第12話 ささやかな祝杯と、覚悟のプロポーザル
エンダードラゴンの咆哮と、クリスタルが砕け散る甲高い爆発音がヘッドホンの中で激しく鳴り響いていた。
「Sudoさん、ラストスパートです! クリスタルは私が破壊するので、エンダーマンにやられないよう、安全な場所からドラゴンを攻撃しといてください!」
「…りょ、了解です! すでに一体はボートで捕獲済み…退路も確保してあります…!」
まだ少しどもりは残るものの、初配信の時と比べれば驚くほどスムーズに言葉が出てくるようになっていた。繰り返されたコラボ配信がガチガチに固まっていた喉と緊張を、少しだけ解してくれたらしい。
「おおー、さすが私の一番弟子! 頼りになります! じゃあ師匠、集中させてもらいますね!」
彼女の快活な声を聞きながら、俺は静かに息をついた。
数週間にわたって続いた黒木とのマイクラコラボ配信も今日がいよいよ最終回。目標はこの世界のラスボスである、エンダードラゴンの討伐だ。
初回の配信では木の一本すらまともに切れなかったが、黒木――半ば強引に『師匠』を名乗って、俺を『一番弟子』に任命した元凶――の指導の甲斐あって、今ではすっかりこの四角い世界にも慣れた。
なお途中いつもの分析癖が出てしまい、つい「効率的な黒曜石の集め方」や「ダイヤが見つかりやすいブランチマイニングの最適深度」などをボソボソと語っていると、やがてゲーマー層のリスナーから【有能解説員】【教授】などと、ありがたいんだか不名誉なんだか分からないあだ名で呼ばれるようにもなっていた。
いつしか俺たちの配信は、「マイクラ強者な師匠と偏った知識がある未熟な弟子」という奇妙な、それでいて唯一無二のスタイルを確立しつつあった。
そして今日、その長い旅路もついに終わりを迎えようとしている。
激闘の末、ついにエンダードラゴンを討伐せんとする、まさにその佳境。
俺も黒木も完全にゲーム画面に没入しており、チャット欄の異変には全く気づいていなかった。
【★速報★ あと10人で3000人!】
一人のリスナーのそのコメントを皮切りに、チャット欄の雰囲気が一変する。
【マジか!?】
【いけえええええ!】
【今こそ俺たちの力を見せる時!】
【うおおおおおおおお!!!!】
【#黒木カナタ3000人チャレンジタグ作って拡散してくる!】
討伐の熱狂と、記念達成への期待。二つの感情が渦となり、チャット欄は凄まじい速度で流れ始める。だが、そんなお祭り騒ぎを知る由もなく、俺たちの意識はただ一体のドラゴンにのみ注がれていた。
そして――最後の矢がドラゴンに突き刺さり、断末魔と共に光に包まれて消滅していく。
「や、やったーーー!! やりましたよ、Sudoさん!」
「…ええ、やりましたね」
黒木の歓声に応えながら、俺は達成感から深く息をついた。
チャット欄が【ナイスー!】【GG!】【お疲れ様でした!】という祝福の弾幕で埋め尽くされている。だが、その中に明らかに毛色の違うコメントが混じっていることに、黒木が首を傾げた。
【おめでとおおおおおおお!】
【今の流れなら言える!黒木結婚してくれ!】
【祝・3000人突破!やっぱカナちゃんはすごいよ…!】
【泣きそう】
「え? え? どうしたのみんな? 討伐おめでとう、だよね…?」
チャット欄の異様な盛り上がりに、カナタが戸惑いの声を上げる。
俺は即座に彼女のチャンネルページを確認し、そこに表示されていた数字を見て、息を呑む。
「…黒木さん」
「はい?」
「登録者、3000人、超えてます…」
「…………」
一瞬の沈黙。
「んにゃあっ!?」
鼓膜が破れんばかりの、素っ頓狂な猫のような声が鼓膜を揺らした。
ゲーム画面にはエンダードラゴン討伐の証であるスタッフロールが静かに流れている中、その傍らでくっきりと浮かび上がる『3008』という数字。
「…さんぜん、にん…」
マイクが拾う彼女の声は、明らかに震えていた。
長い間、2000人台後半で伸び悩んでいた彼女にとって、それは大きな大きな一歩だったのだろう。
俺は誰にも見えないようにデスクの下で、小さくガッツポーズを作っていた。
◇
「いやー、めでたい! 実にめでたい! というわけで、今日は無礼講だ! 飲め飲めー!」
社長のそんな鶴の一声で、急遽事務所でささやかな打ち上げが開かれることになった。
テーブルの上には、近所のコンビニで買ってきた唐揚げや枝豆、ポテトサラダといったお惣菜が並ぶ。そして、社長が「こういう日のためにとって置いたんだ」と、戸棚の奥から取り出してきた、少しだけ高級そうなラベルのビールと、色とりどりの缶チューハイ。
「祝・マイクラコラボ完結! そして『黒木カナタ』チャンネル登録者3000人突破に、乾杯!」
「かんぱーい!」
「か、かんぱーい…!」
カチン、と缶同士が小気味良い音を立てる。
俺は人生で初めて、他人の成功を祝う酒がこんなにも美味いものだと知った。
すっかり上機嫌になった社長の饒舌っぷりは、普段の温厚な姿からは想像もつかないほどだった。
「いやぁ、しかし…、まさかこんな日が来るとはなぁ…」
ビールジョッキを片手に、社長はどこか遠い目をして呟いた。
「年寄の自慢話になっちゃうけど、私もいわゆる成功者ってヤツでなぁ、これでも昔は土地をいくつか持っていたんだよ…。何を隠そうこのビルも、そのうちの一つだったんだ」
「えっ、そうなんですか!?」
黒木の驚く声に、社長は「おー、そうなんだよ!」と得意げに頷く。
「けどある日、Vtuberというものに夢を見ちまってね…。銀行も最初は『アニメの絵ですか?』なんて渋い顔をしていたが、私のこの熱意に負けてなんとか融資を取り付けた。だが、人気商売ってのはなにぶん波が激しいモンでなぁ…」
そこで社長は一度言葉を切り、ぐびりとビールを呷った。
「まあ、夢のためだ。黒木くんや、これからは須藤くんもだ。君たちみたいな若者が輝く姿を見られるなら、土地の一つや二つ、安いもんさ。はっはっは…」
(…安いもの、か)
俺は社長の言葉をただ黙って聞いていた。その豪快な笑い声はなぜか少しだけ、寂しそうに聞こえた。
(…本来だったら俺みたいな得体の知れない人間を雇えるほどの余裕なんて、この事務所にあるはずがない。つまり、この事務所の運営費は――)
そんな俺の思考を読んだかのように、社長は少しだけ真面目な顔に戻って続けた。
「…とはいえ、銀行への返済もある。このままじゃ、私もあと一年持つかどうか…だから、君たちに賭けてるんだ! 頼んだぞ、二人とも!」
重い現実を、あえて笑い飛ばすように言う社長。
その瞳の奥には、経営者としての、そして一人の夢追い人としての、本気の覚悟が宿っていた。
「…いかんいかん、少し酔っちまったな。ちょっと夜風に当たってくる」
社長はそう言うと、ふらりとした足取りで席を立ち、ベランダへと続くドアの方へ消えていった。残されたのは俺と、少し頬を赤らめた黒木の二人だけ。にわかに気まずい沈黙が事務所に流れる。
その沈黙を破ったのは、俺の方だった。
「…改めて、おめでとうございます。3000人」
「あ…ありがとうございます」
俺の言葉に、黒木は少し照れたように俯き、缶チューハイのプルタブをいじっている。
「でも、これは本当に須藤さんのおかげです。Sudoさんが来てくれてから…配信が本当に、楽しいんです」
素直な、心の底からの感謝の言葉。そのストレートな響きに、今度は俺の方が照れてしまいそうになる。
「いえ…俺なんてただ居ただけなので…。むしろ、感謝するのはこっちの方で…」
「え?」
俺は少しだけ躊躇いながらも、意を決して言葉を続けた。
「この前の…アンチコメントの件。黒木さんの助言のおかげで、もう大丈夫みたいです。なんて言うか…目に、入らなくなりました。だから…ありがとうございます」
自分の口から、こんな報告ができる日が来るとは思わなかった。
俯きがちにボソボソと告げた俺の言葉に、彼女は一瞬きょとんと目を丸くした後――ふわりと、花の咲くように微笑んだ。
「…そっか。よかったです、本当に」
優しくも温かい言葉が宴の空気に消えた後、しばしの沈黙がやってくる。
「……」
「…………」
お互い、視線を交わさず何かを探り合っている。まるで高度な読み合いのようだ。
けれど酒の力もあってか、俺の心境は不思議と穏やかだった。
(…今までは心臓が破裂しそうになってたけど…、意外とこういう空気も…、悪くない…かな)
きっとそれは、コラボ配信を一緒に乗り切ったという戦友感があるからだろう。
すると先に耐えきれなくなったのは、黒木の方だった。
「――あ、あ、あのっ!」
急に素っ頓狂な声を上げたかと思うと、彼女はぶんぶんと顔の前で手を振り、視線をあちこちに彷徨わせ始めた。さっきまでの頼れる先輩面はどこへやら、たまに見せるこの挙動不審な彼女にも、なんだか愛着が湧いてきた。
「そ、そうだ! 目標! 須藤さんのこれからの目標って、な、なんですか!?」
明らかに照れ隠しで、思いつきで、無理やり絞り出した話題だった。
「俺の目標、ですか?」
そのあまりの唐突さと必死な様子がおかしくて、思わず少しだけ笑ってしまった。
「そうですね…今は自分の配信で手一杯ですけど…、一番達成したい目標といえばマネージャーとして事務所を立て直すこと、ですかね…」
「お、おー! す、すごく立派な目標ですねっ!」
「…じゃあ、黒木さんは?」
話を逸らすように、俺は彼女に問い返した。
すると彼女は、少しだけ遠くを見つめるような目をして、ゆっくりと、しかしはっきりとした口調で語り始めた。
「私の夢は…Starlight-VERSEを、いつかシャイニー・プロダクションみたいな、誰もが知ってる大きな事務所にすることです」
その声には、いつもの配信のような明るさとは違う、静かで、それでいて燃えるような熱が籠もっていた。
「そして、いつか…私を見つけてくれたファンのみんなと一緒に満員の会場で、大きなステージに立つこと…それが私の夢です」
その真剣な眼差しに、俺は心を奪われた。
脳裏に、社長の覚悟の滲む笑顔が重なる。
この人たちの夢を、自分はただの傍観者として見ているだけでいいのか?
――違う。
俺は【黒木カナタ】のマネージャーだ。
この船に乗ると、自分で決めたんだ。
ならば、やるべきことは一つ。
俺の唯一の武器――あの時、彼女が「必要だ」と言ってくれた『狂気じみた分析力』を、今こそ使う時だ。
俺は目の前にいる彼女に、まっすぐ向き直った。
そのただならぬ雰囲気に、黒木は戸惑ったように目を瞬かせる。
「あ、あの…、須藤さん…?」
不安げに揺れる瞳を真っ直ぐに見返しながら、俺は静かに、これ以上ないほど強い意志を込めて口を開いた。
「黒木さん…次の配信、俺に企画させていただけませんか」
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