◆1983年11月25日
ゼーロウ3の戦いが始まったのは午前四時!
〈日数を数えるな! マイル数を数えるな! 殺した敵のみを数えよ!〉
マーレブランケをソ連フロントから『追い出した』バリカドイは今日、ビッグ・マザーの予想通り米国フロントに侵攻した。そして今、北京農園の支援によって再び使用可能となった戦闘機と攻撃ヘリ、戦車及び装甲車両等を用いての復讐を果たそうとしている。
〈マリア・パステルナークが命じる! 瀝青の池から浮かび上がろうとする者を、その鉤爪で責め立てよ!〉
バリカドイを米国フロントに『引き込んだ』マーレブランケは、ゼーロウ3を最終防衛拠点として、司令センターに最短ルートで繋がるこの丘陵地帯に全ての戦力を集めた。加えて、同地を『殺戮地帯』と呼ばれる防御陣地に変貌させてもいる。また、最高司令官であるマリア・パステルナークも最前線にて戦うことを表明していた。
〈狼に従う者達よ! 全てを終わらせよう!〉
言わば丘の上に陣取るマーレブランケは、マリアの命令が下るなり一斉射撃を開始した。水路の一斉爆破によってあちこち氾濫し、通行可能な場所も地雷原と鉄条網で封じられている下方を前進中のチーフテン戦車やM48戦車が、すぐさま立て続けの爆発に追い込まれる。
〈全車! 敵に抱き付け!〉
〈敵味方の距離が近付けば、マーレブランケだって砲撃できない!〉
血の地獄の中で無数のサモワールが創出されるが、バリカドイは損害に構わず前進する。強引な突破の果て、その先に待ち構えていた厚さ二メートルの掩壕や2S1自走榴弾砲からの隙間ない射線に捉えられても、なお。
〈マリアさえ殺せば!〉
一人のGROMがB‐10無反動砲を放ちながらそう言ったように、どれだけの損害を出そうとも、マリア一人さえ倒せばバリカドイが勝つのだ。故に彼女達は今日、失血死——敗北条件である、戦闘継続不能——となる前に、どんな手段を使ってでも怨敵を殺す覚悟だった。北京農園からの物資は一昨日、後方基地ごと焼き尽くされて一会戦を戦うのが限界。しかし、それでも構わない。
〈敵が突破しつつありますが、既に対応済みです〉
〈助かるよ〉
〈お礼は現金でお願いします〉
しかしそれはエーリヒの思う壺だった。彼はそれを狙ったからこそ、マリアが最前線で指揮を執るという情報を流したのだから。
〈血を流して終われ〉
故に、その特性を生かして突破に成功したPT‐76水陸両用戦車は、即地獄に叩き落とされる。反撃用として丘の上に待機していたT‐64中戦車やBMP‐2歩兵戦闘車だけでなく、長距離機動砲兵たるMi‐24攻撃ヘリと対戦車専用機のガゼル攻撃ヘリ——バリカドイも同機を使用しているため、敵味方識別用としてノルマンディ上陸作戦時の連合軍機のように、白と黒の帯を描いている——から滅多打ちにされたのだ。
〈任せろ!〉
だがバリカドイのF‐14戦闘機は超音速で駆け付けると、機関砲とミサイルで東西混合のハンターキラーチームを容易く叩き落とす。マーレブランケのJ‐7戦闘機が空中戦を避けたため、F‐4戦闘機共々自由に飛べたのである。
〈うわっ!〉
されどF‐14戦闘機もF‐4戦闘機も、良好な射界を得るべく小高い丘の上に配備されたSA‐9地対空ミサイル車の攻撃からは逃れられなかった。その訳は至極単純……北京農園が、フレアまでは提供しなかったためだ。
ゼーロウ3の名は第二次世界大戦の末期、ナチスドイツ最後の砦だった高地に因んでいる。本丸に最短ルートで通じているという点まで同じであった。そして、繰り広げられる戦いの凄惨さもまた然り。
『果たして勝つのはどちらか! もしかすると……これが最終ラウンド?』
一つだけ違うのは——死闘の模様が、明日なき生活を送る人々のために東京やニューヨーク、ロンドン、ベルリンに生中継されていることだ。
注1 両手両足を失った負傷者を意味する。
◆
「どこだ! マリアはどこにいる!」
戦闘開始からおよそ二時間が経過した午前六時……大爆発を起こすBMP‐2歩兵戦闘車を背に、バタフライ・キャットは叫んだ。
「どこにいるんだ!」
重いラチェンコ自動小銃を両手持ちした彼女が探しているのは、やはりマリアただ一人だ。ノエル・フォルテンマイヤーやエーリヒ・シュヴァンクマイエルも今日は無視すべき雑魚に過ぎない。
〈四方八方から撃たれている! マリアの犬共め!〉
〈最早我、ミサイルなし! 機関砲で応戦中!〉
〈損耗率八十……いえ、九十%以上!〉
バタフライ・キャットだけでなくゼーロウ3に侵攻したバリカドイの全部隊がマリアを探しているが、一向に見付かる気配はない。それどころか強固な陣地に戦術原則を完全無視した攻撃を続けているため、入ってくる報告は悲惨なものとなりつつあった。
「戦力は無限ではない。このまま……マリアを見付けられないまま、時間だけが経過したら……この場所は我々の血で赤く染まる!」
苛立つバタフライ・キャットを嘲笑うかのように、憎っくきマーレブランケは今この瞬間も自軍を痛め続ける。
〈それじゃあ皆殺しの雄叫びを上げて、今日も戦いの犬を解き放つ!〉
ゼーロウ3の西側後方に、ヴォルガ川東岸のソ連軍砲兵隊宜しく布陣している2S1自走榴弾砲が一斉射撃を行った。しかし、ノエルの合図で放たれた砲弾は通常のそれではない。
〈いい子よ。そのまま進んで……〉
ノエル達マーレブランケのGROMは森に隠れて、味方の防衛ラインを突破後猛進するチーフテン戦車やPT‐76水陸両用戦車に、照射装置からのレーザーを浴びせ続ける——砲弾が、間違いなく当たるように。
「誘導砲弾か!」
次の瞬間、全砲弾がまるで意思を持っているかの如く、戦車の薄い砲塔上面に吸い込まれて炸裂するのを見たバタフライ・キャットは悟る。マーレブランケはたった今彼女が言ったように、クラスノポールことレーザー誘導式の誘導砲弾を使用したのだ。
「おのれ!」
第二射による損害を防ぐため、バタフライ・キャットと仲間達はスラスターを最大噴射させて森へと急行する。しかしこれは、エーリヒが仕掛けた二段構えの罠であった。
〈ヴォルク6、FOX2! FOX2!〉
森との距離が縮まった瞬間、今日は爆弾ではなく空対空ミサイルを山程積んだJ‐7戦闘機が上空からバタフライ・キャット達に奇襲を仕掛けてきた。対応の遅れた数名が直撃を受けて四散する。
手間取っては、大事に障る!
辛くも回避できたバタフライ・キャットは残る仲間達と共に、斜め上方からの更なる攻撃を回避しつつ歯軋り。
こんなことをしている場合では——ないのに!
◆
「第二次防衛ラインが突破されます」
今日もM3ハーフトラックを指揮所として使っているエーリヒは、その車上で副官から報告される。
「まともじゃない。常識を逸している」
バリカドイは甚大な損害を被っているが、それでも突撃を続けていた。マーレブランケの防衛ラインはあちこちで食い破られ、激しい大乱戦状態となっている場所さえある。
「空軍は全て出払っています。テウルギストもまだ動けません」
ゼーロウ3の防衛ラインは第三と自分達のいる第四がまだ残っているが、半ば自殺の前進を続けるバリカドイはそれらも突き破りかねない勢い。どうにかして止める必要があるも、マーレブランケの予備兵力も限界に近付いていた。
「できれば使いたくなかったけど……」
エーリヒは全軍を第三次防衛ラインまで即時後退させるよう副官に伝えた上で、足元の箱からイタリア製のガスマスクを取り出した。
◆
「急いで注射を打て! マスクも付けろ!」
エーリヒからの緊急連絡が入るや否や、マーレブランケ側の全部隊は大腿部に神経剤の致死的作用を中和するアトロピンを打った上で、彼と同じイタリア製のガスマスクを装面した。
七分十二秒後現れたUH‐1輸送ヘリは、一纏めにしたドラム缶六本——その全てに『パステルナーク大佐の直接命令なき限り使用禁止』と書いてある——を戦場に投下。およそ五トン分が地面と激突するなり立ち込める、黄色い煙。
「なんだ……?」
第三次防衛ラインも突破してやるぞと意気込んでいたバリカドイのGROMやヴァルキリー達は、それを直接吸い込むなり夥しい量の汗を掻き始めた。呼吸はたちまち激しくなり、視界もブラックアウトする。
「死にたくな……死にた……」
彼女らは間を置かず崩れ落ちると、激しく痙攣した末に息絶える。全員の旧型ローブやM1ローブに、濃い糞尿の染みが浮かび上がっていた。
◆
〈みんなくたばっているぞ〉
J‐7戦闘機を操縦するマーレブランケの外国人義勇兵は、よく磨かれているキャノピー越しに恐ろしい光景を目撃した。砲爆撃で黒ずんだ大地に、両手足をだらしなく伸ばした少女達が何十体も横たわっていた。
〈気にするな。あんなもの、二十年も前に北イエメンでナセルが使っただろう〉
僚機の戦友はそう言うし、十月四日同様、マリアから化学兵器使用についての通達は受けていた。しかし今日使われたものは、アムニション・ヒルで抵抗するタスクフォース600に用いられた反則技よりも、遥かに強力だろう。
神経ガスか?
マスタードガスか?
或いはシアン化合物の誘導体か?
恐らく真相を知ることはない。しかしながら何も問題はないとJ‐7戦闘機を操縦する外国人義勇兵は思う。
これは化学兵器を使われて『物』が『壊れた』のであって、『人』が『死んだ』訳ではないからだ。
注1 エジプトの第二代大統領。北イエメンの内戦に軍事介入した。
◆
〈キャット様! 先程の化学兵器による攻撃で、ゼーロウ3の我が軍は壊滅的な損害を被りました!〉
バタフライ・キャットに司令部からの緊急連絡が入ったのは、返り血だらけの彼女が単身で第三次防衛ラインを突破した時だ。
「また使ったのか……! まともに戦争をやれない奴らが……ッ!」
この瞬間バタフライ・キャットは、バリカドイが失血死に追い込まれたことを悟る。マリアを見付け出して殺すよりも、ゼーロウ3に攻め込んだこちらが壊滅する方が早かったのだ。それに初手で全戦力を投入してしまったから、第二陣は最初から存在していない……。
「部隊の再編制を急がせろ! 攻撃を続行する!」
最早詰んでいる状況だが、バタフライ・キャットは残った戦力を再編成しての攻撃続行を決断した。
〈無茶です! 我々がどれだけの損害を受けているか……〉
「まだエグゾセだって残っている!」
司令部は至極真っ当な進言を行うも、バタフライ・キャットは半ば狂気じみた強がりを口にして一切取り合わない。代理集団による個人的決闘の敗北を認めるつもりはなかった。
〈いたぞ! 例の馬鹿猫だ!〉
その時背後から、無線の混線と共にマーレブランケのT‐64中戦車が現れた。
「雑魚が邪魔をするな!」
T‐64中戦車は砲口を向けてくるが、バタフライ・キャットは全弾使い切ったラチェンコ自動小銃を投げ捨てつつ横一回転——砲弾を空振りに終わらせた上で反撃に転じる。フライトユニットのスラスターを噴射して突進!
〈次弾装填! 突っ込んでくるぞ! 急げ!〉
再装填の末放たれた二発目も回避したバタフライ・キャットは、軌道の逸れた砲弾が土を抉るのと同時並行で、今や眼前にあるT‐64中戦車の砲塔と車体の間目掛け鉈を振るう。それも、マナ・フィールドを刃に宿らせた上で——。
〈脱出し……〉
外国人義勇兵が最後まで言い終える前に、T‐64中戦車の砲塔が爆発によって空中に放り上げられた。弾薬が誘爆を起こしたのだ。
「あの忌々しい獄卒を、今度こそ元の居場所に送り返すんだ!」
しかし、続いて鉄臭い唾を撒き散らしつつ怒鳴った直後——彼女の少し後方に奴が降り立つ。焼けた鉄の悲しき臭いが立ち込める戦場に、あの忌々しい獄卒が遂に現れたのである。
「相変わらず魂の牢獄に囚われて」
正義のヒーロー宜しく膝を折って上半身を屈め、地面に右拳を突き立てているマリア——今日もスカルバラクラバで顔の下半分を覆って、巻き込み防止のためその髪型をシニヨンに一時変えている——は、銀のスーパーエグゾスケルトンを装備したM1ローブ姿。
「呪詛と憎悪だけの、惨めな人生を送っているようだな」
そして彼女はその体勢を維持しつつ、弾かれたように振り向いたバタフライ・キャットにそう言い放った。
「私をこうしたのは貴様だ! どの口で言うか!」
「混乱こそ我が墓碑銘」
バタフライ・キャットが激昂する一方で、マリアは淡々と台本通りの言の葉を口にする。ユライヤを殺害した十月五日と同じように、自軍撮影班のドローンにしっかりと収録させたいが故。無論、パトロン達のために。
「すぐ家に帰れるぞ(スコラ・ダモイ・カメラード)」
餌にしてバリカドイを消耗させるのが目的だった故、マリアが自ら前線に出る必要はなかった。しかしながらパトロンやスポンサーへの体面上そういう訳にもいかないのである。そこで彼女はエーリヒと、敵が壊滅しゼーロウ3での勝利が確実となったタイミングなら、出撃して構わないという妥協点を見出していた。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははッ!」
この瞬間バタフライ・キャットもそれを理解したが、同時に、勝利を確信して狂笑する。まだ最後の切り札が残っているからだ。
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バタフライ・キャットの命を受けたフランス人パイロット達は、ゼーロウ3の南西——防御が手薄な——からシュペルエタンダール攻撃機を突入させた。
〈そら行け!〉
新手に気付いたマーレブランケの地上部隊から猛烈な対空砲火が見舞われるがもう遅い。五機の編隊は綿雲めいた無数の黒煙の中で、右翼の下に各機一発ずつ吊下しているエグゾセ空対艦ミサイルを発射した。
目標は当然、マリア・パステルナークただ一人である。
◆
「ん?」
しかしマリアは頭の横に小さな疑問符を浮かび上がらせただけで、全く動じる素振りなし。その表情には、バタフライ・キャットは気が触れたのではないかと気遣うような趣さえあった。
「ああ、そういうことか」
諸々を理解したマリアは、スーパーエグゾスケルトンの胸部装甲をゆっくりと展開させつつ、体の正面を南西に向けた。
〈目標の体内に高エネルギー反応!〉
〈ヴェリテ1より全機! ブレイク! ブレイク!〉
そして混線する通信に「無理だぞ?」と返した上で、三連マナ・ランチャーの禍々しい砲口から凄まじい奔流を放つ。
〈駄目だ! 間に合わ——〉
次の瞬間、先代と違って青白い粒子ビームに薙ぎ払われたのはエグゾセ空対艦ミサイルだけではなかった。皮肉にも、フランス語で『真実』を意味するコールサインの持ち主らも相次いで撃ち抜かれ、機体と共に焼き尽くされつつ地獄界の第八圏・第五嚢と然して変わらぬ大地に消えていく。
〈ヴェリテ5、マグナム! マグナム!〉
偶然一機だけ生き残ったシュペルエタンダール攻撃機は逃げることなく、まだ残っているエグゾセ空対艦ミサイルで再度攻撃を敢行する。これはパイロットが勇気を振り絞った訳ではない。殺さないと自分が殺されるという、原初の恐怖に突き動かされたが故。
「私の終着駅も地獄だ。お前は先に乗って、向こうで遊んでいろ」
けれどもマリアは九月十三日と同じ台詞を口にしてから、より背中を反らして、深い射角を作った上で自分も第二射を放つ。
「ああっ……!」
最後のエグゾセ空対艦ミサイル及びシュペルエタンダール攻撃機が同一線上で貫かれ、間を置かずどちらも爆発する光景を目の当たりにした瞬間、バタフライ・キャットは絶望した。彼女の表情は、つい先程大笑いしていた者と同一人物とは到底思えない。
「ひっ……」
次の瞬間逃げ出そうとしたバタフライ・キャットの喉元に、日本刀——つまり狗流牙の刃が押し付けられる。マリアは彼女を逃がさなかった。
「今日も見事な戦いだった」
だが、スーパーエグゾスケルトンの胸部装甲を既に閉じているマリアは罵声も嘲笑もバタフライ・キャットに送らない。酷く怯え、大粒の汗を流す全裸将軍に告げられたのは賛辞。
『WINNER!』
そしてゼーロウ3の各所に設置されている大型モニターが、このキャプション付きでマーレブランケのマークを大きく表示した瞬間、マリアは狗流牙を背中のマウント部に戻す。今日のスーパーエグゾスケルトンは、通常のバックパックを装備していないのだ。
「また手合わせ願おう」
マリアは刃から解放されるや否や、全力で駆け出したバタフライ・キャットに勝者の余裕に満ちた言葉を送る。本人には届いていないだろうが構わない。
「応援しているぞ。心からな」
今日もまた負けたが、バタフライ・キャットは折れない筈だ。何かしらの形で再度挑んでくるに違いない。それは、ビッグ・マザーに対する復讐をより強烈な一撃とするため、強敵の打倒を必要とする自分にとって有益。向かってくる度に叩きのめせば、いつの日かゴミのように投げ捨てる栄光と称賛はより価値のあるものとなるし、何より相手は何度敗北しても諦めない。
つまりバタフライ・キャットは、無限に引き出せる現金自動預払機なのだ。
◆
マーレブランケとバリカドイの戦闘はこの日、前者の辛勝で終わった。
ちなみにペイ・パー・ビューの販売数は、全世界合計で百万件を突破している。




