ! 共演した皆さんも、すっごく良い人たちで…!」
必死に、いつもの『黒木カナタ』を演じる。
今日の成功をできるだけ明るく、できるだけ楽しそうに。
そうすれば、この仮面の下の…疲れ切った素顔には、気づかれないはずだから。
「それは良かった。社長も…きっと喜びます」
ナオシさんはそう言って、優しく微笑んだ。
普段通りの穏やかな反応に、私はほんの少しだけ、油断してしまったのかもしれない。
「…ですが、少しだけ、顔色が悪く見えます。…何か、ありましたか?」
分析狂の鋭い言葉が、私の一番弱い部分に突き刺さる。
(…やめて。そんな顔、しないで…)
ナオシさんの、控えめだけど心配げに見つめる瞳。
いつもはすぐ逸らすくせに、どうしてこういう時に限って。
「…ゃは…なんでも、…ない、ですってば…」
――ダメだ。うまく、笑えない。
頬が引きつって、声が震える。
一番バレたくない人に、バレてしまう。
私が、『黒木カナタ』じゃないって。
「…黒木さん」
唐突に、名前を呼ばれる。仮面の方の名を。
だってそれが彼にとっては私を指す、本当の名だから。
「……今は、お仕事の時間じゃありませんから。『黒木カナタ』でいる必要は、ないんです」
――だから、その言葉は本当に、効いた。
『黒木カナタ』でいる必要はない?
そんな台詞、Vtuber界では絶対ご法度の大失言ですよー!
もー、これだからSudoさんはデリカシーが無いって言われるです!
しっかりしてくださいよー、一応私のマネちゃんなんですからね!
ま、いいですよ。私はメンタル強者ですから。
これくらい…
「…………ぁ……」
張り詰めていた最後の糸が、ぷつりと、切れてしまった。
作ろうとしていた笑顔が、完全に、崩れ落ちる。視界が、ぐにゃりと歪む。
立っていられない。脱力して、その場に崩れ落ちそうになる、私の身体。
「…っ、黒木さん!?」
それを、ナオシさんの思ったよりもずっと大きな腕が、力強く…でも優しく、抱きとめてくれた。
ジャケット越しに伝わる、彼の体温。嗅いだことのない、少しだけビターな、大人の男の人の匂い。
(あれ……? 私…今、何して……?)
瞬間、飛びかけていた私の思考が沸騰する。
「――っ!?!?!?」
咄嗟に、手が、出た。
本当に申し訳ないけども、顔を真っ赤にして勢いよく彼を突き放す事しか、私には出来なかった。
「なななな、なにするんですかーっ!?」
「い、いや、倒れそうだったから…!」
「だ、抱きつかなくても、いいじゃないですか! 変態! セクハラマネージャー!」
「そ、そんなつもりは…!」
さっきまでの清楚な私は何処へやら。
まるで配信中のように彼を罵倒する台詞が出るわ出るわ。
でも、ひとしきり慌てふためいた後、急に冷静になる。
助けてくれた人に対して、あまりに失礼すぎた。
「…………その、…さっきは、…ごめんなさい……。…それと、…ありがと、…ございました……」
心からの反省と、謝罪。そしてお礼の言葉。
それを聞いたナオシさんは、少しだけほっとしたように息を吐く。
「…いえ。こちらこそ、すみません。驚かせてしまい…」
「ううん、そんなこと…ないです」
「もう、大丈夫ですか?」
「は、はいっ! もう、全然、ピンピンしてますので!」
ぶんぶんと、大げさに両手を振ってみせる。
それはどう見ても普段のカナタでも、『私』でもないけれど。
それでも、彼にはちゃんと伝わったみたい。
「…そうですか。なら、良かった」
ナオシさんはそう言って、また穏やかに微笑んだ。
すると、何故だか視線を戸惑わせつつ、こう続けた。
「あの、もし、良ければですけど…。途中まで、送りましょうか?」
私には分かる。それが100%善意からの申し出だって。
けれどほんの少しだけ、その言葉には悪い響きがあったから。
だからつい、いつもの『黒木カナタ』の笑顔で、彼にとびっきりの意地悪を、言ってやった。
「――もしかして、ナオシさん。送り狼になるつもりですかー?」
「…………へ?」
時間にして十数秒。恐竜の痛覚並の遅延を超えて。
意味を理解した彼が、今度は顔を真っ赤にする番だった。
「なっ…!? ち、違います! そういう意味では、断じて…!!」
「――なーんて。冗談ですよ、冗談!」
しどろもどろになる彼を見ながら、私はくすくすと、笑いをこらえきれずに、言った。
「それじゃ、私、こっちなので!」
くるりと背を向ける、私。
もう、振り返らない。
だって今の私は、きっと人生で一番締まりのない、だらしない顔をしてるから。
「――また、明日。事務所で会いましょうねっ!」
「…はい、お気をつけて」
背後から聞こえてくる彼の声に押されるように、止まっていた足を動かす。
悩みはまだまだ、これからも増えていく。
けど、今の私はもう一人じゃない。
いつかきっと、あの人に、本当の名前を打ち明けられる日が来るように。
その確かな予感を胸に、私は未来に向かって歩き出した。
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