◆1984年1月26日
ソ連フロントと米国フロントの境界地帯における戦いは、実はまだ終わってはいなかった。
敵を全滅させた方が勝ち!
マーレブランケ側のGROMやヴァルキリーが、その勝利条件及び敗北条件を達成させぬよう散り散りとなって逃走したからだ。
「降伏する!」
それでもBFの一角では万策尽きた外国人義勇兵達がバリカドイ——事実上のキャロライン兵団ではなく、彼らと交代でやってきた生え抜き組に降伏しようと試みていた。
「カシストめ」
しかし現在の指揮官たるイルジオンこと先代バタフライ・キャットは、何一つ躊躇することなく火炎放射器で焼き払うよう命じた。両手を上げたロシア人達は一瞬で火達磨となり、絶叫しながら前のめりに倒れる。終いにはG3自動小銃の掃射を頭部に浴びせられた。
「野蛮人が!」
その光景を見て激昂し、ヴァルキリーが背負った燃料タンクを撃ち抜く外国人義勇兵もいた。だがバタフライ・キャットは命令を取り消さなかったし、配下の同じ顔の少女達もまた、仲間が何人弾け飛ぼうが一切お構いなく焼殺を続けた。
精神が壊れてしまった者。
負傷して塹壕に取り残された者。
それでもなお戦おうとする者。
バタフライ・キャットはそれらを一切区別することなく焼き殺した。それこそ害虫駆除のように……。
「細胞の一つ一つに至るまで悪に染まったとしても、私は負けない」
チーフテン戦車から踏み潰されたのか、ベクシンスキーの絵画宜しく右半身が地面と一体化している無残な焼死体……バタフライ・キャットはそれを見ながら吐き捨てた。
肌を露出している箇所が多ければ多い程、弾は当たりにくくなる。
学園大戦ヴァルキリーズではそんな設定を持つこのGROMは、褐色の肢体をマイクロビキニだけで覆い、頭に猫耳めいた飾りを付けていた。また右首筋にはその他大勢と同じ、個体識別用のバーコードが刻まれている。
「キャット様、敵は降伏を申し出ていますが……」
「我々は祈祷ではなく、直接的な戦闘行為によって敵を殺すのが役目だ。対話や相互理解は日本人にでもやらせておけ」
今日も前線で指揮を執るバタフライ・キャットは、マリア・パステルナークに対する強烈な恨みをエネルギーとして生き、紆余曲折経た今なお消えぬそれ故に人生を狂わせた。フリーランスの傭兵GROM、タスクフォース600、そしてキャロライン兵団——こんな変遷を辿ったのは恐らく彼女だけだろう。
「結局これか……」
ただバタフライ・キャットは、例によって不本意な扱いに甘んじている。昨年大損害を出しながらも、ゼーロウ3の戦いでマーレブランケは無敵ではないぞと証明したのは他ならぬ彼女だ。だが今は、バリカドイの生え抜き組の寄せ集めを指揮しているに過ぎない。言ってしまえば体のいい左遷!
「キャロラインは一体どういうつもりなんだ……?」
バリカドイに関する諸々は全て団長が仕切っており、バタフライ・キャットは言わば蚊帳の外。今日だってマーレブランケが撃破されたことは、残敵の掃討を命じられて現地入りしてから初めて知った次第。
「しかし本隊は一体どこに行ってしまったのでしょうか?」
だから部下から問われても、彼女は「わからん……」としか返せない。多数のGROMや徘徊型弾薬、更にシュトルムボック擁する本隊は、キャロライン共々一体どこに行ってしまったのか?
「知らないのは……私だけなんだろうな……」
バタフライ・キャットは自嘲した。復讐の味から甘美さが失われ、吐きたくてたまらないものとなってから久しい。もしかしたら、自分は間違っているのではないかとも最近思い始めている。
「だが、今更降りられるものか」
雑念を振り払うため、バタフライ・キャットは何度も首を横に振った。長きに渡って抱え続けた負の感情をおいそれと捨てることはできない。
「今更……」
要するに自分は、無慈悲かつ悲しい一人勝ちの戦争を続けるしかない。
血反吐をぶちまけ、足元を赤黒く汚しながら……。
注1 捕虜となった後、ソ連側に転向した日和見主義者の元ファシストを指す。
注2 ポーランドの芸術家。シュルレアリスム的な絵画で有名。
◆
「今日中は……無理か?」
逃走することでマーレブランケの完全敗北を避ける——増援到着までの時間を稼ごうとする者の中には副官も含まれていた。
「あの人は必ず来る」
酷く垢染みた襟。目の下や口の両脇に描かれた、煤と泥の濃い縁取り。そんな有様の彼女は今、ただひたすらに米国フロントのある西を目指していた。
「必ず、バリカドイの攻撃を湿った花火に変えてくれる……」
状況は厳しいものだったが、初代マリアの頃からエーリヒ達と付き合いのあるこのヴァルキリーは悲観も絶望もしていない。食えない性格故、敵勢力の勝利を妨害していることに喜びすら感じている位だ。
「あれは……?」
そのうち歩き疲れた副官は、ふと視界に入ったPT‐76水陸両用戦車の残骸に身を寄せた。成形炸薬弾の直撃で黒ずんだ装甲に背を預け、体力を消費せぬよう縮こまる。
「これ位、大したことじゃない……」
辛くない、怖くないと言ったら嘘になる。けれども、やりたくないことをやり仕えたくない上官に仕えた空白の時間——ひたすら自分に嘘をつき続けた経験と比べたら屁でもない。あの十数年は本当に耐え難いものだった。
「大したこと……」
ひとまずの落ち着き。それによって疲れが出てしまったのか。副官は凄まじい眠気に襲われた。
「じゃ……」
そして彼女は、そのまま気絶するようにして眠ってしまった。
◆
「どうして、僕達のことをずっと待っていてくれたの?」
ある日、私はあの人からそんな風に問われたことがある。
「どうして?」
「うん。前々からずっと思っていたんだけど……」
どうして——そんなの考えたこともなかった。あの人達には色々と楽しませてもらったし、何より私は食わず嫌いの多い偏屈者。マリア、エーリヒ、ノエルの三馬鹿以外と働く気にどうしてもなれなかった。ただそれだけ。
「腐れ縁ってことにして頂けますか?」
これは墓まで持っていくつもりだが……空白の十数年を過ごしている時、私はあの人達を恨んでいたこともある。
勝手にいなくならなければ、私は自分を騙さなくてもいいのに!
しかし、そんな風に考えてもあの人達はやっぱりあの人達だ。誰よりも大切で誰よりも関わりたくない人々。
「そう……」
あの人は私の話を受けて、その意味を噛み締めるかのように何度も頷いた。
「長い間待たせてしまって、本当にごめんね」
そして、私の目を見て謝ってくれた。
「許してあげます。それでもみんな帰ってきてくれたから」
「良かった。それと不在の間、色々と動いてくれてありがとう」
「お……っ!」
この時私は泣いていたと思う。
「お礼は現金でお願いします!」
もしかすると——多分、ひょっとしたら嬉し泣きだ。
◆
「寝ちゃったか……」
夢の世界から戻ってきた副官は周囲を見回す。幸い敵の姿はどこにもない。
「行かないと」
副官は拳銃の弾倉をチェックしてから立ち上がり、再び西を目指す。
もう一度「お礼は現金でお願いします!」と言うために。
◆
阿漕なことをやっている……。
グレン&グレンダ社から派遣された記者のインタビューに応じつつ、蝶王ことバタフライ・キャットは内心そう思った。
「マーレブランケは戦力不足を解決するため、外の刑務所から囚人達を無理矢理連れてきたようです」
明らかな大嘘。だがバタフライ・キャットは、あたかも真実であるかのように続ける。これは彼女を支持する者達にとっては真実だし、彼女もまた、自分らを支持してくれる者達に心地良さを与えることを目的としていた。
こんな世の中は間違っている!
俺が底辺から抜け出せないのは政府の責任だ!
私の人生が上手くいかないのは社会が悪い!
大変嘆かわしいことだが、バリカドイを応援してくれるファンにはこのような思想を持つ、他責的で自己を顧みぬ陰謀論者が多数含まれる。社会に強い不満を持つ彼らは、バタフライ・キャット達を魅力的な現状変更勢力と見なし、経済的困窮などお構いなしの支援を続けていた。
「加えてマーレブランケは、この事実を隠蔽するために自分達の砲撃で囚人達を無作為に殺傷したのです。彼らにはジュネーブ条約違反、人道上の犯罪、そして残虐行為に対する責任がある」
「なるほど」
一方記者は、バタフライ・キャットの言葉を受けて小さく頷く。
「非常に興味深いお話ですね」
この人物もまた、今回のインタビューが一体何を目的として行われているのか承知していた。学園大戦ヴァルキリーズのサークルや軍閥、軍事支援団にとってそうであるのと同じように、グレン&グレンダ社は陰謀論者を単なる金蔓としか思っていない。何がグレートリセットだ笑わせるな!
「以上で結構です。それでは」
「どうも」
敬意も何もあったものではないやり取りの後、記者はそそくさと戦いの庭から立ち去っていく。今やフニンシャハルのような有様と化したBFから、一秒でも早く離れたいのが露骨に窺える仕草だった。
「キャット様!」
部下が慌てて駆け寄ってきたのは、バタフライ・キャットが見送りを済ませた直後である。
「マーレブランケの生き残りを見付けました。西に向かっています」
部下から差し出された航空写真——そこには、疾走する副官の姿がはっきりと写し出されていた。
◆
「うわっ!」
それから七分十二秒後——バリカドイから捕捉された副官は、手榴弾の爆風で吹き飛んだ。
「——ッ」
背中から何かに叩き付けられる副官。彼女は酷く苦悶したが、そのまま前方に倒れ込むことはない。背後から抱き止められたからだ。
「ごめん、待たせた」
副官を抱き止める存在が優しく口走った瞬間、BFに日の出が訪れた。新鮮な太陽光によって順に浮かび上がっていく足首、膝、胴体、顔。
「テウルギスト!」
直後、少しだけ頭を動かしたノエル・フォルテンマイヤーから右のウィンクを送られる副官。彼女の表情は瞬く間に明るくなった。
「来て……くれたんですね」
「エリーも一緒だよ。もう少しだけ頑張って」
副官が頷きつつ「お礼は現金でお支払いします」と力強く返すなり、ノエルは希望と活力を取り戻した彼女から手を離した。
「今日はゲストみたいなものだけど!」
そして飛び上がり、まずは上空で上半身を右方向に捻る。続いて両手と右足を真っ直ぐ伸ばし、一方左足は少しだけ曲げた——大見得を切った決めポーズ!
「それでも皆殺しの雄叫びを上げて、戦いの犬を解き放つ!」
仕上げは双眸の輝き。テウルギストの修羅場が見れるぞ!
◆
今回、増援としてBFに駆け付けた部隊はノエルだけではない。それどころかマーレブランケのほぼ全戦力が投入されている。
「大佐に代わり命じる! 瀝青の池から浮かび上がろうとする者を、その鉤爪で責め立てるんだ!」
鉄火場の移動司令部こと、M3ハーフトラックの上からエーリヒが命じるなり昨日と違い随伴歩兵付きのT‐64中戦車が2S1自走榴弾砲——榴散弾を大量に与えられている——からの支援を受けつつ突撃開始。
「戻りました」
「おかえり」
程なくしてエーリヒと副官は合流することができた。マーレブランケの空軍が沸き立つような戦闘に加わり、昨年十一月二十日同様の対地攻撃を開始したのは二人が握手を交わした……まさにその瞬間である。
〈猫はいないぞ! 存分にやれ!〉
Mi‐24攻撃ヘリとガゼル攻撃ヘリは、長距離機動砲兵と対戦車専用機として今回も各々猛威を振るう。今日は忌まわしき猫……バリカドイのF‐14戦闘機は見当たらないから、東西混合のハンターキラーチームは水を得た魚のように敵を殺しまくることが可能だった。
〈キャット様!〉
〈マーレブランケめ……っ!〉
それでもバリカドイは時間切れまで粘ったが、完全に制空権を奪われた状態で砲兵火力及び機甲兵力を叩き付けられてはどうしようもなかった。対戦車地雷や携帯式の対戦車兵器では抵抗すらままならない。
『DRAW!』
BFの各所に置かれている大型モニターにはやがて、このキャプション付きでマーレブランケとバリカドイのマークが半分ずつ表示された。両者の戦いは今回引き分けで終わったことを意味している。
「危なかった……」
結果を知った瞬間、エーリヒは心の底から安堵した。序盤大きくリードされたマーレブランケは終盤、戦力の大量投入という形振り構わない方法で判定基準に大きく影響する殺害数と撃破数を荒稼ぎした。だからこそ、この戦いをなんとか引き分けに持ち込めたのである。
「ありがとう」
方法はどうあれ急場を凌いだエーリヒは、副官が何も言わず差し出してくれたコーヒーを受け取る。
「お礼は現金でお願いします」
そして彼女は、自分が今一番聞きたい言葉も口にしてくれた。
◆
数時間後……。
今やすっかりお馴染みとなった敗走——形式的には引き分けだが——を今日も味わう者達は、みんな足を引き摺るようにして歩いている。今回も死に損なったバリカドイの面々の中には、排泄の暇さえ与えられなかったが故、尿だけでなく糞を漏らした奴もいた。そんな不幸者はただただ、茶色いブレーキ跡を一秒でも早く下着からこそげ落としたいと望みながら進むだけ……。
「ん?」
幸い、そういう目には今回遭わずに済んだバタフライ・キャットは紫色の煙を見付ける。彼女は疲れ切っていたが、それでも注意力は失われていなかった。
「なんだ……?」
不審に思ったバタフライ・キャットはフライトユニットを動かし、ゆっくりと進むSO‐76自走砲から飛び立つ。
「ご苦労様です!」
煙の根源に降り立つと、いつも通り全身黒でガスマスクを装面し、短機関銃を携えたグレン&グレンダ社の保安部隊員が駆け寄ってきた。
「三日前からここで待っていました。これはマザーからの差し入れです」
「差し入れ? ビッグ・マザーから?」
怪訝な表情を浮かべながら、バタフライ・キャットは保安部隊員から渡された箱を開ける。中身は衝撃で滅茶苦茶のケーキ。どうやら彼は、渡すこと以外には注意を払わなかったようだ。
「お渡しできて良かった。これで私も撤収できる」
それは自分のことしか考えていない口調からも明らかだったが、保安部隊員は全く悪びれる様子なし。それどころか「それじゃ、ヘリが待ってますので!」と嬉しそうに言いながら立ち去る有様だ。
「真面目にやるだけ損ですよ! イルジオン!」
挙句の果てには一度立ち止まって、呆然と立ち尽くすバタフライ・キャットに余計な一言まで浴びせる始末。
「こんな戦争、本気になるのは馬鹿だけです!」
と……。