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中身が私セラフィーナのステラがドゥルイット侯爵の執務室のドアをノックすると中から「入ってくれ」と声が聞こえた。ガタガタと物音も。
「失礼します。本日からドゥルイット侯爵様の専属メイドになりました、ステラと申します」
どう?私もこのくらいの挨拶は出来るわ、コリーンを見て来たもの。
「あ、セラ……ステラよく来てくれた。よろしく頼む」
ドゥルイット侯爵は焦って胸に引っ付いた令嬢を引きはがしながら言う。
私は半目で侯爵を見た。今までこの部屋で何をしていたのかしら。昨日回復した侯爵の好感度は再びマイナスに落ち込んだわ。
「まあ!ユージーンったらぁこんな小娘を専属メイドにするの?……ふふっでもぉこんな子供なら誘惑してくる心配は無いわねぇ」
彼に引っ付いていた令嬢、確かヴィオラ・ビーンランド子爵令嬢と言ったわね。彼女は侯爵に引っ付くのを諦めて私の前に来ると腰に手を当てて言った。
「ステラと言ったかしら、私はユージーンの特別な存在よ。貴方はそのことをしっかりわきまえてね」
「ヴィオラ!誤解を招く言い方は―――」
焦ってドゥルイット侯爵が言い訳をしようとしているけど……ふーん、ユージーン、ヴィオラと呼び合う仲なのね。
「ご主人様はセラフィーナ第二王女殿下の婚約者とお聞きしました」
試しに私が言ってみるとすぐにビーンランド子爵令嬢は忌々しそうに私を見た。
「そーんな婚約すぐに解消されるわよ!引きこもり姫なんて救国の英雄のユージーンに相応しい訳ないじゃない!ふふっ部屋に引きこもるどころかベッドに引きこもることになっちゃったけどねー。……いい気味だわぁ」
最後の言葉は私にしか聞き取れないような小さな声だった。
「ヴィオラ!なんてことを言うんだ!!俺は婚約解消なんてしない!」
ドゥルイット侯爵がビーンランド子爵令嬢を睨む。へえ……私をお飾りの妻にしてビーンランド子爵令嬢を愛人にするつもりかしら?
「とにかく君は部屋に戻ってくれ!部屋から出るのは禁じた筈だ!」
ドゥルイット侯爵がビーンランド子爵令嬢をグイグイと部屋の外に押し出そうとする。
「あっあっ待ってよユージーン。私部屋の中にいるの飽きちゃったのよー。ねえ、町に出かけましょうよー。しょぼい田舎町だけどぉ貴方とデートするのも悪くないわぁ」
「……君は何を言っているんだ……俺は理解に苦しむよ、セラフィーナ殿下は未だ寝たきりだというのに。部屋から出るのは禁止だ。大人しくしているんだ。いいね!」
「わかったわよぉユージーン。お楽しみは後でね!」
今度こそ彼女は部屋から出ていった。
ホッと息をつくドゥルイット侯爵に私は言った。
「お楽しみの邪魔をしてしまってごめんなさいね」
「お楽しみ???」
「彼女と抱き合っていらしたわ」
「えっ!?あ、あれはヴィオラが机の角で躓いてそれを支えただけで……」
支えただけであんなに引っ付くものかしら?私が来る前だって何をしていたのか……
「セラフィーナ殿下、信じてください。俺は君に顔向けできないようなことは―――」
必死に言い訳するドゥルイット侯爵を私はさえぎった。
「とにかく今は私の身体がどうなったのか確かめたいの」
私の言葉にドゥルイット侯爵はハッとしたように頷き、私たちは私が滞在している客室に向かって歩き出した。
今日は扉の前にジーニアスが立っている。
「セラフィーナ殿下をお見舞いしたい。中に入れてくれ」
ドゥルイット侯爵の言葉にジーニアスはドアを開けて中のコリーンと話しているようだった。
現在コリーンたちは私の身体を守ってこの客室に引きこもり、食事などもヒュッテの町に滞在している騎士たちに届けさせているというわ。
「どうぞお入りください」
ややあって私たちは中に通される。ドゥルイット侯爵に続いて中に入ろうとした私を咎めるようにジーニアスは見たけど、ドゥルイット侯爵が「セラフィーナ殿下とぶつかったメイドだ」というと感謝の目を私に向けた。
室内にいたコリーンに促され私たちはベッドに近づく。
……寝ている自分を見るのはなんか変な感じ。あら、私って意外とまつげが長かったのね。
「セラフィーナ殿下はまだ目を覚まさないのですか?」
ドゥルイット侯爵の質問にコリーンは黙って頷いた。
私の中にステラはいるのかしら。私が目覚めたのが昨日の夜、もう目覚めてもいいのではないかしら。
「ドゥルイット侯爵閣下が来ているんだって!?」
バタンとドアを開けてサイラスが入ってきた。
「ドゥルイット侯爵閣下、お話があります」
コリーンが静かに言った。
「私たちはセラ姫様を連れて王都に帰りますわ」
ソファーに座ったドゥルイット侯爵に向けてコリーンが口を開く。
「いや、しかしセラフィーナ殿下は頭を打っているので動かさない方がいいと医者が言っていたが」
「ええ。ですから今までここで私たちがお守りしてきました。でもセラ姫様は一向に目を覚ましません。王宮のお医者様に診ていただいた方がいいと思うのです」
「いや、しかし……」
「それにこれ以上殺人犯のいる屋敷にセラ姫様を置いておくわけにはいかないのですわ!!」
コリーンが叫ぶように言った。
「殺人犯……?」
「姫様を突き落とした犯人の事よ!」
……コリーン、私の質問に答えてくれたことは嬉しいけど、私死んでいないから。殺人未遂と言って欲しい。
「それは……本当にセラフィーナ殿下は突き落されたのか?事故でなく?いやその……殿下はよく躓いたり柱にぶつかりそうになっていただろう?」
「本当よ!後ろから凄い力で押されたの!」
ドゥルイット侯爵のあんまりな質問に私はつい叫んでしまった。
「あの時セラ姫様はベールを着けていらっしゃいませんでした」
コリーンが追い打ちをかける。
「……本当だったのか……」
がっくりとドゥルイット侯爵が肩を落とす。屋敷の使用人か招待した令嬢か誰かはわからないけれど王女を殺そうとしたなんて重罪だわ。ドゥルイット侯爵も無傷では済まないでしょう。
「ドゥルイット侯爵閣下は犯人を庇いだてしているのですか?」
コリーンの声は冷ややかだ。
「そんなことは断じてない!俺はセラフィーナ殿下を危険な目にあわせた犯人を必ず捕まえてみせる!自分の手で!」
「……本当かしら。言いましたよね、私たちがこの屋敷に着いたときから姫様がどれほど不快な思いをしたか……出迎えは無い、貴方はいない、使用人の態度が悪い、複数の令嬢が滞在していて姫様を馬鹿にする……姫様がどれほど辛い思いをしたか……その挙句に階段から突き落とされて未だに目を覚まされないなんて……」
コリーンはハンカチを目に押し当てて涙を拭う。
うんわかるわコリーン。辛い思いとはちょっと違うけど腹が立つ思いは沢山したわ。結構やり返したけど。大体いくら引きこもりと言われていようが私は第二王女。彼女たちとはかなり身分差があるのにどうしてあそこまで強気に出られるか不思議だったのよ。大人しく虐げられている筈の引きこもり姫がやり返したから階段から突き落とすなんて実力行使に出たのかしら。
いえいえ私を突き落としたのが令嬢の誰かと決まったわけではないわ。
私が物思いに耽っている間、コリーンとドゥルイット侯爵は押し問答をしていた。
「だから!それは全て誤解だと言ったはずだ!」
「信用できないと申し上げましたわ」
「俺は!ちゃんと屋敷の者にセラフィーナ殿下を丁重にもてなすように言い置いて出かけたし、本当にすぐ戻るつもりだった」
「あの不愉快な執事は聞いていないと言っていましたわ」
「令嬢たちも一人として呼んでいない。帰ってきたら彼女たちがいて吃驚したんだ」
「彼女たちは招待されたと言ってらっしゃいましたわ。侯爵閣下とはずいぶん親しいご様子で」
「四人の内三人は知らない令嬢だ。あ、いや魔獣の討伐や何かの事件の時に顔を合わせたかもしれないが名前も覚えていない」
「ビーンランド子爵令嬢様は?呼び捨てでお名前を呼び合うご関係のようですけど」
「ヴィオラはただの幼馴染だ!子供の時にそう呼び合っていただけで。もう何年も会っていなかったんだ」
ドゥルイット侯爵、わざわざ身体をひねってあなたの後ろに立つ私の方を向いて力説するのは止めてください。コリーンやサイラスが変な目で見ているわ。
今の言い訳を聞くとドゥルイット侯爵は全て知らなかったようだけど……おっと、簡単に信じる訳にはいかないわ。だって私は社交力ゼロなんですもの。
「とにかくここへ来てからの諸々を王宮に連絡しました。姫様を連れて帰ることも。今日にでも発ちますわ」
「それは困るわ!!」
私は叫んでいた。だって私の身体だけが王都に帰っちゃったら元に戻れるかわからないじゃない。
意を決して私は言った。
「コリーン聞いて!私はセラフィーナなの!」
「お前!また姫様を呼び捨てにしたな!」
サイラスが掴みかかろうとするのをドゥルイット侯爵が止めてくれた。
「彼女の話を聞いてくれ。彼女は本当にセラフィーナ殿下なんだ」
コリーンもサイラスも意味がわからないという顔をしている。
私は昨日ドゥルイット侯爵に言ったように目覚めたらステラの身体の中に入っていたことを説明した。当然コリーンもサイラスも胡乱な目で見てくるので昨夜に引き続きお父様たちの恥部を……
サイラスは茫然としているけどコリーンはこの話を知っているからね。私のことを信じてくれるのではないかしら。
「そんな……目の前のこの少女が……いえまさか……精神が乗り移るなんて聞いたことがない……でも陛下の秘密を……スパイ?」
なんかコリーンの思考が怪しい方を向いてきた。私は焦って部屋を見渡す。
魔具!!!
ああ!私の一番大切な物!!どうしてこの存在を忘れていたのかしら。
私は部屋の隅に片付けられた魔具に駆け寄って言った。
「私、この魔具を完成させるわ!!あともう少しなのよ。私がこの魔具を完成させたら私がセラフィーナだって認めてくれる?」
その様子を見てコリーンはため息をついた。
「確かにセラ姫様ですわ。そんなに目を輝かせてへんてこな機械をいじるのはセラ姫様しかいませんもの」