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お父様から婚約の話をされて二か月後。私は王宮本宮のサロンに呼び出された。
なんと今頃婚約者との顔合わせらしいわ。……すっかり忘れていた、私が婚約したことを。
きっと相手も忘れていたんじゃない?二か月も何の連絡も無かったのだもの。
うーん、これはもう無かったことにならないかしら……と思ったがお父様は忘れてくれなかったらしい。というわけで今日は相手との顔合わせなのだという。
コリーンに朝たたき起こされて全身磨かれた。
「……コリーン……眠い……」
「セラ姫様、昨日あれほど言ったのに夜更かししましたね」
「……だって……研究の目処が付くまで……あ、ねえ!あのね音を伝える媒体に使用するのはオトナリ草よりズリムの木の樹皮を乾燥させたものがいいと思うの。それに昨日気付いてね―――」
「セラ姫様お口を閉じてくださいな」
コリーンは無情にも私の話を途中でぶった切っておしろいをパタパタと塗った。
「お化粧する意味ある?」
「なんということを!今日は婚約者様と顔を合わせるのですよ?まさかまさか……またベールを?」
「うん、するわよ」
私は本宮に行くときはベールで顔を隠すようにしているの。
それは私の顔を知られたくないから。私が魔具師として仕事をしているのは王家の秘密……というほど御大層なものではないけれど、最初は王女が魔具作りに現を抜かしているなんて外聞が悪いと隠されていたの。その後私の開発した魔具が大ヒットしたおかげで私は有名人になってしまった。私はティアの名前で魔具師として働いていたのでティアが実は王女だと言い辛くなってしまった。それに魔具師のティアとして素材を集めに市中や野山に出かけたり新作魔具の登録申請をしに行ったりするので王女だとバレたくなかったということもあるわ。
外せない用事があって王女として本宮に出向くときはベールをして顔を隠している事、第二王女の予算が計上されていないことからまた新たな噂が生まれたわ。「第二王女はかなり醜い容姿をしているらしい」「それで王家に疎まれてあばらや宮に追いやられたらしい」「かなり我儘で物を壊すので王家の嫌われ者らしい」
私はこの噂を放置している。だって嫌われ者でいた方が近づいてくる人もいないし縁談の話も無い。研究に没頭できるってものよ。お父様はじめ家族のみんなは不満そうだけどね。
だから今回の婚約は本当に相手が気の毒だわ。
お父様も引く手数多な英雄なんかにごり押ししなくてもいいのに。少しでも優良物件に娘を嫁がせたいという親心は有り難く感じなくもないけれど。
そんなことを考えながら歩いていると柱に激突しそうになり護衛のサイラスにグイッと腕を引かれた。
「セラ姫様……」
コリーンにため息をつかれる。
「視界が悪いのよ。考え事をしていた訳じゃないわ」
私は慌てて言い訳をする。実際ベールをしていると視界が悪いので何度か躓いたり転んだり。通りがかりの人に助けられたこともあったわね。
ともあれその後は慎重に歩いて本宮のサロンに着いた。
内輪の顔合わせということで本宮の中でも奥まった王族が暮らす一角のサロンが顔合わせの場らしい。
近衛騎士のサイラスが室内に訪いを入れた後ドアを開けてくれる。
わあ、勢ぞろい。
お父様、お母様に加えパート兄様夫妻、リック兄様夫妻もいる。
皆さまお暇ですか?
家族に簡単な挨拶を済ませると奥のソファーの前に立っているその人物に私は歩み寄った。
彼は私が近づくとサッと片膝をつき、騎士の礼をとった。
「お初にお目にかかります。ユージーン・ドゥルイットと申します。あの……」
そこで彼は一旦黙った。リック兄様の咳払いが聞こえたわ。
「俺は……気の利いたことは何も言えませんが……その……貴方と婚約出来て嬉しく思っております。生涯あなたのことを大事にしていきます」
リック兄様に急かされたような感じはするけれど思ったより好意的な挨拶が来たわ。でも俯いていて顔は見えない。彼がどんな表情でさっきの言葉を言ったのかはわからない。
「立ってお顔をお上げになって下さい」
私は彼が立ち上がるのを待ってカーテシーをした。引きこもり王女だと言っても礼儀作法はばっちりと仕込まれた。優雅にカーテシーをすることぐらいはできるのよ。
「お初にお目にかかりますわ婚約者様。セラフィーナ・ティア・アリンガムと申します。私は婚約者様にご無理をして欲しくありません。今まで通り私には構わずどうぞご自分の生活を大事になされてくださいね」
私はにっこり笑ったけどあちらにいる家族の方から冷たい冷気が漂ってくる。目の前の彼は困ったように眉を下げた。
「セラフィ、ドゥルイット侯爵に失礼ですよ」
冷気の元はお母様。お父様やお兄様たちは苦笑しているのだけど。
お母様は私が社交もせず魔具の研究に没頭しているのを一番快く思っていないの。お姉様は政略結婚で他国に嫁いでしまったのでせめて私は愛する人と幸せな家庭を築いて欲しいと思っている。お姉様夫婦は政略だけどお相手の王太子様とは良好な関係を築いているそうだし、私は結婚なんかしなくても魔具の研究さえできれば十分幸せなんだけど。
「ま、まあ、ここで立ち話してもしょうがない、皆座って歓談しようじゃないか!」
お父様が焦ったように言ってみんなでソファーに腰掛ける。
侍従が入れてくれた紅茶はとっても美味しいし、お菓子は私の好きな物ばかり。でもびっくりするくらい盛り上がらなかった。
私は特に彼に話しかけることもせず黙々とお菓子を食べるかお兄様たちとぽつりぽつりと話をするだけ。彼に至っては終始強張った顔をして聞かれたことに「はい」「いえ」と手短に返事をするだけだったわ。
そりゃそうよね。今は侯爵とは言え元は子爵家の彼が王族一家に取り囲まれて緊張するなって言う方が無理ってものだわ。それでもあまりに強張った顔をしているのでリック兄様が彼をからかった。
「なんだユージーン、愛しの婚約者にやっと会えて緊張しているのか?」
リック兄様、なんてことを言うの!嫌々この場にいる彼になんと酷な質問を!
彼は「はっ、いえ……あの……いや……はい……」となんだかわからない返事をした。
「リック兄様……やっと会えたなどとドゥルイット侯爵に失礼ですわ」
だって会いたくも無かったでしょうから。
「いやホント。ユージーンは滅茶苦茶忙しかったんだよ。侯爵になったことで領地持ちになったから領地での顔合わせやなんやらの仕事があるし騎士団の方も第一師団長に就任して雑事が増えたからね。それでもセラに一刻も早く会えるようになりたいと頑張ったんだって」
彼は真っ赤になって「いや……その……あの……」としどろもどろになっている。私はそれを呆れた顔で眺めていた。
あーベールがあるって便利だわぁ。
「セラフィ、ベールをお取りなさいな。ここには家族しかいないし婚約者に対して失礼ですよ」
うっ……お母様……目が笑っていない……
私は渋々ベールを取り外す。彼は私の顔を見てぱあっと顔中をほころばせたの。
それを見てお母様がにこやかに彼に言う。
「セラフィはとても可愛らしいでしょう?噂で言われているような醜い容姿じゃないのよ」
「はっ、いえ俺はセラフィーナ殿下が可愛い事は知って……あ、いやその……セラフィーナ殿下は容姿だけでなく内面も素晴らしく……あ、そのあの……決して他の奴に喋ったりは……狙われても困るっていうか……」
彼は珍しく長文を話したけど動揺しまくりでもはや何を言っているかわからないわ。
「ドゥルイット侯爵とセラフィはお互い良く知り合う時間が必要ね」
お母様はため息をついた。
「だけどユージーンは明日からしばらく領地に行くんだよな」
とリック兄様。はい残念!知り合う時間なんてありませーん。
こんなんで本当に一年後に結婚するの?あ、あと十か月後だわ。……取りやめになればいいのに。
リック兄様の言葉に彼は「はい」と頷いた。騎士団の方が忙しく領地の方は顔合わせしただけで放っておいたままだったので騎士団の引継ぎが終わった今一か月ほど領地に居て様々な事を学ぶらしい。
彼は何かを言いかけ口を閉じ、また何かを言いたげに口を開きまた閉じた。
「ん?ユージーン、言いたいことがあるなら言ったらどうだ?」
リック兄様の言葉に後押しされるように彼はとんでもない提案を口にした。
「あ、あの、もしよろしければ……お、俺の領地にあ、遊びに来ませんか?あの、俺もまだ数回しか行ったことが無くて案内できるほど詳しくないんですけど……」
「え!?ご遠慮———」
「まあ!それはいい考えね!セラフィ!是非お邪魔させていただきなさい」
私の返事は前のめりなお母様の言葉に打ち消されてしまったわ。
「旅先での二人の甘い思い出、深まる思い、近づく距離。とっても素敵だわ、ねえ陛下」
お母様に身を寄せられお父様は鼻の下を伸ばした。
えーー貴方たちは四人も子供を設けたベテラン熟練夫婦でしょう?もっと凄いスキンシップだって沢山しているでしょうに。どうして身を寄せられたくらいでデレデレしちゃうの、お父様?
「そうだな王妃よ。若い二人には触れ合う機会や共通の思い出作りが必要じゃ。覚えているか?王妃との婚約時代に二人でベレス湖に出かけた時のことを」
「うふふ覚えておりますわ。あの時の陛下は凛々しくって……ああもちろん今も……」
私たちは(お兄様方夫婦も含め)アホくさ~とそっぽを向いた。
二人はそれからしばらく惚気倒していたけど、有耶無耶に無かったことにしようとした私の努力は実を結ばず、結局彼が領地に発った五日後に私は彼の領地に行くことが決定してしまったの。
なんてことを提案してくれたのよこの男は。押し付けられた幽霊姫なんて放っておいてくれればいいのに。王家に対する点数稼ぎ?そんなタイプには見えなかったんだけど。