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翌朝、目覚めるとすぐにおばさんメイドのメルサさんが部屋に駆けこんできた。
「あんた、えらいことだよ!心を落ち着けてよく聞きな」
私がきょとんとしているとメルサさんの後ろから仏頂面の執事クライドが現れて私に告げた。
「ステラ、お前は今日付けでご主人様の専属メイドになった。支度を終えたらご主人様に挨拶に行きなさい」
相変わらず感じの悪いクライドはそれだけ言うとさっさと部屋を出ていく。でも去り際の「なんでこんなガキを……」という呟きを私の耳はしっかり拾ったわ。
「あんた、良かったねえ。お姫様を助けたことをご主人様が評価してくださったんだね!ああでも言葉使いには十分気を付けるんだよ!いいね!」
ステラの出世?を喜んでくれるメルサさんはいい人だわ。それに引き換えあの執事は……
私はこのお屋敷に来た時のことを思いだした。
「セラ姫様着きました」
サイラスが馬車の扉を開け手を差し伸べてくれる。
王都から馬車で二日。
山岳地帯の盆地にあるこの町ヒュッテの丘の上にある領主の館の玄関の前で私は馬車を降りた。
ここは嘗て王領だった土地で、叙爵されたドゥルイット侯爵に新たに与えられた領地。領地と言っても山岳地帯で農産物はあまり多くなく、高地でとれる野菜や果樹、そして響澄石という鉱石が採れる鉱山がある。もっともその鉱山も近年は採掘量が減っているらしいけど。
あまりうま味の無い領地だけど元子爵家の三男で領地経営などしたことも無い新米侯爵にはこの程度でも手に余るらしいのね。まあドゥルイット侯爵は騎士団の仕事があるので領地経営は今まで通りこの地の代官に任せることになるのでしょう。それに私が降嫁する際にこの領の麓にある広大な農地を持つ王領も下賜されるそうだからドゥルイット侯爵は他の侯爵と同程度の領地を持つことになるらしいわ。本当に降嫁するかはわからないけどね。
さて、私が玄関に降り立っても屋敷から誰も出てこない。
サイラスが額に青筋を立てながら扉をドンドンと叩く。門番は入れてくれたから連絡が来ていない筈は無いんだけど。
ややあってやっと扉が開いた。
出て来たのは三十過ぎ?ぐらいの男の人と中年の女性。
男の人は執事のクライド、女性はメイド長のアンジェラと名乗った。
「セラフィーナ第二王女殿下が今日、この時間にこちらに来ることは知らせが来ていたであろう。出迎えが無いのはどうしてだ?」
サイラスの声が怖い。相当怒っているわね。そうしてそれは私も同じ。私の後ろに控える侍女のコリーンやメイドたち、護衛の騎士たちも同じ。
「……引きこもりの姫様とお聞きしていたので来られるとは思わず」
クライドが不貞腐れたように口を開いた。
はぁ?来るって言ったんだから来るに決まっているでしょう!!いくら引きこもりって言っても一度言ったことを破ったりはしないわ。
私は口をあんぐり開けて固まった。
「ドゥルイット侯爵はどちらにおいでです?姫様をお出迎えなさらないのは失礼でしょう」
「主人は出かけております」
怒りを抑えたコリーンの問いかけに怒りを倍増させるような返事が返ってきたわ。
「はっ!?……私はドゥルイット侯爵の招待を受けてここに参りました。それなのに侯爵本人がいないとはどういうことですか?」
たまりかねて私は口を開いた。
「……さあ……」
「いつ戻ってくるのですか?」
「……さあ……」
さ、さあって、さあってどういうこと!?クライドの答えに頭の血管が切れそうになったわ。
チャキとサイラスが腰の剣に手をかけたのが見えた。
それを見てようやくクライドの顔が青くなる。
「わ、わたくし共は何も……何も聞いていませんので……」
「姫様帰りましょう。馬鹿にしていますわ。不敬にもほどがあります、ドゥルイット侯爵もこの使用人たちも」
コリーンの言うことももっともだけど私は……
「それではドゥルイット侯爵が戻られるまでここに滞在させていただきますわ。せっかくご招待を受けたんですもの」
「セラ姫様?」
私は小声でコリーンに告げた。
「馬鹿にされっぱなしじゃ気分悪いわ。ドゥルイット侯爵に一言ガツンと言ってやらなくちゃ!」
目を丸くしてコリーンは私を見た。直前まで行きたくないと駄々をこねていた私なのだから。
でも私だってこんなにバカにされたままでは引き下がれない。それに嫌々でもここに来たのはもう一つ目的があるし。
「姫様の荷物をお部屋に運び込んでくださいな」
コリーンの言葉にクライドの顔が引きつる。
「……随分沢山の荷物ですね」
「当たり前でしょう。姫君が滞在なさるのですよ、これでも少なすぎるくらいですわ」
実は荷物が多いのは作りかけの魔具を持ってきたから。工具やなんやかんやも一式。行きたくないと駄々をこねていたら魔具も持って行っていいとお許しが出た。ラッキー。だからドレスなどは最小限。本当に少なすぎるくらいなの。
コリーンの言葉にクライドもメイド長のアンジェラも動こうとしない。業を煮やしたサイラスは背後に控えた騎士たちに指図をして荷物を運ばせた。
「セラ姫様の部屋はどこだ」
サイラスが声に威圧を込めて訊ねると今度はクライドも無視できなかったようね。
渋々アンジェラに指示を出した。
「二階の客室にご案内しろ」
客室は可も無く不可も無いと言ったところ。
コリーンは王女が滞在するのに質素過ぎると文句を言っているけど私は部屋が広ければ文句ないわ。魔具を製作できるスペースがあればいいので。
しかしここでもう一つ問題が発生した。
私について来てくれた護衛やメイドたちが滞在する部屋が無いというの。
この屋敷はこの地が王領だった時、偶に視察に来る王族の別邸として建てられたもの。その頃は普段は閉鎖されていたらしいけどドゥルイット侯爵が叙爵されたときに領主の屋敷として使用することになったの。王族が視察に来る時には従者や護衛騎士、メイドなど多数の者たちを引き連れてくる。だから部屋がないなどありえないことなのよ。
「この屋敷に現在ドゥルイット侯爵のご友人の令嬢が数名滞在しておりまして、ご令嬢とお付きの方で部屋が埋まっております」
クライドの言葉に心底呆れた。ドゥルイット侯爵はどこまで私を馬鹿にするのかしら。私との縁談が嫌ならその時にスッパリ断れば良かったのに。お父様の前ではいい顔をして私を招待しておいて女友達(本当に?)を呼んで滞在させている。おまけに本人は不在ときた。
きっとドゥルイット侯爵はあの噂を鵜吞みにしているのでしょうね。私が王家の皆から疎ましく思われて虐げられているという噂を。だから私に失礼な態度をとっても大丈夫だと高をくくっているのでしょう。
ともあれ部屋が無いとクライドが強硬に言い張るので私と一緒にこの屋敷に滞在するのは侍女のコリーンと護衛のサイラスとジーニアスだけ。それ以外の人はヒュッテの町の宿に滞在することになった。
夕食時、私がコリーンを伴ってダイニングに行くと四人の令嬢が既に食事をとっていた。
「あら、また新しい女の人が来たのぉ?ユージーンったら……」
栗色の髪をクルクル巻いて派手な顔立ちをした令嬢がため息を吐く。
スッとコリーンが前に出てその令嬢に言ったわ。
「挨拶も無いのは失礼じゃないですか?こちらはドゥルイット侯爵の婚約者のセラフィーナ第二王女殿下です」
「「「は!?」」」
令嬢たちはまじまじと私を見た後クスクスと笑い出した。
「失礼いたしましたわぁ。引きこもりのお姫様はあばら家から一歩も出ないと聞いていましたのでまさか王都からこんなに離れたところに来るなんて思いませんでしたの」
その言葉を無視してコリーンは壁際に控えていたアンジェラに向かう。
「姫様が来る前に食事を始めているなんて失礼でしょう。それに姫様のお席はどこです?まさか下座ではないわよね」
「……お部屋に引きこもって食事には見えられないと思いましたので。お食事の時間からずいぶん経っておりましたし」
それは嘘だわ。私たちは告げられた時間にダイニングに来たのだから。
アンジェラの返事に令嬢たちが「ぷっ」と吹き出した。
「やっぱり引きこもり姫ね」
「こんなところまで来たと思ったら今度はお部屋に引きこもり?」
「いくら王女って言っても変わり者のあまりものじゃない」
「ユージーン様が困っている事にも気が付かないくせに」
内輪話をしているようで私たちにも声が届く絶妙の声量だわ。
彼女たちはコリーンが睨むと「怖いわぁ」と首をすくめる。
なんか面倒くさくなってきたわ。
私はコリーンに私と従者の食事を私の部屋に運ぶよう指示を出してと言って部屋に戻ることにした。
私たちが去るまで彼女たちはクスクス馬鹿にしたように笑っていた。
「ベールで顔を隠すなんてやっぱり醜いのね」
「ユージーン様お可哀そう。いくら名前ばかりの婚約者って言ったって醜い嫌われ姫を押し付けられるなんて」
「ヴィオラ様、とっちゃえば?」
「あらぁ私なんてマライア様こそ」
「不敬だってあの怖い侍女が騒ぐんじゃない?」
「大丈夫よ。王様や王妃様にも嫌われているって聞いたわ」
私はため息をついた。
だから社交なんて嫌いなのよ。私は彼女たちがどこの誰か知らないけれどコリーンはわかるんじゃないかしら。コリーンやサイラスがお父様たちに報告すれば彼女たちやこの屋敷の使用人たちはどうなるか……
うーん……ドゥルイット侯爵に一言文句を言おうと思ったけど面倒くさくなってきたわ。もう一つの目的を達して王宮に帰ろうかしら……
面倒な気持ちは部屋に帰って魔具をいじりだしたところでさっぱり消えた。
そうして私は部屋に運ばれた食事が冷める頃コリーンに叱られてやっと夕食を食べた。