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皇帝の第2子・劉旴の弔いは、皇子がまだ正式に王に封じられる前であったこともあってごくわずかな身近な者たちのみによってひっそりと執り行われた。喪に服したのは旴の後見役であった王皇后、血の繋がりこそないものの実の孫のように可愛がっていた上官太皇太后、実兄である皇太子と大司馬車騎将軍の許延寿をはじめとした血縁者である許氏一族、そして皇子に直接仕えていた宦官と宮女たちであった。
王皇后は旴の実母ではなかったので、形式的に喪に服さねばならないその短い期間を終えるや否や、すぐさま後宮における事後処理に動いた。まだ成人しておらず独立もしていなかったとはいえ、旴は亡き皇后所生の皇子であったから間接的に関わっていた者たちまでをも含めると後宮の中だけでもそれなりの人数を従えており、それらの者たちの処遇を考えねばならなかったのである。
王皇后は皇后の権限で決裁できる者たちについては自らの椒房殿内で速やかに配置換えをした一方、将来の妃嬪候補と目されていた少女たちの処遇については判断せずに皇帝の指示を待つことにした。
「この度はご苦労であった」
「身に余るお言葉、ありがたく存じます」
皇后を労うため椒房殿前殿を訪れた皇帝・劉詢との少々よそよそしいようにも聞こえる一通りの儀礼的挨拶を済ませると、王皇后は時間を無駄にせずに皇帝のそばを片時も離れることのない宦官の弘恭以外の者たちを下げ、さっさと本題を持ち出した。
「旴さま付きであった者たちにつきまして、陛下にご相談申し上げたいことがございますがよろしいでしょうか」
「うん、申せ」
「まだ旴さまの喪に服している者もおりますが、私の権限で処遇を決めることのできる者たちにつきましては椒房殿内で決裁を済ませました。また、この度のことを機に暇を願う者たちもおりましたので、その者たちには喪が明け次第、下賜金を与え下がらせようと思っていますが、それでよろしいでしょうか」
「ああ、それで構わない」
「ありがとうございます。それでは旴さまの妃嬪候補であった方々のことなのですが」
「はて、旴の妃嬪、とはなんのことだ?」
皇帝は息子の一人の後宮に納められる予定であった少女たちのことなど少しも関知していなかった。なぜなら皇帝は地上世界の全ての上に君臨する立場であるが、そのうち内廷という家庭にあたる部分、特に女たちの世界である後宮の頂点に立つのは皇后であったからである。そして皇帝はその後宮を取り纏めている王皇后の手腕を高く買っていて、王氏が立后してからのちはその判断をほぼ一任していた。
首をひねって訝しがる皇帝に対して、王皇后は穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「近年中に旴さまが冊封されるとのことでしたので、就国されるまでの間に家庭を整えることができるように昨年の算人から妃嬪となるにふさわしい年頃の娘たちを選抜しておりました」
「ああ、なるほど、そういうことか。ありがとう、そなたの心遣いをきっと旴も喜んだであろうにな」
子を残すこともなく儚くなった皇子のことを二人揃って思い出し、しばし沈黙した。
「…またその者たちとはほかに、旴殿にお仕えするに相応しいと思われた幾人かの娘たちが選ばれておりました。その娘たちをはわたくしの側近くで仕えるために縁起の良い日を選んでそれぞれ入宮することになっていたのです」
皇帝は心得たように頷きながら、
「つまり妃嬪にと考えていたものたちのうち、すでに入宮している者もいれば未入宮の者もいるということだな」
「その通りでございます」
「掖庭に入宮してもまだ手がついていなかったのならば、張倢伃のところの欽や張倢伃の囂、公孫倢伃の宇に与えても良かろう。…まだ入宮していないのならば、あえて人数を増やすこともあるまい。下賜金を与えて下がらせるか、適当な縁組をとりもつように計らえば良いのではないか」
「はい。ただ…まだ入宮していない娘の一人のなかに、瑞兆を持つ者がいたのです」
「ほほう?」
「白い燕がその娘の裁縫箱に白い石を落としていき、そこに『母天地』と刻まれていたのだとか」
「…」
皇帝は無言のまま片眉を釣り上げた。
「ええ、陛下の仰りたいことはわかりますわ」
王皇后も片眉をあげ、フフ、と笑った。
「『母天地』とな。その文言を見ることは?」
「燕が落とした時に白い石が割れ、その時にその刻まれていた文字を見ることができたそうですが、石がまたひとりでに元通りになったのでもはや見ることはできないのだとか」
「それはまあ、うん、ずいぶんと珍しい石のようだ」
「はい…。でも実を申しますと、その石の話だけならばあまり思うところはなかったのです」
「おや、それはどうして?なかなかに興味深い話ではないか。朕はむしろその話を聞いてどのような娘か見てみたいと思ったのに」
「その娘はすでに一度許嫁を亡くしたことがあり、今回また旴殿とのご縁がだめになってしまったのです」
「…なるほど、そなたと同じ境遇であるゆえ、気になるのだな」
王皇后は頷いた。
「わたくしも、縁談が幾度もうまく行かずに本当に辛い思いを致しました。その娘がどれほど悲しんでいるかと思いますと無碍にもできなくて…」
王皇后は、もう結婚することなどできないのではないか、と泣き暮した昔の自分のことを思い出し、胸に刺さったままの、幾つもの小さい棘が再び傷を抉り出すのを感じた。