表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/35

第10話 絶望のデビューと、魔王の烙印

 鳴り響く心臓の音をBGMに、俺は処刑台の上でその時を待っていた。


 Starlight-VERSEの新人Vtuber『Sudo』。

 記念すべき初配信がまもなく始まる。


 ビットレートは安定、回線速度も良好、マイクのゲインも最適値。技術的なトラブルの芽は全て摘み取った。だが、いくら万全を期しても指先の震えだけはどうしても止まってはくれない。


「Sudoさん、準備OKですか?」

「あ、はひ…」


 情けない声で頷く俺に黒木は苦笑しながらも、頼もしい先輩の顔で最終確認をしてくれる。


「自己紹介は練習通りで大丈夫です。あとは私がどんどん質問しますから、それに答えるだけでOK! 最悪、相槌だけでも百点満点ですからね!」

「う、す…」


 まるで出来の悪い息子を優しく諭すような、これ以上ないほど完璧なサポート体制。それでもなお、俺の胃は雑巾のように絞られ続けていた。


「5、4、3、2、1……」


 カチリと乾いたマウスのクリック音が静かな事務所に響く。

 それが、俺の処刑開始(ゲームスタート)の合図だった。


「黒き森の民~! こんクロー! 黒木カナタだよー! そしてそして、今日から私たちの新しい仲間になった、Sudoさんでーす!」


 黒木が完璧な導入で俺に話を振ってくれる。

 さあ、後は練習した通りに自己紹介をするだけだ。


「……ぁ…ども……す、すどー、です……」


 喉から絞り出したのは、蚊の鳴くような情けない声だった。

 途端に平穏だったチャット欄がざわつき始める。


【声ちっさwww】

【男とかいらねーんだけど】

【やる気あんの?】


 息が、詰まる。


(うっ…や、やっちまった…)


 予想していたとはいえ、剥き出しの悪意がモニターの向こうから直接心を抉ってくる。頭が真っ白になりかけた、その時。


「にゃはは! Sudoさーん、マイクに声入ってませんよー! もっと声あげていきまっしょー!」


 黒木が俺の失敗を明るい声で巧みにいじってくれた。彼女の優しいフォローに感謝しつつ、俺はもう一度腹に力を込める。


「……あ、あの…! Sudo、です…。趣味は、ゲームの、分析とか…で…。前職は、プログラマを少々……」


 声は、まだ小さい。だが先程よりは少しだけハッキリと、言葉を紡ぐことができた気がする。すると黒木は手慣れた喋りでトークを繋いでくれた。


「おぉー! プログラマーさんですかー! かっくいー! ちなみに好きな食べ物ってなんですかー?」

「……カレー、です」

「カレー! いいですねー! 私もスパイスマシマシの激辛カレーが大好きです! ちなみに休みの日は何を?」

「……ゲーム、とか……」


 俺の当たり障りのない、そして面白みの欠片もない回答。しかし、黒木はそれを巧みに拾い上げ、話を広げてくれる。彼女のプロの技のおかげで荒れ気味だったチャット欄も、少しずつ【なんかお見合いみたいで草】【カナちゃんの介護スキルが高すぎるw】と和やかな空気に変わり始めていた。


 ――だが、このままではダメだ。


 いつまでも、彼女に助けられてばかりではいけない。

 自分から何か、話題を振らないと…。


 俺は震える唇を必死に動かし、勇気を振り絞って彼女の名前を呼ぼうとした。


「あ、あの……か、『カタナ』さん……っ!」


 瞬間、俺の血の気が引いた。やっちまった。最悪のタイミングで、禁断の言い間違い(タブー)を犯してしまった。その絶望を肯定するかのように、チャット欄が異様な速度で流れ始める。


【あ】

【あ】

【あ】

【あーっ】

【それはまずい】

【新人くん、言っちゃったねぇ!】


 途端、チャット欄は統制の取れた定型文の渦に飲み込まれ、かろうじて残っていた俺の冷静さは粉微塵に砕けた。


(まずい、まずいまずい! よりによって事務所の先輩の名前を間違えるとか…け、消されるっ!!)


 それまできょとんとした顔をしていた黒木だったが、チラリと配信チャット用のモニターを見ると状況を理解したらしく。即座に黒猫アバターの表情にヤンデレ風味の深い影が加算された。


「すーどーさーん……?? 今、私のことなんて呼びましたー?」

「あ、あの、すみませ…っ!」

「『カタナ』じゃなくて『カナタ』だよーっ!」

「ひぃっ!?」


 温厚な彼女には珍しい圧のある怒声に、俺は演技ではなく素で悲鳴をあげた。だがそれは悲劇ではなく、黒木カナタが織りなす喜劇の始まりだった。


「Sudoさん、私のこと『刀』だと思ってたんですねー? そんなに切れ味良さそうですかー?」

「そ、そうじゃなくて…あ、えっと…一文字違いだから…い、言いやすくて…」

「じゃあSudoさんも一文字変えたら『Mudo』になりますけど、今後はムドーさんって呼んでもいいんですかー? どこぞの魔王さんみたいになっちゃいますけど!?」


 軽快なリズムで紡がれる、世代を超えたレトロなカウンター。

 俺が完全に思考停止している間に、チャット欄は今日一番の熱狂に包まれた。


【ムドーwwwww】

【DQ6かよwwwなっつwww】

【あーあwあだ名決定じゃんw】

【新人くん、魔王になっちゃった】

【これは勝てない】

【もうSudoじゃなくてMudoでいいよwww】

【黒木プロ、さすがです】


 ダメだ。もう、俺に逃げ場はない。

 俺は彼女一人に負けたんじゃない。この温かく、そしてちょっぴり残酷な黒き森の民たちに完全に包囲されたのだ。


 ◇


 あっという間に時間は過ぎ、エンディングの挨拶が始まる。


「今日はSudoさんの初配信に来てくれて、本当にありがとうございましたー!」


 黒木が満面の笑みでそう言った後、とどめの一撃を放った。


「そしてそしてー! なんと次回は私とSudoさんでマイクラコラボ配信をしますっ! いやー私も久々のマイクラなので楽しみですねー!」

「…………へ?」


 俺の間の抜けた声を黒木は満面の笑みでかき消しながら言葉を続けた。

 彼女の言葉を合図に、チャット欄は祝福の弾幕で埋め尽くされる。


【おおおおお!神回決定!】

【マイクラきたー!】

【Mudoはマイクラ初見か?w介護配信待ったなし!】

【黒木、介護がんばれよ…】


(マイクラ……? コラボ……?? なんだそれ、俺は何も聞されてないんだが……!?)


 熱狂の渦と化したチャット欄。その中心で。

 俺のアバターだけが一切の光を失い、能面のような無表情で固まっている。


 置いてけぼりの思考の最中、黒木の陽気でどこか悪戯っぽい声が響き渡った。


「それじゃあみんなー! おつクロでしたー! またねー!」


 プツン、と。

 世界から、音が消えた。


(…お、終わったぁ…)


 ヘッドホンを外した俺の耳に、自分の心臓の音だけがうるさく響いていた。額からは、滝のような汗が流れている。


「須藤さん、お疲れ様でした! ほんっと最高のデビュー配信でしたよー! ほら、見てくださいこの盛り上がりっ!」


 対角線上の席から立ち上がった黒木が、優しい笑顔でアーカイブ画面を見せてくる。そこに映し出されていたのは、『カタナ』と読み間違えた瞬間のSudoの挙動不審な様子と、チャット欄に流れる凄まじい弾幕。


(うぅ…もしかして気にしてるのか…いや、そうに決まってる…)


 俺は顔から火が出るのを感じながらも、おそるおそる彼女へと向き直った。


「……あの、黒木さん。先ほどは、その……本当に、申し訳ありませんでした」

「へ? 何がですか?」

「いえ、その、『カタナ』の件で…。すごく、怒って……ますよね…?」


 すると彼女は数秒間きょとんと目を丸くした後、こらえきれないといった様子で、ぷっと吹き出した。


「あ、あはははは! やだなー、須藤さんっ! 本気で怒るわけないじゃないですかー!」


 腹を抱えて笑う彼女に、俺はただ、呆然とするしかない。


「あれは『プロレス』ですよ、プロレス! むしろ、最高の『フリ』でした。おかげで配信、すごく盛り上がりましたし。…ありがとうございます」


 怒られるどころか、感謝までされてしまった。


 プロのエンターテイナーという、俺の理解を遥かに超えた存在。

 この人には絶対に敵わない。その事実だけが、俺の心に刻まれた。


「いやぁ、最高のデビューだったよ!」


 腹を抱えて笑いながら、社長が俺の肩を力強く叩いた。


「やっぱり、黒木くんの目に狂いはなかったよ! 君は何か持ってる!」

「ど、ども……」

「次回の配信も期待してるぞ! はっはっは!」


 社長からの手放しの称賛。しかし、今の俺にはそれを受け止める余裕はなかった。俺は全ての元凶である隣の笑顔の悪魔に、震える声で問い質す。


「……あの、黒木さん」

「はい! 何ですか、須藤さん?」

「……次回のマイクラコラボですが、あれ…本気ですか…? 僕、何も聞いてませんけど…」


 俺のか細い、しかし渾身の抗議。

 それに対して彼女はぱちりと一つ瞬きをした後、悪戯が成功した子供のように最高の笑顔でこう言った。


「はい! サプライズですから!」


 まるで悪びれない、ただし俺にとっては悪魔的な一言に、もはや何も言い返すことができなかった。


(マインクラフト…俺、未経験なんですけどぉ…)


 あまりにも重く、そして絶望的なまでに輝かしい現実だけが、俺の心にのしかかっていた。

よければブックマークと☆評価を頂けると大変嬉しいです!

執筆の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ