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白燕石奇譚  作者: 檀 瑠里
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 ずいぶんと勿体ぶったまわりくどい話を聞くうちに、相手が未央宮の禁中すなわち皇帝とその家族周辺に非常に近い人物に仕えていて、どうやら己の娘は皇子のひとりの後宮に望まれているらしい、ということがだんだんとわかってくると王禁は思わず唇を噛み締めた。

ーーやったぞ…!ーー

 嬉しさのあまりその場で思わず踊り出してしまいそうになるのを必死に堪えながら、丁重に、だが決して慇懃無礼にならないよう細心の注意を払って応接するよう己に言い聞かせた。

 そして客人が訪れることがあれば美しく装い、客人の通された場所から見えるあたりの庭を散策するように、といい含められていた政君が頃合いよくその姿を現したのを目の端で確認すると、王禁はあくまでも自然を装って庭のことへと話題を変えた。

 そして政君の容姿が(まど)越しにかろうじてわかるほどの距離にやってきた時、人好きのする笑みを浮かべて視線を庭に向けながら、独り言のように呟いた。

「あそこの花は特に美しく咲いておりまして。ああご覧ください、ちょうど娘のいるところです」

娘が近くにいることを相手に仄めかしたとたん、相手は興味を隠そうともせず慌てて目線を庭へと向けた。そして淑やかに歩く政君の姿形を確認して満足そうな表情を見せて微かに頷いたのを王禁は見逃さなかった。

ーーこれはうまくいくに違いないーー

 娘にとっては最高の、これ以上は望みようもない良縁であり、親にとっては極上とも言える、絶対に逃してはならない縁談である。


「おい、弘!燕の糞が幸運を運んできたぞ!」

()けつ(まろ)びつ弟の屋敷へ駆け込むと、息も切れ切れのまま興奮を隠そうともせず弘の手を取ってぶんぶんと振りながら捲し立てた。

「聞いてくれ、落ち着いて聞いてくれ」

「わたしは落ち着いてますよ。兄さんこそ落ち着いてください」

「縁談が、政君に縁談が来た。それも特上のやつが。未央宮の皇子との話みたいだ」

「未央宮の皇子ですか…!」

今度は弘が絶句する番であった。


 時の皇帝・劉詢(りゅうじゅん)には、政争に巻き込まれた末に毒殺された許皇后所生の男児二人を筆頭に、計6人の皇子がいた。皇子たちは年頃を迎えつつあり、未央宮には美しい花々が集めはじめられていると京師・長安ではめでたい話の一つとして噂になっていたのである。

 6人の皇子たちの中でも京師の噂雀たちの専らの関心は、皇帝その人がまだ皇位継承とは全く無縁の身であった時にその妻であった許氏が元平元年(前74年)に生んだ第一子・劉奭(りゅうせき)と、皇后になってから生んだ本始3年(前71年)生まれの第ニ子・劉旴(りゅうく)に向けられていた。

 第一皇子・劉奭は、実母である許皇后の死後、地節3年(前67年)に8歳で立太子され、五鳳元年(前57年)のこの年18歳を迎えたことから正式に冠(成人)した。それと同時に太子宮を賜り独立し、皇太子妃こそ定めていないもののすでに自らの後宮を構えていた。一方で第二皇子の劉旴はまだ15歳になったばかりで、今年から彼のための後宮が形作られていくのだろうと言われていた。


「これは、ひょっとするとひょっとするかもしれんぞ」

王禁は身震いした。どちらにしても、皇帝の孫にあたる世代の男児がまだいないのである。

 娘が皇太子の後宮に入り寵愛を受けることがあれば大当たりである。皇太子から寵愛を受けること、それだけでも自分がその恩恵を受け、大出世できる可能性がある。そして、寵愛が実り男児を産むことがあれば、王禁は外戚の1人として権力者の側に仲間入りすることも夢ではない。つまり、口癖の「いつかは俺は!」がまさに現実になろうとしているのである。

 だが、皇太子の後宮では司馬良娣(しばりょうてい)という愛妾が寵愛を独占しており、他の女たちは見向きもされていないという話も市井では密やかな噂となっていた。その噂を思い出した王禁は、すでに愛妾がいる皇太子よりもこれから女を知る第二皇子の方がよほどいいのかもしれない、と考えを巡らせて一喜一憂した。

 皇子である劉旴は近いうちに王に封じられるのは確実であった。何しろそのために大河郡周辺が新たに国に改められ東平国と呼ばれるようになるらしい、という話がそこここで聞かれたからである。

 それに、と王禁はまた考えを巡らせた。

ーーもしその二人の皇子に気に入られることがなかったとしても、他の皇子たちに気に入られることがあれば親としては申し分ないことじゃあないかーー

 どの皇子であっても成人すれば王として封じられるであろうし、王が就国する際に妃嬪とその一族は帯同されるのが常であり、その地でそれなりの地位を与えられることは間違いないのである。


「殿下方のお年と政君の年のころを考えれば、許后の忘れ形見の皇子たちのどちらかの後宮に入ることになるのでしょうね。…そのお二方なら、王皇后が後見でいらっしゃる。伝手を辿って政君のことをよしなに頼むことができるかもしれませんよ」

 政君が寵愛を受けてから先のことばかりを思い巡らす王禁に対し、現実主義の王弘は手始めにまず政君のために何ができるか、を考えた。

 同姓の場合、辿っていけば縁戚に繋がることが多い。どうにかして王皇后に働きかけられないだろうか。兄よりも行動力のある王弘は、さっそく魏郡元城のみならず東平陵の一族縁戚に連絡をとり、なんと王氏繋がりというだけでなく自分の妻の繋がりで王皇后に行き着くことを調べ上げたのである。

 何しろ後宮は女の園である。男の世界の地位を笠に来て頼むより、女の繋がりで後見を頼む方が良いだろう、と判断した王弘とその妻は、血のつながった可愛い姪のためにさっそく一肌ぬぎ、王皇后に一族のーー本当に遠い遠い親族だがーー誼を通じるように働きかけた。

 その甲斐あって、内々の返事ながらも、すでに後宮の中の序列が決まりつつある皇太子の下ではなく王皇后の庇護を受けながら第二皇子劉旴の妃嬪となれるように致しましょう、との確約をもらい王禁と王弘は肩を叩き合って喜んだ。そしてそこまで気にかけてくれる王皇后の面子を潰すことのないよう、これまた一族全ての英知を総動員して王政君に念入りな花嫁修行が施されたのである。

 後宮に上がる日にちまで決まり、これで後は未来の東平王の後宮に入るその日を待つだけ、と安心していたところ、またも王禁は不幸のどん底へ突き落とされた。


なんと元々それほど頑健ではなかった皇子が急死したのである。

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