“待ち焦がれて”
静かな部屋に、紙が擦れる音だけが鳴り響く。
一頁捲る度になるその音はまるで、物語の扉の様に思えてくる。
その扉は、物語よって姿を変える。
時に青色で、装飾品が硝子で出来ていて
とても綺麗な姿をしている扉もあれば
赤色でおどろおどろしい姿をしている扉もある。
どんな姿でも、私は心を躍らせて扉を開くことが出来た。
そう、あの日までは――
とても暑い日の朝に、父が死んだ。
私が五歳になる頃に死んだ。
まだ若くて、出世の話も出ていた頃に死んだ。
父が大好きだった母は毎日のように泣いていた…。
『どうしてお父さんは死んじゃったの?』
そんな幼い子の言葉に母は困った顔をするだけだった。兄はそんな私を見透かしたように怪訝そうな顔を見せながら“ドンッ”と大きな音を立ててドアを閉め、
部屋に戻っていった。
ーーミンミンミンミン
蝉が五月蝿く鳴り響く中、
大好きな本の頁を捲る。捲る。捲る…。
捲っても、何も見えない。感じない…。
煌びやかなドアも、おどろおどろしいドアも、
何処も見当たらない。『どうしてっ!?』
幼く小さい手で本を叩く、だが怒りは滞るばかりでいくら叩いても発散は出来ない。
幼い私にも本当は理解が出来た。
“父がどうやって、何故死んだ”ということも
何処かで理解していて…
けど、認めたくなくて…
母にあんな言葉を投げ掛けてしまった。
あれから十年の月日がたった。
今も扉は見えなくて、それまで私にとって当たり前だった景色が、私からさよならも告げずに居なくなってしまった。十年前と比べたら、とてもつまらない人生になってしまった。
そんな事を学校帰りに考えていた時、
大好きな本の最新巻が、今日発売することをを思い出し本屋に急いで立ち寄った。
私はその瞬間、運命的な出会いをする。
ーーノベル小説だーー
一目で私は一冊のノベル小説にクギ付けになっていた。その小説は私と同い年くらいの少年を主人公とし、苦難な人生から這い上がる…。というまたベタな作品だったが、私は何故か惹かれてしまった。
あらすじを読み、本編へ頁を捲ったその時ーー
心地よい風が私に向かって吹いて、瞼をおもわず閉じ、再び開いた時…待ち焦がれていた“扉”が目の前にあった。その扉を私は躊躇なく開く。扉の先には、ノベル小説に描かれていた景色が広がっていた。
「わぁ…!!凄い!!」
私は感動しながら辺りを見渡すと、小さな家が建っていることに気が付いた。主人公が旅立つ時まで住んでいた家だろうか、ここ最近まで使っていた形跡もあり
真新しい足跡もあった。
「うーん、登場人物に会う訳にはいかないなぁ」
私は幼い頃から、物語に入り込むことが出来る。
“ただ空想に入る”というのも少し違って
主人公として物語を追体験、或いは好きな展開へと持っていくことが出来る。
『どうやって物語を楽しもうか』
久しぶりの扉の体験が私の胸を躍らせる。
するとその時、後ろから声をかけられた。
「君、ここで何をしているの?」
振り返るとそこに居たのは、このノベル小説に登場する主人公だった。
私は驚いた。何故トラオムは旅立っていない?
旅路の途中から物語は始まるはずーー
私は思わず息を呑む。確かに、旅路の途中からこの物語は始まる…。なのに何故主人公の家の前から始まっているのだろうか。“あらすじ”からいつも始まっていたはずで、私の好きな展開を望む時ですら“あらすじ”から必ず始まるはずなのだ。
「君…。もしかして、“あい”ちゃん?」
トラオムが発した言葉に、
私は表情を崩さずにはいられなかった。
「ずっと君を待ってたんだ…!」