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第20話 比類なきポテンシャルと、忍び寄る暗雲

 宵星らくな、デビュー配信当日。

 開始五分前の事務所は、静寂と極度の緊張感に支配されていた。


「だ、大丈夫だよー、らくなちゃん! 深呼吸、深呼吸! とりあえず、自己紹介さえできれば、百点満点だからねー!」

「……ぁ……ぅぅ……………」


 配信用PCの前で石の如く固まっているらくなの背中を、黒木が必死にさすっている。


 少し離れた場所では社長が胃薬を片手に、祈るようにその光景を見守っていた。

 俺も技術的な最終チェックを終え、ただ固唾を飲んでその時を待つ。


 モニターの片隅に映る配信待機所のチャット欄だけが、この場の空気とは正反対の期待に満ちたコメントで高速で流れていく。


【スタライ待望の新人!】

【どんな子?】

【シルエットからして期待大】

【カナちゃんの妹分っぽい】

【伝説の始まりを見に来た】


 そして、運命の時刻。

 カウントダウンが、ゼロになる。


 配信画面には、静かに佇む一人の少女のアバターが映し出された。

 腰まで届く、光を吸い込むような深い藍色の姫カット。

 その髪の内側からは淡いピンクと水色の差し色が、はにかむように顔を覗かせる。


 服装は黒を基調としたゴシック調のワンピース。胸元で結ばれた大きなリボン、幾重にも重なるスカートのフリルが、彼女の可愛いらしさを際立たせている。


 だが、何よりも印象的なのはその瞳だった。

 吸い込まれそうな瑠璃色の瞳はどこか虚空を見つめ、感情の起伏を感じさせない。


 しかし、その瞳の中に、たった一つだけ。

 キラリと、瞬く星のようなハイライトが力強く輝いていた。


【うおおお可愛い!】

【ゴスロリ系か!】

【はい登録確定】

【ガワはいいな】

【声は!?】

【喋ってくれー!】


 完成された、静謐で美しいアバターデザイン。

 チャット欄は、彼女が声を発するより先に熱狂の渦に包まれた。


 数十秒の重い重い沈黙。

 やがてらくなは震える声で、最初の言葉をかろうじて絞り出す。


「………………こ、…こん、、にちは………」

「…………よいぼし、らく、な……です……………」


 それは、声と呼ぶにはあまりに頼りなさすぎた。

 だがその僅かな一声には不思議な透明感と、聞く者の庇護欲を掻き立てる、唯一無二の魅力が宿っていた。


【声ちっさw】

【かわいいw】

【守りたい、この声】

【緊張してるのかな?】

【もっと喋って!】


 チャット欄は概ね好意的な反応で即座に埋め尽くされた。


「…………………」


 しかし、その自己紹介で彼女は全てのMPを使い果たしてしまったらしい。

 視聴者の好意的な反応とは裏腹に、らくなは完全にフリーズ。用意された台本を読むことも、次の言葉を発することもできず、再び沈黙が訪れた。


【あれ?】

【マイクミュートになってる?】

【まさかの名前だけで配信終了は草】

【おいこらMudo何とかしろ】


(ま、まずいか…? 初配信で上手く喋れないのはVtuberあるあるだが…さ、さすがにこれ以上の沈黙は……)


 俺が焦りを覚え始めた頃、チャット欄にはマーク付きのコメントが流れる。


「らくなちゃーん!がんばれー!」

「緊張してるのかな?黒木先輩が応援してるからねー!」


 見かねた黒木が、自身のチャンネルのチャット欄――コメント芸人として、必死に応援の弾幕を送る。


【あ、黒木パイセンだ!】

【おーい、事務所の先輩がコメントしてるよー?】

【あれ、無反応?】

【初日から不仲とかやめてね】


 それでも事態は好転せず、数分間の地獄のような沈黙が続く。

 俺の額にも、嫌な汗が滲む。


(ダメだ…このままでは、ただの事故で終わる…!)


 マネージャーとして、強制終了のボタンに手をかけかけた、その刹那。


「……い……いまから……あたしの…と、得意なゲーム…やりましゅ…」


 ボソリとそう呟いたと思いきや、らくなの配信にはエーペックスの起動画面が映る。

 

【お?】

【何のゲーム?】

【エペかよwww】

【らくなちゃん、無理しないでね…】


 チャット欄は期待よりも不安の方が大きく、やや荒れ気味の気配だ。

 それでもらくなは気にせず…というよりはそもそもチャット欄を見る余裕もないようで、そのままカジュアルプレイでのマッチングが完了した。


 そして戦場に降下した瞬間、彼女は――“変貌”した。


「………………」


 相変わらず、彼女は一言も発さない。

 ただそのプレイの一つ一つが、何よりも雄弁に彼女の「自己」を語っていた。


 神がかったエイム。早回しのような迅速な回収と立ち回り。目に入る敵を、圧倒的な暴力で片っ端から蹂躙していく。


【は?うま】

【チート使ってません?】

【おいおいバケモノかよ】

【エイム綺麗すぎる】

【らくな最強!らくな最強!らくな最強!】


 次第に視聴者は最初の弱々しすぎる声と圧倒的なプレイとの、あまりにも極端なギャップに魅了されていく。


 十数分後。

 燦然と輝くチャンピオンの文字を見せつけたらくなは、一言だけ。


「…………い………いじょう……、です………」


 そう呟いて、初配信を終了した。


 ◇


 「らくなちゃんっ!お疲れ様っ!すごかったよ~~~!!!」


 配信終了後、まず真っ先に声をかけたのは黒木だった。

 

「途中までは正直不安だったけど、エペ始まってからはコメント欄もすっごく褒めてたよ!私も思わず見入ってたもん!」

「……ぁ……はい……」


 興奮する黒木とは対象的に、らくなはPCデスクの上でスライムのようにだらりと垂れ下がっている。よほど精神と体力を消耗したのだろう。

 ふと、彼女の視線が俺と交差する。


「……ぁ…の……、せんせ、い…は……、どう、で…した?」

「…えぇ、素晴らしかったです。らくなさんの良さであるFPSの腕前も表現出来ましたし、チャンネル登録者数も――」


 と話している途中で、横からツンツンと肘で突かれる。

 視線を映すと半分目を細めて何やら不機嫌そうな黒木の顔があった。


「あのー、須藤さん?今はそーゆー褒め方じゃないと思いますよー?」

「えっ!?」


 言われてらくなの顔をもう一度見るが、既にパーカーで目線を隠されてしまい、彼女の表情からは感情を読み取れない。


「…えっと、その……、最後まで諦めずに配信を続けられたのが、俺は一番嬉しかったです……」


 結局口から出たのはおためごかしのない、自分の気持ちに率直な答え。

 するとらくなはビクリと肩を震わせて、おずおずと俺の方に目線を戻す。


「……ぁ……りがと……ござ……ます……」

「やれば出来るじゃないですか!須藤さんも!このこのー!」

「ちょっ!?黒木さん…ポカポカ叩かないでください…、じ、地味に痛いです…」


 三者三様で取り柄の違う俺達だが、集まれば必ず何か達成できる。

 少し離れた位置から微笑ましく見守ってくれる社長も、きっと同じ考えだろう。


 これで事務所の結束は固まった。

 そう、俺は考えていた。


 ――翌朝までは。


 ◇


 次の日、午前十時。


「おはようございます」

「あ、須藤さん!おはようございまーす!」


 普段通りに事務所へと赴いた俺は、すっかり慣れた調子で挨拶する。既に黒木は今日の午後一時から行われる予定のエーペックス練習配信の準備を始めていた。


「らくなさんは、まだですか?」

「まだみたいですねー。集合時間は十時半からなので、もうすぐ来ると思いますよ」


 だが、約束の十時半を過ぎても彼女は現れない。


「…あれー? おっかしいなー?」


 小首を傾げる黒木。

 DMにも電話にも応答がない。


「ははーん、さては昨日の大成功でちょっと調子に乗っちゃってますかねー? 先輩として、後でビシッと言っておかないと!」


 そんな軽口を叩ける余裕が、まだ俺たちにはあった。


 そして、運命の午後一時。

 練習配信の開始時刻になる。


 三人で並ぶはずだった配信画面には、黒木と俺のアバターだけがぽつんと佇んでいる。チャット欄にも杞憂勢が湧き出し、ざわつき始めていた頃。


「……………さて、と」


 黒木は、すっと真顔になると、完璧な笑顔をカメラに向けた。


「みんなー、ごっめーん! 新人ちゃん、どうやら道に迷ってるみたいでさー! 今日は趣向を変えて私とSudoさんの『新人ちゃんをさがせ! 雑談配信』に変更しまーす!」


 ――そして、時刻は、午後五時を過ぎた。


 黒木と俺の突発雑談はある意味で神回となったが、事務所の空気はもはや笑えないレベルで冷え切っていた。


 結局、最後までらくなからの連絡はなかった。

 俺の脳裏にある一つの、非常にシンプルな結論が形になっていく。


「…あの、黒木さん。これって、まさか…」


 俺の言葉を引き取るように、黒木が引きつった笑顔でこちらを振り返った。


「――らくなちゃん、本日は無断で、お休み、ですね……にゃは、は…」

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