◆1984年1月27日
〈そちらへ飛行体が接近中……数は三十四〉
早期警戒機からの通信が入った時、北京農園のオペレーターは「勘弁してくれないか」と苦笑いした。時刻は午前五時——コーヒーを煎れるお湯だって、まだ沸いてはいない。
「世は全て事も——」
しかし彼女は「なし!」と最後まで言えなかった。早期警戒機が言った通りの光点がバシール・ジェマイエル国際空港に迫っていたからだ。今日、この時間にこれだけの航空機が来る予定はない。これは即ち……。
〈敵だ!〉
〈格納庫が襲われてる! 一体どうやって侵入したんだ!〉
オペレーターが敵襲の事実を認識する前に、屋外にいる警備部隊からの通信も入ってくる。半ば悲鳴の報告だけでなく、銃声や爆発音も聞こえてきた。
「ラマトカルをダイレクトラインで呼び出せ! 出るまで続けろ!」
大声で部下達にそう命じるオペレーター。彼女はカミュの『ペスト』の一節を思い出さずにはいられなかった。
馬鹿げたことは、何度でも起こる。ヨム・キプール戦争の時と同じだ!
◆
バリカドイの第一撃は北京農園と同じ軍服——イスラエル国防軍のそれ——を着た先遣隊による、防空システムと航空戦力の無力化を目的としていた。
「行くぞ」
大半のヴァルキリーと違って幾多の死線を掻い潜ってきた、極めて経験豊富な一団はGOサインを受け取るなり行動開始。三分の一はバシール・ジェマイエル国際空港の滑走路に強行突入し、北アフリカ戦線やフォークランド紛争における英軍特殊部隊さながらの腕白を敢行した。
ある者はF‐4戦闘機のインテーク内にセムテックスを押し込み、離れてから起爆した。派手な爆発の後、機体と分断された尾翼が力なく地面に転がる。
ある者はA‐4攻撃機のキャノピーを無理矢理こじ開け、マガジン内の弾丸を全て叩き込んでから手斧で操縦席も完全に破壊、更には計器まで毟り取れるだけ毟り取った。
ある者は仲間と共にガゼル攻撃ヘリの近くで膝立ちとなり、ガリル自動小銃のフルオート射撃を容赦なく叩き込む。穴だらけになった機体からたちまち燃料が漏れ出し、続いて火花が散るや否や引火——爆発!
「他愛もない……ん?」
ガリル自動小銃のマガジンを交換すべく取り外したヴァルキリーは、東方ことソ連フロント方面から重なり合って聞こえてくる轟音に気付く。
「来たか」
防空システム……ホーク地対空ミサイルや各種レーダー等の無力化に向かった残り三分の二からも成功の報告が入っている。だから彼女は微笑み、嬉しそうに口元を緩ませた。
◆
〈会場設営終了! 繰り返す! 会場設営終了!〉
先遣隊から防空システムと航空戦力の無力化を伝えられたバリカドイの本隊はすぐさま第二段階に移行する。
〈白亜紀に戻して!〉
F‐5E戦闘機多数と十数機のシャイタン・アルバ——AH‐1攻撃ヘリ及びガゼル攻撃ヘリが、ほとんど無防備となったバシール・ジェマイエル国際空港に襲い掛かったのである。
『もしも第三次世界大戦が発生すれば、ソ連軍は西ドイツの空軍基地で鹵獲したこちらの兵器をミグやスホーイに搭載するだろう』
かつて西側の専門家はそう危惧したものだが、バリカドイのF‐5E戦闘機はMiG‐21戦闘機用のパイロンを逆に移植されていた。それ故、今日は両翼下のソ連製ロケット弾ポッドを用いた攻撃を行っている。
〈炎と煙の中に叩き込め!〉
AH‐1攻撃ヘリもまた、部品不足が理由で飛びたくても飛べなかった過去を払拭するかの如し凄まじき攻撃を繰り返していた。濃い白煙と共にTOW対戦車ミサイルやロケット弾が撃ち出される度、絶望的抵抗を試みるM48チャパラルや無用の長物と化した北京農園の航空機が粉砕されていく。
〈降り立って演奏する! オーケストラの時間よ!〉
バリカドイ側はMANPADSによってAH‐1攻撃ヘリが一機、空港外縁に緊急着陸を強いられはした。だが損害らしい損害はそれだけ……傭兵を満載した二十四機のMi‐8輸送ヘリは、さしたる抵抗も受けずバシール・ジェマイエル国際空港に降着するのであった。
注1 携帯式地対空ミサイル。
◆
「敵が取り付きました!」
聞きたくない報告がレアの鼓膜を叩いたのは、彼女がバシール・ジェマイエル国際空港の地下司令部に移動した七分十二秒後だった。
「阻止部隊を編成! 追い出して!」
「了解!」
「人殺し共が……!」
レアは血が出る程唇を噛み締めつつ、やはりモサドの情報は正しかったのだと思い知る。そして過酷な戦いを潜り終え、物事を俯瞰して見られるようになった自分は、いつの間にか足元が見えなくなっていた事実も同時に突き付けられた。
「馬鹿はいる——か」
昨年マーレブランケとのゲームに際して支援を行い、少なくとも当面の敵ではない筈の自分達を何故キャロラインが今日攻撃してきたのか。正直理解不能だし恥知らずとさえ思うが、今更そんなことを言っても始まらぬ。
「ラマトカル……我々はどうすれば……」
「待って。思考を整理するから」
周囲からは絶望的なやり取りや無線越しの悲鳴越しが聞こえてくるが、レアは口元の血を拭ってから目を瞑り、続いて机に腰を預ける。そして最後は腕と足を組んだ。
「格納庫に繋いで」
だが三秒と経たぬうちにその姿勢を解き、ある人物を呼び出すよう命じる。
「どうぞ。中佐と繋がっています」
「ありがと」
無線機を渡されたレアは昨年六月十一日の時と同じ言葉をサブラ——格納庫で専用フライトユニットの装着作業を済ませ、早くも準備万端の——に送った。
「人殺しを誰一人として私に近付けるな。サブラ、出撃よ」
◆
バリカドイのMi‐8輸送ヘリが切り刻むようなブレードスラップ音を上げて着陸すると、その機内から完全武装——RPK74軽機関銃用の四十連マガジンを装着したAK74自動小銃を持ち、敵味方識別用のテープをヘルメットの後頭部や両手上腕部、膝の下に巻いている——の傭兵達がわらわらと飛び出してきた。
〈第一班は管制塔! 第二班は格納庫だ!〉
荷下ろしをまだ済ませていないMi‐8輸送ヘリがフレアを撒き散らしながら着陸の機会を窺う中、傭兵達は降下地点にミランの発射機を多数設置して後続の支援を開始する。
〈あいつら……ッ!〉
一方、北京農園のGROM達は滑走路上を扇状に前進していく傭兵や予備弾を溝の中に入れ、折板屋根の上にも対戦車ミサイルの発射機を設置するその仲間を見て舌打ち。
「犬が吠えれば廃墟も喋る!」
しかし彼女達は、手にしたチャイナレイクやガリル自動小銃で攻撃することはできなかった。急降下してきたキャロラインの奇襲を受けたが故に。
「アタシは炎と煙の中にいるわよ!」
フライトユニットを背負い、スパス12散弾銃ではなくラングレーの友人達から贈られたXM4自動小銃を持つキャロラインは、ドゥヒこと敵GROMが左手で構えたRPG‐7を容易く回避。続く右手側の火器からの銃撃も躱して肉薄、
「——ッ」
義手の指々を爪のように大きく広げた上で、上半身全てを叩き付けるかの如し斬撃を放った。その直撃を受けた敵GROMの首は血飛沫と共に飛んでいく。
「アタシは自分が証明できないことや、可能性はあっても裏付けられない関係については話さない!」
キャロラインは紅茶臭い唾を撒き散らしながら、まだ生き残っているドゥヒに向かっていく。最低限の礼儀も法も意に介さず、我が物顔で突進した。
『同程度かつ、十分な航空・機甲戦力を持つ相手には流石に圧勝できない』
今度は鋼鉄の指で相手の頭を掴むキャロラインは昨日、昨年十一月に露呈したマーレブランケの弱点を再度知らしめた。また自分達はタスクフォース600とバグ共同様血を流すし倒れもするが、練度はアゴネシアやアムニション・ヒルの雑兵とは比べ物にならない高さであるとも証明している。
「アタシはただ、誰が馬鹿なのかを話すだけ」
誰にでも真似できることではないが、ドゥヒの頭蓋骨に猛烈な圧を掛けていくキャロラインにとってはどうでもいい事象だ。あくまでもそれは布石……。
「キャロライン……ダークホーム……!」
「左様でございますがァ?」
そんなやり取りの後、とうとう限界に達した敵GROMの頭はスイカのように砕け散った。血と脳漿がぶちまけられ、首から上を丸ごと失った死体が鉄火場に吸い込まれていく。
「そうよ——アタシはただ、誰が馬鹿なのかを話すだけ」
手近な敵GROMを殲滅したキャロラインは、体の前半分を赤黒く汚したまま地上を見た。あそこでカーゴ200となったり、目玉や内臓が飛び出し、手足も失った状態で痙攣している者には多数のサディークが含まれている。
だが、これは必要な犠牲なのだ。
エーリヒ・シュヴァンクマイエルとノエル・フォルテンマイヤー……。
二人に捧げる復讐戦のためにはどうしても必要なのだ。
注1 赤外線誘導兵器用の囮。
注2 フランス製の対戦車ミサイル。
注3 偶発的な事故等で自己意思を有するようになったヴァルキリー。
◆
〈なんて野郎だ! あいつが一人で戦局をひっくり返してやがる!〉
バシール・ジェマイエル国際空港の戦いは、全体的にはバリカドイ優位。だが一箇所だけ例外があった
〈化け物……ッ!〉
サブラだけは圧倒的な力で敵を蹴散らしていた。彼女はバリカドイが投入した合計三十四機のヘリコプターのうち四機を撃墜し、傭兵やGROMにも大損害を与えている。
〈全機、奴に攻撃を集中しろ!〉
相変わらず『主砲』ことフェニックス空対空ミサイルを使えず、ホーク地対空ミサイルを両翼下に一発ずつ吊り下げたF‐14戦闘機はやりたい放題のサブラを排除しようとする。
「シェターに変えられた以上、こちらも遠慮は致しません」
しかし、いつもの装備に——ターボファン付きの前進翼式フライトユニットとガリル自動小銃、そして南アフリカ共和国製チェストリグ——身を固めた彼女は全く動じない。
「カディーマ!」
それどころか昨年六月十一日や同九月十三日宜しくリミッターを解除。全身の肌が鉄灰色に変化するや否や、各部が溶けた飴玉のように波打ち始める。そして感情に起因せぬ微笑みが浮かぶのと同時に、花の如く広がった顔面の上半分から触手めいたワイヤーが何本も飛び出す。
〈金属野郎が! ブレイク! ブレイク!〉
〈駄目だ! 間に合わない!〉
数え切れぬ細長は回避機動を取るF‐14戦闘機目掛けて殺到し、キャノピーや機体表面を相次いで貫いた。
〈た……助け……っ!〉
F‐14戦闘機を操るヴァルキリー達は昨年八月二十五日のノエル・フォルテンマイヤーと同じ運命を辿った。目、鼻、口、耳、臍、膣——全身の穴という穴をワイヤー群に犯し抜かれたのである。それこそ、カンディルの群れから襲われるナマズのように。
『持て余すだけの神の力なら、そんなもの持っていない方が幸せなのだ』
サブラニウム……かつてイスラエルが核兵器と並ぶ国土防衛の最終手段として作り上げた、質量保存の法則を無視する恐るべき流体金属。その許されぬ計画は三十八年前、とある人物が言っていたのと同じ理由で中止された。だが『最強のGROMではなく、最終的に最強となるGROMを創造する』という歪んだ形に変化して生き残り、この地獄において、血液循環系の中枢器官さえ残っていれば何度でも復活するサブラを誕生させてしまった。
「力で達成できなければ、更なる力で必ず成し遂げよ!」
そんな彼女は顔の上半分及び肌の色を一旦元通りにした上で攻撃続行。次なる標的はバリカドイのGROMだ。
「仮にエルサレムまで壁を移動させろと命令されれば!」
急接近してくるサブラに気付いたGROMはAK74自動小銃を構えてぶっ放すだけでなく、数機の徘徊型弾薬も差し向ける。
「一度ハンマーで解体した壁を築き直すのではなく、私は壁を押していく方法を選びます!」
しかしサブラはファンネル宜しく死角から迫ってくる機体を銃撃共々あっさり回避し、距離を詰め切るなり彼女を撃ち抜いた。
リミッターを解除するまでもなく。
注1 南米に生息する肉食性の淡水魚。
注2 日本のアニメ『機動戦士ガンダム』に登場するオールレンジ攻撃用兵器。
◆
格納庫区画を防衛していたチラン6中戦車——かつてゴラン高原で鹵獲されたシリア軍のT‐62中戦車をイスラエルが自軍仕様に改造し、例によって秘密裏に北京農園に引き渡されたうちの一台——は奮戦するも、
〈脱出しろ!〉
徘徊型弾薬の攻撃を受けて大破に追い込まれる。だが、慌てて這い出してきたヴァルキリー達は間に合わなかった。砲弾が誘爆を起こしたからだ。
「ウザいのが来たわ!」
ノーメックスだけで繋がった上半身と下半身が爆風で放り投げられ、煙の尾を引きながら地面に叩き付けられる。だがキャロラインは見向きもしない。自身のメインターゲットが現れたのだから当然である。
「みんなわかってるわね?」
無線機越しの〈了解!〉が四つ重なり合う中、キャロラインは急接近してくるサブラ目掛けて突進した。
「ヒマワリの種はお持ちですか?」
「は?」
二人はそんなやり取りを経て空に緩やかな半円を描き——再度急接近!
「貴方がここで死んだ時、ここにヒマワリが生えるよう!」
そして鍔迫り合い。昨年十一月二十三日の対ノエル戦同様、左上腕部を刃状に変化させているサブラは「呼ばれてもいないのに来た貴方が!」と叫ぶ。感情を持たぬ歯車を自称していながらも、今の彼女からはキャロラインに対する強烈な怒りが感じられた。
「貴方はポケットに種を入れて、ここで死ぬべきだ!」
サブラは唾を飛ばし、大きく目も見開きながら捲し立てる。
「はいはいはい! 事態がこれ以上悪くならないようにしましょうね!」
だがキャロラインは一切悪びれることなく挑発的言動を続ける。それは相手を視野狭窄に陥らせ、次の段階に進むためのものだった。
『現代ロシア人は、あらゆる分裂的性格を腹の中に持ち歩く』
しばしばそんな風に評されるが、キャロラインの内面的グロテスクはそれとは比較にならない。彼女の正体は傭兵部隊の団長ではない。
二重思考。
相反する二つの考えを矛盾なく両立させる思考法に基づいて、二人を誰よりも愛しているからこそ、喜んでエーリヒとノエルの敵となる狂信者なのだ。
『成熟したジェファーソン式民主主義の貴重な成功例』
キャロラインがこう考えているうちの一人目であるエーリヒは、かつて彼女の左腕を吹き飛ばした。それ以来というもの、幻肢痛が疼く度に彼の対する感情の高まりを覚えている。二人目のノエルは崇拝すべき存在。どれだけ破壊されても再生する、天国行きを拒まれた邪神であると考えていた。
何故、北京農園を攻撃するのか?
キャロラインを除いては、現状誰一人としてそれを把握できていない。しかし彼女にとっては非常に簡単なことだ。昨年の十一月、北京農園が自分達を事実上支援したからである。レア・アンシェルが素晴らしき米国製兵器やその弾薬等を快く供与してくれたことは、バリカドイの支援という当時の自分の仕事の大きな助けとなった。だが、それと同時に『エーリヒとノエル擁するマーレブランケが最強でなければならぬ』という絶対的価値観を揺るがした。
これは感謝すべき行為。
これは絶対許せぬ行為。
だからいつも通り、キャロラインは二重思考に基づく結論を出した——これは感謝すべき行為。故に、復讐戦が必要だと。正直ジョージ・オーウェルが描いたそれとは微妙に違う思考法かもしれないが、そんなもの彼女にとってはどうでも良かった。敬愛するノエルだって、よくイマヌエル・カントを少し改変した上で引用しているのだから!
「バーカ」
大鉈を投げ付けて鍔迫り合いを終わらせたキャロラインは、サブカスが自分を追い掛ける形で格納庫に侵入したからほくそ笑む。かつて、自分の大切な存在を長きに渡って封印した輩は、今まさにキルゾーン入りした訳である。
「今よ!」
キャロラインが中指を立てると、格納庫の天井四隅に潜んでいたGROM達のフライトユニットから各四機、合計十六機もの徘徊型弾薬が解き放たれた。
「——ッ」
サブラは八枚の羽を持つそれらを瞬く間に五機も撃墜したが、いかんせん数が多過ぎた。加えて狭小な格納庫内では回避もままならず、最終的には立て続けの直撃を受けてしまう。
「まだまだ!」
右の手首と両足を失って墜落したサブラに対し、キャロラインは右肩に担いだRPG‐7の照準を合わせる。間を置かず放った弾頭は通常にあらず……戦車の爆発反応装甲を貫くためのタンデム弾頭だった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
だからサブラは一段目の成形炸薬弾頭で顔面を覆おうとした左手を、本命こと二段目によって目玉ごと左眼窩を貫かれた。
「歯車が吠えんじゃないわよ!」
続いてキャロラインが再度中指を立てると、GROM達は蹲ったサブラに対し残る全ての徘徊型弾薬を叩き込んだ。それによって北京農園のヘイル・ハビルはフライトユニット諸共細切れの破片に変えられてしまう。
「ざまあみろ」
指を戻したキャロラインは実にご満悦。大きく溜飲も下がったが、ウザいのがまだ死んでいないことをちゃんと把握していた。奴の肉体は単なる衣服。だから心臓を破壊しない限り何度でも新しい服を着る……。
〈突入ルートを確保しました。地下司令部を攻撃可能です〉
「わかったわ。今行く」
しかし、キャロラインは心臓を破壊することなく移動した。これまでの諸々を考えると完全に殺してやりたいのは山々だが、世の中そうもいかない。
やり過ぎは駄目よ!
契約を交わした際、クライアントからそんな風に念押しされているからだ。
注1 イギリスの作家。ディストピア小説の『一九八四年』等で知られる。
注2 十八世紀から十九世紀にかけて活動したドイツの哲学者。
注3 サブラはかつて、エーリヒやノエル等の殺害及び封印を指揮した。
◆
「サブラがやられた……」
モニター越しの大殺戮を見て絶句したレアは、サブラ・グリンゴールドというGROMが完全に死んではいないと知っている。だが、地下司令部で指揮を執る彼女はここからの流れを想像し戦慄。
「中佐のコアユニットは健在! ですが、再生にあと五分かかります!」
「その前にここへ来るわよ! 総員退避!」
一番厄介なGROMを一時的とはいえ粉砕した以上、バリカドイはこの場所を狙うだろう。むしろ、そのためにまずはサブラを狙ったのかもしれない。
「総員退避! 繰り返す! 総員退避!」
「各自武器を持ち、最優先で移動!」
オペレーター達は切羽詰まった大声で呼び掛けるが、モニターが消えるや否や爆発が起きた。間髪入れず、天井に穿たれた大穴からバリカドイのGROM達が侵入してくる。ウサギの穴に落ちてきたのだ!
「人殺し共!」
オペレーターの脱出を援護すべく、レアは短機関銃を腰だめで撃ちまくった。
「ラマトカルを確認! レアだ!」
マナ・フィールドを展開し損ねた一人が死んだが、他のGROMは蜘蛛の子を散らすように逃げるオペレーターなど眼中にない様子でレアを撃ち始めた。
「うわっ!」
逃走を図るレアだったが、無数のAK74自動小銃から放たれる凄まじい弾雨に押されるような形で転倒。そのまま、机の裏に隠れざるを得なくなった。
「撃ち続けろ!」
直接狙うことは叶わないが、バリカドイのGROM達はそんなのお構いなしで猛烈な銃撃を浴びせてくる。それによってレアはガラス片の豪雨を浴びる羽目になっただけでなく、自分が脱出できる可能性など一%もないことをこれでもかと思い知らされた。これでは応戦すらままならない。
「サブラ!」
だからレアは無線機を手に取り、最も大切な存在に呼び掛けた。もしかしたらまだ届かないかもしれない。でも……それでも伝えたかった。
「サブラ……聞こえていてもいなくても、アンタに……私の気持ちを伝えさせて。きっと……きっとこれが、最後のチャンスかもしれないから」
アンタの人生を返すわ——レアは震える声でそう告げる。
「だってアンタのものだから。私は、自分が生きるためにアンタの人生を使ってしまった……アンタを……歯車として回してしまった……」
かつてのレアが抱いていた、憎悪や怨念と大差ない凄まじき生存欲求。それはサブラという歯車を高速で回転させる運動エネルギーとなり、彼女を筋金入りの闘士かつ人殺しの目で突入する本物の戦士に成長させた。
「だからサブラ……今更無理かもしれないし、私にそんなことを言う資格なんてないのかもしれない。でも、それでも私は……」
しかしレアは二人揃って最後の勝者となるまでの過程で、記憶のバックアップ機能を有する心臓に何百何千何万という膨大な死を経験させてしまった。更には現在進行形でそのカウント数を増やし続けている……。
「アンタに自分の人生を生きてほしい」
だからレアは『自分は許し難いクズだ』と思い続けるのと同時に、この言葉をずっと心の奥底に秘め続けていた。だがサブラへの強烈な罪悪感故、どうしても言い出せないでいた。
「結局ウザいの頼りって訳?」
レアは「だって——」と続けようとしたが、それ以上は許されなかった。机の裏側に降り立ったキャロラインから、頬に銃口を押し付けられたからである。
「悪いんだけどキモ過ぎ。ゾッとするんだけど」
キャロラインは乱暴な動作でレアから無線機を奪うと、それを躊躇なく義手で握り潰す。どこまでも辛辣な口調だけでなくその動作からも、彼女が北京農園に対して強い憎悪を抱いていることが窺えた。
「ウザいのを神様とでも思ってるの?」
キャロラインは右手人差し指に力を込めていく。一方、終わりの訪れを悟ったレアは「ごめん」と小さな声で呟く。それはサブラに対する謝罪だった。
大丈夫です!
その時である——レアは、サブラの力強い声が直接脳内に送られてきたような感覚を覚えた。
「私はここにいる!」
すぐ近くの壁が間髪入れず崩壊した。そして、現れたサブラは勢いそのままにキャロラインを殴り倒す。
「サブラ!」
レアは思わず尻餅をつきながらも嬉しそうな声を上げる。殺した敵GROMのものと思しきM1ローブを身に纏い、余程大急ぎで再生したのかあちこち鉄灰色、左目に至っては真っ黒な眼窩の奥が赤く光っているだけ。
「私は自らの意思で、レアさんのために人生を使うと決めました」
「えっ……聞いてたの?」
「私は感情を持たぬ筈なのに——不思議なものです」
しかし微妙に噛み合わない会話や、自分に向けられる『鉄面皮』はいつも通り安心を与えてくれるものだった。
「死に損ないが!」
サブラはレアに手を差し出すが、バリカドイのGROM達は二人の尊い一時を邪魔するかの如く銃撃を浴びせてきた。だから彼女は両手を巨大なハルバードに切り替え、更には両肘から先も延伸させた上で回転。
「潮時か……ッ!」
脳震盪を起こしながらも立ち上がったキャロラインは、下半身と切り離された上半身が相次いで床を叩く様子を見て決意する。今日はここまでだ!
「全部隊に通達! 引き揚げるわよ!」
そしてフライトユニットのスラスターを噴射し、先程開いたばかりの大穴から脱出を図るが……。
「待て!」
サブラは両手を元に戻した上で自らも飛翔し、猛烈な勢いで傭兵部隊の団長を追い掛けた。彼女は何があろうと、キャロラインをバシール・ジェマイエル国際空港から逃がさないつもりだった。それこそ、中東や南米に逃げ込んだナチスの戦犯を絶対逃すまいとしたモサドの工作員達と同じように。
注1 GROMだけが使用できる防御障壁。
注2 GROMが纏う特殊な戦闘スーツ。現在はこちらが主流となっている。
◆
バシール・ジェマイエル国際空港に展開した傭兵部隊は、キャロラインからの命令を受けて撤退し始めた。その数を大きく減らした彼らは躊躇いなく重装備を捨ててMi‐8輸送ヘリに乗り込み、元いたソ連フロントに戻っていく。
〈団長を援護しろ!〉
そんな中、撤退を援護すべく折板屋根の上で頑張り続けるバリカドイのヴァルキリーらはミラン対戦車ミサイルを二発放つ。目標は、地下から飛び出してきたサブラ——キャロラインと離れたタイミングを見計らって発射したのだ。
「邪魔をするな!」
しかし格納庫の時とは異なり、今や縦横無尽に動けるサブラは一発目を容易く回避してみせた。更にはそのワイヤーを縦方向の斬撃でぶち切ってから、今度は背後から迫ってきた二発目も空振りに終わらせる。
「その勇気に敬意と感謝を!」
けれど対戦車チームの自己犠牲は、キャロラインが撤退用のAn‐12輸送機と合流する十数秒は稼いだ。
「そしてアンタには置き土産を!」
キャロラインは開きっ放しの後部貨物ドアからサブラに中指を立てる。次いでリモコンを操作し、米国製の燃料気化爆弾が固縛されているパレットを機内から滑り落とそうと試みた。立つ鳥跡を濁しまくり——バシール・ジェマイエル国際空港に強烈な最後っ屁を浴びせるため!
「いけない……ッ!」
しかしサブラの表情が凍り付いたその時、An‐12輸送機はキャロライン共々爆散した。
◆
「遠足ってね、家に帰るまでが遠足なのよ」
レーダー上からAn‐12輸送機の機影が消えたことを確認すると、レアは発射ボタン……ホーク地対空ミサイルのそれから指を離す。酷い有様の地下司令部は今やすっかり静かな有様。
「こんなものかしらね……」
レアは疲れ切った様子でTHG‐51——ごく一部の例外を除いて、GROMやヴァルキリーはこれを失うや否や急速に老化してしまう化学物質——の注射器を取り出して、その針を自分の首筋に突き入れる。
「疲れたわ……」
プランジャーロッドを押し込みながら、これから山程片付けなければならないことがある現実について辟易するラマトカル。一体何枚の始末書を書けばいいかわからないし、菓子折りを持っていくリストは見たくもない。
『WINNER!』
その時だ。何本も亀裂が入りながらもまだ生きているモニターに、そのキャプション付きで北京農園のマークが表示された。
『本日は北京農園の勝利となります。キャロラ……失礼しました、バリカドイは全ての戦闘行為を停止してください』
そういうことね……とレアは思う。今知ったことだが、今回の襲撃も学園大戦ヴァルキリーズとして娯楽化されたのだ。そして世界中に配信された次第。
BFはバシール・ジェマイエル国際空港。
勝利条件と敗北条件は大方、双方の司令官絡みだろう。
「マザーは甘くない……か」
十年以上に渡る苦悩と死闘を経て、レアはようやく安泰を手に入れたとばかり思っていた。それは確かに事実ではあったが、ビッグ・マザーの再登場によって終わった。
「やっぱり楽はさせてもらえないのね」
今やアルカにいる誰もが、今日の自分達のようにビッグ・マザーの意向一つで命を脅かされるようになった。
羊の皮を脱ぎ捨てた、真の狼の世……。
それが始まったのだ。
◆
バリカドイの撤退から数時間後……。
シニガミマガジンこと、学園大戦ヴァルキリーズの顧客向けに発行されているグレン&グレンダ社の機関紙が共同生活区の片隅に転がっていた。
鋼鉄の義手!
突如地面から飛び出したそれは、ノエルが表紙を飾り、胸の頂まで露になった彼女の写真も掲載されている本を鷲掴み——そのまま土中に引き摺り込んだ。
終劇