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第22話 不器用な親娘と、サイレントな愛情

 通されたリビングは、意外なほど片付いていた。

 中央には大きなローテーブルと三人掛けの革張りのソファ。その向かいの壁には大型の液晶テレビが鎮座している。一般的な家庭よりも裕福な感じがする。


「…そこに座ってくれ」


 ぶっきらぼうな言い方だが最初よりもやや棘は抜けた様子で、父親が俺を奥のダイニングテーブルへと案内する。娘もそれに続き、俺と彼女は向かい合って座ることになった。


 目の前の彼女は顔を俯かせたまま、恐る恐る目線だけをこちらに向けている。

 まるで先生に怒られるのを待つ生徒のようだ。


「…………」

「…えっと……」


 何から話すべきか。

 気まずい沈黙の中、俺が思案していると手元にコトンと可愛らしいコップが置かれた。


「――ほらよ、茶だ」

「あ、ありがとうございます…」


 キッチンから戻ってきたらしい父親が、お盆に乗せた3人分のグラスを並べていく。意外と気が利く人だ、と思っていると、そのまま娘の隣に座った。


「…俺も、父親として話は聞かせてもらう」


 じろりと、相変わらず鋭い目つきで睨みながら呟く。


「未成年の娘の話だ、当然の権利だろ。…文句、ねえよな?」

「え、えぇ…勿論です」


 やましい理由もないので了承するが、どうしても気になる言葉があった。

 俺はそのまま視線を横にスライドさせて彼女を見る。すると彼女はしまった、というニュアンスで目を見開き、再び顔を俯かせた。


(…未成年…って、え、マジで…?)


 途端、俺の思考がフリーズする。

 あのどこか手慣れたメールの文面と異次元のプレイスキルから、俺はてっきり成人しているものだと、勝手に思い込んでいた。


(…だとしたら、そもそも契約には最初から親の許可が必要だったんじゃないか…!)


 完全に頭から抜け落ちていた。

 彼女の才能に舞い上がり、マネージャーとして最も基本的な確認をすっ飛ばしてしまっていたのだ。


 致命的とも言える失態。

 だが――その思考は、すぐに別の結論へと切り替わった。


(…いや、待て。だったらむしろ、良かったのかもしれない)


 今日、俺がここに来た意味。

 そして、目の前にいる彼女の父親と腹を割って話せる状況。

 現在抱えているトラブルを全て、解決出来る絶好の機会だ。


 そう理解した瞬間、俺の背中を伝っていた冷や汗は、すっと引いていた。

 やるべきことは、何も変わらない。

 俺はただ目の前のこの人に、俺たちの全てを誠実に伝えるだけだ。


「…須藤さん、だったか」

「は、はい」

「あんた、事務所のモンって言ってたよな。親の許可も取らずに娘をアイドルだかモデルだか知らねえが、見世物にしようって魂胆だったのか?」

「…い、いえ!そういうことでは決して…!?」

「なんだ、まさか未成年とは思わなかった…なんてテレビでよく聞く言い訳でもする気か?見りゃ分かんだろ、こんなガキっちょが成人してるはず――」 


 矢継ぎ早に飛んでくる、正論の弾丸。

 子を思う親だからこその主張に俺が打ちのめされそうになった、瞬間。


「――うるさい」


 凛としながらも芯から冷え切った声が、リビングの空気を凍りつかせた。

 声の主はそれまで一切会話に口を出さずに黙っていた娘だった。


「り、りな…?」


 父親が、狼狽したように娘の名前を呼ぶ。

 だが、彼女はゆっくりと顔を上げると隣に座る父親の目をフードの奥からじろりと睨みつけながら、ボソリと呟く。


「…あたしが、わるい」

「は…?」

「…あたしが、ナオさんに、『未成年』って、言ってなかった…だけ。ナオさんは、悪くない…」


 か細くも一言一言区切るような、はっきりとした口調。

 それは俺の前で見せる怯えたような声とは全く違う、“家族”にだけしか見せない素の一面だった。


「だ、だが、しかしだな! この男は、お前を…!」

「別に、無理やりじゃない。あたしが自分で…行くって、言ったの…」


 父親の反論を、彼女は淡々と事実だけで次々と論破していく。

 その光景に、俺はただただ呆然とする。


(…え? なんだこの状況…。俺、もしかして親子喧嘩に巻き込まれてるだけ…?)


 徐々に心の奥の氷が解けていくように、彼女の喋りが熱を帯びていく。

 

「とにかく! お父さんは、ちょっと、黙ってて!」

「なっ…! なんだ、その口の利き方は…!」


 親としての威厳を取り戻そうと、声を荒らげる父親。

 しかし、それに対して彼女はふいっとそっぽを向くと、この議論における禁断の最終兵器を躊躇(ためら)わず口にした。


「…………じゃあ、もう、ごはん、作らない」

「――っ!?」


 ごくごくありふれた家庭的な、ただし父親にとっては致命的すぎる一撃。

 さっきまでの鬼のような形相はどこへやら、父親の顔が見る見るうちに青ざめていく。


「ま、待て、りな! それとこれとは…は、話が別だろうが!」

「…知らない。お父さんが、ナオさんに、謝るまで、絶対…作らない」

「そんな、無茶な…!」


 気がつけば、親娘の…いや、俺と父親との立場は完全に逆転していた。


 父親はしばらく考え込むように天井を仰いでいたが、やがては観念したように深いため息を吐く。

 そして、俺の方へと向き直ると、心底バツが悪そうな顔で頭を下げた。


「……悪かったな、若いの」

「え…」

「…その、なんだ。よく知りもしねえで、アンタのこと、ネットのゴロツキみてえに決めつけてよ…」


 だがな、と父親は続ける。

 今度は真剣な目で、俺を見つめていた。


「一昨日から、あいつがあんたらのいう仕事とやらを始めてから…ずっと元気がなかったのも事実なんだ。飯も食わずに部屋に閉じこもって…。親として心配にもなる」


 そういうと彼は椅子を引いて立ち上がり、隣でそっぽを向いている娘に向けて優しくもどこか寂しげな視線を送った。


「…頑固なだけの、心配しか出来ない情けない親だ。だから…」


 父親は俺の肩をぽんと一つ、力なく叩いた。


「アンタが代わりに聞いてやってくれ。あいつの、本当の気持ちをな」


 そう言うと、彼はもはやこの場にいるのが耐えられないとでも言うように、リビングを出てどこかへ行ってしまった。


 嵐が去り、静寂が残される。

 テーブルに居座るのは俺と、父親の不器用な愛情を受け止めてさらに小さくなった少女だけ。


「…いいお父さん、ですね」

「…………」


 俺の言葉に彼女は答えない。

 ただ僅かに、パーカーのフードが縦に揺れたように見えた。


 これでようやく、話ができる。

 俺は改めて目の前のか細い少女――りなと、まっすぐに向き直った。

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