第16話 ビジネスメールと、私的なお誘い
バズの熱狂から二日が過ぎた、日曜の朝。
四畳半の自室には見慣れたPCが静かに駆動音を立てていた。動画作りを始めたときに購入し、一年以上も生活を共にしてきたいわば俺の相棒とも呼べるマシンだ。
(…今まで俺の動画編集を支えてくれて、ありがとな)
心のなかで短い感謝を伝えつつ、俺は相棒に新たな役割を与えるための最終調整――すなわち、高画質配信に最適化されたエンコーダや音声ミキサーといったプロの配信者として必要な『武器』を一つ一つ丁寧にインストールしていく。
やがて全ての最適化が完了すると、そこには自分の分身である『Sudo』が待機する、専用の配信画面が出来上がっていた。
(…よし、これで今後は自宅からでも配信が出来るようになったな)
そう、これは予てから俺が構想していた自宅配信環境の構築だ。昨日は一日掛かりで個人データのバックアップや、OSの初期化、必要な機材やデータの調整などを行っていた。
おかげで貴重な配信時間を失ったが、代わりに今日から『深夜配信』という今までにない試みに挑戦出来る。毎回事務所で配信していては、この第二のゴールデンタイムとも呼ばれる時間帯を活用できない。効率厨の俺としてはなんとも歯がゆい状態だったのだ。
(…って、すっかり俺も頭が配信者に染まっちまったな…ハハ…)
そんな自嘲めいた俺の思考を遮るように、スマホに『ピロン♪』とLINEの通知が入った。
差出人は『黒木カナタ』。
その名前を見ただけで、心臓がわずかに跳ねる。
(…大丈夫、これはきっといつもの仕事連絡だ、落ち着け)
俺は数回深呼吸をしてから、トーク画面を開いた。
カナタ:須藤さん、おはよーございまーす! 例のPCの件、進捗どうですかー?【猫がヘルメットを被って工事しているスタンプ】
まるでこちらの様子を監視しているようなジャストのタイミング。俺は少しだけ驚きながらも、スマホの画面をタップした。
ナオシ:おはようございます。ちょうど今、終わったところです。
カナタ:え、本当ですか!?さっすがSudo先生っ!
(…いや文字打つのはっや。さすがエゴサの鬼を自称するだけのことはあるな)
シュポポと、こちらのメールに速攻で返ってくる。彼女曰く、配信していないときはTwitterを開いていないと禁断症状が出るとか。なんたるメンタル強者か。
カナタ:それで、今日の配信なんですけど、先生は何時からですかー?
ナオシ:俺は自宅の配信環境のテストも兼ねて、夜9時からにしようかと考えています。
カナタ: お、了解でーす!じゃあ、私は夕方くらいにしよっかなー!
そこで一度、メッセージが途切れる。
(…ん?これで終わりなのか…?)
数十秒の間。
彼女のアイコンの横に「入力中…」の文字が一瞬だけ点灯し、また消えてを繰り返す。その意図を考えようとする直前に、いつもと変わらないテンションのメッセージがスタンプ付きで届いた。
カナタ: あ、そうだ!須藤さんにはアスクロ配信のお礼もしたいので!もしよかったら今日のお昼とか、一緒にどうですかー?【お腹をすかせた猫がフォークとナイフを持っているスタンプ】
「…えっ…!?」
思わず大きめの声が出た。女性から食事に誘われた経験なんて、社会人一年目に保険会社のお姉さんから受けた時くらいだ。突然脳裏に蘇ったなんとも言えない苦い記憶を振り払いながら、返事を考える。
(…どうする? ここで変に期待してる風な返事をすると気持ち悪がられるだろうし、かといって前みたいに既読スルーする訳にも…うぅむ…)
先のマイクラコラボを経て俺と黒木の関係性は、多少なりとも親しくなった実感はある。以前のようにメールが来る度に地雷処理をするような緊張感は無くなったし、時折冗談で返すことも増えてきた。
ではこの場合の最適解は、何か。
時間にして3分。
俺の思考がぐるぐると忙しなく回転した結果、出した答えは――。
ナオシ: ええ。いいですよ。
なんとも平凡で、シンプルな返事だった。
(…待て、さすがに安直すぎるか!? もう少し何かこう、気の利いた感謝の一言を添えたり…相手に合わせて【猫がガーンとなっているスタンプ】とか…いや、男が使うのはキモいか…)
送信ボタンを押した、コンマ数秒後。
即座に後悔の波が押し寄せてくる。
だが、俺のそんな内心の葛藤を嘲笑うかのように、スマホの画面には速攻で彼女からの返信が表示された。
カナタ: やったー!ありがとうございます!【猫が飛び跳ねて喜んでいるスタンプ】
カナタ: じゃあ二時間後に駅前の時計台の下で合流しましょう!
その、あまりにも純粋な喜びの感情と、手慣れた案内連絡。
その温度差に、俺は一人、勝手に深読みして、勝手に自爆していた自分が、猛烈に恥ずかしくなった。
ナオシ: 了解です。
今度こそ、俺は、ただ事実だけを返信した。
◇
一時間後。
俺は未だクローゼットの前で、仁王立ちしていた。
(…まずい。何を着ていけばいいんだ…?)
ハンガーに掛かっているのは、この半年間の俺の無気力な生活を象徴するかのような、くたびれたTシャツや色褪せたジーンズばかり。
どれを選んでも正解な気がしない。
いや、どれも不正解だ。
(…冷静になれ。これはデートとかじゃない。祝賀会の、二次会みたいなモノだ。ほら、社長も言っていた…業務の延長、それだ。だったら下手に気合を入れる方が、逆に、相手に要らぬ誤解を…)
ぐるぐると、また、あの忌まわしき思考の無限ループが始まる。
このままでは一生部屋から出られる気がしない。
俺は自縄自縛の呪いから逃れるため、無理やりその思考を断ち切った。
「…ええい、ままよ!」
結局、その中から一番マシに見えるカジュアルなシャツとズボンを手に取った。
鏡に映るのはあまりにも冴えない、ただのアラサー男性の姿。
Vtuber『Sudo』として、一時名を馳せた男と同一人物とは到底思えなかった。
◇
待ち合わせ場所の駅前。時計台の下。
約束の時間より五分早く着いてしまった俺は、ただ所在なくスマホの画面を眺めていた。
日曜の昼間。
駅前はカップルや家族連れで、どこもかしこも人で溢れかえっている。
(…場違い感が、すごい)
ただでさえ低いHPが、ごりごりと削られていくのを感じる。
このままでは持続ダメで昇天しそうだ。
「――あ、あの…」
不意に、背後からか細い声がした。
俺が振り返ると、そこに立っていたのは――
「…お、おはようございます…、須藤さん…」
淡いピンク色のブラウスに、白いフレアスカート。
普段事務所で顔を合わせているときよりも、どこか清廉で女の子らしい姿に見える彼女の姿があった。
「…急に誘っちゃったのに…来てくれて…ぁ、ありがとうございます…」
目が合った瞬間、彼女はさっと視線を逸らし、俯いてしまう。
LINEであれほど陽気に俺を誘ってきた人と同一人物とは到底思えなかった。
「…い、いえ、こちらこそまさかお誘い頂けるとは…」
消え入りそうな声で挨拶する彼女と対峙し、俺もエセ紳士のような丁寧すぎる言葉遣いになってしまう。
「あ、はは……」
「……はは」
共鳴する、コミュ障特有の愛想笑い。
行き交う人々の奇異な視線が俺達に突き刺さっているのが、肌で感じられる。
(…だ、ダメだ。このままここで陽キャの見世物として一生を終えるわけにはいかない…な、なにか…話を振らないと…)
「あ…と、ところで…今日のお店とかは…?」
「…あっ、は、はいっ!お店!えっと…この近くにあるファミレスとか…どうですか…?」
「…ファミレス! い、行きましょう…!」
ぎこちない会話。
ぎこちない足取り。
俺たちは、ほんの少しだけ距離を開けて、並んで歩き始めた。
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