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第3話 胡散臭い勧誘と、ゲームオーバー寸前な現実

「…え?」


 彼女の唐突な申し出に、俺は間抜けな声しか出せなかった。

 散らばった荷物を拾ってくれただけの見ず知らずの女の子。その恐らくは伊達であろう大きなメガネの奥から、ギラついた瞳が俺を射抜いている。


(なんだ…? なんなんだこの状況は…?)


 俺が困惑して黙り込んでいると、彼女は俺の手から履歴書とノートをひったくるように取り上げ、再び熱心に読み始めた。


「すごい経歴じゃないですか。有名IT企業でチーフエンジニアまでされてて…。なのに今は無職でこんな狂気的な分析ノートを作ってる。これはもう奇跡ですよ!」


 矢継ぎ早に個人情報を読み上げられ、俺の警戒心は一気に臨界点へと達する。


(ヤバい、こいつは相当たちが悪いタイプの人間だ…!)


 初対面の相手の個人情報を、許可なく吟味するその姿。常識が著しく欠如しているか、あるいは…そんな常識など意にも介さない目的があるかのどちらかだ。


「あの、返してもらえませんか。それ、個人情報なんで…」


 俺の弱々しい抗議を彼女は「あ、すみませーん」と軽い調子でいなした。しかし、書類を返す気配はない。それどころかこちらへと視線を移し、探るように小首を傾げた。


「ちなみに、この後って何かご予定とかあったりしますか? さっき『お時間ありませんか』ってお聞きしましたけど…」


(やばい、逃げられない流れになってる…!)


 頭の片隅で警報が鳴る。これは勧誘の常套句だ。相手に断る口実を与えないよう、まず外堀から埋めてくるやつ。ここは当たり障りのない嘘をでっちあげてやり過ごすのが懸命だろう。


「…ハローワークに、行くところ、だけど…」


(なんで正直に言っちゃうんだよ、俺のバカタレ! 半年間まともに人と話してないと、口の動かし方まで忘れちまうのか!?)


 俺が内心で盛大なセルフツッコミを入れていると、目の前の彼女の目がカッと見開かれた。まるでSSRキャラのガチャ演出のように、メガネの奥がキラリと光る。


「ハローワーク! でしたら、ちょうどよかった!」


 彼女は満面の笑みでポンと手を叩くと、まるで獲物を見つけた肉食獣のように、俺にぐっと顔を近づけた。


「私と一緒に来てください! あなたのその『頭のオカシイ分析力』が必要なんです!」


(あたまの、おかしい…?)


 その言葉は、俺の胸に妙な形で突き刺さった。

 自分の分析が常軌を逸している自覚は、痛いほどあった。数少ない友人からは「暇人」「そこまでやるとか病気」と呆れられ、家族からは「こだわりすぎると周りから置いていかれるよ」と罵られた。誰からも理解されない、自分でも持て余していた無価値の執念。

 それを目の前の彼女は「必要だ」と言った。蔑むでもなく、どこか楽しそうに。


(……ダメだ。こんなので嬉しくなってどうする。普通、初対面の相手に『頭がおかしい』なんて言わないだろ。それを平然と言ってのけるこの(ひと)こそ、やっぱり普通じゃない。俺の歪んだ自尊心を的確にくすぐって、油断させる巧妙な手口だ…!)


 芽生えかけた微かな喜びを、必死に理性で押さえつける。

 こんな狂った情熱を「必要」とするまともな組織があるはずない。だとしたら、彼女が言う「事務所」とは一体何だ?


 その単語が、俺の脳内で危険信号を鳴らす。


――気づけば高額な教材を買わされているセミナー会場、すなわち『事務所』だ。

――数百万の絵の契約書にサインさせられる画廊、すなわち『事務所』だ。

――ありがたい壺をローンで買わされる薄暗い一室、すなわち『事務所』だ。


 目の前の彼女の笑顔が急に張り付けたような、恐ろしいものに見えてきた。


「い、いえ、結構です! 俺、そういうのにはこれっぽっちも興味ないんで!」


 俺は脱兎のごとくその場から逃げ出そうとするも、華奢な見た目からは想像もつかない力で腕をガシッと掴まれた。


「壺も絵も売りません! 変なセミナーでもありませんから! お願いします、話を聞くだけでもいいので!」

「ひっ…! 思考盗聴されてるっ!? やっぱりエスパーか何かなのか!?」

「顔に『壺売られる』って書いてありました! とにかく、百聞は一見に如かず! ついてきてください!」


 もはや勧誘というより拉致だ。俺は抵抗する間もなく腕を引かれ、なすがままに公園から引きずり出されてしまった。


 ◇


「うちの事務所、駅から近いのが唯一の取り柄なんですよー! まあ、近いだけなんですけどね! にゃはは!」


 駅前の大通りを歩きながら、腕を掴んでいる女は俺の警戒心など意にも介さず、明るく話しかけてくる。


(笑い方が胡散臭い…! いや、それ以前に語尾が変だ…! なんだ『にゃはは』って! これは完全に何かを隠している時の笑いだ…! 落ち着け須藤ナオシ…)


 俺が内心で必死にシミュレーションを繰り返している一方で、腕を引く彼女の力は少しも緩まない。時折、何かを思い出したように「あ、そういえば!」と俺の顔を覗き込んでくる。


(うっ…顔が近い…)


 腰まで伸びた綺麗な黒髪。大きなメガネの奥から覗く、好奇心に満ちた瞳。何より、さっきから絶えず話しかけてくる声が上質なASMR作品のように耳心地がいい。


 半年間、PCのモニターとしか会話してこなかった俺にとって、その刺激はあまりにも強すぎた。


(…いや、待てよ。そもそも今の俺に、失うものなんてあったか?)


 預金残高は風前の灯火。プライドだった分析動画は有名配信者にパクられた。社会的な地位もなければ、輝かしい未来の展望もない。


(…もし仮にこれが本当に怪しい勧誘だったとして、こんな可愛い女の子とお近づきになれるなら、その代価として壺の一つや二つ買わされてやるのも悪くないんじゃないか…? いや、むしろご褒美まである)


 思考が一周して、妙な境地に達してしまった。顔から、ふっと力が抜ける。

その変化に気づいたのか、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「あの、どうしました? 急に真顔になって…」

「いえ、なんでもないです。早く『事務所』とやらに行きましょう」

「え? あ、はい!」


 俺の突然の変貌に戸惑いながらも、彼女は嬉しそうに再び歩き出す。

 そう、どうせ終わっている人生だ。ならばせめて、最後に少しでも楽しいイベントがあってもいいだろう。俺はそんな歪んだ希望を胸に、自らの足で破滅へと向かうのだった。


 やがて彼女は駅前の交差点で足を止めた。そして、目の前にあるひときわ立派なビルを指さす。


 ガラス張りで、太陽の光を反射してきらめく10階建てのビル。エントランスには観葉植物が置かれ、スーツを着た人々が忙しそうに出入りしている。いかにも「オフィスビル」といった佇まいだ。


(お、おお…なんだ、ちゃんとしたビルじゃないか…。俺の考えすぎだったか…?)


 一瞬、俺の警戒心が氷解しかけた。だが、現実は非情だった。


「…じゃなくて、こっちです!」


 彼女はその立派なビルをあっさりと素通りし、その裏手、ビルの陰に隠れるようにして建っている、古びた雑居ビルを指さした。

 壁は薄汚れ、窓という窓にはスチール製の柵がはまっている。ビルの入り口にはスナックだか雀荘だかの看板が錆びついたまま放置されていた。俺が最も警戒していたタイプの建物そのものだ。


(終わった…俺の人生、今度こそここで強制終了(ゲームオーバー)だ…)


 俺の安堵は、いとも容易く絶望に変わった。これからあの建物の中で何が待ち受けているのか。俺のなけなしの貯金と人としての尊厳は、果たして無事でいられるのだろうか。三度目の人生の終わりを予感しながら、俺はただ、彼女に引きずられるしかなかった。

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