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学園大戦ヴァルキリーズ(現行シリーズ)  作者: 名無しの東北県人
学園大戦ヴァルキリーズ ダークホーム
21/23

◆1983年9月22日

 希望なき時代。

 相変わらず勝者を妬み敗者を笑うことでしか自分自身を守れぬ救い難い人々は、アルカという小世界を舞台にして行われる、美しき人造人間同士の娯楽化された限定戦争——所謂『学園大戦ヴァルキリーズ』——だけを唯一の癒しとしていた。

 狼の世。まさに羊の皮を被った、狼達の世である。


                  ◆


『暇でモテないヴァルキリーズファンの皆さーん!』

 アル(注1)のソ連フロントと米国フロントの中間地点……フリーダム・ランドではどこまでも人を馬鹿にしたようなアナウンスが流れる中、今日も愉快な殺戮劇が展開されている。そう、学園大戦ヴァルキリー(注2)だ。

「グレン&グレンダ社の無能は巨大な真空を作り、私達はそこに入り込む隙間を見付けた!」

 その華とも言えるGRO(注3)の一人、ノエル・フォルテンマイヤーはB(注4)上空に到着するなり、爬虫類然とした縦スリットの瞳で地上を検めた。カーゴ200(死体)がこれでもかと転がっている地獄を。

「勝利が餌の犬共!」

「おっ!」

 収まりのやや悪いショートカットの金髪、M1ロー(注5)越しでも窺える胸を持ちバックパックに被せられたフライトユニットから青いマナ・エネルギーを残して飛ぶ彼女は、早速一匹目の獲物を見付ける。

「落ちろ! 血を吐いて!」

 ソ連フロントのヴァルキリ(注6)が一人、ソ連製のPKM軽機関銃を自分目掛けて乱射しているではないか。

「それじゃあ皆殺しの雄叫びを上げて、戦いの犬を解き放つ!」

 七・六二ミリ弾の間を縫うようにして急降下したノエルは地上との激突直前で水平移動に切り替え、そのまま敵に膝蹴りをぶちかます。高速で突っ込んできた身長百八十センチの肢体は、それそのものが凶悪な武器であった。

「お肉屋さんで動物愛護を訴えなーい!」

「ひっ……!」

 倒れ切る前に手首を掴まれ、続いて両腕部を十字架宜しく伸ばす形でノエルに持ち上げられたヴァルキリーの目から涙が、股間からは尿が溢れ出す。作ろうと思えば感情の起伏が少ないようにも作れるが、こいつらは哀れな命乞いもするし時には半狂乱で戦う。時にはパニックに陥って逃げ回りもする。戦場ならではの恐怖や狂気等を演出するため、意図的な欠陥を生産時に与えられているのだ。

「それに、人類の大半は敬虔(けいけん)なモルモン教徒じゃなーい!」

 ノエルが両腕をそれぞれ外側に強く引っ張ると、セーラー服に包まれた肢体は嫌な音を立てて両断され始めた。それはテウルギスト(降霊術師)とも呼ばれているノエルが現在、アルカ西部を拠点とする米国フロントの軍事支援団(MAF)ことマーレブランケの所属という事実を踏まえると非常に皮肉な光景であった。何故ならば、ダンテの地獄篇に登場する悪魔達の名を冠したこの組織は、あのタスクフォース・リ(注7)をその源流に持っているからである。

「次!」

 肋骨や背骨が丸出しとなった断面。ノエルはそこから腸が溢れるや否や彼女を解放し、続いて自分の同類に襲い掛かる。

「テウルギストさえ墜とせば、マーレブランケも終わる筈だ!」

 ありったけの怨嗟を込めて叫ぶ、こちらもソ連フロント所属のGROMに! 

「およよ!」

 自分達(GROM)だけが使える防御障壁ことマナ・フィールドで殺到する弾を防ぎながらスラスター噴射で前進、激突したノエルだったが、敵が衝撃で尻餅をつきつつも果敢に繰り出した銃撃で右手を吹き飛ばされてしまう。されど彼女は宙を舞った腕を一回転して掴むと、焦る様子もなく断面を上腕部のそれに押し当てる。数秒経つと、力なく垂れていた指がまるで電源を入れ直したかのように再度動き出し傷もまた接着剤を流し込まれたプラモデルのパーツ宜しく消え失せた。

「再生している……? 化け物が……ッ!」

「結構な痛みを伴うものだよ?」

「痛み……だと……?」

 特殊な出自故に超再生能力を持つノエルは、顔の前で何度も指を動かしてから敵GROMに迫る。追い込まれている側がソ連フロントの所属だったのはやはり皮肉な構図だったが、アルカにおけるフロント群はあくまでも娯楽作品としての所属分けで——装備等が参考元の国々に準じているだけなのも事実。

『第二次世界大戦は、人類史に類を見ない未曽有の悲劇をもたらしました』

 ノエルの右手が相手の細い首を掴むのと、一応用意だけはされている学園大戦ヴァルキリーズの世界設定が、再確認のような形で配信機器付き小型ドローンのスピーカーから流れ始めるのは同時だった。

『この過ちを二度と繰り返してはなりません』

 万力の如し強圧が加えられた直後、苦痛に耐え切れなくなったプレトリア(注8)が夥しい血肉と共に敵GROMの胸元から飛び出す。

『だからこそ戦後世界を力強く統治する立場となった我々グレン&グレンダ社は今後一切、人々が争わずに済む方法を考案しました』

 そして寄生対象(GROM)は息絶えるが、深海魚めいた異形はそれでも泣き叫ぶ。しかし頭を左右に動かしたのも束の間……ノエルから無理矢理引き摺り出され、続いて焼け焦げた地面に叩き付けられた。

「お疲れ様でした!」

「目線をお願いします!」

 数分後、各種機材を担いでどこからともなく現れたマーレブランケの撮影班は手分けして作業に移る。一方はノエルの写真を撮り、もう一方は彼女が殺害したプレトリアンの回収。

「きっと喜んでくれますよ!」

 これらは全て、パトロン(支援者)に対する返礼品(リターン)用。マーレブランケを資金援助すると額に応じて死体の写真や殺戮の模様を収めたビデオテープ等が物好きな支援者に送られるが、今回はその最上級だ。

「あっ、それと写真(チェキ)にサインをお願いします」

「はいさーい」

「お手数をお掛けしてしまい申し訳ありません」

 マーレブランケは、かつて著名なGROMが行っていた個人スポンサーからの資金援助及び返礼を高度にシステム化した上でより効率的に行っている。そして撮影班は間接的な支援だけではとても満足できず、遥々地の果て(アルカ)までやってきて手を貸している馬鹿者の一部だ。

 狼の世。まさに羊の皮を被った、狼達の世である。


 注1 世界の最果てに存在する地。学園大戦ヴァルキリーズの舞台となる場所で世界各国を模したフロントが各地に存在している。

 注2 第二次世界大戦後、世界を事実上支配するようになった多国籍企業であるグレン&グレンダ社が考案した娯楽戦争。

 注3 ヴァルキリーの中から極めて低い確率で誕生する少女達。各種ローブ及びエグゾスケルトン(強化外骨格)、フライトユニット等を用いた戦闘が可能。

 注4 フロント同士が戦闘を行う場所。バトルフィールドの略称。

 注5 GROMが纏う特殊な戦闘スーツ。現在はこちらが主流となっている。

 注6 アルカにおける娯楽戦争の中心的役割を担う人造人間。マーケティングの都合上全員が十代の美少女の姿をしており、人格も疑似的なものである。

 注7 初代マリア・パステルナークが率いていたソ連フロントの軍閥。

 注8 マナ・エネルギーとの触媒の役割を果たす寄生虫。GROMは一部を除く全員が体内に潜ませている。


                  ◆


 中立国(スイス)にあるグレン&グレンダ社の本社ビル——全身黒ずくめ、ガスマスクを装面しMP5短機関銃で武装した保安部隊員らに先導されて、一人の女が廊下を歩いている。

「あ……貴方は……ッ!」

「この美人は誰ですか?」

 やがて女が会議室に足を踏み入れると、集められた各国支部の最高責任者らは対照的な反応を見せた。年季の入った者は驚き、年若い者は首を傾げる!

「最近の豚さんって凄いのねぇ……」

 眼鏡のレンズ越しの双眸は、会議室のモニター内で切断された右腕を再生するノエルと同じ赤。爬虫類然とした縦スリットもまた然り。

 身長は、会議室のモニター内で敵を引き裂くノエルと同じ百八十センチ。

 髪型はショートカットではなくポニーテールだが、色は会議室のモニター内で敵GROMを締め上げるノエルと同じ金。

「だって人の形をしてるんですもの」

 しかし人格は、自分以外の全てを見下すような傲慢極まりないもの。

「ノエル・フォルテンマイヤー……?」

「あら、貴方知らないのね!」

 年若い幹部に微笑んだ彼女はビッグ・マザー。学園大戦ヴァルキリーズという殺人ゲームと、それに関わる諸々全てを一代で作り上げたグレン&グレンダ社の元トップだ。だが驚くべきことに、その姿は半世紀前と変わらぬ若々しさ。

「貴方がまだパパの精子ですらなかった時代(ころ)、私は採算度外視で『あるもの』を作ったわ……それが私の可愛いノエルちゃんよ。じゃあ誰か彼の口にチャックをしてあげて。ガキと話しても酸素の無駄だから」

 こう語る彼女は胸元に菱形の切れ込みが入っているだけでなく、横部も大きくカットされて豊満が少なからず露出、スリットからは太腿どころか、下手すると足の付け根まで見えてしまいそうな黒いドレスを纏っている。

「わ、我々が無能だと仰りたいのですか!」

「一体何を以ってそんなことを!」

 本題に入っていないにも関わらず非難の声が浴びせられるがビッグ・マザーは動じない。ただ冷ややかな表情を崩さず、言った側を見つめるのみ。

「貴方達にはほとほと愛想が尽きた……」

 ビッグ・マザーはある時を境として後進こと、会議室に今いる者共に学園大戦ヴァルキリーズの運営を任せたが、彼らの手腕は本当に酷いものだった。経営が悪化したグレン&グレンダ社は空手形や不義理を繰り返すようになり、現在では北京農(注1)やマーレブランケ等、独自の現金収入を得る軍閥なしでは立ち行かなくなってしまった。

「ヴァルキリーズはこの私が立て直す。誰の意見も指示も受け入れず、全て私のやりたいようにやる」

「まさか……」

 この瞬間、最高責任者達の中でも少なからず能力のある者は悟る。

 誰がヴォズロジデニヤ(再生)作戦とアゴネシ(注2)での諸々を仕組んだのか?

 誰がマリア・パステルナークを蘇らせたのか?

 誰がノエル・フォルテンマイヤーの凍結を解いたのか?

 だが、時既に遅し。

「それじゃあ皆殺しの雄叫びを上げて、戦いの犬を解き放つ!」

 ビッグ・マザーが合図するなり『元鞘に戻った』保安部隊の隊員達が会議室に突入し、居並ぶ最高責任者らに銃撃を浴びせたからだ。

「なーんてね……」

 虐殺される無能者の様子を瞳に焼き付けるビッグ・マザーは、彼らに手向けの言葉一つ送らなかった。


 注1 イスラエルフロントが撤退した後も米国フロント内に軍事支援団(MAF)として残っている軍閥。リーダーはレア・アンシェル。

 注2 東南アジアのどこかにあるとされる国。


                  ◆


「ただーいマンボウ!」

 フリーダム・ランドに建つマーレブランケの司令センターに帰還したノエルは、これと言った特徴のない施設の廊下を足裏に付いた土で汚しながら進み、やがてある人物の執務室に辿り着く。

「また酷い恰好だね……ノエル」

 ノエルは入るなりGROMの生首(戦利品)を机に置くが、室内で事務作業を進めていたエーリヒ・シュヴァンクマイエルはそれには反応せず、M1ローブを鮮血と煤で酷く汚している彼女に苦言を呈す。

「もう……」

 イスラエル外遊中のマリアからマーレブランケの全権を一時預けられてもいるエーリヒはタスクフォース・リガではディアトロフ(注1)とグリャーズヌイ特別(注2)の攻略戦を指揮し、今も組織内で軍師のような立ち位置をキープしていた。

「それに、出る時はいつも声を掛けてねって言ってるじゃないか」

 以前の彼はアルカではGROM以上の少数派である純粋な人間だったが、今は右の首筋に彼女達やヴァルキリーと同じバーコードを刻んでいる。マリア同様に初代の死後、バックアップから記憶を復元した二代目だからだ。

「君も責任ある立場なんだから」

 けれど左目を黒い眼帯で覆い、公式には男子用制服が存在しないた(注3)女子用のセーラー服に身を包んでいる外見と、アルカを娯楽ではなく世界平和を維持するための場所と真剣に考えている内面は一九六八年(暴力の王国)とまるで同じだった。

「ごめんごめん。ちょっとシャワー浴びてくるね」

「ちょっ……」

 ノエルは微笑むと、エーリヒの制止を無視して手首のボタンを操作する。刹那M1ローブの各所から蒸気が噴き出し、外れた装甲が相次いで床に落ちた。

「どうしてここで脱ぐの!」

「もう脱いだから大丈夫」

 スカートの内側を覗かねば可憐な美少女にしか見えない少年は真っ赤になって顔を背けるが、一糸纏わぬ姿となったノエルは悪びれる様子なし。そんな彼女の裸体は官能的であり、また芸術的であり、そして母性的であった。

「エリーに見られても恥ずかしいとは思わないよぉ。私は自分の体が好きだから、むしろ見てほしいんだけど……」

 隠す素振りさえ見せないノエルが「それに裸なんてさ、お互い嫌になる位見たじゃない?」と続けると、過去の諸々を思い出したエーリヒはますます赤くなり最早茹で蛸と大差ない有様に変貌する。

 恋人以上・夫婦未満!

 それが二人の関係だが、現在は少々ややこしい状態に陥っている。エーリヒに巨大過ぎる愛情を抱くノエルは彼と子作りに励むための島(ラブラブアイランド)を将来自費購入すると常々公言し、一度夜伽ともなれば、養分全てを吸い尽くすかの如し交わりを行うことも珍しくなかった。しかし再誕した彼はあれこれと理由を付けてキス以上の進展を拒み続け、ならば童貞をどうやって再度奪うか以外、この世界にほとんど興味を失った彼女との煮え切らないやり取りを延々と続けている。

「失礼します。次の打ち合わせですが……」

 副官こと、タスクフォース・リガの時代からエーリヒ達の面倒を見続けている実に食えない性格のヴァルキリーがノックすらせず執務室に足を踏み入れたのはそんな最悪のタイミングである。

「ごめん、今ちょっと取り込み中」

「そのようですね」

 顔を両掌で隠すエーリヒが弁明する前に、振り向いたノエルからそう言われた副官はそそくさと退室する。ただ、去り際に彼女が見せた視線は、バカップルに対する呆れが過分に含まれた実に冷ややかなものだった。

「エリー、据え膳を食べないからああいう目で見られるんだよ」

 ドアが閉じられるや否や、ノエルは両手を腰に当ててエーリヒを戒める。

「うう……」

 だが指の間から微震する豊満がうっかり目に入ってしまったので、エーリヒはどこまでも情けない声を発するしかなかった。


 注1 ソ連フロントの南東に存在していたバグ達の拠点。

 注2 バグで構成された武装組織、通称『学級会』の本拠地。

 注3 マーレブランケの外国人義勇兵は私物や各々調達した軍服を着ている。


                  ◆


 机上の電話が鳴ったのは、ノエルが全裸のままシャワールームに向かってから七分十二秒後だった。

「義母さん……!」

 受話器を取ったエーリヒはノエルと全く同じ声を耳にして、向こう側に何者がいるのかを瞬時に理解する。他でもないビッグ・マザーだ。

〈相変わらず堅っ苦しいわねぇ……あの(ノエル)と同じように『ママ』でいいわよ?〉

 ビッグ・マザーは久しぶりの挨拶も程々に本題に入る。

〈ヴァルキリーズは全部私が仕切ることにしたわ! 昔のように、何もかも私のやりたいようにやる〉

 エーリヒは続く「賛同しない人には人生を辞めてもらったから」という言葉でビッグ・マザーが何をしたか悟る。盾突いた者を皆殺しにしたのだ。彼女と直接会って話したことはないが、聞こえてくる噂や、何よりノエルの母ということを考えると十中八九間違いないだろう。

『物事を円滑に進めるのは投票ではなく弾丸なのよ』

 前々からビッグ・マザーに任せた方が間違いなく諸々順調に進むと感じていたエーリヒはそのこと自体には何も言わなかったが、常時流れているテレビからの音声に驚いてその画面を見た。

『マーレブランケと近日中に必ず戦うと今ここで宣言するわ。そして、どちらか一方がアルカから消滅する』

 グレン&グレンダ社公式チャンネルの十五番スタジオで長机に肘を突いて話す人物の双眸は青、赤い髪はポニーテールで纏められ、身長百七十センチの肢体はジャージと迷彩ズボンで固められている。そして左腕は、機械的な義手。

 キャロライン・ダークホーム。

 英国フロント出身で、今はソ連フロントの軍事支援団(MAF)たるキャロライン兵団(傭兵部隊)のボスを務めるGROM——が現れ、自分達に宣戦布告しているではないか!

ウザいの(サブラ)もくたばったことだし、そろそろアルカは変わり時よ』

 理由は不明だが右首筋にバーコードがない彼女は強大な戦力を即時展開可能なスキルによって、今や学園大戦における『個人事業主』の最も優秀かつ悪名高い見本となっている。劣勢に立たされたフロントが判定負けを呑み込む条件として彼女との契約解除を求めることも少なくない。

「義母さんは……一体何を考えているんですか?」

〈秘密!〉

 十五年前(暴力の王国)もタスクフォース・リガを妨害するため当時最新鋭の兵器を捨て駒(傭兵)に運び込ませていたように、グレン&グレンダ社の介入はよくある話だ。だが今回、物事は早くもここまで進んでいる!

〈でもあの子(ノエル)のことを、お腹を痛めて産んだ子供と思っているのは本当よ!〉

 結局、エーリヒの問いには何一つ答えなかったビッグ・マザー。彼女はすぐにそう付け加えてから、ほぼ一方的な形で通話を終わらせてしまった。


                  ◆


『本日のカードはマーレブランケ対キャロライン兵団!』

 アナウンスが流れる中、戦闘準備が急ピッチで進められている司令センターの格納庫にやってきたエーリヒは左右に視線を巡らせる。ノエルは何処?

『どちらも悪名高い武装勢力ゥ!』

 続いて説明される勝利条件や両軍の戦力データについての放送は、勝者を妬み敗者を笑うことでしか自分を守れなくなった世界各国の人々や、信じ難い金額を払って現地観戦している出資者も見ているだろう。もしかすると、死体と残骸がそのまま残る多くのBFにも流れているかもしれない。

「エリー!」

 さてティエラ・ブラン(注1)同様、先に見付けたのは今回もノエルだった。

「来て来て!」

 非番用の恰好を——首に黒いチョーカーを巻き、リング留め式のビキニの上で白ブラウスの下部を結んだ、所謂スクールガールのそれだ——しているノエルはエーリヒの手を掴むと、彼を格納庫の外に連れ出す。

「ちょっとノエル!」

「いいからいいから!」

 健康的な腹部を大きく露出させているノエルは、短いチェック柄のスカートを揺らしつつ走る。幸い内側はショートスパッツで覆われていた。以前エーリヒが「パンツ丸出しだけはやめてよ!」と懇願したからだ。

「じゃじゃーん!」

 やがてうず高く積み上げられた弾薬箱の裏手にエーリヒを連れ込んだノエルはシニガミマガジンこと、学園大戦ヴァルキリーズのファン向けに発行されているグレン&グレンダ社の機関紙を彼に差し出す。無論最新号だ。

「なんだこれ……」

 怪訝な表情を浮かべたエーリヒが何枚かページを捲った先に広がっていたのは一糸纏わぬどころか、胸の頂まで露になったノエルのヌード写真。

「上手く撮れてるでしょ?」

 深い確執がある訳ではないが、かと言って到底親密そうにも見えないノエルとビッグ・マザーの関係を知っているエーリヒは、それでもグレン&グレンダ社を君の母親が掌握したとノエルに伝えようと考えていた。しかし、この瞬間それは吹き飛んだ。

「こういうの……僕は凄く嫌だよ……」

 ノエルはマーレブランケの指揮系統には組み込まれておらずマリア直属のため独自行動が事実上容認されていた。数時間前にBFで腕白(殺戮)の限りを尽くしたのもエーリヒの与り知らぬことだが、流石にヌードは筋違いである。

「なんで?」

 一方、ノエルは形の良い顎に人差し指を当てる。

「これを見た男の子が興奮して、切なく一人叡智(ひとりえっち)しちゃうから?」

 返答はなかったが、知性と野生を矛盾なく両立させている者はエーリヒの唇の噛み締め具合がより強くなったのを見て図星だと悟る。

「もーエリーったらヤキモチ妬いてくれるんだ! 嬉しいなぁ!」

「僕は真面目に話してるんだよ! 大事な人がそういう風に見られて……!」

「ふーん」

 発露したエーリヒの怒りは冷たくなったノエルの声と、トカゲめいた瞳からの刺すような視線でたちまち消え失せる。

「絶対受け入れてくれないのに、私のことは独占したいんだ?」

 更には気圧されて、思わず「え……」と腰砕けになってしまう始末。ノエルはそんなエーリヒに馬乗りになると、互いの息が掛かる距離まで顔を近付ける。

「それ、物凄く自分勝手」

 そして、有無を言わさぬ口調でそう告げた。

「うっそー!」

 永遠とも思える数秒……だがノエルは破顔一笑、目尻に涙を溜め始めた相手を思い切り抱き締める。次いで、その頬に自らのそれを何度も擦り付けた。

「私が本当の意味で裸になる相手はエリーだけだよ。だから安心して」

「それでも……だとしても……僕は嫌なんだ……」

「じゃあ……また一つになろ?」

 エーリヒは頭を撫でられて心からの安堵の表情を浮かべるが、ノエルはそんな彼の耳元に唇を近付け、甘い吐息と共に囁く。

「一回しちゃえばあの頃みたいになれるよ。こんなつまんないことで怒ることもなくなる……」

「えっ! いや……あの……」

 続いてノエルは至近距離からエーリヒの瞳を覗き込んだかと思うと、目を瞑り、端正な顔を前に出してきた。

「んー」

 半ば混乱状態に陥るエーリヒ。それに構わずノエルは顔を近付けていくが、

「ご、ごめん!」

 残り数センチまで距離が詰まった瞬間、両手で彼女を押し離した少年の鼻から勢い良く血が噴き出した。

「——ッ」

 エーリヒは即座に両手で顔を押さえるも、鮮血は五指の間から容赦なく溢れてアスファルトを汚していく。

「大丈夫?」

 この事態を招いた者は立ち上がってエーリヒを心配するが、その過程で豊満が縦方向に微震する様子を見た彼は直後、再度鼻から鮮血をぶちまけた。


 注1 アゴネシアの北西部に存在する省都。


                  ◆


 BFの某所にあるスティンガーミサイ(注1)入りボックスを回収し、目標地点まで運んだ側が勝者となる。

「自然淘汰と社会進化論にも一理あるってことよ!」

 数時間後、この勝利・敗北条件で行われる戦いに多数の部下を伴って推参したキャロラインは、幸先良くボックスを確保したマーレブランケのヴァルキリーに空から襲い掛かった。

「意味わかる?」

 左手に持った大鉈を着地と同時に振るったキャロラインは首を刎ねられた者が鮮血を噴き上げる断面を両手で押さえながら悶える醜態を背に、右手を伸ばしてスパス12散弾銃を発砲——このイタリア製散弾銃は半自動(セミオート)射撃が可能——自分に得物を向けようとした別個体の右膝から下を丸々吹き飛ばした。

「アタシを殺したかったら純正品を買いなさい」

 続いてバックパックに被せる形でフライトユニットを装備したキャロラインの靴底が、倒れ込んだそのヴァルキリーの頭を踏み付け、

「どうせダッラ(注2)辺りのデッドコピーでしょ?」

 間を置かず圧壊させる。砕け散った頭蓋骨から血液と脳漿が弾け、眼窩からは目玉が勢い良く飛び出した。

「あっつー」

 一旦大鉈を地面に刺してジャージのファスナーを下ろし、確かな質量の胸元を露出させたキャロラインはどこまでも落ち着き払った表情で、次は自分目掛けて突っ込んできたRPG‐7の弾頭を空振りに終わらせる。

「アタシにだってルールはある」

 そしてスパス12散弾銃を大きく振りつつ向き直り、構え、発砲する。銃口から眩い閃光が迸るや否やRPG‐7の再装填を行っていたヴァルキリーが上半身を吹き飛ばされた。

「一つ、イスラエルと敵対している勢力とは契約しない」

 キャロラインは飛び散った肉片や臓物が土を叩く前に、フライトユニットから青い光跡を残して突進。

「二つ、共産主義勢力とは契約しない」

 更に別のヴァルキリーが慌てて構えたFAL自動小銃の銃身部を、トリガーが引かれる前に大鉈で切断。

「三つ、飛行機のチケット代や装備代を前金で払わない顧客とは契約しない」

 衝撃で思わず後退したそいつの背後にすぐさま回り込み、大鉈での串刺し刑に処す。赤黒く濡れた先端が、セーラー服を突き破って体外に飛び出した。

〈奴に攻撃を集中しろ!〉

 まさに『世界を掻き回して殺す者』として申し分ない戦いぶり。しかしながらマーレブランケの外国人義勇兵はみんな怯むことなく挑んできた。

「小賢しいわね!」

 一方キャロラインは左からの銃弾をマナ・フィールドで防ぎつつ、右手一本でスパス12散弾銃を連射。

「——ッ」

 しかし、真っ赤なショットシェルは三人のドゥヒ()を血生臭い肉塊に変えてから排出されなくなった。全弾撃ち尽くしたのだ!

「でも!」

 とはいえ、キャロラインはすぐさま『あること』に気付いた。武器なら自分の足元に転がっているではないか——だから彼女は貫かんばかりの力でボックスを踏み開けると、中からスティンガーミサイルを取り出した。

〈あいつ、人間(ひと)にスティンガーを——〉

「使っちゃうのよ!」

 ドイツ人(外国人義勇兵)からの罵倒などお構いなし、キャロラインはスティンガーミサイルを構えるなり発射。対空用故にそこまで大きな爆発は起こらなかったが、それでも多数の人体を四散させるには十分だった。こうして無茶苦茶な方法ながら周囲の敵を一掃した彼女は機能を失い、文字通り無用の長物と化した発射機をひとまずボックスに戻す。

「やっぱりラングレー(CIA)に送った方がいいのかしら……?」

 これは燃えるゴミとして出せるような代物ではないからだ。

「来たわね、テウルギスト」

 しかし、そこまでだった。キャロラインが気付くのと、戦闘機のエンジンから発せられるそれに酷似した轟音が聞こえてくるのは同時だったが故に。


 注1 米国製の携帯式地対空ミサイル。

 注2 アフガニスタンとパキスタンの国境近くにある村。有名な武器密造地。


                  ◆


「狂犬とイギリス人は真昼に出掛ける!」

 ノエルはBFに到着するなり、まずはキャロライン目掛けて対戦車ライフル(PTRS1941)をぶっ放した。

「カインは他者を殺した最初の人間だった!」

 けれどもコルダイト火薬の悪臭を切り裂いた十四・五ミリ弾はキャロラインが飛翔しつつ展開したマナ・フィールドに阻まれて木っ端微塵、細やかな金属片に変えられてしまう。

「一人の子供も生き残っていないのは確かだ!」

 そしてキャロラインの旧約聖書に対して、

「戦場から逃げた卑怯者がやったのだ!」

 自らはシェイクスピアを意味もなく引用するノエルは接近戦に移行——得物の長い銃身を掴んで振り回した。

「そして主から『汝何をなしたるや?』と問われた時!」

 だがノエルと同じ高度に到達したキャロラインは左から迫る横一閃を反射的に義手で防ぐと、敵の右脹脛を左足で蹴り飛ばす。次いで得物を投げ捨て、空中で体勢を崩す相手の喉元に大鉈の先端を突き入れた。

「しかも王の天幕にあったものを、全て燃やすか持ち去っている!」

「カインは罪を隠すことができなかった!」

 傷口から鮮血をぶちまけながらも語りを止めぬノエルに対し、キャロラインは両手で押し倒さんばかりの圧を加えて刃を押し込んでいく。

「故に王は、当然ながら全ての捕虜を討ち取った! ああ、勇ましき王よ!」

 それでも、空中で腰砕けになりつつも、やはりノエルは語りを止めない。血に塗れた彼女の顔には笑みさえ浮かんでいる。

「大地から叫ぶ、兄弟の声のために!」

「——ッ!」

 キャロラインが大声と共に更に力を入れた瞬間、ノエルは左手を外側に向けて振り払い、大鉈を弾き飛ばす。そして自分が丸腰になったと気付く前に、団長(ボス)は間髪入れず放たれた蹴りを浴びて地上に吹き飛ばされてしまう!

「——ッ」

 けれどもスラスターの逆噴射で墜落死を防いだキャロラインは先程投げ捨てた火器を拾い上げるとハンドグリップを前後させ、使用済みの弾薬を排出した上で新しい散弾をチャンバー(薬室)内に装填する。そして、狂笑に緩む口元から白い前歯を覗かせつつ連射——こういう時のために、義手の手首は手前下部だけ無装甲!

ドゥヒ()! ドゥヒ()! ドゥヒ()! ドゥヒ()! ドゥヒ()!」

 まずは一発目が追い討ちを掛けようと急降下してくるノエルの右肘と前腕部を早速切り離したかと思えば、二発目は下腹部を大きく抉る。ポンプアクションと発砲の繰り返し——五発目が撃ち込まれた直後、テウルギストの腹部から臓物がどろりと溢れ出た。

「アタシだって馬鹿じゃない。こんなもの(通常兵器)でアンタを殺せるとは思ってないわ」

 墜落したノエルは仰向けで大の字になるが、今から何が起きるか確信しているキャロラインは喜ばない。

「ほらね?」

 予想通り逆再生宜しくノエルの腸が体内に戻り、瞳にも再び光が宿る。散弾でごっそり抉られた銃創はどういう訳かM1ローブごと、最初から傷など存在していなかったかの如く復元された。

「にしし」

 立ち上がったノエルは先程千切れた前腕部を拾い上げ、数時間前と同じ要領で上腕部の断面と再接合してからキャロラインに微笑む。

「そうこなくっちゃ。さあ、ここからが本番よ!」

 一方、微笑まれた側はまだ使えるスパス12散弾銃を再び投げ捨て——。


                  ◆


「ノエルちゃんったらもう、いいカラダしてるじゃない……」

 スイスに建つグレン&グレンダ社の本社ビル。ビッグ・マザーはその最上階にある一室でシニガミマガジン最新号の紙面を嬉しそうに眺めていた。深紅の瞳に映っているのは勿論、ノエルの美しき裸体である。

「だけど私の方がおっぱい大きいわ」

 シニガミマガジンを閉じたビッグ・マザーはその増刷を求める書類にサインを済ませた後、グラスを傾けつつ部屋備え付けの大型モニターを見る。画面内にはアルカでキャロラインと戦う娘の姿があった。

「それはそうと、まだこんなものを見て喜んでいるのね……」

 ビッグ・マザーが学園大戦ヴァルキリーズを生み出した理由は人間の愚かさを揺るぎなきものとするため。人工的に作り出された美少女同士が残酷に殺し合う戦争エンターテインメントなど考え得る最悪の愚ではないか。しかしシステムが動き始めた後、彼女の胸中に去来したのはただ虚無だけだった。ノエルも自分に向き合ってはくれなかった。

「何が楽しいんだか……理解に苦しむわ、全く」

 されど学園大戦ヴァルキリーズとの関わりを一時断った時、ビッグ・マザーは自分がこのどうしようもない娯楽作品(ゲーム)に強い愛着を抱いていることと、それでもノエルに幸せになってもらいたいという感情に気付いた。一旦離れてから初めて実感したのである。

「さて頼んだわよキャロちゃん! あの子(ノエル)を身も心もズタズタにしてね!」

 全てを仕組んだビッグ・マザーが今回キャロラインに任せたプランは二つ。

 プランAとプランB。

 どちらも少しノエルを研究すれば誰でも思い付くことだが、どのような報復を受けるか考えた場合、実行に移せる突き抜けた大馬鹿者はアルカ広しといえどもキャロラインだけだろう。

「さあ試練の始まりよ可愛いノエルちゃん。これ位で崩れ去る愛なら、貴方にはそんなもの必要ないの」

 ビッグ・マザーは遠い世界の果てで戦う愛娘にエールを送ってから、山盛りのポップコーンを部屋まで持ってくるよう内線で伝えた。


                  ◆


 フリーダム・ランドの焼けた大地から飛び上がったキャロラインは右フックを繰り出し、殴打によって姿勢を崩したノエルの頭部を掴むと、そのまま無理矢理引っ張ってBTR‐60PB装甲兵員輸送車の真新しい残骸に三度叩き付ける。

「まだまだよ!」

 濃緑色の装甲が激しく窪むがキャロラインは止まらず、割れたレンズのせいで顔面血だらけになっているだけでなく、前額にも車体備え付けの工具が刺さったノエルを反対方向で燻る——これまた、先程撃破されたばかりの——BMP‐2歩兵戦闘車目掛け放り投げる。結果、テウルギストは放物線を描いて激突!

「半袖にしてあげる!」

 キャロラインは肺の酸素を失ったノエルに再接近し、乱暴に振り向かせてから左手首を掴んで大鉈を振り下ろす。そして切断された前腕部を投げ捨て、今度は右下から左上にかけての斬撃。間を置かず右腕も切り落とす!

「やるねぇ君……ッ!」

 二つの断面から鮮血を盛大にぶちまけるノエルはよろめきつつキャロラインに背中を向けて倒れるが、大鉈を躊躇なく投げ捨てた後者は、起き上がりたくても起き上がれないテウルギストの首を引き抜いた。


                  ◆


 キャロラインが脊髄が付いたままのノエルの首を高々と掲げる姿は、グレン&グレンダ社のネットワークを通じて世界中に中継された。

 リビングに置かれたテレビに。

 外出中の人間が持っている携帯式端末に。

 映画館のスクリーンに。

「うわっ!」

 視聴者のうち、初心者は思わず目を背ける。これは放送コードを完全無視した残酷極まりない光景だったからだ。

「いいぞ!」

 視聴者のうち、上級者は思わず前のめりで立ち上がる。今まで見てきた諸々を考慮すると、ここからノエルの凄まじき逆襲が始まるからだ。


                  ◆


 堂々と勝ち誇るキャロラインの背後でゆっくりと立ち上がったノエルの肉体はスラスターを噴射して後方からのタックルを見舞い、再接合したばかりの両手で宙を舞った自分の頭部をキャッチする。

「君は随分と強いね」

 続いて首の断面に脊髄の先端部分を押し込み、重さで危うく落ちそうになった頭部を右手で保持、骨肉と神経が体内で再結合されるなり上体を起こした。

「理由を教えてくれない?」

「アタシは自分のことについては話さない。ただ、誰が馬鹿なのかを話すだけ」

 一般的なヴァルキリーやGROMにとっては絶望極まる状況だったが、ここに至ってキャロラインはノエルの目を見ながらプランAを口にする。

「所詮作り物に過ぎないアンタがエーリヒ・シュヴァンクマイエルを好いているその感情は、実はアンタ自身のオリジナルな感情じゃない……」

 その言葉が地獄界の第八圏・第五嚢と変わりないフリーダム・ランドに響いた瞬間、キャロライン兵団(傭兵部隊)の通信班は戦慄した。

〈マリア・パステルナークが命じる! 瀝青(れきせい)の池から浮かび上がろうとする者を、その鉤爪で責め立てよ!〉

 この瞬間もリーダー(マリア)の言葉を拡声器で流す武装勢力(マーレブランケ)は、基本的には礼儀正しく振る舞っている。だが同時に、ありとあらゆる手段を用いて敵対する者に制裁を加える傾向があった。にも関わらず自分達のボス(キャロライン)は今、その最強戦力(ノエル)にタブーを叩き付けたのである。余程自信があるのか、それとも単なる馬鹿か?

「面白くない冗談だね。確かに私は人とプレトリアンの雑種だけども——」

 ノエルは一笑に付すが、胸中には確かなざわつきが生まれていた。実を言うと思い当たる節が少なからずある。

「いつだって自分の意思で行動してきたよ。オリジナルになるためにね。そして私自身がママになれば、私はママのコピーではなくなる」

「まあ……いいわ」

 ノエルの言葉に黙って耳を傾けていたキャロラインは、BFに設置されているスクリーンにふと目をやり、マーレブランケの本隊がいつの間にかスティンガーミサイルを目的地まで運んだことを確認する。

「アタシが尊敬しているのはみんなと同じでキャロライン・ダークホームよ」

 ほんの一瞬だけ、どこか安心したような表情となったキャロラインは次の瞬間ノエルを指差し、

「人類の歴史上、この対決よりも大きな戦いはなかった。アタシの才能、高潔な姿勢、権威、完璧さをしっかりと記憶に焼き付けて!」

 いつも通りの不遜極まる態度で言い放ってから飛び去った。


                  ◆


 その夜——司令センターに帰還した後シャワーを浴びてから、ノエルはずっとソファに横たわって天井を見上げていた。

「そっか」

 真実かどうかは最高レベルの閲覧権限を持つ者しか知らないが、ノエルは子を成せなかったビッグ・マザーが採算度外視で作り出したクローンである。人間とプレトリアンの遺伝子を混ぜ合わせ、数え切れぬ失敗作(奇形)の果てに産み落とされた特異個体こそノエルなのだ。これを本人に問うことは、アルカにおけるタブーの一つであった。

「そっか……」

 当然、ノエルの体内にプレトリアンは存在していない。元々GROMは彼女と同じ方法で生産される予定だったが、成功体を手に入れるために必要な失敗作(奇形)を廃棄する手間が理由で今の後付け寄生式に切り替えられた経緯がある。

「そっ……か……」

 ノエルがエーリヒとの子作りに異常なまでに執着するのは、ビッグ・マザーが成し得なかった『子を産み、育てる』という行為を実現させれば、生まれてからずっと纏わり付いてきた、後ろめたさのような感覚から解放されると考えているためだ。それはエーリヒに対する好意と、彼女の中では何一つ矛盾しない。

『自分はビッグ・マザーのコピーに過ぎない!』

 今日に至るまでのノエルの行動の根幹には、いつだってこのコンプレックスが横たわっていた。歯車を自称するサブ(注1)を蛇蝎のように忌み嫌ったのも、内面の強烈な独自性を持つ初代マリアやエーリヒに強く心惹かれたのも、突き詰めればこれに行き着く。

「入るよ」

「エリー……」

 ノエルはいつの間にか入ってきた少年の声で鼓膜を叩かれる。彼は合鍵を持つ唯一の人物だった。

「ご苦労様。これ、置いておくから」

 エーリヒは労いの言葉と共に、机上にそっとバーレルを置く。中にはフライドチキンがぎっしり詰まっている。これはノエルの大好物だ。

「私って、やっぱり無意味な肉の塊なのかな?」

 明後日、予想外の強敵……キャロライン兵団(傭兵部隊)との再戦が早くも行われることを話してから立ち去ろうとしたエーリヒにノエルは問い掛ける。この世界の全てに絶望していた頃、自分を支配していた言葉を。

「それならそうと、エリーからちゃんと言ってほしい」

 二人の馴れ初めは血液と臓物に彩られた陰惨なものだった。まだ旧型ローブを纏い、眼鏡も掛けていなかった頃のノエルが『それまでいた場所』を抜け出してドイツフロントに逃げ込んだ際、彼女の捜索と殺害を任せられたのは他でもないエーリヒだった。

「キャロラインに言われたこと、やっぱり気にしてるんだね」

 当時左目を潰されながらもノエルの右足首をリボルバー式拳銃で吹き飛ばした人物はその折「この世界そのものが無意味なんだ。私にも死にも意味なんてない。この痛みも! この悲しみにも!」と叫び散らしていた者に向き直る。

「ママのことは大好きだよ。でも、私がママのコピーなのは事実だもん」

 気にするようなことではないと理解していても、エーリヒに対する強い好意はプログラムに過ぎぬというキャロラインの悪意に満ちた言葉は、やはりノエルに重く圧し掛かっていた。戻ってからずっと、ソファの上から動けないのもこれが原因だった。

「本当の気持ちじゃない『好き』でエリーを縛ってしまうのが怖いんだ。でもね偽物の気持ちだと認めてしまったら、自分に残っているのは……」

 ノエルは初めて突き付けられた『死』に恐怖していた。誰よりも愛する少年を騙している罪悪感に苛まれながら生きなければならぬという、事実上の『死』に。

「コピーとかプログラムとか、僕には関係ない」

 エーリヒはノエルのすぐ隣に腰掛けると、昔と同じように真剣な表情と口調で見解を語り始める。いつもすぐに赤くなって、情けない悲鳴を上げる少年の姿はどこにもない。

「エリー……」

 むしろ今、大きく目を見開いて驚いているのはノエルの方だった。

「今日はずっとここにいる。だからノエルは安心して眠って」

 迫られると確かに取り乱してしまうが、エーリヒにとって彼女はアルカによる世界平和の実現とは別次元の特別な存在だった。頑なに肉体の繋がりを拒むのは『セックスとはそれ即ち、結婚に対する神からの祝福である』と彼が考えているからであり、最終的なゴールは彼女と一致している。

「みんながどう言おうと僕だけは変わらない。そこは信じてほしい」

 更に言えば人間時代にノエルと関係を持ったのは若気の至りに起因するようなところが多々あったことも現在諸々慎重に進めている理由であった。少なくとも結婚式を挙げるまでは、どれだけ誘惑されてもエーリヒは彼女と関係を持つ気はなかった。

「ありがと、エリー」

 そんなエーリヒに対してノエルが返せた言葉は少ない。

「ありがとう……」

 本当に嬉しかったし有り難くもあった。しかし今の彼女は必要最低限の感謝を口走った上で、心の中で手を合わせるのが精一杯だった。


 注1 北京農園所属のGROM。アルカでは最強クラスの存在。

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