第1話 『シルヴィア理論』と、再生数92の敗北
『今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます』
まだ眠気の残る空気が漂う午前十時。
パソコンのモニターに映る見慣れたお祈りの文句を、俺はマウスのクリック一つでゴミ箱に放り込んだ。これで五社目、またも面接にすら届かず。もはや無感情の極地だ。
「はぁ~~~~」
須藤ナオシ、28歳。
半年前、大学卒業してから約六年間勤めていた会社が倒産し、突如として社会のいう名のフィールドから弾き出された俺は、無職という輝かしき実績を解放し、以後この四畳半に引きこもっている。
そりゃ最初のうちは絶望もした。だが、失業保険という手厚いポーションをがぶ飲みしている間に、はたと気づいてしまった。
――この自堕落な生活、驚くほど快適である、と。
なにせ倒産する前の俺の日常は、地獄のデスマーチと共にあったのだから。
鳴り止まないアラート。深夜2時の緊急呼び出し。仕様書通りに動かないシステムを見て「意思疎通が足りてないせいだ」と冷笑するだけの上司。月の残業時間は軽く三桁を超えていた。
それに比べれば、今の生活はどうだ。
誰にも邪魔されず好きな時間に寝て、好きな時間に起きる。行き詰まる納期も、胸糞悪い仕様変更も、煩わしい人間関係も、全部無い。
ああ、なんて素晴らしい。なんて自由なんだ。
このままの生活がずっと続けばいい。
……けれどそんな心地良い夢が、そう長く見れる訳もなく。
「つ、ついに残高が危険水域に……」
スマホに映る口座残高を見て俺の視力が一時的に失われた。残り99,800円。まるで通販サイトのセールに載っている格安PCの価格のようだ。いや笑えない。
生活費を切り詰めても、あと一ヶ月生きるのが精一杯。いや、正直に言えば次の家賃の引き落としを考えたら、もうアウトだ。つまり俺の快適なニート生活はあと一ヶ月で強制終了してしまう。
「あ、あぁそうだ、一旦冷静になって…動画でも見返すか」
辛い現実から逃げ出そうと向かった先こそ、自由な時間を持て余した俺を突き動かしていた唯一にして最大の情熱。ゲーム攻略動画の作成だった。
モニターに映るのは、大人気オンラインRPG『アストラル・クロニクル』のキャラクター画面。そこに佇むのは、銀髪の女騎士『シルヴィア』。彼女はリリース初期に実装されたSSRキャラだが、性能はいわゆるハズレに属する残念具合で、攻略サイトでは軒並み最低評価。熟練プレイヤーからは存在すら忘れられている不遇のキャラクターだ。
だが、俺は知っている。
彼女のスキル説明文の隅に書かれた付属効果の一文。単なるデメリット効果でしかないこのテキストに特定の条件が重なった時、ほんの僅かな時間だけ彼女の攻撃力が他のTier1キャラをも超える瞬間があることを。
運営ですら想定していないであろう、バグのような仕様。
それを再現するためにはパーティー編成、装備、スキルの発動順、その全てを細かく管理する必要がある。そんなの誰もやらないし、やったところで意味がない。
――だからこそ、俺はやる。
俺は動画サイトに投稿済みの、自作の最新動画を開く。
【検証レポート】不遇SSRシルヴィア運用理論 Part.17「高難易度ボス撃破」
一週間前に投稿した、俺の長大な研究の最新報告。その結果は――再生数『92』。高評価『2』。コメント『1』。
コメント欄には海外の視聴者から一言だけ。「AWESOME. But japanese only? :(」『すごい。でも日本語だけ? :(』と書かれていた。国境を超えた同志が一人だけいたらしい。
まあ、こんなものだろう。誰にも理解されなくていい。そう思っていた。
有名ゲーム配信者があげたばかりの、あの動画を見るまでは。
「うおおおお! 見たかお前ら! これが俺の答えだ!」
「いやー、昨日寝る前にさ、ふと思ったんだよ。『シルヴィアのこのスキル、もしかして運営の想定してない使い方できんじゃね?』って。そしたら、マジでできちゃった、みたいな? やっぱ俺、持ってるわー!」
チャンネル登録者数50万人を誇るトップ配信者の喜びに満ちた声がスピーカーから響く。コメント欄は「神!」「すっげええええ!」「おま天才かよ!?」という感謝と賞賛の嵐で埋め尽くされていた。再生数は投稿からわずか一日で『10万』を超えている。
だが、俺の心を折ったのはその盗用まがいの内容でも、圧倒的な数字でもなかった。
感謝の言葉の濁流の中に時折混じる、いくつかのコメント。目に飛び込んできたのは、俺が心のどこかでずっと求めていた言葉たちだった。
【普通にプレイしててこれに気づくとか、頭の構造どうなってんの?w】
【このスキル回し、何百回も試行錯誤しないと辿り着けないだろ…どんだけやり込んでんだよ…】
【これもうただの裏技じゃなくて『シルヴィア理論』って呼ぶべき。一つの論文だわ】
――それだ。
――それこそ、俺が欲しかった言葉だ。
俺の150時間の執念。俺の狂気的なまでの探求心。俺の哲学。
その全てを肯定する、たった一言の理解。
それは、俺の墓標に手向けられるはずだった、数輪の花だ。その花々は今、剽窃者の足元で満開に咲き誇っている。なるほど。世界とは、そういう風にできているらしい。
――もう、いいか。
心の何かが、ぷつりと切れる音がした。
最後の砦だった自尊心は粉々に砕け散り、俺のHPは完全にゼロになった。まあ、コンティニューには金がかかる。預金残高ももう底が見えている。
「…………はぁ」
腹の底から色のない、無念に満ちた溜息が漏れ出る。
よろよろとPCチェアから立ち上がった俺は、クローゼットの奥で半年間出番のなかった呪いの装備を引っ張り出すと、人生の再起動を強行するため、ハローワークへと向かうのだった。
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