◆1984年2月14日
〈レプティリアンの眷属め!〉
BFでは激しい戦闘が続いていた。ニューヨークやパリ、ベルリン、東京等にPPVで配信されているこの殺戮劇は未舗装路の突き当りに建つ電波塔が双方の勝利条件と敗北条件に深く関わっていた。
期間内に電波塔を制圧できればマーレブランケの勝利。
逆に守り切ることができればバリカドイの勝利。
学園大戦ヴァルキリーズを楽しむ世界中の愚か者は戦闘が始まる前からそれを知っている。だからこそどちらかの勢力に『ママからのお小遣い』をベットしているのだ。
〈ここは渡さんぞ!〉
現在マーレブランケは電波塔の根元まで迫っているが、レオパルト戦車同様に、最近バリカドイに供与された対空戦車から煮え湯を飲まされていた。合計二門の三十五ミリ機関砲を水平射撃されたらどうしようもない。
〈近付けない! 戦車は一体いつ来るんだ!〉
〈あと十分掛かるそうです!〉
〈五分で来なきゃ銃殺だと伝えろ!〉
本来航空機を撃墜するための弾幕は凄まじく、外国人義勇兵どころか車両すら迂闊に近付けない有様だ。
〈残り四時間しかないんだぞ……!〉
最後の最後に待ち構えていた落とし穴。マーレブランケの損害は増していく。
「よっと!」
とはいえエーリヒも手をこまねいていた訳ではない。フライトユニットの翼を折り畳んだ状態で暗視装置装備の選抜班と共に下水道を移動したノエルは、後先考えずに撃ちまくる対空戦車の背後に出現した。
「自分を好きになる方法を教えてあげる」
近くの日本製ピックアップトラックを奪った一行は、B‐10無反動砲に砲弾を装填。そして、間髪入れずに砲口を対空戦車へと向ける。
「忙しく生きて、誰かの役に立て!」
そして発射——厄介な代物を撃破し、続いて電波塔近くの小屋に取り付く。
「しかしバタフライ・キャットは本当にいるのでしょうか?」
フライトユニットがあるから汚い壁に寄り添う格好のノエルに対し、こちらは身軽なので同じ場所に背を預ける外国人義勇兵の一人が問う。ただ彼女は答えることなく鼻を鳴らした。
「舐めるまでもなくおしっこの臭いでわかる」
鼻腔を刺激する、ドクダミめいた尿の臭い。それは紛れもなくモダフィニルを服用している証拠だし、あの薬を飲んでまで頑張るようなGROMは今のご時世バタフライ・キャットしか心当たりがない。
「わかりました。では、どうぞ」
やがて選抜班のリーダーは、大きな腰のポーチから薄く広い箱のようなものを取り出す。エクスプロージョン・エントリーに用いる爆薬ボードだ。
「ありがと」
それを受け取ったノエルは、油臭い厚紙に特殊な爆薬を束ねてテープ留めしたそれ——宅配ピザの箱を改造した代物——を壁面に貼り付けた。爆薬を利用して穴を穿ち、相手にとって予想外の場所から突入するために。
注1 有料コンテンツに料金を支払って視聴するシステム。
◆
「ん……モサドから?」
メッセージの受信通知を耳にしたサブラ・グリンゴールドは、腰ポケットから携帯端末を取り出す。すぐさまロックを解除し、連絡事項を確認する。
『バタフライ・キャットは脱出』
その文面を検めたサブラは「残念ですね」と他人事のように呟いてから作業に戻った。
イスラエルで生まれた、生粋のイスラエル人。
それを名に冠する彼女は、北京農園の最精鋭として学園大戦ヴァルキリーズのあらゆる敵勢力を蹴散らしてきたGROMだ。百七十センチ超えの長身と、赤いヘアバンドとの対比が印象的なセミロングの黒い髪。そして度が入っているのか入っていないのかわからぬ眼鏡の奥には、光の角度によっては薄茶にさえ見える紫色の瞳。ただ、右首筋に個体識別用のバーコードは見受けられない。
「いい加減死ねば良かったのに。あの人も未練がましいですね」
誰もいないことをいいことに毒を吐く彼女がいるのはバシール・ジェマイエル国際空港の地下にある一室だ。四十年前、鮫林寺にあったサルコファガス宜しく最深部に存在しているこの場所に入れるのはラマトカルことレア・アンシェルと最強戦力のサブラのみ。知っている者も、ビッグ・マザー以外では『書類上では米国フロントの非常勤雑用係』中この二人だけである。
「これを戦車都市に落とせば、色々なことが一気に解決するのに」
感情を持たない歯車を自称しているが、それはそれとして愚痴は言うサブラの眼前にはガラスケースがある。その中には、なんと核爆弾が収められているではないか。
『ラマトカルの直接命令なき限り使用禁止』
そう注意書きされているこれは第四次中東戦争の折、圧倒的劣勢に立たされたイスラエルがA‐4攻撃機に搭載して極秘に実戦投入せんとした戦術核。機体は幸か不幸か撃墜されたが、積まれていたこれは爆発することなく砂漠に埋もれて後年回収・再調整の上アルカに運び込まれた次第。
「でもこれは抑止力に過ぎない」
当然ルール違反の代物だが、ビッグ・マザーが復帰し、一月二十七日のように彼女の意向一つで命を脅かされる時代が訪れても、北京農園……正確にはレア・アンシェルがそこまで神経質にならなくてもいい理由がこれだった。どれだけの理不尽を叩き付けられようとも、いざとなれば核攻撃が可能なのだから。
「私達が最大の復讐を果たすための……」
狼の世は確かに、羊の皮を脱ぎ捨てて真の姿となった。
だが……。
既に過去形ながら、十年以上に渡る苦悩と死闘の対価として安泰を手に入れた北京農園はやはり容易ならざる勢力なのだ。
注1 イスラエル諜報特務庁。
注2 イスラエルフロントが撤退した後も、米国フロント内に軍事支援団として残っている軍閥。リーダーはレア・アンシェル。
注3 第二次世界大戦中、バラトンフュレドに存在していたドイツ軍の基地。
注4 北京農園の構成員は表向きその形で登録されている。
◆
電波塔では厄災の翼が羽ばたき始めていた。対空戦車を一台残らず破壊されたバリカドイに対し、お返しとばかりにマーレブランケが猛攻を仕掛けたからだ。
「普通の人々の総意によって覆せるものは?」
だが民兵達にとって真の悪夢だったのは、
「手は汚れていても、心は温かいと信じられた時代!」
自らの問いに自分で答えつつ乱舞するノエル。イガーツ・スツォーにとっての彼女は、人が自然の摂理に干渉した結果物事の均衡を崩すという初期の核実験にそっくりな邪悪でしかない。
「今日もアルカは人間を知り、世界を知るに適切な場所だね!」
例によってイマヌエル・カントを改変しつつ引用したノエルは、今日も空中で上半身を右方向に捻る。次に両手と右足を真っ直ぐ伸ばし、一方左足は少しだけ曲げた——大見得を切った決めポーズ!
「悪魔だ……! あれは……悪魔だ!」
ノエルは応援してくれるファンを喜ばせるつもりだったが、民兵達は瞬く間に顔面蒼白となった。いつも通りM1ローブで長身を包み、青い輝きを纏う彼女はきっと、三本の首を持つ金色の竜に見えているのだろう。
「皆殺しの雄叫びを上げて、戦いの犬を解き放つ!」
バタフライ・キャットこそ取り逃がしたが構わない。ノエルは今日も、理不尽極まりない大虐殺を開始した。
「レプティリアンの親玉に違いない!」
「撃て! 殺せ!」
イガーツ・スツォーの陰謀論者達は接近してくるノエルにありったけの火力を叩き込んだ。だが左右の急機動を彼女が繰り返すせいで当たらないし、数少ない命中弾もテウルギスト特有の超再生能力故に致命傷を与えられない。
「そらあっ!」
逆にノエルから放たれた十四・五ミリ弾は、RPG‐7を構えようとしていた民兵の首から上を消し飛ばす。更に残った体はコントロール喪失の挙げ句弾頭を斜め下目掛けて発射。間を置かず大爆発が起き、すぐ近くを進んでいた仲間諸共木っ端微塵となってしまう。
「死ね!」
それでも勇敢な民兵は着地したノエルの背後から飛び掛かり、ナイフを彼女の右目に突き入れる。流石のテウルギストも悲鳴を上げた瞬間、今度は逆方向から別の民兵が叫びつつ突進し、鎌の先端を左目に突き刺す。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
熱い鮮血が迸りノエルの顔面や喉を赤く染め上げるが、彼女はすぐさま口元を緩めると前方の民兵を蹴り飛ばした。
「くそっ!」
それを見た背中側の民兵はノエルの頭部を無理矢理持ち上げ、丸見えとなった喉を切り裂くが駄目だった。流れ落ちた血が地面に落着するよりも早く、柔道の背負い投げのような形で前方に振り落とされてしまったのだ。
「畜生……ッ! 畜生……ッ!」
ノエルの右目を抉った民兵は脳天を砕かれて即死したが、左目に鎌の先端部を突き立てた者はまだ生きていた。落とされた衝撃で立てないが、それでも尻餅をついたままM79グレネードランチャーに硫酸弾を装填する。
「これで終わりだ!」
ガスが抜けるような音と共に硫酸弾が放たれた。しかしながらノエルの両目はもう再生していたから、それでは狙った頭部ではなく咄嗟に構えた彼女の右手で防がれてしまう。だが……それで十分だった。
「死は逃げない! 存分に苦しめ化け物!」
民兵が勝ち誇るや否や、ノエルの右手が猛烈な勢いで腐食していく。立ち昇る悪臭の煙——あまりにも酷かったものだから、彼は思わず咳き込んでしまった。
「それが死ねないんだよね」
だが撃たれた当人は肩を竦めた後、左手で右手首を掴んだ。次にその上腕部に噛み付き、更には渾身の力で引っ張る。当然ながら、腐食した部分はぶちぶちと嫌な音を立てて断裂してしまう。しかし、
「痛みも苦しみもあるのに死ねないんだ」
「ひっ……」
仕上げとして千切れた右手上腕部を投げ捨てるなり、ノエルの失われた箇所は逆再生のようにして元通りになった。これが彼女の超再生能力なのである。
「——ッ」
常人には到底理解できぬ光景。それを目の当たりにした民兵は拳銃を引き抜き、その銃口を躊躇いもせず咥え込み引き金を引いた。
〈テウルギスト! 騎士のように戦わないで!〉
多少回りくどい形ではあるが四人目の民兵を殺した直後、無線越しに副官から戒めが届く。ノエルは現在、大きく突出しているのだから当然だろう。
「ごめんごめん。そんなに怒らないでよ、副官ちゃん」
〈怒りますよ! 改めて頂かないと、貴方の名前は書類上の存在になる!〉
至極真っ当な指摘。反論の余地なんて一ミリも存在していない。だがノエルは彼女を強く信頼しているからこそ、あえて『NO』を突き付ける。
「はいさーい!」
〈ちょっと! テウルギスト!〉
BFに接近している可変翼の編隊——恐らくバリカドイ所属のF‐14戦闘機とMiG‐23戦闘機——目掛け、スラスターの最大噴射で突撃するという形で。
注1 十八世紀から十九世紀にかけて活動したドイツの哲学者。
◆
〈こちらゼニート6! 緊急事態だ!〉
ヴェリテ1に通信が入ったのは、テウルギストが急接近している旨の連絡から七分十二秒後。
〈CSD警告灯が光った!〉
他の三人同様、MiG‐23戦闘機——エグゾセ空対艦ミサイルを搭載するため二十三ミリ機関砲を丸々取り外した上で、ミラージュF1戦闘機用のパイロンを無理矢理取り付けた——を操るヴェリテ1は、それを聞くや否や酸素マスク内で舌打ちする。CSDとは、コンピュータ信号データのことを指す。その警告灯が光ったということは……護衛のF‐14戦闘機は全ての兵装が使用不能と言っても過言ではない状態。離陸前に発覚したら間違いなく出撃中止となる重大故障!
〈悪いが引き返す!〉
〈おい!〉
ヴェリテ1は制止しようとするが、キャノピーの向こう側ではF‐14戦闘機がこれ幸いとばかりに全機翼を翻している。異常のない機まで引き返す始末だ。
〈ヴェリテ3よりヴェリテ1、我々も引き揚げますか?〉
当然、僚機のフランス人パイロットからは問い合わせが届く。
〈馬鹿言うな。さっさと片付けるぞ〉
これまた当然ながらヴェリテ1はそれを一蹴する。だが、
〈あいつらが相手じゃ、茶番劇の舞台さえ成立しない!〉
直後、彼らが一番聞きたくないであろう音が無線に割り込んだ。
〈だから君達と一緒に皆殺しの雄叫びを上げ、戦いの犬を解き放つ!〉
他でもないノエル・フォルテンマイヤーの声が。
◆
〈奴か!〉
厄介な奴に見付かったことを悟るなり、ヴェリテ飛行隊のMiG‐23戦闘機は過積載以外の何物でもないエグゾセ空対艦ミサイルを投棄して散開。
〈ヴェリテ4、被弾した!〉
けれども、ノエルが急降下しつつ対戦車ライフルから放った十四・五ミリ弾は逃げ遅れた一機を容赦なく貫く。赤き炎と漆黒の煙、そして冷却液の濁った白が混ざり合った諸々が噴き出したかと思うと、すぐさま起きる爆発。
〈墜落する! 墜落する!〉
そして右翼と後部を失ったMiG‐23戦闘機は黒煙を残しながら錐揉み状態で落下していく。当然——パイロットを乗せたまま。
◆
「逃げて……頼む!」
M3ハーフトラックの車上から空中戦の様子を見ていたエーリヒ——つい先程BFに戻ってきた——は、不安定な姿勢で地上に吸い込まるMiG‐23戦闘機のパイロットが生き延びることを祈った。
「早く、早く脱出するんだ!」
すると屋根型装甲越しの祈りが通じたのかキャノピーが吹き飛ぶ。一拍置いて、最早棺桶以外の何物でもない機体から人影が飛び出した。
「良かった……」
更にはパラシュートが開く様子を目の当たりにしたエーリヒは安堵のため息を漏らす。まるで、マーレブランケのパイロットが無事生還した時のような反応。
「これで義母さんと援助についてまた話せる」
彼は恐らく、品性下劣な連中が送り込んだパイロットだろう。故に捕えた上で「口外しませんから」と会食中に切り出せば、義母ことビッグ・マザーは更なる援助を約束してくれる可能性がある。
「すぐに救助の手配を!」
エーリヒがパイロットの生死を気に掛け、脱出と生還を喜んだのは……単純にそれが理由だった。
◆
電波塔近くの納屋で人質を見付けた外国人義勇兵達は、すぐさま移動するよう彼らに促した。
「ああ良かった……」
「殺されるかと思ったよ……」
心底安堵した様子で納屋から出てくる老若男女は、厳密に言えばバリカドイの人質ではない。正体はビッグ・マザーによる実権再掌握後、閑職に追い込まれたグレン&グレンダ社の社員達であった。早期退職に応じなかった結果、学園大戦ヴァルキリーズに組み込まれた——救った人数に応じてポイントが入り、それが多ければ多い程判定に有利——次第なのである。
「早く早く!」
「向こうでトラックが待っています!」
外国人義勇兵はそう言って人質を歩かせるが、一人一人の肩を掴んで引き寄せ、その顔をしっかり検めてもいた。着替えた上で、どさくさに紛れての脱出を図るイガーツ・スツォーの民兵が紛れ込んでいたら面倒だ。
「おい!
「違……っ」
事実、僅か数名だが該当者はいた。当然彼らは襟首を掴まれ、逃げようのない状態で腹部にFAL自動小銃の一撃を叩き込まれる。そして一人残らず死んだ。
『WINNER!』
やがて電波塔の制圧が終わると、BFの各所に設置されている大型モニターがこのキャプション付きでマーレブランケのマークを大きく表示した。
今日の戦いもマーレブランケの勝利、バリカドイの敗北で終わったのだ。
◆
「今回もまた負け……か」
敗北を知ったバタフライ・キャットは苦々しく呟いた。しかしながら彼女は今、直接の指揮をBFで執っている訳ではない。ノエルの襲撃から間一髪で逃れた後中立地帯に移動、そこに建つビルの一室からリモートで命令を下していた。
「そうか……」
それはイガーツ・スツォーの民兵達と関わっていたら馬鹿が移ると思ったのが一番の理由だ。ただバタフライ・キャットは自分が変わったことを自覚せずにはいられなかった。昔だったらリモートで指揮なんて絶対に執らなかった筈だ。
「私も変わったものだな」
フリーランスの傭兵GROMだった頃、学園大戦ヴァルキリーズの不正規戦で先代マリア・パステルナークから顧客を何人も殺され、それによって食い扶持を奪われた恨み。そして、死後も人気ランキングや関連商品の売上等で常に自分を上回り続けた十数年間。一番見たくないものを嫌でも見せ付けられる度に燻ったどす黒い感情は、いつしか簡単には消せぬ憎悪と化してバタフライ・キャットを突き動かした。
もしかしたら、自分は間違っているのではないか?
しかし血反吐をぶちまけ、足元を赤黒く汚しながら続ける『無慈悲かつ悲しい一人勝ちの戦争』を遂行する中で仕返しの甘美さは失われた。気が付いた時には吐きたくてたまらないものとなり、そんな風な考えさえ浮かぶように……。
「だが、これでいいのかもしれない」
正直、最近は負けても悔しいとは思わなくなり始めている。仮に勝てなくても様々な経路で現金は入ってくるし、昨年マーレブランケの不敗神話を崩壊させた事実はバタフライ・キャットの心に平穏を与えてくれていた。
『バタフライ・キャット及びヴァルキリー、GROM達は後退せよ。それ以外はマーレブランケに投降せよ』
バタフライ・キャットは手元にある、数分前キャロラインから届いた命令書に視線を移した。どうやら団長は、全裸将軍がマーレブランケの捕虜となることを望んではいないらしい。全面的な信用は置けないが、今の自分にはなんだかんだ言って気遣ってくれる上官もいる。その事実も気持ちを楽にしてくれた。
「まだ頑張っているのか……?」
バタフライ・キャットはキーボードに手を伸ばし、モニターに表示されている映像を別のものに切り替えた。数秒後現れたのは、傷付いて疲れ果てたイガーツ・スツォーの陰謀論者達がBFの片隅に集まっている様子だった。敗残兵と化した彼らの顔は煤だらけで、軍服の襟や袖には濃い垢染みが浮かんでいる。耐え難い悪臭が画面を通じて漂ってきそうだった。
「そうか。なら、せいぜい勝手に死ぬがいい」
それから僅か数秒で、バタフライ・キャットは彼ら全員を置き去りにしようと決めた。こんな奴らのために使う時間は一秒もない。加えて義理もない。
「さて……」
そして映像を再度切り替え、頬を染めつつカーテンを閉める。
「お待たせしました」
〈待っていたよ。今日は女性器を見たい気分なんだ〉
趣味と実益を兼ねた——チャットレディの副業を始めるために。
◆
戦闘後のBFは黒焦げの死と灰の世界だった。壊されて放棄された戦闘機械のコレクションだらけ——ただ、頼まれてもいないのに遥々アルカまでやってきた陰謀論者達は具現化した心の傷やストレス『には』苦しめられなかった。
〈撤退する。合言葉は『自由』だ。目標は東方、十九時〉
バリカドイのGROMは脇目も振らずに飛び去った。中身が空のまま疾走するM113装甲兵員輸送車に至っては民兵を無視するどころか、制止しようと前に立ちはだかった者を躊躇なく轢き殺した。バタフライ・キャットが命令した通り、誰もイガーツ・スツォーの陰謀論者のために時間を割かなかったのだ。
見捨てられた!
残酷なその事実を突き付けられた民兵達は、死同然の生を生きるか、それとも死そのものを選ぶか決断する必要に迫られた。小児性愛や虐待からの解放というガラス細工の看板は砕け散ったのだ。
多くの者が決断した。
ある者は、連れてきた妻子を射殺した上で首吊り自殺。
またある者は、昨年十月の敗者宜しく有刺鉄線で自分の頸動脈を掻き切った。
戦闘で死ななかった民兵は、報復に胸躍らせるマーレブランケが到着する前に全員冷たくなっていた。地面のあちこちには、静かに流れ去った命の池……。
現実に帰る勇気もなく。
狂気に染まることもできず。
そんなどうしようもない半端者達が、とっくの昔に『そんなものはないぞ』と気付いていたにも関わらず、延々自分を騙し続けた末路がこれだった。
「一つだけ……」
さて撮影班からカメラを向けられているノエルは、各々マーレブランケの旗や祖国の国旗を広げた義勇兵らを背にして呟き出す。どうせマイクには拾われないだろうが問題ない。
「確かなことがある」
今の彼女は非番用の恰好だ。首にチョーカーを巻き、リング留め式のビキニのすぐ上で白ブラウスの下部を結んだ、所謂スクールガールのそれ。腹部は大きく露出、その下には短いチェック柄のスカートと、パンツ丸出しだけはやめてよとエーリヒが懇願したが故のショートスパッツ。
「マーレブランケは人間じゃない……」
そんなノエルの爬虫類めいた双眸にはぶち殺され、焼け爛れ、叩きのめされた民兵が幾つも映っている。衝撃と苦痛を残したままの顔、土から掘り起こされたばかりの芋宜しく鈍光を放つ生首、挙句の果てには荒っぽく切り刻まれ、肛門にガラス瓶を挿入された下半身。引き摺り出されたはいいが、地面に広がった腸に躓いて転倒しそうになる外国人義勇兵の姿さえあった。
「鉄で構成された、ある種の生物なんだ」
これらは全て、ノエルが命じた必要以上の残虐行為に基づく諸々だ。
「だからこそ私達が陰謀論者を容赦なく叩き潰して殺す以外に、未来の被害者を減らす方法はない」
ノエルはぬかるんだゴキブリの世界に住む、報復好きな野人ではない。しかし愛しい存在同様、必要があれば躊躇なく虐殺を行うことができた。似た者同士と言えばそこまでだが、類は友を呼ぶということなのだろう。
〈テルミットで焼き払え。地球上に残しておくな〉
民兵達の死体はやがて、大きな穴に押し込まれた上で焼却される。
尊厳を守るためか?
いや、そうではない——ただ単に伝染病の蔓延を防ぐためだ。