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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ゼロの輝き

作者: Tom Eny

ゼロの輝き


自宅の狭い部屋で、ケンタ(20代前半)はひっそりとボカロPとして活動していた。彼が紡ぎ出す楽曲には、メロディー、歌詞、ボーカロイドの調声、そのすべてに並々ならぬ情熱と技術が注がれていた。ケンタ自身も、自分の曲は「本当にいい曲」だと確固たる自負があった。しかし、その才能は誰の目にも触れることなく、投稿サイトでの再生数は常にゼロ。X(旧Twitter)で自身の楽曲リンクをシェアしても、反応は一切ない。


音楽仲間である友人アキだけは、いつもケンタを励ましてくれた。「お前の曲はもっと評価されるべきなのに」。その言葉は、ケンタの心に「なぜ誰も気づかないのか」という、深く納得のいかない不満を募らせた。「いい曲だからといって、バズるのは難しい」。この厳しい現実が、ケンタの心を徐々に蝕んでいた。才能があるからこそ、それが報われない焦りは強く、いつか来るかもしれない諦めが、すぐそこまで迫っていた。このままでは自分の音楽人生が終わってしまうのではないか、という切迫感が彼を苛む。


そんなある日、ケンタがいつものようにXを眺めていると、一つの投稿が目に飛び込んできた。「ボカロ制作承ります。権利差し上げます。バズること間違いなし。」その甘い謳い文句は、まさに絶望の淵にいたケンタにとって、一筋の光のように見えた。彼は、ほとんど考えることなく、そのアカウントにDMを送った。


DMでのやり取りは、予想以上に丁寧だった。相手はまるで音楽業界の敏腕プロデューサー「Mr. H」のようだった。Mr. Hはケンタが送ったデモ曲を聴くやいなや、「これは素晴らしい才能だ。こんな逸材が埋もれているのは勿体ない」と絶賛した。「あなたの曲は、焦らなければいつか自力でバズるだろう。しかし、その『いつか』が来るまで、多くの才能が潰えていくのが現実だ。私たちが、その時間を大幅に短縮し、確実にバズらせる」。Mr. Hは、ケンタの「0再生への不納得」と「焦り」に巧みにつけ込んだ。才能がありながらも「気づかれていないだけ」で焦っているクリエイターを厳選して狙っていたのだ。彼自身も音楽的な素養があり、真に「いい曲」を見抜く能力を持っていた。


Mr. Hは、既にケンタのボカロ制作仲間であるアキも手中に収め、「成功している」ように見せかけていた。アキはケンタに「俺もMr. Hにプロデュースしてもらってて、すごくいい感じなんだ!信じられないくらい再生数が伸びてるんだ!」と興奮気味に語り、「お前の曲は本当にいいから、きっとバズる。費用は俺が貸してやるからさ!」と誘った。信頼する友人の「成功」を目の当たりにし、ケンタはMr. Hへの疑念を完全に払拭した。借金をしてでもMr. Hに全てを託す決意をする。Mr. Hは「制作サポートツール」と称し、ケンタのPCに密かに悪質な遠隔操作ツールをインストールした。


最初の楽曲が完成し、Mr. Hの指示通りに投稿サイトにアップロードされる。すると、ケンタのPC画面上では、信じられないほどのスピードで再生数が伸び始め、あっという間に10万再生に達した。同時に、XではMr. Hに雇われたサクラたちが「この曲すごい!」「バズってる!」「これは聞くべき!」と大量に投稿し、あたかも本当に世間が熱狂しているかのように見せかけた。ケンタは狂喜乱舞し、ついに自分の才能が認められたと確信する。2曲目も同様に「バズり」、ケンタは完全に舞い上がる。アキもその「成功」を喜び、さらに資金を提供する。


だが、甘い蜜には必ず毒がある。3曲目の制作依頼が来た際、Mr. Hは「さらなるプロモーションのために」と称し、これまでの比ではない高額な費用を請求してきた。この3曲目は、Mr. Hの音楽的素養とプロデュース、そしてケンタの才能が最大限に引き出された結果、**実際に「本当にいい曲」であり、そのクオリティは飛躍的に高まっていた。**ケンタは躊躇するが、「今を逃したら、せっかくのチャンスが台無しになる」「これだけの投資が無駄になるぞ」というMr. Hの言葉と、これまでの「成功体験」、そしてアキの期待に後押しされ、サラ金から借金をしてでも費用を支払ってしまう。彼は、破滅へのカウントダウンが始まっていることに、まだ気づいていなかった。


高額な費用を支払ったにもかかわらず、3曲目の再生数の伸びは鈍化し始める。Xでのサクラたちの熱狂も以前ほどではない。ケンタは漠然とした不安を抱き始めた。自分のPCにインストールされた「制作サポートツール」の動作も不審に思え、念のため専門知識を持つアキに相談する。アキもまた、最近自身のPCの挙動に違和感を覚えていたため、二人は協力してPCを詳しく調べることにした。


アキがPCを徹底的に解析した結果、戦慄の真実が明らかになる。Mr. Hの「制作サポートツール」は、巧妙に作られた悪質な遠隔操作ツールであり、ケンタのPC画面で見えていた10万再生はすべて偽装されたものだったのだ。Xでの「バズり」も、Mr. Hに雇われたサクラたちの仕業だった。


そして、最も残酷な事実が突きつけられる。「ケンタ、これ見てくれ……お前の曲、PCでは10万再生だったけど、実際は全部0再生だぞ。俺も同じ手口で騙されていたんだ。」アキの声は震えていた。ケンタの頭の中は真っ白になる。彼の夢、彼の希望、そして彼が信じていた成功の全てが、砂上の楼閣だったのだ。


ケンタとアキは、Mr. Hの情報を必死に調べ始めた。その先に見えたのは、夜の街で働くホストへの異常なほどのめり込みによって莫大な借金を抱え、その返済のために日夜詐欺を繰り返す人物の裏の顔だった。Mr. Hは、投稿サイトの膨大な楽曲の中から、ケンタやアキのように「才能はあるのに評価されない不満」を抱え、「焦らなければいつかバズるだろう」と見抜いていたクリエイターだけを狙い撃ちし、その承認欲求を食い物にしていたのだ。


ケンタは、自分もアキも、ただの獲物だったという残酷な事実に打ちひしがれる。借金、PCの乗っ取り、そして何よりも自分自身の作品が「バズった」という幻想がすべて偽りだったという事実に直面し、深い絶望に沈む。アキもまた、騙されていたことに気づき、ケンタに申し訳なさを感じつつも、共に被害者として苦しんだ。二人は詐欺被害を警察に相談するが、被害回復は困難だと告げられ、Mr. Hはどこかへと姿を消していた。


詐欺のすべてが明らかになり、偽装された再生数はゼロに戻った。Xのサクラアカウントも消え去り、すべてが虚構だったことを物語る。ケンタは、自分の投稿した曲リストを茫然と眺める。そこには、数々の曲が並ぶが、どの再生数も「0」だった。しかし、ふと、その中に一つだけ「いいね」が付いている曲があることに気づく。それは、かつてケンタを絶望させた、**詐欺師Mr. H自身のアカウントからの「いいね」だった。**彼が残した、唯一の、そして最も冷酷な嘲笑の痕跡。


絶望の底で、ケンタは創作活動から完全に離れ、アキとの関係も重い空気に包まれた。二人は、音楽の夢を諦めざるを得ないのかと自問自答する日々を送る。だが、長い時間が経過したある日、奇妙な現象が起こる。


Mr. Hがケンタから高額な費用を騙し取り、自身の音楽的才能も注ぎ込んで制作させた**3曲目の「本当にいい曲」が、突如としてバズり始めたのだ。**そのきっかけは、皮肉にもMr. Hが残した、たった一つの「いいね」がアルゴリズムに評価されたことだった。それを端緒に、多くのリスナーがその曲のクオリティに気づき、瞬く間に拡散されていった。


そして、SNSや投稿サイトのアルゴリズムは、3曲目がバズったことにより「このクリエイターの他の楽曲もおすすめ」と判断。ケンタが過去に投稿していた「本当にいい曲」も軒並み連動して再生数が増え始めたのだ。それは、まさに「いい曲だからといってすぐにはバズらなくても、誰にも気づかれていないだけだった」という、彼らの苦悩が報われる瞬間だった。


ケンタとアキは、自分たちの曲が本当にバズり始めたことに、最初は信じられない思いで、やがて歓喜と困惑が入り混じった複雑な感情を抱く。詐欺師の悪意から生まれた小さな「いいね」が、アルゴリズムという非人間的なシステムを通じて、自分たちの才能を世に知らしめるきっかけとなった。「本当にいい曲」だったからこそ、アルゴリズムがその価値を見出したのだ。


金銭的な傷跡や、詐欺の経験が完全に消えることはない。Mr. Hへの怒りや、自分たちの焦りが招いた結果への後悔も残るだろう。しかし、自分たちの「本当にいい曲」が、ようやく多くの人に届き、評価されたという事実は、何よりも大きな救いとなった。


二人は、諦めかけていた創作への情熱を再び燃やし始める。困難な現実の中でも、**諦めずに続けていれば、いつか報われるかもしれない。**詐欺によって一度は潰された夢が、予期せぬ形で再び輝きを放ち始めたのだ。ケンタとアキは、深く刻まれた傷を抱えながらも、希望を胸に、創作活動への新たな一歩を踏み出すのだった。

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